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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
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007 やべえ






商館側が企図していた成り行きではなかったのだろう、長であるドンケルクルシュース氏は平静さを維持していたものの、まわりの随行員たちは明らかに気落ちしたふうに席を立とうとしている阿部派閥のふたりの様子を見守っている。

いただき物の豆とミルを受け取った颯太はにやけそうになる顔を取り繕うのに努力しつつも、まだ数日江戸逗留が続くらしいオランダ人たちに、「Gelieve haar best doen(がんばってください)」と習い覚えたかたことのオランダ語を披露していた。小栗様も慣れたふうに握手して回っている。


「…このあとのご予定は?」

「なんでもたいそうな威力の大砲が手に入ったそうで、その御披露目に招待されております」


お互いの予定を聞きつつ別れるとかは社会人ならばあたりまえの日常風景であったろう。オランダ人たちの限られた江戸滞在時間は、各方面のいろいろな付き合いで費やされる予定であるらしい。まあ本国の苦しい財政を支えるためにドル箱になりうる対日本貿易を守り抜かねばならないのだ、とくにこちらの颯太により改変されつつある歴史では、オランダは南蛮列国の一翼としての力量を大いに試されようとしている。商館長も相当な覚悟を持ってこの江戸にまでやってきているのだろう。

彼らの動きは、当然のことながら幕閣から阿部様へと伝えられ、そこから派閥末端である颯太らにも共有されている。そのあたりを知った上で、この話し合いに臨んでいた。

どうやら今回の参府で、彼らはいろいろなことを幕府に要求しているらしい。

いわく、話にのぼっていた我が国に新しく開かれる港とはどこなのか。その地を下見したい。

いわく、このところ急速に戦備が進んでいる江戸湾の大砲陣地の見学をしたい。野心的な他列国の強襲に備えて協力関係を結ぶにしても、幕府側の海防現場がどのようになっているのかを知っておかないと、我が国が踏み入るべき『一線(ライン)』がどのあたりにあるのか判断できない……そんなどこかで聞いた覚えのあるようなことを御城の謁見時に主張したらしい。


「…そこで是非陶林様にも、御披露目にご同行いただけないものかと打診させていただいているのですが…」

「………」


…いやまあ阿部様からは聞いてはいるんだけどね。

長崎での交渉時に踏み込んだ発言で彼らに言質を与えた張本人を、お偉いさまもいるその現場で確保しておきたい気持ちは分かるんだけども。

体調不安のある阿部様は当然のことながら不在となるその場で、話が妙な展開になると非常に恐ろしい状況にもなりかねない。幕閣にはだいぶ根回しが進んでいるとはいえ、いまだに開国に否定的な人たちもいるらしいので、その場でオランダ人たちから不用意な発言とか飛び出すとかなりの鉄火場になる怖れも少なからずあった。

正直言えば絶対にお断りなのだけれども。

なぜか阿部様はこのいたいけな7歳児ならば何とかするに違いないと思っているらしく、すでに内々で快諾を与えてしまっていたりする。


「…そのご様子、ご本人にも了解いただいているようで、何よりです」


颯太の引き攣った笑みだけで以心伝心してしまった商館長が、肩の力を抜いてようやく作ったものでない笑いを浮かべた。例の68ポンド級を含む大砲類の上覧が行われるのは明日である。くそっ、それまでに少しでも道連れ、もとい丈夫な風除けを準備しないと。永井様がいればしめたものだったんだけれども、この際在府しているだろう川路様か岩瀬様あたりで何とかしときたい。

そうして裏庭で待機していた庫之丞が裏木戸を開けて、『おしのび』の役人ふたりが退出しようとした無言の数瞬……意識が外を向いて緊張が弛緩するわずかな油断を突くように……商館長の口から最後の『土産ネタ』が発されたのだった。


「…そういえば最近、面白い話を耳にしたのですが」

「…カピタン?」

「それが嘘か真か、ご公儀の公船に海賊行為を受けたものがいると……なんでも公船より大砲を突きつけられて、ひどい略奪(・・・・・)を受けた『英吉利船籍の商船』があるというのでございます」

「………え?」


面の皮の厚い7歳児も、さすがにそのときばかりはぎょっと目を剥いてしまった。

幕府が略奪?

被害者がイギリス商船?

なんの冗談だ。


「…近いうちに英吉利国から正式な抗議がやってくるものとそれとなくお覚悟ください。事実かどうかまでは我が国では判断がつきかねますが……彼らの常ならば、そうやってわざわざ外交問題化しようと公然と動きを見せたのなら、まず間違いなく失われた商船の損害金を……賠償を請求してくるでしょう」

「…ちょっ、え?」

「…それもきわめて高額な……ありていに言えば『法外な』大金を要求してくるものと思われます。老婆心ながら、そのときのために予め対策しておくことを心からお勧めいたします」

