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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
282/288

019 プレゼンテーション大会②

天狗塾、開所いたしました。






颯太の目配せで、まず岩瀬様が持っていた紙がぱらりと開かれる。

和紙数十枚を糊付けして大きくした、Bゼロサイズ(1m×1.5m)ぐらいのその大きな紙には、颯太がざっと描き出した世界地図が墨書きしてある。

現代人に最も親しみのある世界地図は、なんといってもやはりメルカトル図法のそれであるだろう。南北にいくほど縮尺に怪しさが出てしまうものの、世界が球体であるという感覚に乏しいこの時代の人間に対して、そっち方面の厳密さは不要であったろう。

地面という疑似平面世界で一生を過ごす人間にとって、メルカトル図法はもっとも体感的に理解しやすい地図を提供してくれる。


「…これが『世界』の全図です」

「…おお」


なぜか驚きの声が上がる。

名だたる名門諸侯ならば地球儀ぐらいは持っていそうなのだけれども、そんなにも世界地図に驚くとか、もしかして持っていても蔵に仕舞いっぱなしとかいう展開ではないのだろうか。

まあ確かに、時代劇に出てくる殿さまのいるシーンに、地球儀があったのを見たことはないけれども。(信長時代のやつは除く)


「…それがしの手書きですので、そこまでの精密性はありませんが、大陸の形とその配置、国々の位置はほぼ間違いないと思います。……お気にされていると思いますので、いちおう申し上げておきますが」


颯太は用意していた朱塗りの箸を懐から取り出して、『日本』のある位置を指し示す。


「ここが我が国です」


提示された極東の弧状列島のあまりの小ささに、


「あれがこの秋津島か」

「騙りではないのか、小さすぎる」

「…北の四角い島は、まさか蝦夷か」


割合に騒ぎが大きくなったので、そこで小栗様に目配せして、またドーンッと太鼓をひと叩きしてもらった。

講演会で聴衆の集中力が途切れた時に、大人気名物講師が使っていた手だ。容赦なく大きな音でぶった切って、流れを再度掴み取る。


「…これが現実なのであります。その豆粒のように小さな群島が、この日ノ本の国土なのです。近い場所なので地形に馴染があるとは存じますが、九州の近くに出張った半島が朝鮮、その付け根に広がる金魚のお腹のように下に膨らんだ広い土地、いわゆる唐土にあるのが、最近列国につつかれて騒がしくなっている清朝の領土です。…現在の清朝の支配領域はだいたいこのぐらいになりましょうか」


PP(パワーポイント)とかはないので、湯呑に作ってきた朱墨(朱色の墨)に筆を浸し、とてとてと『世界地図』に近づいていく。むろんいつまでも手で持ち続けられるわけもないので、地図自体は持ってきた衣装掛けに吊るす形を取って、岩瀬様は次の準備に入っている。


「このように黄河、長江の2大水系で潤った広大な土地と、西域へと延びる|

絹のシルクロード一帯のこのような飛び出た範囲が、清朝の版図となります。…そして本題へと入りましようか。…これが近年我が国を騒がせているメリケン国です」


躊躇なく白黒であった地図に朱墨を置く。清王朝の領域を線で示し、北米大陸の中ほどにベタ塗りの朱色ゾーンを作る。厳密にはまだその国土は完成形には至っていないだろうけれども、アラスカを除いたステーキ肉っぽい馴染みの形に塗りつぶしておく。


「…だいぶ大きいように見えるが」

「手書きであろうしそう見えるだけであろ。あれでは清朝と同じぐらいの大きさがあることになってしまう」

「さすがにのう…」

「あ、メリケン国は実際かなり大きいので、この地図は割合に正確です。変な誤解はなさらないでください」


ビシッ、と朱塗りの箸をアメリカに向けて、具体的なイメージを持ってくれるように数字を添えていく。


「土地の広さは、そうですね……日ノ本の蝦夷地を合わせたすべての土地を、20個ほど集めたぐらいの大きさです。清朝の支配領域と大きさ的にはタメを張っているのではないでしょうか。領民はおそらく数千万……推定ですが、だいたい日ノ本の総人数と同じくらいがいると思われます」

