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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
268/288

005 三文芝居

いろいろと目新しい体験が連続しています。

~の〆切がとか実際に言われてしまうと、熊に襲われて棒立ちになってる人みたいな心境になります。

こっち更新してていいのかとか疑問なのですが、もう書いちゃったしね。

次の更新は遅れると思います…






さて、商館長ドンケルクルシュース氏が現状の幕府内での動きをどこまで把握しているものか……オランダの『目』が幕府体制の中にどの程度食い込んでいるのかがこの際把握できるかもしれない。


「…はは、よい香りがいたします。早く挽いて味と香りを楽しみたいものです」

「焙煎には火加減などいろいろとコツがございますので、なるべく程度の良いものをお届けしようとあちらを発つ寸前に用意させました」

「カヒとはやはり豆を煎じているのでこのように黒いのですね。いつかそのやり方もお教えいただきたいものです。…噂では植民地(メリケン)でも大量の豆を取り扱っているそうですから、今後は土地土地のいろいろな銘柄が楽しめるようになれば面白いですね…」


ガタリッ。

音がした方を見れば、商館長が目をむいて半腰になっている。

見開かれた薄青い瞳がまるでビー玉のようだと颯太は思う。虹彩にある色素が違うだけなのだけれども、その薄い色合いの瞳を通してドンケルクルシュース氏がこの世界をどのように見ているのかと脈絡もなく想像する。


「…それはご公儀が、ゆくゆく植民地人と通商を行う腹積もりであるのだと解釈いたすべきなのでしょうか。陶林様…」


ゆっくりと、見開かれていた商館長の眼差しが細められていく。その奥に顰められている光が剣呑さを増していく。

幕府内の政治勢力の動きについて、オランダも何らかの手段によって独自に把握しているのだろうとは思うのだけれども……いまも颯太のわずかな変化も見逃すまいと食い入るように観察しているその様子から、幕閣の深部にまで行き着くような恐ろしい『目』は持ち合わせてはいないように思う。

まあこうしてわざわざ端役に過ぎぬ自分との面会を望んでしまうくらいであるから、推して知るべしというところか。

言葉を慎重に選びつつ、颯太は口を開いた。


「…ご心配なさらずとも、現状はむろん、貴国が我が国に対しての独占的な通商権をお持ちであることは間違いありません。南蛮列国内においての、と但し書き付きではありますが……これは我が国の安全が今後も脅かされず、その守護者たる武家の棟梁、徳川家の権威が必要十分に保たれ、天下を運営していくに不足のない状況が守られていたならば……幸運にもそのような前提条件が成り立ち続けるのならば、貴国の『特権』もまた継続的に保証されていくものと見込んでもよいのではないでしょうか」


奥歯に何かがはさまっているような物言い。

幕府が国の統治者としてまつりごとを行っていくためには、むろん武家の棟梁として、その力の背景となる強大な武力を万民に示し続けねばならない。史実における幕末の混乱と体制の崩壊は、説明するまでもないことなのだけれども幕府が外国相手にゲソを引かされたことがそもそもの発端であった。

実際に、先年脅されるままに和親条約を締結してしまった幕府の弱腰は、いろいろな方面で批判されているようである。すでに支配の屋台骨が揺らぎだしてしまっているのである。

ゆえに颯太は、オランダが求め続けている『特権』の維持に絶対の前提条件があることを強調する。徳川家が揺るぎない強者として今後も振る舞い得るのなら、その余裕の発露としてオランダに交易独占の権を差し許し続けるのも可能だろう、と。


「…貴国との新たな『条約』が正式に取り決めとなるまでにまだ時が必要でありましょう。その約定が結ばれるまでの間にも、状況は刻一刻と変化していくのです。メリケン国によるわが国の体制への挑戦は今後も続くと、貴国からの報せにはありましたね? もしも再び黒船艦隊の江戸湊侵入が起こり、万一にも公方様のお命を脅かすようなことが起れば、いよいよわが幕府の体面は傷つけられ天下もまた動揺いたしましょう。…当然のことながら、幕府の力が削がれるほどに貴国のいわゆる『特権』も後ろ盾を失い、風前の灯のように頼りなく揺らめくことでしょう」


颯太はテーブルの上で絡め合わせていた指をわきわきとさせながら、やや芝居がかったふうなため息とともに肩をすくめて見せた。


「…幕府の治世が揺るぎなく続いていたならば……今後も続くものと安閑と眺めていられるのならば、貴国の『特権』がそのまま維持されても何ら問題はなかったのですが、今後起こりうる他国とのせめぎ合いで問われるだろう手持ちの武器の『質』が、あなた方南蛮列国のそれとの『技術格差』として現れるのならば、その危険な差異を埋め合わせるために我が国は急ぎ同等の武器を取引によって掻き集めねばなりません。この国に接近しようとしている列国を跳ね返しうるだけの大砲をすべて貴国が、こちらの要望するままに用立てていただけるのならばそれでも問題はありませんが……その膨大な量に上る武器弾薬をあなた方阿蘭陀国が一国のみではたして集められるのか……そして集められたのだとしてもそれらを短期間にこの国にまで運び得るのかどうか……幕閣は深く憂慮しております」

「………」


うっすらと颯太は笑った。

けっして幕府がオランダさんから特権を取り上げたいわけじゃないんだけど、必要量が供給されなければもうその時はしょうがないよね? と、続く言葉を声にせず眼差しだけで語った7歳児に、商館長の眉尻がピクリと動く。

