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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
269/288

006 オランダの事情

たくさんの感想、ありがとうございます。モチベ維持の貴重な燃料になっております。


発売日が伸びているようです。

ご予約いただいた方、申し訳ありませんがもうしばらく作者とともに首を長く伸ばしつつお待ちくださいませ。








困惑を示してこちらをちら見してくる商館長に、颯太は首をすくめてみせる。

言外に「土産物あげたんだからフォローして!」とヘルプ要求されているのに違いない。

意外にもこちらの三文芝居っぷりには反応がない。あれか、日本の観光客がアメリカとかでミュージカルを見ても、演技が上手いのか下手なのか判断がつきにくい現象に似ているのかもしれない。

まあ小栗様にそのように仕掛けてもらったのは、現在幕閣の主流を成している阿部派閥の中にも、協力者としてのオランダの力量に懐疑的な見方をする人間もいるのだと不安を煽るためである。いくら長年の付き合いがあるからとて、落ち着き払っていられる状況ではないのだぞと、『足払い』を仕掛けにいったようなものなのだけれども。

商館長の中では、小栗又一という『御目付』を寄越したことが老中首座阿部伊勢守の何らかのメッセージではないのかと、その解釈をどのようにすべきか混乱が起こっている様子である。お役的に小栗様は颯太の上役としてここに同行していると見做すべきであり、それは表層的には颯太と商館長との協議により飛び出した2国間安保的な条約構想が密室で暴走することのないよう、阿部伊勢守が監視の目を付けたのだと解すのが妥当な線であったろう。

そしてその監視の目である『御目付』が、何らかの必然性によって会話に割って入り、オランダ以外の他国との取引について言及したわけである。むろん商館長の側から見れば、交渉の手管のひとつとして協力カードの『出し惜しみ』を行っていたおのれの態度が切っ掛けとなって、こらえ性のない上役が痺れを切らしてしまった……という見たまんまの解釈も可能ではあるのだけれども。

この一筋縄ではいかないオランダ商館の長が、そんな単純な思考回路でものを考えているとは思えない。ああ、やっぱり考え込んでるわ。

わずかな間に考えをまとめたのか、商館長は颯太をちらりと見た後、小栗様のほうへとまっすぐに向き直った。


「…これはとんだ失礼を。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくしは長崎出島で商館長を勤めますヤン・ドンケルクルティウスと申します。小栗様に於かれましては、商館員一同、今後ともよしなにお付き合いくださりますよう心よりお願い申し上げる次第でございます」

「これはこれは、ご丁寧に。どんける殿はずいぶんとこちらの言葉にご堪能なようですね」


名前が言い難いのか、いきなり略称してしまう小栗様。

いやいや小栗様、それはちょっといきなりすぎだし最悪名前を省略するのなら最初の『ヤン』でしょうがとか激しく突っ込みたくなるところをぐっと堪える。

ロシアでの体当たりな交流経験で、外国人馴れしすぎてしまったか。

もっとも商館長もTPOをわきまえた有能な外交官ではあるので、怒った様子などおくびにも出さずに微笑みさえ浮かべながらスルーしてくれた。波風立たなかったんでここはよしとしておきますが、後でお話ししまょうね小栗様。

しばらくの間、小栗様の個人情報を引き出すための商館長の『よいしょ』と、その逆方向での小栗様のあの手この手の『さぐり』が続き、両者のあらかたなことが場で共有されることとなる。

大身旗本である小栗家2500石を、商館長はヨーロッパなら立派な『貴族家』ですねと言った。2500人の領民を持つとなると爵位持ちの上級貴族家相当だとか言われて、少し感心してしまった。そうだよな、旗本御家人っていう幕府の直臣って、紛れもなく貴族だよな。御家人が下級貴族って感じになるのかなとか思う。

小栗様のほうもいろいろと『商館長』という人物像をたくみに掘り出してくれて、本国に奥さんがいること、いま二十歳ぐらいになるヘンドリックという息子がいることなどが判明している。単身赴任でこの国にやってきているのだ。

そして小栗様の情報収集で秀逸だったのが、その商館長の正装というか身に着けているオランダ服に着目し、表面の布地がずいぶんと年季の入ったものであること、補修箇所の多さ、そしてちらりと見えた服の裏地に明らかに日本のものと思われる布が当てられていることを看破したのには少々驚かされた。サトリスキル恐るべしである。おかげで出島商館の本国からの物資補給は御世辞にも豊かとはいえないのだという事実をここで掴むことが出来た。

商館長は日本の布が気に入っていて、特別にあつらえさせたのだと言い張ってはいたのだけれども、そんなことがあるわきゃないと颯太は内心で突っ込みを入れていた。将軍にも謁見せねばならない最高の一張羅を、たとえ人目につかない場所だからとて本来と違う布地で改造させるなどということはおよそありえないだろう。現にこうしてやらなくていい情報を相手に与えてしまっているのだから、内心では歯がゆさに頭を掻き毟っているのかも知れなかった。(いちおう似たような色合いの布を使ってはいた)


