表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
284/288

021 プレゼンテーション大会④

また勢いで書いちまって…

改稿するかもです。






「…20万対2万」

「英吉利軍はそのような寡兵で清朝を打ち倒したのか」


国力は『万石』単位で。

そして戦力は『兵の数』で語るほうがこの時代の人間の心に染みやすい。

戦国期が終わり、江戸幕府の統治が始まってすでに二百有余年を経たいまでも、大名たちの力を定義するのはこの二つの指標であるといってよい。

平時が続いた江戸幕府の太平の世のおかげで、万石あたりの動員兵力は200人を割っているという。それでもいま幕府が国内戦力を糾合して軍勢を立ち上げれば、だいたい50万前後を掻き集めることが出来る計算だ。

むろんその半数は後方要員で、正味の戦闘員としての数は25万というところか。それがこの幕末の幕府総戦力であった。

人口に大きく勝るとはいえ、清朝はその総兵力に比肩し得る数を対イギリス戦役にあっさりと投入したのだから、まさに大陸的感覚というものであろう。

参加者らの顔を見て、その『20万』に驚いているふうには見えない。中国歴代王朝のいくさとは常にその単位で語られるものであり、幕府の調べでもそのあたりはおおよそのものが出そろっていたりする。

驚かれたのは、まさにイギリス側の『寡兵』についてだった。


「…10倍の兵を用意しても勝てなかったというのか」

「桶狭間のごとき天佑がどこかであったのでは? いかに武器の性能に差があろうとも、それだけの兵差があれば勢いで摺り潰されよう」

「かの信長(しんちょう)公の戦いもそのぐらいの兵差があったといわれておるな、たしかに」

「新型の筒を使われたのなら遠間より大将が討たれたのやもしれん」


参加者たちの議論を脇に置きつつ、颯太は用意された地図に朱墨を付けていく。


「…清朝は当初、英吉利人商人による阿片密売が猖獗を極めていたここ、広州にその大兵を集め、軍事的圧力を背景に英吉利に対し要求を突きつけました。阿片の密売はもとより、持ち込み自体をやめることを誓約させ、実際に英吉利商人たちから大量の阿片を没収することに成功しました。ご存じのとおり阿片を常用すると心と体を蝕み、やがて死に至ります。阿片が蔓延したこの地の領民を救うことに清朝が強い対応を取ったことは人倫に鑑みまこと正しきことでありましたが、英吉利人たちは阿片による金儲けができなくなることに不満を抱きました。さすがにこの時点では清朝の20万の大軍を前にしていますから、表立って反抗する英吉利人はなかったようです。…ですが彼らは阿片持ち込み禁止の誓約書を出そうとはせず、本国の手引きで広州からこのあたりにあるマカオという地に商人たちを逃がしさえします」


海洋小説好きにとって、この阿片戦争はイギリス最大の汚点であるのと同時に、海洋国家であるイギリスと大陸国家である清朝のぶつかり合いであり、高速艦艇による沿岸部での機動的戦術が絵に描いたような各個撃破を成し遂げさせた象徴的な戦いであったりする。

動機は悪魔的に不純であったけれども、海洋戦闘に長じたイギリスは、おのれの長所を巧みに使い圧倒的劣勢を見事にひっくり返して見せた。見どころの多い戦争であるのだ。


「…阿片をばらまいて私腹を肥やし、唐土の無辜の領民たちの幸せを平気で踏みにじった彼らに同情の余地はありませんが、マカオからも追われた英吉利商人たちは、清朝との争いが本格化することを見越した英吉利派遣艦隊の一部になんとか救われます。…そこからですね、戦況ががらりと変わり、本来は寡兵であるはずの英吉利側の独壇場となっていきます」


会場である御用部屋のなかの熱気はもはや恐るべきレベルにある。

諸侯が全員身を乗り出し気味にこちらに視線を注いでいた。


「…先ほどは英吉利軍2万と申しましたが、この時点では1万にも満ちません。輸送船で運ばれてきた陸戦兵と、もともと船を運航するためにいる水夫を合わせてもたぶん万には届かなかったのではないでしょうか。数千対20万です。まともにぶつかったらもちろん勝ち目などはなかったのかもしれません。…しかしこれまでにいくども他人の土地を侵してきた英吉利人たちは、海上戦力に優れた側が絶対的に優位になる戦法をしっかりと編み出していたのです。…彼らは清朝の大軍が待ち構えている広州の拠点をあっさりと捨てました。そして海岸沿いに北上して、守兵のほとんどいない他の有力な港湾を次々に襲いました。全体戦力で劣勢であれども、ひとつの戦場のみに限定で敵戦力を上回ることで素晴らしい『各個撃破』を成し遂げていきます。むろん彼らの銃火器の性能が優れていたことも指摘しておかねばなりません。…英吉利艦隊は唐土の沿岸部を破壊しつつどんどんと北上していきました。…清軍は、残念ながら全く対応が取れませんでした。…こうして皆様も耳にしたことがあられるでしょうが、長江の河口部であり昔から唐土の人と物の集まる中心となる、ここ上海一帯に英吉利艦隊は激しい砲撃を加えます。江浙実れば天下足ると申しますが、その豊かな糧穀を各地に送り出す特段に重要な地域であり……我が国に例えますなら、全国の廻船が集まります大坂の港を大砲で薙ぎ払われたようなものでしょうか。大国清朝と言えど、これはたまらなかったのではないでしょうか」

