022 プレゼンテーション大会⑤
ただいま帰りました。
時代が時代であるから、最低限自国の存立を守るための武力は必要である。
しかしそれを過剰に求めて大国と真正面から殴り合いにいくというのは、これはもう単なる脳筋馬鹿と言わねばならない。
お互いに命を張って刀で切り結んだ戦国時代であるならばいざ知らず、いまは19世紀半ば、世界は植民地主義という熾烈な陣取り合戦も佳境に至り、勝ち組負け組みの国力差が無慈悲なまでに広がっている時代である。
植民地ひとつ持たないこの国がガチで列強と肩を並べようとしても、すでにして国力に遜色が出てしまっている。しかも鎖国の間に開いてしまった技術格差もいかんともしがたいレベルにある。スタートの時点でもはや周回遅れの感が否めないのに、無理をして同じ土俵で戦おうとするのは、敵を知りおのれを知れとのたまわった孫子先生のおっしゃるとおりにまるで理屈にかなってはいなかった。
颯太が提示したのは、経済というまったく違う地平での戦いであった。
颯太がプレゼンで示そうとしたのは、『気づき』であった。
「…世間は『銭』で回っています。それは洋の東西を問わず、英吉利でも、この日ノ本でも変わるところではありません」
純然たる封建社会であるこの江戸日本においても、そんな『銭』の流れは存在している。いやむしろ資本主義成立の前段階にある日本こそが、ある部分で資本主義の最先端を突き進んでいたりするのだけれども、そのあたりはオンリーインジャパンというか、あらゆることに『道』を見出して突き進んでしまう凝り性な国民性の賜物であっただろう。
現状、この江戸日本の貨幣経済は、国際的に見て欧米諸国を除いた世界では相当に進んでいる部類のものである。以前、颯太自身も安政江戸地震の混乱時にだぶついていた囲い米……いわゆる備蓄米を証券化して、期間限定の米相場で被災民の手元に米だけでなく必須の現金が届くようにしたことがあった。
その米相場……大坂の堂島米会所で日夜行われている大規模な先物市場は、仮想上の米価を銭で叩き合う世界最先端の資本主義的鉄火場であるのだけれども、残念ながら全体としての江戸日本経済はいまだ《商品経済》と言われる品物を金で売り買いするという段階で留まっている。
金で『労働力』を売るいわゆる被雇用者、いわゆる『労働者』階層が形成されて初めて資本主義経済は始まるものであり、お武家が上に居座り続ける封建社会がある限り、本来的にこの国が資本主義体制に移行することはありえない。
ゆえに、話をそこまで先鋭的に進めるわけにはいかない。ずっぽりとその封建社会に漬かってしまっているおのれ自身の身をまず保全しなければならないのだ。なかなか難しい立場になってしまったものだと改めて思う。
「欲得ずくですべてが動く商人たちの世界を『卑しいもの』として、顔をしかめたくなる気持ちは理解いたしますが、ここではいったん胸の内に収めおいていただきたい。自らを品行方正な『紳士』であると鼻を高くしていた英吉利人たちが、大量の銀を吐き出してしまったあとに、なりふり構わず阿片をばら撒いて回収に狂奔するのですから、むろんけっしておきれいな世界ではありません。そのような卑しい話に耳を汚したくないと思われた方がいらっしゃるのならば、ここで手を上げてください。…どうぞ席をはずされることはご自由です」
「………」
「お立ちになる方がおられないようなので、皆様心構えされたものとして、お話を続けさせていただきます」
さすがにここまできて脱落者はいないようである。
金勘定が卑しいとか言いながら、財政難で苦しんでいるのは皆同じであり、きっと大名貸の大商人を強権ずくで泣かしている者も大勢いるだろう。生きていくということが、すなわち泥にまみれていくことなのだと知らないバカ殿が、こんな席にわざわざ集まるはずもないのだ。
「わが日ノ本は古来から国の力を『石』……米の生産量で表してまいりました。お大名と呼ばれるためには万石以上の封地が無ければならないという価値観自体が、まさに米によって成り立ってきた我が国の姿を表すものです。いまもって国力は『石』で換算し、彼我を計っております。…しかしいま現在の実態というものはどうなのでありましょう。『米』はたしかに最も重要な食料として扱われていることに変わりはありませんが、皆様方のお家でも、その集められた年貢米を竈で焚くよりも先に、まず真っ先に札差を使って『米』を売り払い、現金化するのではありませんか? 銭がなくては物を購えませんし、溜め込んだツケ払いの消化もできません。物の購買においては、銭は米に勝ります。ご家来衆への扶持も当世は銭で充てるのが普通になっております。いまの世の中、『銭』がその利便性を以って恐ろしいまでの影響力を振るっていることは、英明な為政者たる皆様方には改めて言うまでもないことでありましょう」
