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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【誕生編】
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003 草太1歳






生後約10ヶ月ごろ。

首がすわって身じろぎできるようになると、彼はプルプル震える手を壁に伸ばして、一足飛びにつかまり歩き訓練に着手した。

まずははいはいだろうが! とか思われるかもしれないが、その段取り的な安易な発想は連日の羞恥プレイに痛めつけられたおっさんのプライドが許さなかった。


(大人どもの魔手から身を守るには、手を空けて抵抗しないとならん)


目指せひとりトイレ。

はいはいでは、家の外にある厠までたどりしくことは至難である。そうして彼は炎のような情熱を傾けて、生後半年の骨格しか持たぬ乳児にはあまりにも過酷な訓練を始めたのだった。

生後1年未満の赤ん坊が、プルプル震えながら壁にすがり立ち歩こうとしている……大人たちは驚き半分どん引き半分という様子だった。


「おい……大丈夫なのか」

「しっ、しらないよ! でもソウちゃんがあんなにがんばっとるし。…ここは親としてだまって見守らないかんと思う」

「いや、そういう意味じゃなくてな…」


爺が言いたかったのは、赤ん坊の足腰で立てるわけがない、見守ってる場合じゃなかろうということだろう。

まあ、その意見は全面的に正しかったといわざるを得ない。首がすわったからといって、手足の関節が完成されたわけではなかったのだ。

3日間の死闘の果てに、彼はおのれの体にその時期が来ていないことを悟ることとなった。あきらめてはいはい移動するようになった彼は、腹立ち紛れに近くにいる大人の足に頭突きを食らわせたり猫パンチをみまわせたりしたが、それはじゃれているようにしか見えなかったらしく返って相手を喜ばせるばかりであった。




はいはいしかできないのならと、彼は方針を転換した。

動く手足を徹底的に鍛えることにしたのだ。家の床が続く限り、彼の出没しない場所はなくなった。居間の囲炉裏は絶好のショートトラックと化し、乳児暴走族はあたり構わず頭突き攻撃を食らわした。濡れ縁へと続く障子をなぎ倒し、炊事中の台所を機敏にスラロームしたかと思えば、夜這いに訪れた林家の三男坊の閨事(合体)を威嚇走行で妨害したりした。

その苦節2ヶ月に及ぶ訓練の果てに、異様に足腰が強化されたスーパー乳児が誕生したのだった!

いよいよとばかりにつかまり立ちにチャレンジした彼は、あっさりと最初の難関をクリアした。


(立てた!)


そのとき草太は1歳。

努力のかいあって、標準よりはずっと早く二足歩行デビューを果たせたようだった。壁に手をついたまま俯いて震えている乳児が、まさか感極まって泣きはらしているとは大人たちは思いもしなかっただろう。

そうして壁から手を離して、足を少し踏ん張ってみる。

鍛え上げられた足の筋肉は、頼もしいまでに不完全な乳児の骨格をよろい、直立を不動のものとした。

気をよくした彼は、そのあと一気に走り出して、衆目が集まるなか見事顔面スライディングを披露することとなる。最初は誰だって失敗は付き物である。

はいはい歩きの名残だろうか、足ががにまた気味の乳児の歩きは、相撲取りのすり足に似ている。少しでも走ろうとすると、がにまたのまま「ドドドドッ!」と突撃体勢になる。


「ははは、ソウちゃんはほんと元気がいいねぇ」

「おはるに似て骨は細そうだが、どうやら力は意外とありそうだぞ」


褒められて、彼は一度腕に力瘤を作ってみたが、見事にそれらしき瘤は現れなかった。瘤というよりもぷにぷにしている。

二足歩行能力を手に入れた彼は、開け放たれた戸の向こうに広がる自由の大地を次の目標と定めた。あの引き戸をくぐればそこには彼の好奇心を満たしてくれるいろいろな情報が溢れていることだろう。