この時代、東南アジアの植民地を維持するだけで汲々としているオランダに、たとえば1000門の大砲を右から左に調達する能力があるのかといえば、おそらくありはしない。そもそもオランダにそれだけの大砲を製造、もしくは他国からの買い付けを行える見込みがあるのかどうかも怪しいところだ。

実はこのとき颯太もオランダの歴史について詳しくは知らないままなのだが、19世紀初頭の彼の国はフランス革命のあおりを受けて、いったん本国を失うという悲劇に見舞われている。

その後王国として復活するも工業化に立ち遅れた同国は、1856年現時点でいまだに産業革命も成し遂げていなかったりする。しかも比較的工業生産力の高かったベルギー地方が分離独立してしまい、税収の不足をインドネシアからの収奪強化で賄っていたというとほほな状況であった。

むろん生半可知識の颯太とは違い、商館長はそのあたりの国情も当事者として十分にわきまえてこの場に臨んでいる。貴重な収入源である日本との交易独占権はなんとしても守りたい……しかし日本の期待に応えたくとも国が疲弊しきっている。いま本国から大砲類を運ばせているとは言っても、どの程度のものでどのくらいの数が送られてくるのか、正直商館長自身もこの時点では分かっていなかっただろう。


「…その折にはご期待に沿うよう、誠心誠意対応させていただく所存でございます」

「…実際に、貴国にそのような膨大な量の取引は可能なものなのですか?」

「委細お任せくださいと申し上げたきところではあるのですが……こちらにも相応の準備がございますゆえ、大商いとなるならばそれなりに期間をいただきませんと、正直対応は難しゅうございましょう」

「…まあ、そうですよね」


おのれの母国の力量不足を正直に白状するわけもない。

オランダの歴史には詳しくないのだが、海洋小説的に海洋覇権国家の盛衰についてはそれなりに中身のおっさんが知っている。

この時代、19世紀ともなるとすでにオランダの海洋国家としての力は失われて久しく、世界の七つの海がイギリスの独壇場となっている。太陽の沈まない世界帝国がいまこの星を覆い尽くさんとしているのだ。

はたしてオランダがインドネシアの植民地経営でどれだけの軍船を同地に張り付かせているのか、本国との行き来にどれだけの便数を確保しているのかは想像するしかないのだけれども、国の勢いに比して相応のしょぼさになっていることは予想の範疇だった。

にこにことビジネススマイルを張り付かせつつ、颯太は無慈悲な現実を突きつける。


「この国は守るべき海岸線があまりにも広い。全国ではどのぐらいが必要になるのか見当もつきかねますが、仮に天領と御三家である尾張、紀伊、水戸と譜代諸藩の要所を防備するとなると、要求は大砲1000門と相応の弾薬、さらには新式銃なども手当てして欲しいという膨大な規模になるのですが……よろしいのですか?」

「…! …相応の猶予をいただければ対応も可能かと」

「…カピタン、その『相応の猶予』とはいかほどの期間なのでしょう? 具体的にお教えいただけませんでしょうか。こちらとしては早ければ早いほどよいのですが……仮にその期限を1年といたしますが、それで可能でありましょうか?」

「…貴国と我が本国との間には世界を半周するような途方もない距離がございます。それだけの数ともなると、まず5年はいただかないと…」

「…なんと、5年! それでは話になりません」

「…そのような条件ではとてもではありませんがご要望にお応えできません。まことに申し訳ございません」


腐っても国家の利益代表である。さすがは商館長。

無用に譲歩することなく、あっさりと引いてみせた。そして引きつつも、交渉の呼吸を見極める目で颯太をじっと観察している。

むむむ、と力んで見せている颯太の芝居がかったしぐさに眉をひそめつつも、それも手管のひとつなのだろうと冷ややかに見ている商館長であったが…。

そのとき横合いから、不意打ち気味に声が起こった。


「やはりあちらの国との『取引』をもっと大掛かりに進めるべきなのです! あれだけ大量に溜め込んでいるのです、話の持って行き方次第でもっと手っ取り早くより多くの大砲も手に入れられるでしょう」


話に割り込んできたのは、それまで一言も発しようとはしてこなかった隣の小栗様であった。

颯太の特異性を重要視し過ぎるあまりに、小栗様のことをただの同行者と思ってしまっていた商館長は、そのもの言いに明らかに衝撃を受けていた。


「…阿蘭陀国との取引は銀が要りますが、あちらの国ならば我が国に掃いて捨てるほどある木材がくろがねに化けるのです。二重に得です」

「…あ、あなた様は」


ほとんど仕込み済みのコントのような三文芝居なのだけれども、商館長はすっかりと釣り込まれてしまっている。

ロシア行から帰還して、小栗様もまた新たな肩書を与えられている。


「…ああっと、申し遅れておりましたカピタン。この方は御目付であられる、小栗様でございます」

「…小栗又一と申します。御初にお目にかかります、かぴたん、どんけるくるしゅーす殿」


ロシア出発時の『目付格』ではなく、いまは正式に『目付』である。

対ロシア秘密交渉の成功を賞され、小栗様は史実のよりもぐっと早く出世していたりした。阿部派閥の出世ジェットストリームはパナいのだ。


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