表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
286/288

023 プレゼンテーション大会⑥






 「…まだ正式なものではありませんが、いま下田の町に滞在されているメリケン国人ハリス殿は、メリケン国の最大権威……わが国でいう大樹様(将軍)に相応する『大統領(プレジデント)』なる地位の者から選任された、『領事』なる職位をお持ちでありました。『領事』とは、南蛮列国では外交関係を築いた他国に当たり前のように置かれる外交官であり、その国に滞在する自国民の保護と取り締りに当たるほかに、両国間の通商を促進させる(・・・・・・・・)役務を負っているそうです」


 老公の説得。

 なんとも高いハードルだな、と思う。しかしここに集まった人々の心を掴んだという感触は確かだった。


 「…メリケン国は、わが国と通商を開くことに意を注いでいます。そのような外交官を派遣してくることもまあその流れのひとつではあったでしょう。しかしなぜメリケン国その他の南蛮列国がこうもしきりにわが国との通商を打診してくるのか、わが国はあまりにもとつくにとの交流を持たなかったために、その必死さに気づくことができませんでした。先ほど申しました『資本主義』でありますが、『銭』の濁流から莫大な利益を吸い上げる手法を、わが国に通商を打診したすべての国が、先駆者(イギリス)の成功に倣って同様の施策をとっていると言ったら……そこから少しだけ見えてくるものがあるようには思いませんか? いま急成長を遂げつつあるメリケン国の為政者たちも、そのあまた生まれた新興の『豪商』たちに、新しい商売のタネを与えろと激しい突き上げを食らっているとしたらどう思われますか? わが国のような世界の情勢に疎い少し遅れた国は、その『豪商』たちにとって大変に狙い目の、格好の鴨ネギ(・・・・・・)なのだとしたら…」


 実際にもうすでにいくらか『鴨ネギ』になっている大名もいるのだろう。目が泳いだ大名が幾人もいたのには少し笑ってしまった。

 そこで具体的にどのように『鴨ネギ』にされるのかを解説するとしよう。

 歴史上実際に起こった金の大量流出から始めようか。歴史上本来であるならば先日の下田での会談で幕府はハリスに押し切られ、すでに不平等な通貨交換比率を押し付けられていたはずだった。

 むろんアメリカとてまだあきらめてはいないだろう。周知しておいて損はない。


 「…これはあくまで『仮』の話ですが、先年メリケン国との間でも交渉がもたれたことがあるそうですので、相手をメリケン国と仮定して進めてまいりましょう。まずはこの図をご覧ください」


 アメリカと日本が両端に描かれた紙を広げる。

 しつらえ側の岩瀬様と川路様ももう慣れた様子である。

 颯太はむろん前世の記憶を以ってしてもとうてい専門家ではありえないので、かいつまんだ説明を心がける。指先に少し痺れが広がっているのを苦にしながら、颯太は袖の中をまさぐった。

 そうして仕込んでおいた一分銀を取り出して、掲げるように示す。


 「…この『一分銀』、市中でよく見かける『銭』でありますが、4枚で『一両小判』と等しいことは、ことさらご説明する必要はありませんね。わが国の制度なのでこれはまあ当たり前のことです」


 朱墨で日本の上にその比率を書く。『一分銀』×4=『一両小判』、と。


 「そしてメリケン国では、『ドル』と言う名の銭が流通しています。…えっと、これは露西亜国で手に入れた『1ルーブル銀貨』ですが、メリケン国でも『1ドル銀貨』というのがありまして、銀としての貫目はだいたい『一分銀』3枚ぐらいの重さです。…さて、ここから仮定のお話をいたしますが、少しだけお付き合いください。…忘年某月、わが国との通商交渉を開始したメリケン国は、事前の取り決めとして両国の貨幣の交換率について話し合いを始めました。彼らはこの『1ドル銀貨』を持ち出して、その銀の重さを理由に『一分銀』3枚と交換することを主張いたします。銀としての重さはたしかに3倍で、地金としては妥当な交換率でした。わが国の交渉担当者も懸念を示しつつも相手の突きつけてくる大砲に尻込みしていたので、結局そのまま押し切られてしまいました。…わが国国内の金銀交換率が、海外でのそれとは比較にならないほど銀高に偏っていることを知っていれば、まずありえない決定であったでしょう。…当然のごとく、わが国はその後にとんでもない事態に陥ります。まさに絵に描いたような『鴨ネギ』のごとくにです」


