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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【誕生編】
35/288

034 差配






林の屋敷に帰ると、自ら着物をたすき掛けにして邸内回復の陣頭指揮をとっていた貞正様に生暖かい微笑で迎え入れられました。

そしてにこやかに笑みながら草太の耳を引っ張って書斎へと連行されて……大説教大会と相成りました。とほほ。

どうやら貞正様の中で『林家の秘蔵っ子』は跡取り候補として赤丸急上昇中らしい。

なんですぐに安否を報せなかった。

無事ならなんで最初にここに顔を出さなかったのか云々。

愛情の裏返しとはいえいつもは冷静沈着な祖父が言葉につっかえながら懇々と説諭するさまは、草太の精神値に大ダメージを与えずにはいなかった。

もしかしたら顔を出すのを後回しにされたことを根に持っているのかもしれない。

もちろん草太の中ではこの父方の祖父も大事な家族の一人であるし、なおざりにするつもりはまったくなかったのだが、たまたまこっちが立派な屋敷で頑丈そうなのに対して、あっちはボロっちいあばら家だったというだけである。素で考えて、緊急性があるのはどう考え立ってあっちの家である。

まあ、それでもお家大事なこの時代、本家をいの一番とするのが一般論として正しかったに違いない。その辺の感覚は、現代人のそれを引きずる草太にとってあまりなじみがわかなかった。ただ貞正様が相当に心配していたことだけはとてもよく伝わってきたので、緊急時のことでもあり体がかぁっと熱くなって、涙があふれ出てきた。

心配かけてごめん、じいちゃん。

貞正様も「分かってくれたか我が孫よ!」的に、一緒に泣いてハグし合いました。抱きしめられると、ほんとに自分の体が小さいことに気づかされる。もっと役に立ちたいのに、この身はあまりにも無力でやるせなくなる。

ひとしきり家族愛を分かち合ったあと、とりあえず的に解放された草太は、ぼうっとする暇さえも惜しんで屋敷のなかの状態を観察して回った。

この屋敷は造りがしっかりしているため、今後の生活についてさほど悲観的になる必要はなかったが、とっぷりと日が暮れて藍色に染まる冬空を見上げるにつけ、大原郷の多くの家を失った人々が絶望感にさいなまれているだろうことが気に病まれた。

屋敷の門のほうには、救いを求めてやってきたのだろう村人たちが数人、小者のゲンとやいやいと言い合っている。村人にとって、困ったときに最初にすがる相手は庄屋である林家であったろう。

庭の方では太郎・次郎・三郎の三兄弟と女中たちが、家のなかで散乱していた家具や小物などをいったん外に出して一生懸命整理中であった。

それはそれで大事な作業なのかもしれなかったが、郷全体が深刻な被害を受けて生活そのものが立ち行かなくなるであろう人々が溢れているだろう現状で、それをいま行っているべきなのだろうか。

むろん。

否、である。

林家の家人はすでに寝床を確保した状態で、安心して優先順位の低い整理整頓なんかを行っているわけで、郷の長たる庄屋の家人がそれではとてもではないが示しがつかなくなるだろう。

案の定、門で言い争っている村人たちの言葉の端々に、「いまあんなちまちましたことやってる暇があるなら…!」とか「このままじゃ凍え死んじまう!」とか切迫した言葉が聞こえてくる。

縁側で立ち尽くしている草太の後ろに立った貞正様も、彼の視線を追うように門へと向けられて、苦い表情を浮かべた。むろん庄屋としてなにを求められているのか分かっているのだろうが、ここにいるわずかな人数でなにが出来るのだと諦観したようなふうで、ついと視線をそらしてしまった。


「おじいさま」

「…なんだ」

「なにもしないのですか」

「なにも…とは」

「ほうっておけば、今晩だけでも何人か人死にが出るかもしれん……もう正月も間近な寒い冬なんやよ」


孫の問いに、祖父は押し黙った。

草太は容赦なく問い詰める。


「待っても、代官所はすぐには動かへんよ」

「……!」

「代官所は所詮お役所仕事やし、役人たちもいまは自分の家に行っちまって役所はほとんどもぬけの殻やと思う。それに代官様が領民を護助せよと発破をかけたところで、代官所の所在地はしょせん根本郷やから、そっちの救助活動で手いっぱいになっちまうはずやし。…待ったって、こっちには当分これんと思う」

