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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【誕生編】
33/288

032 安政の大地震






ゴフゥッ!


ぶれ続ける視界の外で、草太が耳にした大きな音。

やっとのことで地面にしがみついているいまの状態で、その音の出どこをしかと見定めることは出来なかったが、おそらく天領窯の天井が砕け落ちた音であっただろう。

天井が落ちたことで急激に空気を取り込んだ窯の中の燃焼ガスは、一気に昇華して大量の熱をとき放った。


(あちちちちちっ!)


生きながらにして石釜に放り込まれたような暴力的な熱気に呼吸する酸素まで一瞬奪われかけたが、幸いに室内でなかったので酸欠だけは免れた。

数瞬の間天領窯は大量の炎を放出し、そしてすぐにたくさんの器たちが絶命するガラスの砕け散る音が中から起こった。


(オレのボーンチャイナが!)


そんなことを考えたのも一瞬のこと、次の瞬間窯を覆っていた屋根の支柱がぼきりと折れて、スローモーションのようにゆっくりと傾き始めたのを目にして全員が身を投げ出すように外へと転がった。

揺れはなかなか収まらない。

草太の経験的には、だいたい震度5ぐらいか。

その程度の揺れであっても、耐震構造のないこの時代の建築物はあっけなく傾き、そして崩壊する。このあたりの粗末な家はみな釘なんか使っていないから、接合部のホゾが抜けてしまえば構造体の強度などあってないようなものだ。

身体を何回転もさせて窯から遠ざかり、冬枯れの草の中に身を伏せてただただ無事を祈る。

1分ほど揺れば続いただろうか。

揺れが次第に収まり、やがて何事もなかったかのように沈静化してもなお、人々の硬直は数分ばかりほどけなかった。


(この地震は……かなりでかかったぞ)


前世の記憶が途絶える数ヶ月ほどまえ、彼は歴史上未曾有の大規模地震を経験していた。国の東半分を大混乱に陥れたあの3.11の大震災の時、多治見の地はせいぜい震度3から4程度の揺れであったのだけれども、我に返ってテレビの情報に接した時愕然としたものだった。


(江戸時代末期の地震って……安政の大地震だろうが! なんで忘れてたんだ! バカじゃねえのか、オレ!)


安政の大地震。

震度8以上の大地震が東海地方を襲って、人々の生活を大混乱に落としいれた大地震。


(たしか地震はこれだけでは収まらなかったはず……数日あけて安政南海地震、そして次の年に江戸でも大地震が発生する…)


江戸末期の三大地震だ。

東海大地震の危険を啓発する特集番組は幾度となく放映されている。身近な危険であるだけに、その内容はよく覚えていた。

たしか震源地は静岡の沖の方で、距離があるからこの程度で済んだのだろう。

地震発生のメカニズムを知識として保有する草太は、一番早く動揺から再起動を果たした。

しばらくしたら余震が断続的に来るだろうが、こうして冷静に辺りを見回すと、物質的に決して恵まれていないこの時代の建物は、ガラスのような割れ散らかる危険物もなく、現代よりも返って安全なことが分かる。例え地割れが起きてもアスファルト舗装のような危険な段差ができるわけでなし、自然に繁茂する木や草が丈夫な根で地面を掴んでいてくれる。閉め忘れるガスの元栓もなければ、ショート漏電する電気配線もありはしない。

ほっとするのもつかの間、草太の目に崩落した天領窯の姿が映る。


(…終わった……オレのボーンチャイナ)


崩れ落ちた窯は、いまなお盛んに灰色の濁った煙を吐きだし続けている。燃えくすぶった松の薪が不完全燃焼を起こしているのだろう。

とりあえずいまは頭を切り替えなくては。

もしも命に危険のある被災者がいたなら、一刻も早く救出しなくてはならない。

そのとき頭に「レスキュー隊」という単語が浮かぶ。

この時代の庶民の頼るべき行政組織はむろん江戸幕府であり、封建大名たちであった。だが果たして、彼らが適切に被災者救済を行うことができるのだろうか。

まだ地に伏せたまま震えている仲間たちを順番に立ち上がらせながら、草太はめまぐるしく頭を回転させていた。


「なんちゅうひどい地揺れや!」

「こんな大きな地揺れは生まれて初めてやぞ!」


どうやら全員怪我もなく無事なようだ。

5歳児に手を引かれてやっとの思いで立ち上がった大人たちは、興奮しきりで心中の言葉をただ激しく叩きつけあっていたが、草太に「はやく家の様子を見に行ってあげんと」と促されて、みな地に足のつかないようすでばたばたと帰って行った。皆相当にテンパッているようだ。

天領窯の番兵たちも、相当に動転したのか役目も放り出して姿が消えている。まあもう彼らの守るべき天領窯は失われているのでまったく問題はないのだが。

草太の足は、自然と母親のいる生家に向いた。人手の多い林の屋敷よりも、柿の木畑の母と祖父母のあばら家のほうが彼にできることも多いと思ったのだ。

根本郷から大原郷まで駆け通しに見た景色は、この世の終わりのように一変していた。多くの家がひしゃげ倒れ、石垣は崩れ、並んでいた地蔵もなぎ倒したように道端に転がっている。ところどころでは火災の兆しか煙を立て始めている家もある。


(無事でいてくれ…!)


途中、つぶれた家のなかから助けを求める声も聞こえた。

聞こえなかったことにした。

つぶれた家に取りすがって泣き叫んでいる子供がいた。

目をつぶって振り払った。

歩を進めるにつれて、彼の心のなかに形容しがたい感情がせりあがってきて、知らぬうちに叫びだしていた。


(なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ…!)


どうしてこんなことになる。

誰もなにも悪い事なんてしてないのに。

なんで神様は人間にこんなイミフな罰を与えたりするんだ!

地殻プレートがずれ込んで地面を揺らすとかそんな理屈はどうでもいい。目に入る確固として信じきっていた人間の生活がずたずたに引き裂かれ、阿鼻叫喚する被災者の姿を見ると、何者か人間以上の高次存在が意図的にこの災害を起こしたとしか思えなくなってくる。

信心など皆無のはずの草太ですら、怒りの対象を得るためにそうした意地の悪い高次存在を反射的に求めてしまう。でないとこの激しく昂ぶった感情の持って行き場所が見つからないのだ。

生家に向かいながらも、倒壊した普賢下林家の屋敷が頭に浮かんだ。

看板が街道に投げ出されて無残に傾いた次郎の婿入り先の旅籠が浮かんだ。

見に行かなければならないところがありすぎる。

心臓がバクバクと音を立てている。走りづめの疲労ばかりではない。生きていなければならないひとたちが死を無理強いさせられようとしていることが恐ろしかった。

草太は唇を噛みしめて走った。




林家に引き取られてからあまり近づかないようにしていた生家。

柿の木畑の伊兵衛の家。

林の屋敷に比べればあばら家同然の家であったが。

彼の生家は、まるで牛乳のパックを折りたたむように、きれいにひしゃげ倒れていたのだった…。


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