「上海が……大阪」

「天下の台所というあたりが非常に似ているとは思いますが……まあその例えが適切であるかどうかの議論は置いておくとして、清朝の皇帝は、英吉利人たちの進撃の速さと、国の喉もとをあっさりと焼き払われてしまったことに非常な恐怖に駆られました。…すぐに何とかいたせとでも皇帝が命じたんでしょうね、英吉利人たちが好き勝手要求した条約についには調印してしまいました」

「………」

「………」

「………」


颯太が書き入れてきた朱墨の跡をなぞっていけば、阿片戦争時のイギリス人たちの行動が明らかとなる。海洋国家だ、大陸国家だなどという地政学的な理屈を知らねども、英吉利人たちの戦争が自分たちの中にあるそれと大きく噛み合っていないことに気付いたはずである。

近いとすれば瀬戸内の水軍衆の戦い方であったろうが、イギリス人たちはその水際での戦術的勝利を積み重ねることで相手国の戦意を折り、戦略的勝利を勝ち取るところまで踏み込んでいる違いは歴然とある。


「…清軍は……20万の兵はどこに行ったのだ」


そう苦しげに吐き出したのは、『溜詰』組の諸侯のひとりだったが、名前はあいにくと分からない。その苦い言葉を受け止めつつ、こちらをじいっと睨んできたミスター大獄が黒いオーラを放ち始めた。


「…そんなもの、間に合うはずもないではありませんか。千里の道を南蛮船は数日で踏破してしまいますが、地面を足で歩くしかない雑兵など、1日かけても10里がやっと。100日かけて現場に到着したころには、相手はもうとっくに別の遠い場所に行ってしまってます。海上戦力に秀でた国と戦うということは、そういうことなのです」

「…清朝にだって、帆船はたくさんあったはずだ! そうむざむざと重要な港に敵艦を近づけるなど…」

「どうもほとんど一方的に、的打ちのように大砲で沈められたらしいのですよ。清朝の大砲が届かぬ恐るべき遠間から、姿を現すはなから沈められたと書物にはありました」

「………」

「………」

「………」


そんな『書物』などむろんどこにも存在してはいない。ぺろりと唇を湿してから、颯太は抜け目なく算段する。

さあ、冷静なツッコミが来る前に皆の視点を卑近なあたりに引っ張っていこうか。

さっきの、上海を大坂と対比させたのはなかなかに効果があった。ならばそのあたりにでも寄せていこうか。


「…たとえば薩摩守様の領国に英吉利艦隊が攻め寄せてくると知り、幕府が総力を挙げて大軍勢を九州に集めましたという状況を、どうぞご想像なさってください。…その厳重な防備を知った英吉利人たちは、薩摩藩に寄る振りをして瀬戸内へと進み、長州様や大膳大夫様(宗城候)のご領国など、ともかく沿岸部の港を当たるを幸いに薙ぎ払い、早々と大坂へと殺到します。その進撃に早さに誰も対応が間に合いません。なにより軍役に従い、各藩は兵を九州に送り込んでしまっています。ゆえに襲われた現地でも基本兵員不足でされるがままです」

「くぅっ」


名前を出されたことで宇和島藩の宗城候が口惜しげに顔を歪ませている。

機動力に長けた海上戦力を適切に運用することで、常に寡兵であるイギリス人たちは数百万、数千万の大人口を抱えた他国相手に最小の出血で勝ち続けてきたのだ。

国家の経済活動は、たいていの場合港湾などの沿岸で活発化している。それをもぐら叩きのごとく簡単に次々叩き潰されるのだから、為政者からしたらたまったものではなかったろう。国家財政が傾いている斜陽の国などは堪らず白旗を振ったに違いない。


「…かくして禁制の阿片をばら撒き、人倫に反する金儲けに手を染めていた英吉利人たちが罰を受けるどころか更なる追い銭まで要求してくるとんでもない仕儀となりました。清朝は莫大な賠償金を毟り取られたばかりか、沿岸部の土地までも奪われてしまいました。…英吉利人たちは、その後当然の権利のように阿片商売を続けています。いままさにどれだけの数の無辜の民がその災禍にあえいでいることでしょう……何が正しくて何が正しくないのか、それを決定するのは神や仏ではなく、相手を圧伏し得る力を持った側の『人』が決めるのだという世の救いのない摂理の現れでありましょう」