「………」


開いた口がふさがらないとはこのことだった。



***



帰り道、福山藩邸にたどり着くまで、颯太はひたすら考えに沈んでいた。

そうしてその『バカな話』が十分起こりうることなのだというありがたくない見解に達した。

明らかな偽証の積み重ね。そしてどんな不誠実でもひっくり返しうる日英の圧倒的な暴力の差。あちらの関係者の中に海軍有力者の子弟が混ざっていたことも要素としては大きい。


(…やべえ。……ありえない話じゃ全然ない)


颯太がいまにも倒れ伏してしまいそうなほどの悲愴な面持ちで俯いていることに、小栗様は心配しつつもついに理解を示してくれることはなかった。

あの騒動の渦中にいた当事者であったからこそ、小栗様はおのれたちの『正義』を欠片も疑ったりはしなかった。

よってイギリス側の『黒いものを白と言わせる』暴力による理不尽の押し付けが世界では普通にまかり通っていることが理解できない。

イギリスのやったことで分かりやすい類例を挙げるとするなら、アヘン戦争、アロー戦争あたりが好適であろう。

例えば『アロー戦争』……アヘン戦争のあとにイギリスと清との間で起こった戦争だ。アロー号という胡散臭いイギリス船籍(期限切れだったそうだが)の船を清の役人が臨検し、何名かの船員を海賊行為のかどで摘発した。麻薬の密輸入船だったみたいなので摘発なんか当たり前なのだけれども、イギリスはその一件に強引に噛み付いて戦端を開き、占領した広州で略奪の限りを尽くしたのちに、全部お前らが悪いから賠償金も寄越せなと、天文学的な賠償金まで奪い取っている。まさにやりたい放題であった。

ひるがえって、今回きな臭い煙が立ち始めた『イギリス商船略奪事件』……切っ掛けなんざなんだっていい、後は殴って踏みつけて奪い取ればいいというイギリスのこの時代の生き様をみれば、なんとも因縁の付けやすい格好な『開戦の口実』であった。略奪馴れした半分海賊みたいな軍艦(フリゲート)が、いつ無抵抗な鴨ネギの商船なんかになったのかは知らないけれども、んなものはこの時代のイケイケ軍団、七つの海に縄張りを広げみかじめ料で肥え太る天下のイギリス組さんには関係ない。

アヘン戦争がもう終っているのは聞き及んでいるんだけど、アロー戦争とかはいつ頃の話だったっけか。必死に思い出そうとはするんだけど思い出せない。生半可知識しかないのが本当にもどかしい。

実はそのアロー戦争が、いま現在進行形で清国の広州付近で始まりつつあったりする。


(…どうせアレを目撃した第三者なんかいないんだから、知らぬ存ぜぬで突っ張ればいいとは思うんだけど……イギリスの理不尽度が読めねえ。どんな状況からでも暴力でひっくり返せる自信があるから、やつらはやりたい放題する。くそっ、その暴力がある程度拮抗させられればいいんだけど…)


たしかアロー戦争とかも、フランスやアメリカ、ロシアなんかが利権に釣られて参加していたはずである。フランスは共犯だったっけか。

極東で現地展開する艦船や兵員なんかは限りがあるし、きっと日本に牙を剥くときも、リスクヘッジにそれらの国に声をかけるに違いない。ならばその連携がすぐには取れないように離間の策を用意しておいたほうがいいのかもしれない。幸い幕末の幕府はお金儲け大好きのフランスと仲良しだったし、どこかに人脈が繋がっているかもしれない。アメリカはいまのところ我が国と通商条約結びたくてうずうずしてるから、そのあたりを餌にして多少はその行動を制御できるだろう。オランダもいまのところは尻子玉を掴んでるし、ロシアも友好関係を築き始めている。

なんだ、連携の妨害はやってやれないこともなさそうだな。

こういうこともあるから、外交関係ってのは早め早めに醸成していくべきなのである。


(…あんの英雄提督のくそボンボンめ。おじいちゃんに泣き付けばなんだって可能ってか)


奪った拳銃はそういえばどこに仕舞ったっけかな。家宝みたいなこと言ってたから、最悪外交ルートで返還なんてこともあるかもしれん。ちゃんととっておかないと。

藩邸にたどり着き、阿部様の休む部屋までの廊下で最後の思案をする。

そうして障子が開かれ、頼もしい領袖の顔と向き合ったとき、ああやはりこのひとには絶対に長生きしてもらわねばならないと強く思った颯太だった。


ようやく新章がスタートラインに!

どんける氏はやはり海外情報には強いようです。



オランダ商館長の衣服の繕いをネタに財政の困窮を見取ったことについて。

オランダは一度本国を失っていたとき、出島商館は本当に困窮して長崎の関係者から援助とかも受けていたそうです。そこで自国産主義のプライドがなくなっていたならば、現地でも手に入る衣服などはわざわざ運んでこなくなると思うんですよね。代々商館長が受け継いでいる『正装』とかも、困窮時代につぎあてだらけになっていたら、もうそのままでいいや的なことになっていたんじゃないかという作者の妄想なのですが……この時代のオランダが苦しい財政にあえいでいたのは本当なので、その傍証の小ネタだったとスルーしていただければ幸いです。

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