018 プレゼンテーション大会①
2017/06/17 改稿いたしました。
老中会合が始まった。
場所は以前にも呼ばれたことのある、老中たちの執務室である御用部屋。
本丸御殿はあまりに広くて、しかも奇奇怪怪な間取りをしているので、そこへと至るルートは2度目であっても覚えられない。というか、廊下による直接のアクセスを意図的に制限しているのだろう。たいていの『重要度の高い部屋』は廊下に繋がってはいない。何箇所かの用人たちが詰めている警戒度の高い部屋を通り抜けねばたどり着けないようになっている。
似たような襖が無限に続くその木と紙の不思議ダンジョンは、慣れないと軽くめまいを覚えてしまう。案内人なしではとうてい踏破することは出来ないだろう。
颯太らが通された部屋は、その御用部屋に隣接した小部屋であった。講演会のいわゆるバックヤードであるのだけれども、もちろん余所者が悪心を抱かぬよう若年寄以下複数の監視が目を光らせている。
若年寄とひとくくりに脳内処理してしまっているけれども、彼らもれっきとした大名であるので、本当に感覚がおかしくなりそうである。
御用部屋のなかを常時伺っている、鳥居様とか言う若年寄が参加者の数を指折りしている。片手の指が一往復以上しているので、少なくとも会合参加者が10人以上であることは間違いなさそうである。
事前に聞いているだけで老中5人のほかに軍政参与の斉昭公、溜詰の諸侯が幾人かと、阿部政権発足以後発言力が強まっている外様雄藩の諸侯数人……勘定はいちおう合っている。
あれ? それじゃあ下馬所でうじゃうじゃといた他の大名たちはなんだったの? という疑問に関してなのだけれども、どうも彼らは情報収集がメインであるらしく、それぞれの詰め所に陣取って、最新の情報が流れてくるのを待ち構えているらしい。情報を運ぶ役の茶坊主たちが、袖の下バブルでウハウハなのだとか。
このバックヤードにも、その情報商売で荒稼ぎをもくろんでいる茶坊主たちが隅のほうで取り澄まして坐っている。颯太たちの茶の用意に当たるなどと嘯いているが、利につながる偉い人以外にサービスしない人たちなので、要は単なる野次馬である。お茶は大名ですらも基本自前で用意するのが江戸城内の常識だったりする。
「…そろそろご用意を」
「心得ました」
各自が担当している荷物をまとめつつ、立ち上がる。
畳んだ紙がかさかさと音を立てるのを居合わせた人たちが気にしていたが、会場である御用部屋のなかのざわめきがかなり大きいために漏れ聞こえる恐れは微塵もなかった。
合図が取り決められていたのだろう、ひそと襖越しに掛けられた言葉を切っ掛けに、鳥居様ともうひとりが仕切りを左右へと押しのけた。
御用部屋のなかは外の光が届かないために、昼日中であるにもかかわらずいくつもの灯明が灯されていた。明るいことは明るいのだけれども、用意した『絵』が見えにくくなるのを嫌った颯太は、すぐさま要望して室内の明かりをできるだけ『舞台』の袖に集めてもらった。
配布済みの要約と議題は祐筆さんたちの力作なのだが、手元が暗くなって若干読みづらくなるかもしれない。舞台効果を優先して照明を落すことの多い講演会とかでは、目が慣れてくると意外に書類とかも読めるようになるので、敢えて気にしないでおく。
縦の関係に厳しい武家社会の常識によって、目下者たちの集団である阿部一派の立ち位置は下座側になるために、襖を取り払われてひと間続きとなった若年寄の詰所、下之間御用部屋の下手が舞台となる。
なので、老中の執務室となる上之間に陣取っている阿部様以下老中連が一番奥ということになり、居並んだ大名たちは席次の低いほどこちらに近くなる按配である。
(…老公が阿部様のそばにいるな……てことは、老中たちに続いてるのが『溜詰』の譜代諸侯、それで一番手前あたりが外様雄藩か…)
もう悩んでいても始まらないのだけれども、もしかしたら一番近くで坐ってる外様雄藩って、島津斉彬?!
偶然といえばそれまでなのだけれども、実はこの時期、島津斉彬候はあの『篤姫』の婚礼絡みで江戸に在府中であったりする。なかなかの歴史イベントの香りが漂っているのだが、颯太は颯太で外事絡みのお役目だけでおなか一杯であり、『公武合体』とか進んで関わりを持とうなどとは露にも思ったことはなかった。
坐る向きをずらしてこっちに向き直ったその斉彬候と思しき人物は……にこにこしている目が人当たりよさそうなのだけれども、それがまた炯炯と強い光を宿していて、見られているだけで圧迫感を感じる。
そして下座の対面に坐っているのが……あれ、誰なのかな? え? 宇和島藩の宗城候?
