030 火入れ
天領窯の火入れは、10月30日(1854年12月19日)。
日中に大急ぎで窯入れを済ませ、その後に火入れという流れであったのだが、こういうときたいてい「ちょっと待ってくれ」と言い出すやつが出てくるもので、オーガが4半刻(30分)、周助が1刻半(3時間)も遅延させやがりました。
小助どんの愚痴の相手をしながら待つその時間がまた長かった。じりじりしながら待つことしばし、ようやく作品が出揃うと、ハイテンションのまま4人は窯入れの作業に取り掛かった。
下から順に器を並べ、平面いっぱいになるとさながらマンションを高層化するように四隅にリブを立て、棚板【※注1】をかぶせることで2Fフロアを増築、そこに後続の器を並べていく。これを繰り返すと10段近くの高さまで積み上げられる。茶碗程度の大きさの器なら、ひとつの房で300個以上焼くキャパがある。
連房式登り窯であるから、連なる房の数は6個。合わせて一度に1500個くらいの器が焼ける勘定だ。まあ大皿や花瓶なんかが入ってくると、その数は一気に減ってしまうが。周助の馬鹿が手捻りの大物なんかいくつも持ってきやがるもんだから、焼ける数が大打撃である。あっ、やっぱり小助に小言いわれてるや。ざまあ。
正味の話、一流の職人が作ったのならまだしも、半人前の大物手捻りなど完成度の低さからほとんど商品価値もない売れないゴミである。茶碗や湯飲みなど生活雑器なら多少おかしなところがあっても使いようがあるが、カッコ悪い花瓶とか形に難のある鉢とか、たいていの人はタダでも欲しがらないものだ。
(花瓶とか欲しがるのは、すでに生活用の器がすべてそろっていて財布に余裕のある金持ちだけだ。…金持ちはたいてい目が肥えてるから、半端な出来の花瓶なんざ見向きもされない。…やつもまだ若いな)
結婚式の引き出物で土鍋セットとかありえないもん受け取ってしまった招待客がげんなりするように、欲しくない客にはそれがどんな立派な商品でもゴミでしかない。
成り行きを見守っていると、小言をいわれてしょげ返るかと思われた馬鹿犬が、半分は諦めろといわれて急にキャンキャンと吼えだした。うわ、小助どんめんどくさそうだな。
(馬鹿犬も焼いて出てきた器がまったく売れなくて困窮する窯元経営者を一度経験してみればいいのだ。そうすれば、小助どんの小言も身に沁みるだろうけど……まあ、あの分じゃ全然分かっちゃいないなー)
窯焚きとは本来非常に不経済なもので、焼き上げるまでに費やす膨大な燃料や人件費などを知っていれば、少しだって無駄には出来ない小助の気持ちが分かるはずだ。
例え話で分かりやすく説明すると、窯が効率的になった現代においてさえ、1リューベ(1立方メートル)容量の《電気窯》を一昼夜焚くと、電気代が1万円以上かかる。1万円かけて焼ける器の数は、茶碗なら数十個というところ。
焼くだけで1個百円以上コストがかかっているのだ。
馬鹿犬の花瓶をひとつ焼こうとすると、棚を4段ぐらいぶち抜きにしなくてはならないので、茶碗数十個分くらいの価値があるものでないと割りに合わない。
美術工芸大学の学生がオブジェを焼く精神的な余裕というかノリが、江戸時代の窯にあるわけもなく。
(あっ、殴られた…)
とうとう温厚な小助どんが息子をぶん殴った。
殴り倒された拍子に、ひとつ作品が割れてしまった。血走った目で父親を睨む馬鹿犬のようすにひと悶着ありそうだなと見に入っていた草太であったが、
「ぼっとしとらんと、はよ次のやつ渡せや」
窯の中からオーガがのっそりと顔を出して、軽く窘められた。
まあぼうっと見物しているような時間の余裕はない。オーガのいうことは正論である。
勃発した親子喧嘩を脇に、オーガと草太は黙々と窯詰めを続行した。
日が沈み空が薄暮に染まり始めた頃、窯焚きの準備がようやく終わった。
窯の各入り口にはレンガを積み上げ、少し上を開けたぐらいで塞いでしまう。一番下の燃焼室には、松の木を割った薪が燃えやすいように井桁を中心に立てかけるように置かれ、その上からは焚きつけ用の燃えやすい小枝などがわさっと大量に置かれている。井桁の真ん中には、わら束がねじりこまれている。
「…火を入れるぞ」