 アメリカの上に、その国での交換レートを示す。

 『1ドル銀貨』4枚で『一両小判』、と。

 すぐに察したのだろう、島津侯が颯太の記入ミスだと、扇子でトントンと畳を叩いてアピールしてきた。

 気付いた颯太であったが、にこやかに笑って「間違ってません」と返して、侯を驚愕させた。


 「メリケン国内では、『1両小判』を地金として売れば、『1ドル銀貨』4枚に相当します。……あれ? おかしいですねー」

 「当たり前ではないか!」

 「そのような馬鹿げたことなど」

 「…ありえない、と申されますか? いえいえ、先年の和親交渉時に、すでにしてあちらはその気で、わが国に同様の交換比率をぐいぐい押してきていたそうですよ」


 ちらりとプレゼンチームに目配せして、川路様が「間違いではござらん」と事実の追認をする。外交を含めて、幕府の重要な取り決めには常に参加している阿部派閥の粒ぞろいの能吏たちがそこにいるのである。疑いなどさしはさむ余地もなかった。

 すでにして、影でやられかかっていたのだ。目に目える形の武器などではなくて、『銭』の戦いで。


 「…この交換比率が確定した場合、メリケン国商人は、『1ドル銀貨』を大量にわが国に持ち込んで、それを『一分銀』に交換、ついで『一両小判』に交換した後に母国に帰ります。たったそれだけで、なんと元手が一気に3倍になるのですから、笑いが止まりません。当然のことながらあちらの『豪商』たちはしこたま『1ドル銀貨』を積み込んだ船で、わが国に押し寄せてくるでしょう。商売も何も、持ってくるだけで生まれる利益です。落ちている金を拾うようなものなのですから当たり前です。まったくうらやましすぎます」


 朱墨で両国の不平等な金銀移動を示す。これは目を覆うような国富の流出に他ならなかった。アメリカに向けての矢印は極太で、と。


 「…これはまあ仮のお話なのですが、川路殿が証言いたしましたとおり、実際に起こり得ていた話でもあります。世界の裏の戦い……『銭』の殴り合いはもう始まっているのですから。先ほども申しましたとおり、メリケン国大統領に任じられた『領事』であるハリス殿が、もう現実としてわが国に滞在しております。そしてその『領事』とは、両国間の通商を促進させる(・・・・・・・・)役務を追っている外交官なのです」


 しわぶきひとつ起こらない。

 何人かの喉仏が上下するのが見えた。


 「…そのような得体の知れない外交官などさっさと追い払えと、そう思った方はおられませんか? 今回は要求をかなりはねつけられましたので話にすら出ませんでしたが、『領事』であるハリス殿は、確実にこの両国貨幣の交換比率について持ち出す機会をうかがっているとそれがしは思いますよ。海外との交易にまったく初心なわが国に、そんなからくりなど分かるはずはないと完全にたかをくくってさえいるかもしれません」


 ハリスは当然のことながら狙っている。史実でも彼個人がその取引で莫大な富を築いているのだ。インサイダーもいいとこの私腹肥やしを平然とやってのけるその人間性あり方は、むろん善良とは程遠いところにある。


 「…先進武器や新鋭艦船による砲艦外交の裏に隠されている、『銭』の戦いの一例であります。蒸気船一隻を造るのにも莫大な費えを要します。それを繰り出してまで開こうという『通商』なのですから、彼らもそれ相応の富をわが国から奪わんと企図しています。経費が利益を上回るなんてことはありえませんので、やってくる彼らも顔には出しませんが相当に死に物狂いなのです。次に彼らが江戸湊にまで艦隊を進めてきたならば、お台場の大砲群に驚きはするでしょうが、所詮武器など届かない場所まで逃げれば済むことなのでさほども怯えはしないでしょう。…しかし世界を半周してここまでやってきた上は、一銭にもならずに母国に帰るわけにはいかないと、商売がぼうず(・・・)で終わることのほうには間違いなく恐れおののいているでしょうね。メリケン国にはわが国のように年功序列の考えはなく、個人の能力でどこまでも昇っていける自由なお国柄ですので……当然ながら落ちるときも崖を滑落するがごとくです。評価にけちのつく大きな失敗を犯したと上に判断されることは、相当にまずいことなのです。こわもてのハリス殿も、その辺りを揺さぶると面白いほどに動揺されていたので間違いありません」


 笑みを作る7歳児に、名立たる大名たちの眼差しが揺れた。

 この7歳児は、すでにしてその『銭』の戦いに身を置き、実践さえしているのだとみなが理解しただろう。

 そうしてその7歳児の口から、また別の『銭』の戦いの実例がいくつも開陳されていく。南蛮列国が世界各地でつばぜり合いしているのは、敵対国の交易を締め上げることで『銭』の流れを阻もうとしている側面があるという話や、露西亜との取引で知己を得た富豪ストロガノフ家の『資本家』としての活動を皮切りに、『資本主義』の申し子たちの列伝……知る者がいれば突っ込みどころ満載であったろうが、時系列などお構いなしに語られるメリケン国の『石油王』や『鉄鋼王』、さらには列国の戦時公債という市場とその闇に潜む魔物のような『銀行家(バンカー)』の話など、次々飛び出すまことしやかな話に聞く者たちの舌を巻かせたのだった。

