表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【外交闘争編】
266/288

003 盟約

割烹に報告を上げました。

割と大きなお知らせですので、ご確認くださいませ。






(…なんて、勢いで大風呂敷を広げてはみたけれども……さすが小栗様。理屈さえ通っていればしっかりとついてくる)


日米通商修好条約の綾に絡んでアメリカ進出の足掛かりの一手を放つ……海外への経済的反転攻勢を訴える颯太の核心的な狙いは、むろんおのれの窯の産品をあちらへと売りさばきたいからである。

先物取引を開始したばかりの甘ちゃんな新興国家なのだと強調したのは、単に小栗様への『つかみ』を考慮してのものだったのだけれども……こりゃすごい食いつきっぷりだ。

メリケンの作っている主要な糧穀はなんなのか、その先物取引はどのように行われているのかなどと、台に覆いかぶさらんばかりに身を乗り出して問うてくる。能吏としての勘が、そこに途方もない金の匂いを嗅ぎ分けてしまったのだろう。

先物取引……国力を金ではなく『石(米)』で勘定してしまうほどに米を経済の基礎としてしまった日本であったからこそ、生み得たのだろう異端の取引形態。

まだ収穫さえされていない未来の『米』まで投機目的で売り買いする商品先物という概念は、驚くべきことに世界で始めて、江戸日本で産声を上げた。

幕府や諸藩が産物を管理する蔵屋敷から、米を引き出すための『米切手』……その『全国共通おこめ券』的な有価証券が安全性の高い為替の代用品として盛んに取引されるようになって、それが世界初の先物市場を形成していったのだというから本当に変わった国だった。

米相場で財を成す者、破滅する者、投資家の悲喜こもごもを山のように積み重ねつつ、この安政年間に至ってすでに日本の先物市場は幕府公認化から百年以上が過ぎている。アメリカの新興市場など目ではない経験値が自国商人には蓄積されているわけであり、小栗様がそれに食いついたのは『自国の意外な優位性』が莫大な金に変わる可能性を見出したからに他ならない。こういう派生商品(デリバティブ)投資のよいところは、資金と経験さえあれば後進国であろうと対等に利益を生み出しえるところであった。特に売るべき商品がなくとも投機を見誤らない限り金は金を生むことができた。


(…米相場はほんと錬金術やからなー。江戸の震災復興のときもしっかりと機能しとったし)


思い返せば先の江戸地震の折の、義蔵の米を証券化した『米証文』も期間限定で同システムを活用したものだった。国内市場にはきっと大勢の魑魅魍魎のごとき相場師がいるのだろうと、颯太はそこでの経験から理解している。

そのとき急にふと思い出した人物。


(紀ノ国屋……たしか美野川利八だったか……あいつを連れてけば使えそうだな)


新進の両替商か何かだったと覚えてはいるけれども、あの火の玉みたいな熱情があれば、アメリカでだってのしていけるかもしれない。

他の大店の関係者たちも切れ者ばかりな印象が残っている。相場に関わるような人間はあんな感じなのかと思うと、アメリカさんマジやべえと思う。オーストラリアの平和な生態系に野犬を放つようなもんだな。

他人事のようにそんな感想をのぼらせている7歳児であったが、江戸の大商人たちを巻き込んで米相場をゼロから立ち上げた小天狗の名は、国内の先物市場に巣食う名うての有力相場師の間で伝説と化していたりする。むろん本人はまったく関知してはいない。


「…なるほど、向こうへ渡った当初の資金不足を市場荒らしで補いつつ、まっとうな商売を行うための足場作りをしていくというわけですね。こちらからの持ち出しでなく、現地調達で済ませるというのがなかなかよいではありませんか」

「あんまし無茶をすると、それを理由に排斥されかねんから、相手が怒り出さない程度にこそこそとやらねばなりませんが……少し調子に乗って言い過ぎましたが、そのような『銭の稼ぎ方』もあると言いたかっただけで……まあその話はここでいったん置いておきましょう」

「ちょうど相場に詳しい知人に心当たりがあります、その折には是非企てに引き込んで……大騒動になったとてそれはメリケン国でのこと、それならば少しばかり羽目を外しても」

「…小栗様」


熱のこもるふたりの会話に好奇心を刺激されているふうの福山藩の護衛を目力で押し返しつつ、颯太は店の店員にお茶のおかわりをこれみよがしに要求する。

そうして冷め切った手元の残りをひとすすりして、颯太は気を取り直すようにすうっと背筋を伸ばした。

小栗様も気を削がれて腰を据え直す。


「…あちらの未成熟な先物市場で喫緊の必要資金を抜くというのも、取り得る対抗手段の一つだとご理解いただけたようで何よりですが……それがしの申したかったことは、勇を鼓して海外への一歩を踏み出すか出さないかで、列国との争いで取り得る手段が一気に増えるのだということなのです。その『先物市場荒し』でメリケンの国力を大きく削ぐことができる可能性があるように、文化の違う異国であろうとその社会もまた『銭』で回っている……人の暮らしは基本何も変わらないのです」