イギリス人たちの経済感覚に皆を引き上げていくには、やはり卑近な類例を示していくしかない。多くの大名たちが毎年思ったほどの現金収入を得られないで苦虫を噛み潰しているその大元……全国の年貢米が運び込まれ、かつその現金化が行われるその場所こそが、大坂の堂島米会所であり、江戸日本の海千山千の相場師たちが暗躍する米先物市場なのであった。
「毎年何万俵もの米を持ち込んでいるというのに、それが思ったほどの金子にならない。年々窮乏していくお家の台所とは対照的に、忌々しいほどの大量の小判を溜め込んでいく商人たち。もともとの売り買いの種である米を持ち込んでいるのは自分たちなのに、なんで何も持っていない商人たちばかりが濡れ手に粟になるのだ……そのように思ったことはありませんか? ずるい、汚いと思ったことはありませんか?」
「それは利ざやを取るからだろう」
「そのぐらいのことは知っておるわ」
「ええ、ええ、そうでありましょう。その儲けを生み出す仕組みは至極単純で、買ったときよりも高く売れば……その差額、『利ざや』が手元に残ります。『米』という現物を売った皆様方が一定量の収益を得るだけで仕舞いになる一方、商人たち……ここで言うのは米の問屋、あるいは相場そのもので稼ぐのを主とする相場師なる者たちですが……彼らは同じ米を一度だけでなく、何度も何度も繰り返して売り買いを行います。相場の浮き沈みを読んで、転がしていくことで複数回にわたって利益を抜くことができます。皆様方が一回こっきりなのとは違い、相場が続く限り無限に挑み続けられる彼らが得られるであろう収益は、当然のことながら途方もなく膨大なものとなり易い。相場の浮き沈み自体がこの場合は商売のタネになっているということです」
「堂島のことぐらいは聞き及んではおる」
「しかし金が金を生むとは、まことに奇奇怪怪な世の中よ…」
「…まさしく! それでございます! 金は金を生むというその理屈が、ここでの論の骨子となるのです!」
颯太は宗城候の洩らした言葉尻を掴みつつ、会心の笑みを浮かべた。
「金が金を生む……その金子の投機行為を、英吉利では『いんべすと』……『投資』と申します。…むろん米相場とは形は違いますが、この『銭』の循環を、英吉利国は100年前に急激に膨らませることに成功させました。英吉利国で興った蒸気機関を利用した機械化革命……先ほども少し触れましたが、あちらではそれを『産業革命』と申しまして、からくり仕掛けの織機を自動で稼動させることにより、まず綿布が湯水のように生み出されるようになったと申します。そして『品物』が恐ろしい勢いで作られるようになったために、綿布の商いが一気に大きくなって、多くの長者が誕生しました。…その『銭』の最初の集中が、英吉利国のいたるところに多くの『相場師』……『投資家』を誕生させたのです」
反応を見つつ、言葉の展開を選んでいく。
喉が渇いて仕方がなかった。
「蒸気機関を利用した大量生産……その成功例に刺激され、さらに多くの工夫が生み出されたのは当然の成り行きであったでしょう。そしてさまざまな産業が急激に巨大化し、その分だけ誕生した新興の豪商たちが、有り余った金を別の金儲けを生むために次々に投資し始めました。そこで生まれた巨大な資金が英吉利国の国策に乗って大規模な造船所を立ち上がらせ、派手な大砲の打ち合いが始まると旺盛な鉄需要がまた別の商機となって無数の製鉄炉を作り出させました。わが国がたった一つの反射炉を作るのにも苦心しているのとは対照的に、あちらでは金持ちたちがおのれの商売のために勝手に投資して、勝手に増産させていきます。英吉利国自体は、鉄の増産にさほどの金もかけたことがないのではないでしょうか。ほっといても勝手に増えていくのですから、当然ではあります。そうした『銭』の流れの大変革が起こって初めて、英吉利国は巨大な『銭』の流れから巨額の租税を得、現在の世界帝国たりえる大戦力を蓄える国力を得たとも言えるわけです」
颯太の手振りを全員が食い入るような眼で追っている。
部屋の中の温度がどんどんと上がっているような気がする。汗が滴って止まらない。
「見えざる手に導かれるように『銭』が勝手に一人歩きし、勝手に富を生み巨大化していく。この『銭』の活発な還流で無数の利を積み上げていく社会の仕組みを、あちらでは『資本主義』と呼ぶそうです」
厳密には違うのだろうけど……颯太は言葉にもならぬ呟きを口内で砕いて、周りを見渡した。
ようやく苦しみながらも、濁流のごとき流れを泳ぎきった手が岸辺の草をとらえた。そんな感覚が脳裡に浮かんで消えた。ふわふわとするのは安心感からなのかと怪訝に思いつつも、颯太は続く言葉をまたぞろ思案し始めた。