そこにたどり着くためには、目下のところ(かまち)の高低差をいかに克服するかにかかっていただろう。満1歳、身の丈2尺3寸の乳児にとって、1尺(30センチほど)の落差は、容易ならざるものである。しゃがんだりひねったりと器用な動作ができない乳児ボディでは、なかなかその落差にチャレンジできるものではなかった。



「おそと」


草太は母親におねだりしてみた。

ようは大人の手を借りて、おんもに立たせてもらえばよいのだ。

だがしかし。


「いま、ソウちゃんがしゃべった!」


母のはるが素っ頓狂な声を上げて彼を指差した。

最初はその驚きを周囲に伝えたい気持ちが勝っていたようだが、しばらくするといとしい我が子が生まれて初めて発した言葉が「おそと」であったわけで、ショックの雷に打たれてよよよっと家の奥に引っ込んでしまった。


(これはうかつだった…)


おのれの最大の後ろ立てであり扶育者である母親がいるというのに、記念すべき最初の一言をもう少し慎重に扱うべきだった。

母の様子を見に行こうと、身体の向きを少し変えたところを、爺に抱き上げられた。爺の田んぼ仕事で鍛え抜かれた腕は脂肪もなくごつごつとしている。掴まれると少し痛いのだが、抱っこされた後の機動力は家族のなかで随一である。


「おらぁがつれてってやら」


この集落で柿の木畑の伊兵衛といえばこの爺のことである。

草太は「柿の木畑の伊兵衛のとこの孫」という言われ方で村人として定義される。武士でもない彼の家には苗字はないのだ。

母へのフォローはとりあえずあと回しになりそうだ。

孫が初めて独り立ちし、あまつさえ初めて言葉を発したのがうれしかったのだろう。爺はうんうんと頷きながら鼻の頭をこすりあげた。

家の外に出て、爺の腕の中からおろされると、草太は初めておのれの足で立った地面をつかのまぐりぐりと足の裏で確認した後、家の周りを歩き出した。後ろから爺が心配そうについてくるが気にしない。ぽてぽてとがにまたで歩き続ける。


(これがオレの家か…)


その外観を確認するだけで、1年を要した。

時代劇でいうなら、盗賊の一味が隠れ住む町外れのあばら家……ただしむんむんと生活臭の漂う……粗末な掘っ立て小屋だった。陽あたりのいい西側に柿と石榴(ざくろ)の木があり、東側に名の由来になった大きな栗の木があった。敷地の境界には杉の木が並んで立っていて、隅っこには物置らしい小屋と戸板で見えにくくしただけの厠があった。


「こらこら草太、走ると危ないぞ」


止まらない彼に爺が焦っている。

そろそろ確保されそうな気配に、彼は意を決して厠へとダッシュした!

ドドドドドドッ…!

突然の方向転換、そしてがにまた突撃を開始した孫に爺が愕然とした。爺はむろん厠がどうなっているか知ってる。このままでは孫が肥だめにダイブすると思ったのだろう。急いで掴みかかるが、それを彼は鍛え抜かれたスラロームで回避する。頭が重くて振られるが、なんとか持ち直した。


(これが厠か!)


なんとなくは予想していたが、頭の中の想像はやはり生易しかった。

おそるべし、原始トイレ!

井戸のように丸く石組みした穴と、渡した二枚の戸板。そこに乗って用を足すのだ。隠しているのは家側だけ、後はススキや雑草の衝立(ついたて)のみの大パノラマ開放系トイレである。

下の肥だめにはブツが積層されていることだろう。立ちのぼる臭いはおして知るべしである。


(…これはまだ……ムリだな、うん)


心は拒否しているのに、怖いもの見たさのおっさん部分が肥だめの秘めたる闇をのぞきこもうとした。が、それは追いついた爺によって阻まれる。


「おっとろしい赤ん坊じゃ!」


抱き上げた爺が死にそうな様子で呼吸を喘がせていた。

思わぬところで年寄りに冷や水を浴びせてしまったらしい。彼は少しだけ反省した。


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― 新着の感想 ―
[一言] お初です。 汲み取りはねぇ…夏にはアンモニア臭で目が痛くなり、鼻に臭いが滲みつきます(泣)。
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