 そして続く言葉で、「駐メリケン領事館」というのが飛び出した。

 明らかに頃合を計っていたのだろう。ポツリとつぶやいてから、聴衆の反応を見定めるように静かに口を閉じた。

 話は最前の、メリケン国の『領事』、ハリスとのやり取りへと戻った。

 駐メリケン領事館。

 7歳児曰く、それは列国間の外交上の約束事のようなもので、『相互主義』という精神に則ったものなのだという。


 「…すでに先日のハリス殿との交渉で、言質は取り終えております。もはやそれがしが何を申したいのかはお分かりでありましょうが、繰り返させていただきます。取っ組み合いの喧嘩をせねばならないのに、相手に襟ぐりを取られてもまだぐずぐずと距離をとり続けるのでしょうか。足を払うにも投げ飛ばすにも、勝つためにはともかくいったんは手の届く間合いに……相手の懐に飛び込まねば始まりません。もう相手の『領事』はわが国に上陸しているのですよ? ここはわが国も、五分に組み合うためにあちらへ『領事』を送り込むべきときなのではありませんか? その『領事』を置く在外役所、『領事館』を彼の国に設置し、両国間の通商を促進させる(・・・・・・・・)役務をぜひとも進めさせていただこうではありませんか。南蛮列国、メリケン国も、国の中に入ってしまえば、同じ人間が物を売り買いし、食っちゃ寝して暮らしていることに何にも違いなどないのです。先ほど申したような貨幣の交換率でぼろ儲けなどという乱暴なことをしなくても、商売のネタなど現地にはおそらくいくらでも落ちていましょうし、当然商売の正道である、必要とされる商品の売り買いであっても、きっと利益は得られます。…そして彼の国は、語弊を恐れずに申し上げるとするなら、銭さえあれば……本当に言葉が悪いのですが、『銭』でほぼすべてが回っているような彼の国では、やり方しだいであらゆる事々が実現可能なんだろうと愚考します。わが国がその気になれば、一国の富を躊躇なくそこに注ぐことがかなうのならば、その富を元手に動く彼の地でのわが国の代理人は、のっけからとんでもない『銭』を抱える『大豪商』として、かの『紀文(紀伊国屋)』のごとく派手に市場を荒らしまわることが出来るでしょう。生き馬の目を抜くわが国の商道の達人をそれに当たらせれば、どれほどの『銭』をメリケン国相場から抜き出すのか大変に興味深い見世物となるでしょう。先ほども申しました戦時公債市場のように、あちらには列国全体と連動する巨大な相場もあります。そこにわが国の『銭』が飛び交って上に下への大騒ぎになるさまを想像してください。あの黒船艦隊のメリケン国(・・・・・・・・・・)が、見下していたわが国にうち懐に飛び込まれ、なすすべもなく大慌てするところを!」


 両手を広げた颯太は、その広げた手の先に途方もない財貨を抱えるような仕草をした。いろいろと無茶な話をぶちまくった実感はあったものの、誰も検証しようもないことなので気にしないことにする。

 会合参加者たちの気持ちを揺らすことには成功したというたしかな感覚はある。普通の講演会とかなら、ここでやさしい拍手が幕引きを促してくれるのだけれども……まあ、そろそろ限界ではあった。

 颯太が年齢相応の体力の限界に差し掛かっていることに何人が気付いたことか。笑う膝を抑えかねて、ぺたんと腰砕けに坐り込んでしまったところで、いち早く反応した川路様に背中を支えられた。

 あー、のどが渇いた。

 颯太は力が急に抜けてしまったおのれを怪訝に思いつつも、聴衆たちを見回して、「あちらの言葉にはこういうのがあります」と、喉の渇きを押して言葉を続けた。

 誰かが「もうやめよ」と声を上げている。

 颯太はそれを不思議に思いつつも、話のオチをつけようと口を動かし続けた。


 「幸運の女神(吉祥天)には前髪しかありません。…通り過ぎたと分かったときにはもう捕まえられないのです」


 長広舌しすぎたせいか、舌がもつれて仕方がない。指先の痺れを感じつつ、水で喉を潤したいと思った。なぜか後ろから抱えあげられてしまった。

 川路様、どこへ行くのですか? 川路様から漂う汗と樟脳の香り。

 疑問を上らせたところで、颯太の意識は途切れてしまったのだった。


活動報告をアップいたしました。

陶都物語第2巻に関連した報告となっています。


どうかご一読お願い申し上げます。


作者名『まふまふ』を押していただければ、活動報告は見られますので、そちらかにご覧くださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
待っていますg
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