「草太…」

「それにここで座して郷に死人を出したら、責任者として庄屋が責められるのは間違いないよ。代官所も手当て不足の責任擦り付ける相手が欲しいところだろうし」


郷の責任者は庄屋である。

この大災害の時に、無為に時を浪費し村人に死者を出して知らぬ顔をしていたら、責められぬほうがおかしいというものである。

現代であったら、庄屋はさしずめ『町長』というところであり、「われわれに出来ることはなにもない」と被災地で硬直している町長がいたら、石をぶつけられるどころか進退問題にまで発展しただろう。


「為すべきことを為さないと、庄屋としての軽重を問われることになると思うよ…」


祖父の顔にさっと朱が差した。四十も離れている童に諭されているおのれに気付き、そして恥じたのだろう。

だがすぐに言葉を発しなかったのは、祖父の頭の中にこの混乱を収めるための善後策が混沌と形を為していなかったからだろう。祖父はこの時代的には有識者に数えられたであろうが、市民(領民)を行政(支配層)が身を粉にして守り通さねばならないという思想からはほど遠い。そんな公僕的意識が醸成されるまでにはまだ数十年単位の時が必要だろう。

ならば彼が誘導するしかない。


「まず誰も凍えないように、暖のとれる場所を確保して、家をなくした人たちを一箇所に集めて保護するのが第一…」

「……」


祖父はなにも言わず、ただ耳を傾けている気配がある。

言うのは簡単だ。保護するったって、具体的にどこそこを避難所にするとまで言えなければまったく意味がない。


「保護する場所は普賢寺、そこで足りなかったらこの屋敷も開放するしかない。普賢寺だったらお堂だけで2、30人は寝起きできるし、夜具だってひとそろいそれなりに用意もあると思うし。伯父さんたちに寺とここに焚き火の準備をしてもらって、女中の人たちには味噌粥でいいから炊き出しの準備を始めさせて…」

「焚き火に炊き出しか…」

「もうすっかり夜やし、早く準備を始めんと…」

「まったく。…本当に6歳(数え)の童とは思えん頭のめぐりよ」


ふっと小さく嘆声が漏れたかと思うと。

ぽん、と頭に上に手を置かれた。

掻き回されるかと思ったが、優しく二度ほど撫でられて、


「この危急の時に、一番頼りとなったのがまさかこんな童とはな」

「おじいさま…?」


顔を上げたところで、祖父の低いよく通る声が、草太の提案どおりの指示を出した。庭で作業していた伯父たちが仰天したようにこっちを見てきた。


「父上! 一体なにを」

「だまれッ! さっさと言われたことをやらんか!」


太郎伯父がちらと草太を見たあと食い下がろうとしたが、祖父は一喝してその言葉を粉砕した。

伯父連と小者のゲンがあたふたと屋敷の裏手に走り、女中たちが勝手口にまろび込んでいく。その様子を門の外で眺めていた村人たちの顔に、ようやく生色がよみがえってくる。

この時代、領民など支配者の所有物であり、見捨てられれば恨みをのんでのたれ死ぬしかなかったのだ。祖父は彼らに「家族を急ぎ連れてくるように」と言い、出来るだけ周りの者たちにもそのことを伝えるように命じた。

あわただしく動き出した周囲の様子を見守っていた祖父は、くっくっと声を飲み込んだような笑いに肩を揺らしてから、


「このあとはなにを言い出してわたしを驚かせてくれるのか楽しみだ……草太」

「…はい」

「この騒動がひと段落着くまで、この林家、おまえが差配してみるがいい」


その言葉に雷に打たれたように目を見開いた草太に、祖父は笑いながら額を小突いた。そうして背を向けてゆっくりと縁側を歩きだした。


「おじいさまはどちらへ?」

「おまえの差配にしたがって、わたしも行かねはけならんところが出来たんじゃなかったのか?」


問いに問いが返ってきた。


「寺の和尚には、わたしが出向かんと格好がつかんだろう」


祖父はどうやら普賢寺の了解をとりに行くつもりのようだった。


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