020 プレゼンテーション大会③
前世で経験したこのような『人に伝えるための努力』が、まさか江戸時代に有効活用されることになるなどとは、おかしなこともあったものである。
要約と議題などという新来の横文字を当時しったかで振り回していた観のあるおっさんは、それが実際に非常に有効な、確立された『伝える』手段のひとつであったのだということをいまさらのように強く感じていた。
何も知らない人々を……議題が求めている一定の高みにまで誘導する案内として、その手元資料は活躍する。人々の関心を適切に束ね、目を同じ方向へと向けさせる。いま議論が全体のどの辺りにいるのかを周知するだけで、その話し合いは不純物を少なくして質が一気に向上する。
そしてそれは、参加者たちの熱量が高いほどに、より効率的に『問題』という名の可燃物を勢いよく燃やし尽くしていく。
南蛮列国の戦力について、颯太は前世で知りえているざっくりとした知識をもとに解説を加えていったのだけれども、そこで想定していなかった質問の集中砲火を浴びることとなった。
参加者たちの議論が活発化し始めていることにほくそ笑んでいた7歳児であったが、まさに『想定以上の熱量』に圧倒される一幕であった。
知識量で優位に立っていることを自然と盲信してしまっていた転生者は、その知識チートがしょせんは幕末オタクの中途ハンパなものであることを冷や汗とともに思い出すこととなる。
「英吉利国の軍船が世界で一千隻を超えるというのは、少々疑義を差し挟みたい! なへんから仕入れた知識なのかを、まずは参考までにお教え願いたい!」
「それがしはさる者の訳本にて、英吉利国の軍船は600隻余と読んだ覚えがあり申す! その差異について説明を…ッ!」
「…いいやそれがしの手元にあるものにはそれに近い数が示されておった。あのような恐るべき知識を備えた天狗の子の申すことだ、そちらの知識もきっと正しいに違いない。それよりも各国の兵制について…ッ」
「あいや待たれよ! その一千隻がどうのという訳本、どこのなんという『事情本』であられるのか? まだそれがしの読んだことがない訳本であるならばなんとしてでも手に入れねばならぬ…!」
…あちゃー、多少は情報が出回っているんだな。
時代は多少ずれるものの、英国海軍の最盛期の戦力をざっくりと知っていた颯太は、多少の誤差はどうせ確認の取りようもないことと割り切ってしまっていたので、おおよその数字でこの説明を乗り切ろうと考えていたのだけれども……さすがは幕末、見込みが甘かったということであろう。
諸侯も何気に海外事情について調べ込んでいる。
これはあとで知ることとなるのだが、高野長英や渡辺崋山あたりのビッグネームがいろいろとそのあたりの当世最新の海外情報を本にまとめていたらしい。どんな時代にも、先端情報にアンテナを張っている学者というものはいるのだろう。
「それは『戦法録』であろう。興味がおありならばあとでそれがしから貸し出そうぞ」
なかでも驚いたのが、斉昭公の手持ち本の多いことだった。
バリバリの超保守派で外国の文物など受け付けないかたくなな人物であると思っていた斉昭公が、意外にもそのような海外事情本を読み漁り、仲のよい大名仲間と内々に議論を交わしていたりしたことが明らかとなる。もともと学術藩である水戸藩ならば、藩費で書物の購入などしたい放題なのかもしれない。
その様子を眺めたことで、颯太のなかの『烈公像』が大いに揺らぐこととなった。
(…烈公は、宗教家ではなかったってことか)
外国からの情報に頑なに耳をふさいで、国学サイコー、攘夷攘夷ッ! と連呼しているだけの老害……そんな先入観が見事に破壊された。
そうして前藩主である斉昭公が外国事情に通じているということは、水戸学の学者たちもそれ以上に知識を仕入れ、海外の研究に余念がないということでもあった。知ったうえで、水戸藩はあの『暴走モード』に入ったということであり、それはそれで恐ろしいことなのだけれども。
ここはギアを一段階引き上げていくべきだろう。
颯太のちらりと送った目配せに、小栗様が慌てて太鼓をあわせる。
ドーンッと再び音を立てられて、参加者たちが驚きに首を伸ばした。議論が特に白熱しかけていた外様雄藩の藩主たちの驚きようが大きかった。
颯太の配った眼差しが、参加者たちを見渡していく。外様との温度差が見て取れる『溜詰』の譜代諸侯らは、幕政により近いところに身を置いているためか、会合の生み出している実際的なうねり、政治的動向の方にこそ注意を払っているようである。
なかでも主席的位置にある井伊家、『ミスター安政の大獄』直弼候の射抜くような目が痛い。
「…英吉利国の総戦力がどのくらいのものとなるのか、たしかに興味の尽きせぬ議題でありましょうが、ひとまずそれは脇に置いておくとして…」
颯太は室内の人肌に温んだ空気をすうっと息を吸い込んだ。
朱墨でインドをくるりと丸で囲んだ。
「この御釈迦様の生まれた国、この時代ではたぶん『ムガル帝国』という非常に歴史ある大国が支配していますが、昨今は英吉利国がその支配体制に大きく食い込んで、半ば支配された格好となっています。…この地を重要な植民地と位置づけている英吉利は、ここに一大軍事拠点を設け、大艦隊を常時張り付かせています。あちらでは東インド艦隊と申すそうです。ここいらにやってくるイギリス艦船はこの艦隊の一部ですので、ある意味馴染みの者たちですね」