さて、どう続ける。
どうやって我田引水しておのれの渡米実現に繋げていくか…。
その小さな背中が疲労に揺れたのを見た川路様がすばやく支え、しわぶきすら忘れ果てている高貴な聴衆たちにいったんの休憩に入る旨を伝えた。
その辺りの空気読みに長けたプレゼンチームは、颯太を休ませるべく別室に連れ出しつつ、巧みな連携で『最初から予定されていた小休憩』みたいな流れをでっち上げて見せた。
襖が開け放たれ、換気が行われ始めた辺りで前のめりになっていた大名たちが再起動して居住まいを正した。厠へと立つ者もあったが、多くの者はその興奮を周囲の気心の通じた仲間と共有するのに夢中になった。
「…とんでもない一幕に我らは立ち会ったのかもしれませぬな」
襖の陰から中をのぞき見ていた水野様が、ポツリとそう漏らした。
濡れ手ぬぐいで額に浮いた大量の汗を拭われながら、颯太は半ば夢うつつなままぼんやりと聞いていた。
***
四半刻ほどの休憩の後に再開された会合では、それはもういろいろな質問が飛び交った。
主な解説をするのはむろん颯太の役割なのだが、ここに集まる個々の大名ら相手に自由気ままに場を捌くなど、ぎりぎり旗本の端っこにぶら下がっている程度の颯太にはできようはずもない。そんな不可避の混乱に颯太自身を無防備にさらすことがないよう、先輩方が見事にその役割を果たしてくれた。気の短いお偉方を慣れた様子で説き伏せ、この場の序列を理由に巧みに順番待ちを整える。
そして個々の質問者に必ず誰かが付き添い、個別の質問に対して『地雷』を踏まぬよう颯太を誘導してくれる。このフォーメーションはむろんリハーサルどおりであったのだけれども、それを現実に、この高貴な聴衆相手に行うなどというのはなかなかできるものではなかったろう。
質問のほとんどはやはりというか『資本主義』についてだった。普段から逼迫する藩財政に頭を痛めている為政者たちにとって、金が湯水のように湧いてくる魔法のようなシステムに感じられたのだろう。なかには熱心に颯太を勧誘しようという者もおり、そのときは先輩方が容赦なく質問者の列から穏便に引き剥がしてくれた。
時代的にはすでに存在する概念であるのだけれども、封建社会で足踏みをしてしまっているこの時代では、かなり刺激が強かったようだ。しかも説いた相手が地方自治体クラスの経済体の長であったりするから、庶民には巨視的過ぎるそうした概念がおぼろげでも理解できてしまう。ならばぜひともうちでそれを実践して見せて欲しいという流れになるのは致し方ないことであった。
先輩がたのガードもあって何とか熱気に飲み込まれずに済んでいた颯太であったが、自身がこのプレゼンで企図していたゴールにはまだタッチダウンできてはいなかったりする。質問に答えながら頭の中で別の思案を続けていると、突如すぱーんと頭頂部を打ち抜かれて尻餅をついてしまった。
さすがの先輩方も、その突拍子もない一撃は制御し切れなかったものか。
そこには老公が髭をつまみながら立っていて、尻餅をついた颯太を見てよっこらしょと屈み込んできた。
「ここからであろうよ。はようこのおいぼれを畳み込んでみんか」
その強い眼光で一瞥したあと、周りに集まっていた大名たちを手振りだけで下がらせてしまう。
御三家のご威光といえばそれまでだが、御三家筆頭の現当主である尾州公までしおしおと従っているあたり、やはり老公個人のカリスマ性に発している力だと思われる。
颯太は奥で坐りなおしている尾州公のそばにいる派閥の領袖、阿部伊勢守を見る。その様子はほとんど変わってはいないものの、長時間の会合に立ち上がれないほどに疲弊しているのではないかという想像が働いた。
普段の阿部様ならば、老公が動くまでもなく場の進行に介入してくれていただろう。老中会合の顔として長丁場に耐えていてくれるのだとしたら、颯太にできることは一刻も早くプレゼンをやりきってしまうことのみだった。
ふう、と息を整える。
換気したばかりだというのに、はやくも酸素が薄くなってきたように感じる。むろん自身の緊張と疲労のせいだろうということは分かっている。控えている若年寄の方が何気に襖を開けて換気してくれているのを見て、もう気を散らすまいと目の前に集中する。
ドーン、と小栗様が太鼓を叩いた。
颯太は合図も何もしていなかったが、それが聴衆に向けたものではなく颯太の意識を奮い立たせるためのものなのだとなんとなく伝わった。
他の先輩がたからも強い視線を感じる。颯太は気力を振り絞って口を開いた。
「…まだ、ほんの数日前のことであります」
ながらくお休みしていました陶都物語を再開いたします。
ぼちぼちと更新してまいりますので、よろしくお願いいたします。