(…日常生活に必要な物資の補給さえままならないのか……こりゃオランダの台所事情は相当に厳しいのかもしれない)


本国から送られてくる船が、出島商館員たちの生活物資の補給を窮乏レベルにまで絞り込んでいるわけで、そこから暗に示される事実は……オランダ商船が可能な限り換金目的の商品ばかりを運んできているのだということ……つまりは一回の取引で得られる利益を最大化することを最優先に運行されているということである。商館員の生活物資は、最悪現地調達で間に合う。ならばそんなものに限られた輸送能力(リソース)を割くのはもったいない……オランダ本国がもしもそんなふうに考えているほど困窮しているのだとすれば、今後の日蘭関係もいま少し再考したほうがよいのかもしれない。

颯太がオランダの国家財政に想いをやっている一方で……小栗様のほうは別の感性で、現地日本産の当て布を彼らが使っていたことを好意的に解釈したようである。江戸近郊の上質な布地をいくつか挙げて、今度お贈りいたしましょうと気安く請合った。むろん経費は阿部様持ちである。

そうしてコーヒーのお代わりがやってきたあたりで、商館長が切り込んできた。


「…あれらの大砲類は、やはり露西亜からですか」

「…違うといっても、通りませんか」


もう隠し立てする気もない颯太は、にこっと笑みながらあっさりと白状した。むろん「『通商』としてではありませんが」と念を押しながら。


「…我が国は以前、招かざる客ではありましたがこの国に来訪した露西亜全権、エフィム・プチャーチンという人物をお救いしたことがあります。先年の我が国を襲った大地揺れで伊豆でも津波が起こり、彼らの乗った船も沈没してしまったのです。その際に自らの苦難をおいて地域住民の救助活動をしたという露西亜人たちの義侠の心にも感心した幕府は、我が国(・・・)の船を与えて彼らの帰国を助けました」

「………」

「…そして今年になって相手国のほうから、自国民救助と貰い受けた船の返礼として、先ほどカピタンがお気にされていた『大砲類』が我が国にやってきたわけであります」


幕府がロシアの設計図を手に入れ、洋船の建造ノウハウを手に入れたことは言わない。また幕府側からその船をロシアまで『押し売り』に行ったこともむろん口をつぐむ。

想像するしかない商館長には、ロシアがお礼の大砲を満載して函館あたりまでやってきたので、それを受け取って江戸まで運びましたという単純なシナリオしか想像できなかっただろう。

むろんその話に信憑性があるかないかは別の話として。


「露西亜が自らの意思で虎の子の大砲を寄越したと?」

「そうですね、そうなります」


小学生の見え透いたウソを叱ろうとする若い担任のような、半分怒った感じの商館長に対して、颯太は明快に返答する。

相手が信じようと信じまいと、答えられることはそれしかないのだから仕方がない。ロシアから来たことだけはちゃんと教えてやったのだ、それ以上に知りたければ我が国の逆鱗に触れるリスクを犯しながら自助努力で調べたらいい。こっちが伏せようとしている事実を暴こうとするのなら、そのくらいの覚悟が必要である。

ロシアと同じくあの重くてかさばる大砲類を、地球を半周して持ち込まねばならないオランダには、颯太の言わんとしていることが明快にウソであることが分かったろう。ただ贈り物をするだけならば、そんな血のにじむ思いで集積した虎の子を放出するようなバカなことはせず、別のものを充てるのが正常な判断というものであった。ロシアは最近終ったばかりの戦争でも、極東において明らかな戦力不足に苦しんでいたのだから。


「…とうてい信じられることではないのですが、現実に大砲が貴国にもたらされているのです。…つまりは『そういうこと』なのでしょう」

「彼の国とも我が国は和親条約を締結しています。国家間の信義を保つ上でも今回の『返礼』は重要度相当に幕閣から評価されることでしょう。…言わずもがなではありますが、世間には清国からの買い上げということになっておりますので、商館長にはその点ご留意くださいますよう」

「…先日、所属不明のスクーナーもしくはスループ級の洋式帆船を曳航した和船を馬関海峡とその沖で見たと、そのような噂がわたくしのところにもいくつか届いておりますが」

「………」


颯太と商館長の間で、その瞬間目に見えない火花が飛び散った。

そこに小栗様が絶妙なタイミングで割り込んだ。


「それはまた面妖な話ですね。…大船建造が解禁されたこともあり、西国の諸藩のなかには洋式帆船を建造しようと試みているところもあるようですが、…了解いたしました、その件に関しましてはこちらでも調べさせましょう」

「…いえ、そういうことを言いたいのでは」


明らかに話をそらされて一瞬惑ったような様子を見せた商館長であったが、小栗様のまっすぐな眼差しを見て、諦めたようにふっとため息を吐いた。


「馬関をどちらに向けていったのでしょう? 南に、それとも北に?」

「…小栗殿、余計な話をいたしました。どうぞお忘れくださいますよう」


幕府がこの件についてけっして認めるつもりがないことを理解した商館長は、あっさりとその話を引っ込めたのだった。


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