「…なんと、二十倍ッ!」

「まさか!」

「それも山とかがあまりない、農地を広げるのに適した平地が無造作なまでに広大に存在するようです。金銀をはじめとした種々の鉱山も豊富にあるようです」

「………」


そのあたりでとうとう無駄口が途絶えた。

それはまあそうだろう。人口増のボトルネックになっていた耕作地の不足を、狭い国土内で必死になって開墾して、苦心惨憺してようやく解消しようとしているお国柄である。種まきを飛行機で行うような農法が成立してしまう恵まれた土地など想像もつかないのだろう。

むっつりと口をつぐんで、このような童のたわごとをこのまま聞いていてもよいのかと問うように多くの視線が上座へと向けられるが、老中首座阿部伊勢守は脇息にもたれた格好で含むような笑いを浮かべるのみである。

その横で斉昭公が、「よそ見をするな」と叱るように扇子でしっしっと視線を追い払った。見るつもりもなかったのだけれども、尾張様が目をキラッキラに輝かせているのが目に入ってしまった。


「…現状では領民の数も近いため、帳簿の上ではメリケン国の産業……いわゆる『石高』は日ノ本全部のそれと同程度であろうと思われます。むろん土地が腐るほど余っているので、石高は年々恐ろしいほどの効率で上昇しています。そしてあの『黒船』にも見られたように、すでに蒸気機関なる巨大なカラクリを自ら生み出せるほどの製鉄技術、工作技術も蓄積していますので、そちらの先進工業力は別口で上乗せされるべきでありましょう。なお…」


颯太は効果を狙って一瞬タメを作り、朱墨でさあっと南北アメリカ大陸を丸で囲ってみせた。


「メリケン国は、この南北『アメリカ大陸』をおのれの縄張りであると宣言し、その他南蛮列国に対して不干渉を要求しているそうです。…つまり、領民の数は同じでも、金山銀山その他豊富な鉱物資源や、多種多様な農業生産物などをこれだけの土地で牛耳ろうとしているわけで、潜在的な国力は恐ろしいものとなっていることでしょう」


もはや無駄口ひとつ起こらない。

アメリカはこの世界のかなり大きな部分をその手に握りつつある歴然たる大国であった。

余裕の出てきた颯太は部屋の中の人々の顔をゆっくりと眺めまわしてから、どのあたりまで肝を冷やしてやろうかと算段する。あとはオランダとフランス、トリにイギリスの国力あたりを説明してお茶を濁しておくかと決めてから、まず『箸休め』的にオランダのそれから説明を再開する。

ヨーロッパ亜大陸の、本当に猫の額のような本国領土を示してから、インドネシアの巨大な島嶼群を朱墨で囲って、海外進出の先駆的国であったが、その勢いに退潮の色が濃い彼の国の興亡をかいつまんで解説する。

そのインドネシア一帯の土地もまた我が国に比べればかなり大きいので、オランダ侮りがたしと厳しめに受け取られたようだった。

次いでフランス。

本国の位置と、アフリカ西半分、インドシナ半島の一部を斜線で埋める。西アフリカの広大な植民地がビジュアル的にインパクトがあり、「仏蘭西国もか」と最前列の島津候が苦しげに吐き捨てるのが見える。

そうしてこの海外領土の話のオチとして最適なイギリスのそれに移る。


「…英吉利国の本国はこの島です。立地はなんだか我が国と似ているのですが…」


その後はしばらく、淡々と『太陽の沈まぬ帝国』がどれだけの土地を他者から奪い取ってきたか、その侵略の歴史をなんとなくの時系列に沿って説明していく。

その『英連邦』の領土は、わざとアメリカと同じ朱墨のベタ塗りにする。

カナダをざくざくと塗りつぶし、インドを塗りつぶし、アフリカの東半分、オーストラリア、そして先ほど清王朝として定義した華南の地をためらいもなくぎゅぎゅっと朱塗りする。