水野様が小声で情報を注入してくれるので大助かりである。
それじゃあ福井の春嶽候もこの中に……あ、そっちはいませんか? はい、了解いたしました。
斉昭公のお声掛けで集まったみたいで、気付かなかったけど老公のそばに見知った殿様がひとりいらっしゃいました。地味に扇子をパタパタとさせてアピールしてるのに気付きませんで、申し訳ございません。尾張様も見えられております。
なんでこんな大事に。
老中に呼びつけられるだけでも一杯一杯なのに、御三家まで呼んじゃったの? 老公パネえよ。
ちなみに『溜詰』の諸侯もほとんど出席です。老中の次席あたりに坐っているのがミスター安政の大獄なのだろうか。面識がなかったので、この機会に顔覚えておきますか。
「…気を阻喪する前に始めるが吉だな」
ぼそりと岩瀬様の呟きをいただいたので、そろそろ始めましょうか。
阿部一派による大プレゼン大会の始まりだった。
***
プレゼンのもっとも肝であり、かつ一番緊張するのが開始の口上である。
これはなかのおっさんの経験則に基づくものなのだが、ここで『つかみ』に成功すると、演者の舌も俄然滑らかになって、半ば成功が約束されたような按配になる。重要なポイントであるからこそ、アプローチのノウハウも何通りかあるようである。
本当なら芸人のコントよろしく軽妙な話術から入ってみたいのだけれども、相手が相手だけに失礼を大目に見てもらえないリスクも考慮して、『演劇』的にインすることにした。
ドドーーンッ!
部屋の隅に同じく運び入れた割と大きい太鼓に、颯太はためらいなく力いっぱいバチを叩き込んだ。
本来は誰かにお願いしたかったのだけれども、偉い人たちを前にいきなり太鼓を叩く向こう見ずさをエリート官僚に求めるのはなかなか厳しかったらしい。
最初のひと叩きを颯太が実践し、その反応を見て、という条件付で小栗様が太鼓役を請け負うことになった。
むろんすでに運び込まれているのを見ている出席者たちに意外性はなかったであろうが、叩く、叩くと心構えしていても、太鼓の腹の底を震わすような強い音はそれなりに聞く者を驚かせる。
まさか本当に叩くとは……そんな驚きによって、出席者たちのばらばらであった意識が舞台へと強制的に集中した。
太鼓バチをさっと小栗様に渡し、颯太はためらいなく最前へと歩み出る。
そして、綺麗に一礼。
「…時代の夜明けの音が響き渡りました」
太鼓の余韻だけが残る静まり返った会場に、7歳児の声変わり前の高音が響いた。こういうとき、子供の声質は有利である。
一言だけ口にして、その真意が染み渡るまでの時間を計るように、颯太は眼差しを出席者ひとりひとりに丁寧に置いていった。有力大名たち相手に、もはやクソ度胸を超えた落ち着きを見せる7歳児に、場が飲み込まれる。
何か失態をしでかしたら腹切り? んな鉄火場はもういくつも踏み越えてきた。だからなんだってんだ。
「幕府二百有余年の、凪のようであった太平の世の水面が、激しくかき乱されました。長く何事も起こらなかった日ノ本の地に……安心しきってぬるま湯のような日常に浸りきっていた我が国の国境に、強力な武装をした他国の軍勢が姿を見せました」
試すように、言葉を紡いでゆく。
普段ならば口も聞けないような雲上人たちが、おのれの言葉に神妙に耳を傾けている。相手の意気を飲み込んだという感覚が、独特の全能感をもたらしてくる。
「実際にご領主であられる皆様方が警戒を強められたのも、恐れ多いもの言いであるとわきまえつつも申し上げさせていただきますれば……国を守る務めを負う為政者である皆様方が、外の知識のあまりの不足から『正しき判断』に迷われているのも、まこと当然のことであると存じます。いまこの国の中に『外の知識』を持つ者があまりに少ないことは否定すべくもない現実のことなのです。…その暗さを払うべく開かれたのがこの会合であるとそれがしはわきまえ、身命を賭してこの場に臨んでおります」
命を張っているのだぞともはや当たり前のことを敢えて口にすることによって、これから滑らせるかもしれない多少の失言……欠礼の類を大目に見てくれとの前置きをする。命懸けの人間に対して、この国の人間は敬意を無条件で払ってくれる。
事前に配られた資料には、会合の流れみたいなものがまとめられているのだけれども、みなこちらに完全に集中していて、目を手元に落とすものはいない。
「…まず最初に申し上げておきたいことがあります」
ずっとなかのおっさんが疑問に感じていたことだった。
どうして馬関戦争(長州対南蛮連合国)が、薩英戦争(薩摩対イギリス)があんなにもあっけなく起こったのか。なんでそれなりに頭がよいはずの両藩が、あれほど短絡的に外国との戦争に踏み切ったのか。
こういう釘の刺し方をしたならば、どのように結果が変わるのだろうか。
「…もしかして、『黒船』が相手の国そのものとお思いになってはおられませんか? 多少てこずろうともあんな軍船数隻程度……目の前の危険な『スズメバチ』数匹を追い払うぐらいなら自分たちにも出来る……その小競り合いに勝つことで自国の優位性を証明できるなどと、ちらりとでも思ってはおられませんか?」
攘夷思想なんていうものは、このあたりの貧相な発想からきていると常々思っている。
「黒船など、南蛮列国にとってただの『尖兵』にしか過ぎません。敵の物見兵を叩いただけでいくさに勝利したなどと吹聴する戦国大名などいたら、周囲から物笑いにされましょう。馬鹿馬鹿しいほどに近視眼的……お目が悪すぎて近くのものしか見えませんか? と言わせてもらわねばなりません。目の前の黒船の、百倍、千倍の軍勢がその背後に控えていると、なぜ考えないのですか、と」
ごくり、と最前列の斉彬候の喉が上下するのが見えた。
会場にはしわぶきひとつ起こらない。
「大局の見えない一部の猪突が、負けいくさに繋がる故事など掃いて捨てるほどあります。…それではこれから、その『大局』に目を通ずるための説明を行いたいと思います」