「…そのようです」

「わが国でも……幕臣であるそれがしの口から申すのもなんなのですが……世の中を治めているのは幕府であり武士なのですが、暮らしの実態を冷静に見れば、見てくれ格式ばかりで困窮するわれらの僚友に対して、莫大な富を蓄積し大名にさえ頭を上げさせない富商がこの世の春を謳歌しております。どれほどの力を持っていようと飯を食べねば人は生きられませんし、その飯を購うにはやはり銭がいる。我が国のように物を銭で購う仕組みが出来上がってしまっている国ほど、結局人は銭によって支配されてしまうのです。…それがしはゆえにメリケン進出を機に自身の会社、『天領窯』の希少産品を向こうへと持ち込んで、露西亜国でもそうであったように富裕層向けに販売したいと考えています。他にもいろいろと手立てはあるのでしょうが、陶磁器売買もまた列国の銭、『外貨』を獲得するための有力な手札のひとつになりうるとそれがしは思っています……そしてストロガノフ殿のご実家が露西亜近隣の国々まで売り込んでくれることを待っているだけでは、ほかの重要な商機を取りこぼすかもしれないとそれがしは危惧しています。東洋磁器に対する模倣品が、いまあちらには大量に出回っているからです。…おそらく数年もしない間に、虎の子の『根本新製』も模倣されてしまうに違いないと悔しいですが予想しています」

「…あのように進んだ文物を持つ南蛮列強国が、わが国の品をわざわざ模倣などと」

「国の先進度などというのは一面的には測れないのです。鉄の産品はあちらが圧倒していますが、陶磁器に関してはわが国や清王朝などの東洋諸国に一日の長があります。東洋産の絹などの織物も、いまはまだ価値あるものとしてあちらの支配層に扱われているようです」

「………」

「それらはわが国などの東洋諸国……英吉利国を中心にした地図だと東の端になるので、あちらではそのように呼ばれています……が技術的優位にある産品ですが、注意しておかなければならないのは、こちらが足踏みをしている間にも南蛮列国では新技術により長足の進歩が図られ、絹などは人の手によらぬ機械紡績による綿布に、東洋磁器もその絵柄を模倣したあちらの製品に、刻一刻と置き換わりつつあるということです」


商品の価値が永遠不変だなどとは、颯太はむろん考えない。

流行がめまぐるしく切り替わる前世での記憶を持つがゆえに、一時の成功に胡坐をかいている危険は重々承知している。


「…それがしは粗製の模倣品が出回る前に、こっちはメリケン国を皮切りに東回りに、『根本新製』を世界に行き渡らせたいともくろんでいます。西回りはストロガノフ殿が動いてくれましょうゆえ、それがしはメリケンでの売り込みに集中するつもりなのです。その商売も時機を逸してはどうしようもありません。ともかく早ければ早いほうがいい……40石取り程度の小身者が分不相応な大言をとご不快に思われたかと思いますが、それがしは…」

「誰もそのようなことを気にしたりは…」


一応形ばかり(へりくだ)って見せてから、颯太は一呼吸間を置いて、自らも台に肘をつきつつ半身を乗り出した。わずかに見上げるように、食い入るように小栗様を見た。


「…すでに伊勢守様を通じて、幕閣への地ならしは進んでいます。溜詰(たまりづめ)のお歴々も幕府財政に負担をかけずに列国に対応するという趣旨には賛同を示されていると聞きますので、目論見のとおりにゆけばいまここで話していることもあるいは実現可能なものとなりましょう。むろんこれは雲の上での話、口外無用にてお願いいたします。下手をすればそれがしの首が胴と離れそうですので…」

「…この警護の数も、そのあたりの絡みですか」

「…半分は水戸の老公対策ですけど」


どんだけカリスマがあるんだよと思ってしまうほど、水戸藩の人間は斉昭公の言行から行動指針を定めている節がある。

本人がプライベートでどのようなことを言っているのかは分からないのだけれども、颯太が帰着早々、福山藩邸に水戸藩の何人かが張り付きだしたそうである。

阿部様への報告さえなければ、颯太自身も江戸に上陸せずに、ほかの面々らと一緒に船の回航に同乗して姿をくらましたかったところなのだ。もっと言うならば、風のごとく地元に帰りたかった。

永持、石井、中島の3名は江戸に上陸することなく船とともに長崎へと向った。松陰先生らも護送の形で連れて行かれている。

船は大坂まで回される予定であるから、今頃伊豆のあたりに差し掛かっているだろう。

江戸上陸前夜の船上でささやかな酒宴が、打ち上げパーティ代わりだった。もっとちゃんとしたお店で盛大にやりたかったのだけれども、江戸湊で乗り込んできたお偉いさんの指示でそういうことになってしまった。

颯太はにやりと不敵な笑いを浮かべつつ小栗様を見る。


「…城攻めの功第一はたいてい一番槍を成した者です。商売でも市場を席巻するのは、最初にその商売を編み出した先駆者です。…この際、メリケン商売の一番おいしいところをそれがしらでかっさらってしまいましょう」

「…ッ!!」

「伊勢守さまのためにあちらで大砲も買い込みますが、火薬と鉄ではなく銭の力で列国と戦えると知っているのはそれがしらのみです。メリケンでせいぜい荒稼ぎして、でっかい花火を打ち上げましょう」


やや呆然としたまま喉を上下させている小栗様と、それを見つめつつ同じく背筋を伸ばした7歳児。

その眼差しがぶつかり合う。

そうして颯太は小栗様に向かって手を差し伸ばした。

ロシア行でそれが南蛮列国での『妥結』の合図だと習い覚えていた小栗様は、束の間瞑目した後、静かにその手を取ったのだった。

阿部伊勢守の秘蔵っ子と幕末最高の能吏のひとりが、その日小料理屋の片隅で盟約を交わした。むろん7歳児のなかのおっさんが知る歴史には記録のない出来事である。


「…ところで、陶林殿のその恐るべき知識、どこでどのような写本に出会ってのものなのか、後学にお教えしていただきたいのですが」

「内緒です」


7歳児の即答に、小栗様はただ肩をすくめて苦笑するのだった。


書きたいことが多すぎて難産が続きます…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