031 なんで思い出さなかったんだ
改稿作業はIFルートの掘削試験をしてはいますが、勢いのそがれることはなはだしいものに幾度となくなっています。
『正史』ではないですが、基本そちらの推敲をしつつ掲載、という流れが主となりそうです。IFはいろいろと構想があったんですが、ネタも含めてもはやジェンガ状態…。
小学生の時分の、お気楽な窯焚きを思いだした。
多治見という町は、住民の多くが窯業関係者ということもあってか、小学校に焼物体験授業なんかがお約束のようにあって、幼いころにたいていそっちの経験をしたりする。
まだ何にも考えていなかったバカな子供だった彼は、鼻水をたらしながらよく分からん変な器を作って、得意げに先生に渡していた。頭の足りない小学生相手に焼物体験授業をしていた先生たちはさぞ大変な想いであったろう。
子供であった彼は、むろん形を作るだけで、あとは他人事のように眺めるばかり。先生たちばかりが汗水たらしてしゃかりきに働き続ける。ほんとご苦労様だった。
たしかあの学校据付の窯はガス窯だったはず。クラスごとに焼けるように、1リューベ(1㎥)ほどの手ごろな窯が四つほど並んでいて、裏に固められたプロパンガスのボンベからガスを引いて焚いていた。
傍で見ていて大変そうに感じたあの作業も、実際は現代技術によってずいぶんと簡素化された窯焚きであったのだといまさらながらに思う。ガスの元栓ひねってしまえば、あとは勝手に燃料が供給されるのだから、人間は火力の強弱にだけ気を配っていればよかったのだから。
(こりゃ大変だわ…)
イメージ的に近いのは、蒸気機関車の機関士であろうか。
火の加減を睨みながら、人力で燃料を放ってやらないといけない。石炭をスコップで掬い採る機関士のほうがまだ楽かもしれない。薪はそもそも重いしかさばるし、大食いのバカ窯は次々に新たな燃料を要求してくる。
小助・草太組の分業は、自然と火加減調整が小助で、薪の持ち運びが草太の作業となっていた。経験値的にそうなって当たり前なのだが。
薪は運びやすいようにあらかじめ縄で束にされているのだが、ひと束30キロはあるのではなかろうか。5歳児には少々どころでなく過酷な重労働である。
4半刻に1度のペースで運び続ける感じだが、短時間勝負ではないのでそのうちに体の疲労が勝って気持ちが折れてくる。
「はよ持ってこい! そろそろなくなるぞ!」
「まっ、待って! いま行きます!」
そうして薪を運び続けること十数時間。
火入れからすでに3日が経とうとしていた。
温度がなかなか上がらない登り窯でも、さすがにそろそろ最高の温度に達していることだろう。
薪の束を小助の足元に放り出すと、草太は尻を投げ出すように大の字になった。手も足も棒のようになっている。
今日は11月4日。陽の短い冬至も近いためか、朝日がのぼるのも相当に遅くなってからだ。
3日目の朝もすでに明け染め、薄紫色の雲が東へ向かっていきおいよく流れている。雲の流れから、「西高東低の冬型の気圧配置」というお天気お姉さんがよくいうセリフを思いだす。
そんなことよりも…。
(変な雲だな…)
ごろりと寝転がった草太の頭の上のほう、高社山の稜線が黒々と地平を切り取るその先に、金色に輝く細長い雲があった。
流れの速い他の雲と違い、それだけは我関せずという感じに高社山の上のほうでわだかまっている。色が他と違うので、なおさらによく目立っていた。
「なんや、草太。ぼけっと変な顔して」
薪を束ねる紐をほぐすために、小助がしゃがんでいた。薪の紐をほどくのは草太の役目だったため、それをほったらかしに明後日の方を見ている彼のようすが気になったのだろう。
「あっ、すいません。オレやります」
「ああ、ええてええて。さすがにおまあさんみたいな童にゃ、ちっとばかり厳しかろうよ。少し休んどれ」
小助は噛んでしまった縄に舌打ちしてから、縄を掴んで縦にして激しくゆすった。すると薪が抜けてきて、そのうちにざばっと盛大に散らかった。小助に料理をさせたら絵に描いたような男の料理をしそうな気がする。
手にとった薪を放り込み、火掻き棒でなかをかき回していた小助は、遠くからかかった声に背筋を伸ばした。
たらいを抱えた女性が、オーガと並んで歩いてくる。
「オカミさんが飯持って来てくれやーたよ」
「ほんにお疲れ様やわ。簡単なもんやけど食べて」
1日2回の食事は、小助どんの奥さんが持って来てくれる。