カナダを塗っている最中には、


「…ちなみにメリケン国も、もとはイギリスの植民地だったようです」


と補足する。

インドを塗るときは、「お釈迦様の聖地もあっけないものです」……アフリカを塗るときは、「ここは年中大干ばつみたいなとこです」、オーストラリアのときは「ここは海はきれいですよー」などと気軽な感じに講釈する。

お前はその目で見てきたのか! と突っ込むような視線が集中していたのだけれども、7歳児の厚い面の皮はそのすべてをあっさりと弾いてしまう。

もういまさらだしな。


「さて、これだけの多くの土地を英吉利国は奪い取っていきました。その結果どうなったのかというと……英吉利国の現在の国力を石高で表すのなら……最大で『1億石』ぐらいにはなるだろうとそれがしは見積もっています」

「………」

「………」

「………」


斉昭公には控えめに8000万石と説明したのだが、ここではインパクトのほうが大事なので敢えて盛って大台に乗せてみた。

見えない誰かから言われたような気がしたので、もう一度繰り返してみる。


「1億石です」


そうしてまたぐるりと度肝を抜かれている諸侯の様子を見、阿部様、そして斉昭公を見る。こちらを見返してくる多くの爛々とした強い眼差しに、こみ上げてくる何かを感じて、高揚におののいた。

歴史上、海外事情には蒙昧であったはずの雲上人たちが、別の存在へと書き換えられようとしている瞬間であった。それをなしたのがおのれであることへの恐怖におびえているもうひとりの自分も自覚している。

わずかに生まれた動揺を誤魔化すように、颯太はゆっくりと深呼吸した。

躊躇など、もういまさらなのだ。

チャンスを最大限の形で掴むために。

陶林商会のアメリカ進出のために。


「…以上のことをまずは常に心のどこかにお置きください。これが先ほどそれがしの言いました、数隻の黒船を沈めたぐらいで勝った気になる愚かしさ……その安い蛮勇が国を滅ぼすことになると、恐れ多くも申し上げることになった所以であります。1億石もの領国を持つ超絶の大藩相手に、それでも我が国は神が守る国だ迷わず打ち払えと説かれる今孔明がおられますのならば、それがしぜひ後学のためにもこの場をその方にお譲りし、雲霞のごとく攻め寄せる後続の大軍勢相手にどのように戦い続けられるのか、そのご高説を真摯に拝聴いたしたく存じます」


これでなお攘夷を唱えられる者がいたとしたなら、それはもう理屈の通らない宗教家のようなものだろう。そのような人の説得などまず不可能なので、ここで異を唱えられる剛の者が出たならば、即行でこの場からご退場願うか、もしくはこちらが即時撤退を決断すべきであったろう。


「………」

「………」

「………」


誰も何も発言しようとはしない。

さすがに思考放棄して精神論を振り回すような猪大名はこの場には呼ばれていないようだ。第一段階の『世界情勢』については、十分に沁み渡ったと判断してもよいだろう。

よし、それじゃあ次の段階に移ろうか。


「…それでお手元の紙をご覧ください。今回の会合においての内容がまとめられています。その紙の上から順に、ご説明を行ってまいります。次に行うのはこの世界に列国の軍船がどれだけ存在しているのか、その軍船の製造能力を各国がどれほど持ち合わせているかのご説明です。そのあとに各国の主要産業、外交関係、諸々のご説明に移り、最後に総括として、そんな世界情勢に我が国はいかに対処すべきなのかを、ここにおられるすべての頭脳を結集し、検討を行いたいと考えております」


聞かせるだけでなく、最後には議論に参加させ当事者として巻き込んでいく段取りであった。

ざわざわと騒ぎ出す人々。

また太鼓を叩きそうになった小栗様を、首を横に振って制する颯太。

空気感は大切に。無駄口が大切な場合もあるのです。


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― 新着の感想 ―
天狗塾はワロタ。 あと数話しかないのが残念至極。
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