我が国の領民たちを取り締まるのが、幕府という強者の定めた『法度』であることもその条理に沿っているのだけれども、敢えて口に出さずともほとんどの参加者が理解したようであった。

場が静かになったのを見計らって、いまひとつの絵図が、最初の世界地図にかぶさるようにして広げられる。

その絵図には同様のメルカトル図と、拙いながらもそれが何か分かる程度の『焼物』『茶葉』『反物』などの絵が添えられている。


「…ここまでの説明で、いかに英吉利国がその進んだ軍事力で各地で勝利を重ねているのかを知っていただいたかと思います。…しかしそれがしは、石高『1億石』の英吉利国がけっして『勝って』ばかりではなかったのだということをここでご説明させていただきたく存じます。そもそも英吉利国が清朝相手にあこぎな商売をせねばならなかったのか、その根本的な理由に、ある方面での手痛い『敗北』があったことをまずは説明いたします」


ここからが颯太にとっての本題である。

湯飲みの中の朱墨に筆を突っ込む音が耳についた。勢い余って墨をつけすぎちまった。


「英吉利国を含む南蛮列国では、かなり前より王侯より民草まで『茶』をたしなむ文化が広く定着しておりまして、より上等な清朝の茶葉を、それ用の美しい白磁の器を、大枚をはたいて入手していました。…『茶』も『白磁』も、昔から唐土のみの特産でありましたから、その交易は非常に南蛮列国不利なものとして、決済用の大量の銀が清朝に流れ込み続けていました」


話の内容が一転したことに参加者たちの顔色が変化する。

いったいなにを言い出すのだと戸惑うような視線を絡め取りつつ、颯太は朱墨を走らせる。大きな矢印の弧が中国からヨーロッパへと伸び、絵のいくつかに丸が打たれる。

取って返すように今度はヨーロッパから中国へと矢印が返って、『銀貨』の絵に丸が打たれる。


「…そもそも英吉利国の強勢が始まったのは、彼の国が産業革命を成し遂げたことが切っ掛けであったと申してもよいでしょう。蒸気動力で巨大なカラクリを動かすことで物品の大量生産に成功した英吉利国は、『作りすぎてしまう』商品の売り先に難渋することとなります。あちらの先進産業は恐るべき力を持っていますが、実は金の流れを滞らせるとたちまち枯死してしまう『資本』に対しての脆弱性を併せ持っています。自国産業が作り出した木綿木地で窒息してしまわないように、その大量の製品の売り先確保が必要でした。その有力な市場が開発の進んでいない遅れた植民地であり、メリケンでありムガル帝国であったりしたわけです。…英吉利国は『茶』や『白磁』の赤字を取り戻そうと大量の商品を清朝に売り込もうとしましたが、夷荻の国よと南蛮列国さえバカにしていた清朝はほとんど相手にしませんでした。『茶』や『白磁』を買うばかりで自国品はまったく売れない……自国の銀貨が流出する一方の英吉利国は、ついに進退に窮してしまいました。先進産業の命と同義の、血の流れでもある金の流れが滞りそうになったわけですから、英吉利国は相当に慌てました。その貿易不均衡の意趣返しとして始まったのが『阿片密売』であったわけです」


颯太の筆が、世界各地で行われている膨大な量の国際取引を明示していく。

そのなかで細々と矢印を繋がれた日ノ本の姿は、まさに鎖国下の微々たる交易量を表している。

アメリカに向けても細く繋ぐ。

『薪、食料等』と。


「…清朝は自覚していないでしょうが、彼の国は一度英吉利国を破滅寸前にまで追い詰めているのです。金の流れ……資本が還流せねば英吉利国は世界支配の根幹たる新鋭艦を作る造船所群さえも潰れてしまうのです。分かりにくいかもしれませんが、いま目の前にやってきている英吉利国の恐るべき軍船も、そうした『金の流れ』に支配された仕組みの中で作り出されているわけです。…いま我々が知るべきなのは列国の進んだ武器弾薬についてもそうなのですが、大量の人と物が動くあちらの社会の仕組みについてもしっかりと知るべきでありましょう。いえむしろ手持ちの兵器に遅れを取ってしまっている現状を考えれば、この新たな世界システム……資本による戦いにもまた並行して力を入れていくべきであると愚考いたします」


すうっと、颯太の筆が矢印となってアメリカへと向けて伸ばされる。


「…後れを取らぬためにも、世界と繋がりましょう。繋がることが、未来への第一歩となるのですから」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