斉昭公が身を乗り出しているのが見えた。
未知の情報に接したためであろう。それを颯太は『好感触』と捉えた。
「…世界支配に運用されている1千隻、そのすべての軍船が我が国に向かってくるわけではむろんないでしょう。むしろ英吉利国は支配する土地が多すぎて、その防備のために戦力を希薄化させざるを得ない状況下にあるものと推察されます。…仮に我が国と英吉利国が全面的に争うこととなったとします。世界図をご覧になってお分かりでありましょうが、英吉利本国は途方もない遠地にあります。英吉利国は近隣列国とのつばぜり合いにしのぎを削らねばならず、本国近海とその周辺海、地中海と呼ばれるこの内海と大西洋を主戦域として、過半の艦船を集中運用しています。主戦域以外の地にある彼の国の艦船は、先ほど申し上げました東インド艦隊も含めまして、主力級にしてせいぜい100隻ほどであると推定されます。意外に少ないと思われるかもしれませんが、その数の少なさはいかに英吉利人が『東洋の未開人』であるわれらを弱者であるとみなしているかの証左でもあります。それだけで十分と、彼らに確信を抱かせてしまうほどに、たしかに英吉利人たちは白人以外との戦争に簡単に勝ち過ぎてきてしまったのです」
講演の流れがどのようになるか分からないので、絵図はいく通りか用意されている。その都度颯太の判断で開示される絵図が指定されるのだが、スタンバっている人たちの後ろで、水野様がやきもきした様子で「いいのか? ほんとうにいいのか?」と、扇子で隠した口元で聞いてくる。
ダメだったときは合図しますんで待ってて下さい。いまはまだ大丈夫です。あ、川路様、次はそっちの絵図でいきますんで、スタンバってください。
「…さて、全体から見てかなり少ないとはいえ、その100隻が一斉に我が国に攻め寄せてきたとします。たかが軍船程度……その程度ならもしかしたら打ち払えるんじゃないかとちらりとでも思われた御方がおられましたなら、一度ここで手を挙げていただけますでしょうか」
「………」
「以前我が国をゆるがせましたメリケンの黒船艦隊、あの十倍ほどの大艦隊が皆様の領国に姿を現すわけですが……その程度打ち払うなどは造作もないと……『100』という数字を耳にしてそう思われた方がおられましたら、どうぞ遠慮なく手を挙げていただけますでしょうか」
場の空気的には、ここで手を挙げたりなどしたら「今孔明のお出まし」だとか揶揄されそうな感じなのだけれども、颯太の見るところ、こっちを食い入るように見つめてくる参加者たちの過半が、「その程度なら何とかなるだろ」という自信を覗かせているように思われた。
なので颯太は、議論を急がずにその『蒙昧』を払うことを優先する。
7歳児の目配せに、阿部様が乗ってくれる。
「…おお」
「伊勢守様が…」
手を上げているのが辛そうなので、注目が集まったところで手を下げてくれるようお願いする。やはり体調は思わしくないのだろう。
領袖が与えてくれた機会を逃すわけにはいかない。
「…どうぞ、他には」
颯太の促しに、ようやく多くの参加者たちが意思表明をしてくれる。
斉彬候(薩摩藩)も手を挙げており、目が合うなり「むろん近隣諸藩と協調すればということです」と補足される。
10隻にも満たないイギリス小戦隊相手に死闘を演じることとなる『薩英戦争』は起こっていないので、尚武の気性の強い薩摩隼人の自負心はくじけてはいないようである。もっともその『薩英戦争』はイギリス艦隊を撤退に追い込んでおり、死戦を恐れぬ島津兵の勇名を海外にまで伝えることになるのだけれども。
なるほど、やっぱけっこうな数いるな。
颯太の手振りで、川路様が次の絵図をぱらりと広げ見せた。
「…参考になりそうな直近の『いくさ』がありますので、こちらを元にご説明いたします」
そこに現れたのは、中国南部、『河南』と呼ばれる地域の拡大図だった。
言わずとも知れようことなのだけれども、いちおうそれが中国の地図なのだということを前置きする。
「…わずか10年と少し前に起こった、英吉利国と某近隣国との間で起こったいくさです。某国の集めた軍勢はなんとも雄大な大陸的規模のもので、数十万……一説には20万もの兵力であったそうです。…対する英吉利国の艦隊は軍船十数隻、兵を運ぶための輸送船数十隻……陸兵はわずか2万にも満たない少数で、……勝利したのは英吉利国でした」
その戦争については幕府も調べが進んでいて、それなりに情報も国内に届いてはいるのだけれども、正確で生々しい内容まではまだそこまで知られてはいない。
中途半端に知られているからこそ、類例としては最適だった。
「みなさまもご存知ではあるかと思います。これは十数年前、清朝南部で起こったいくさであります。名前があるのかどうかは知りませんが、仮に『阿片戦争』とここでは称しましょうか…」
馴染みのある数字に落とし込むと、途端にこの時代の人間は理解が良くなる。ここでは清朝の軍勢『20万』というのが共通理解へのカギとなる。
さあ、ブリカスの旅にご案内だ。