火打石で乾いたわらに火をつけると、小助どんが厳かなようすでそれを薪のなかに押し付けた。
乾燥の進む冬のこと。火はすぐに大きくなって、燃焼室の中を明るく輝かせた。
火が充分に大きくなったところで、燃焼室の口もレンガを積み上げて軽く塞ぐ。こうすれば内部の熱カロリーが行き場を求めて上へ上へと上がって行くことになる。
入れた器はほとんどが自然乾燥のみなので、最初は慎重に温度を上げていく。
乾燥しているとはいえまだ多量の水分を含む粘土は、急激な温度上昇にさらされると水蒸気爆発で爆ぜてしまうのだ。
ゆっくりゆっくり、少しずつ温度を上げながら、中の粘土たちの水分を飛ばしていってやる。
窯焚きは三日三晩の長丁場になるので、二人組ずつ交代で窯の番をすることになっている。最初は小助・草太チームの番(親子喧嘩後なので別のチームになった)だったが、当然のことながら全員が窯の傍を離れない。今日1日ぐらいは、全員が窯の傍に張り付いていることだろう。
草太はむろん小助の窯焚きの様子を食い入るように観察している。有田焼の窯を参考としていると聞いていたから、おそらく小助自身が現地有田に飛び込んで修行をしたか、もしくはその同等技術を持った人物に師事したかのどちらかであるのだろう。
肥前有田の焼物はこの当時一級品のものだ。製法その他窯の作りや材料など門外不出の技として肥前藩の手厚い保護下にあったが、どの時代にも冒険野郎はいるもので、見つかれば斬り殺されてもおかしくない危険をくぐりぬけ、その地の技術を盗みだすやつらはけっこういたりする。
瀬戸の磁祖(この地に磁器技術を持ち込んだ最初の人と言う意味) 加藤民吉もそのひとり、ずいぶん危ない橋を渡って現地潜入し、技術を持ちだしてきている。
もしかしたら民吉に連なる弟子のひとりにでも教えを受けたのかもしれない。
「…そろそろ乾いたみたいやな」
火入れしてから5刻(10時間)あまり、小助が窯の火口にかざしていた手指を擦るようにして何かを確かめたあと、まどろんでいた全員に入口のレンガの隙間を小さくするように指示を出した。
小助がしていたのは、火口から漏れてくる内部の水蒸気の湿りを指先で確認する手法である。沸騰するヤカンの湯気に手を当てればしっとりと湿るように、窯の隙間から漏れ出る水蒸気に手をかざすと、少ししっとりするのだ。
その湿り気がなくなれば、中の粘土の水分がほぼ完全に飛んだとみていい。厳密にはまだ結晶水【※注2】という厄介な水分が若干残っているのだが、こいつを完全に追い出すには物質構造が崩れるさらなる高温が必要なのだ。
さ~あ! がんがんいきまっせ!
あとは目指せ1300℃オーバー!
土くれに過ぎなかった粘土を魔法のようにガラス化する、奇跡の高温を目指すだけ。勢いよく放り込まれる薪のせいで、火口からねっとりした炎が地獄の悪魔の舌のように吹きだしてきている。
窯の中で荒れ狂っているだろう火の精霊たちを想像して、草太は背筋におののきを走らせた。きっとその膨大な熱にあぶられて、彼のボーンチャイナもじわじわと蝶がさなぎの殻を脱ぎ捨てるように美しい姿態を顕し初めているかもしれない。
(鼻血でそう…)
今生の人生最大の興奮だと思う。
馬の骨を焼いているときにお妙ちゃんにキスされたのにもびっくりしたが、興奮は断然にこっちが上。乙女には悪いが性欲もまだ感じない5歳児に、そっちのどきどきはまだ遠い。
力いっぱいハグされて、興奮のまま川原をごろごろされたあと、彼女もその高ぶった感情のもって行き場を失ったのか、一瞬唇同士のキスをためらったあと、首に思いっきり吸い付かれたのだ。あれはキスというよりも、所有済みのマーキング的な感じの行為だった。
そっちの特殊な趣味方面ではわりとノン気なおじさんは、少しドン引きしてたりする。
「辰吉どんと周助は、しっかりと寝とけ。これからが長いんやぞ」
いつもよりも5割増しぐらいの男前な顔で、小助どんが言った。
【※注1】……棚板。窯の中で器を並べるための耐火板。四隅にリブを立てて多層化して、より多くの焼物を並べることが可能になります。
【※注2】……結晶水。単純に土と混ざっている水ではなく、土の分子構造内に含有されている水(H2O)のこと。