窯頭も大変だなあとか思っていたら、どうやら代官様から多少の扶助が出ているらしい。
食い物の匂いにつられたのか、ろくろ小屋で気を失っていた周助ももそもそと這い出してきた。
いつものように窯傍の作業台の上に握り飯と漬物、それにいわしの干物が並べられる。握り飯は米の量を節約するために干し大根が刻んで混ぜてある。
ほんとうに簡単な食事だったが、仲間と一緒に食べるとこれがまたとてもおいしかったりする。
「そうそう、下の門番さんからこれ預かったんやけど、ソウちゃんの彼女が持ってきたそうやで」
「え……?」
風呂敷で包んであるそのなかには、やはり握り飯と漬物、それに根菜の煮付けが笹の葉に包んで入っていた。
形はいびつなものの普通に大人が握ったぐらいの大きさのおにぎりが三つ。
「なんや、草太も隅に置けんなぁ」
オーガががははと笑ったが、受け取った草太は何か重たいものでも飲んだように表情を翳らせた。最近忙しさにかまけて忘れていたが、川原での出来事をまざまざと脳裏に思い出した。
(正直、重いなぁ…)
みなが小助の奥さんの握り飯をうまそうにほおばっているのを横目に、お妙ちゃん特製のおにぎりを口に運ぶ。
充分に塩の利いたおにぎりなのに、なぜか味がしない。
オレのどこがそんなに気に入ったんだろう? そんなやくたいもないことをいまさらのように考える。
根菜の煮付けに興味深々だった一堂におかずを解放して、逆に気が楽になったおのれに嫌悪感が募る。
ひとり内省モードに入った草太を脇に、小助たちは窯に焼具合について盛んに話し合っていた。
「もうそろそろ火を止めようと思う…」
小助が窯を見ながら言った。
「まだはやいんやないかな。ほかの窯やったら、あと一日ぐらいは引っ張ると思うで」オーガが言うと、
「窯のようすがやばそうや」
小助が悔しそうにつぶやいた。
その一言に、チーム天領窯の面々に緊張が走る。
「ひびがでかくなったところが何箇所かある。これ以上土が焼き締まると、天井が落ちるかもしれん…」
ひびだらけだった窯を修理したのも彼らである。満身創痍といっていい天領窯の状態も彼らは熟知している。
「なら、焼けとるやつもあるかもしれんいまのうちに、火は落としたほうがいいってことか」
「磁器もんは諦めたほうがいいかもしれん。本業物ならいくらか焼き上っとるやろう」
「おやじ……オレのは」
「おまんのは陶土やしたぶん大丈夫やろ…」
あからさまにほっとしたようすの周助。
しかしその言葉をスルー出来ない男がここにあった。
その言葉が耳に入るなり、即座にフリーズ状態から回復した草太は、作業台の上の食い残しが散らかるのも気にも止めずに、小助に掴みかかった。
「そっ、草太!」
「な、なんでやッ!」
看過できるはずもない。
『磁器』は諦めろって。オレは『磁器』に全部賭けてるってのに!
「やめろ草太!」
「そうや! おやじだって好きで言ってるわけじゃ…」
「おまーは自分のが焼けるから安心しとるだけやろ! 放せバカ犬!」
4人が窯の脇でもみくちゃになって、取っ組み合いを始めた。
1対3、子供1人対大人3人の超変則マッチだが、当然負けるわけにはいかない。小助に翻意を促すまで、全力でじたばたし続けてやる!
もっとも、5歳児の全力が大人3人にどれだけ対抗できるかなどむろん知れたものである。やがて取り押さえられて、草太は大泣きした。
「うわあああああーん!」
痛ましそうに見下ろしてくる仲間の視線が痛かった。
これまで積み重ねてきた苦労が、走馬灯のように草太の脳裏にフラッシュバックする。あの苦労はなんだったというのか。
今回がダメなら、次回はいつあるというのだ。焼くのをためらってしまうほどの欠陥窯なのに。今回を逃したら、次回は気が遠くなるほど先のことになるだろう。
なのにいま火を落としてしまったら、窯の中で最後の脱皮を待っている彼のボーンチャイナたちが不完全なまま息絶えてしまう。
絶望のあまり、地面をかきむしっていたそのときのことである。
ズンッ…。
一瞬、地面が響いた。
反射的に草太は窯が崩れ始めたのではないかと思ったが、次の瞬間それが誤解であったことを知る。
ズガッ!
ズズズズズスズズズズスズズズズズズズス!
グワラグワラグワラグワラッ!
(じ、地震だ!)
突如、多治見の大地が激しく揺れだした。
誰もが立っていられずに地面にはいつくばった。
それは日本の歴史にも残る、まさに歴史的な大地震の始まりの瞬間であったのだった!