055 戦果発表
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日露間で行われた秘密交渉は、無事決着した。
両者の間で行き来した金銭、物品の内訳は以下のようになっている。
【幕府側】
・君沢型 ※18750ルーブルにて売却
【ロシア側】
・カノン砲12門
68ポンド砲×1 ※1門5000ルーブル相当
20ポンド砲×10 ※1門1000ルーブル相当
12ポンド砲×1 ※1門800ルーブル相当
各砲の弾薬10発分 ※2000ルーブル相当
・カロネード砲1門
68ポンド砲×1 ※1門500ルーブル相当
何種類かの専用弾 ※おまけ
・その他備品
まずはかなりの戦果であったといえよう。
同時に行われた幕府御留焼『根本新製』の扱いについては、以後艦船納品時に受け渡しを行うものとし、1セット5000ルーブル相当として帳簿上の売却金額に上乗せすることとなった。
今回持参した『見せ用』のワンセットは、海軍省官吏であるトルストイ氏の『手土産』となって中央へと行くこととなった。むろん今後の便宜を図ってもらう見返りとしてロハで引き渡している。
残り2セットは、ストロガノフ家に商品見本として譲り渡され、こちらは『扱いに紐を付けられたくない』という氏の要望から、金銭での売却となった。
当然ながらその代金を現金で持ち帰るわけにもいかないので、ストロガノフ家が保証人となりイングランド銀行に口座を開設し、そこに預託する形での支払いと相成った。むろん鎖国の関係上幕府の名義は伏せられ、かわりに『TOBAYASHI TRADE COMPANY』の名で以後管理されていくこととなる。
この契約書へのサインも、幕府の関与を伏せる意味合いで製造会社のオーナーである陶林颯太がサインをすることとなった。
後に国際市場で急成長を遂げて、莫大な現金を運用するようになる陶林家のメーン口座となり、同時に国際的信用を形成していく一助となっていくことなどむろんこの時は誰も想像していない。
***
さて。
交渉の結果として幕府所有となった、それら貴重な軍需品が港に運び込まれ、停泊中の幕府船に荷積みされる段となったのだが……当然のようにその現場を見て騒ぎ出した者が約一名いた。
「わたしの知らぬ間に!」
日露交渉の仲介役と自任していた男、鄭士成である。
大砲が続々と岸壁へと運び入れられ始めるのを鄭家マーケットの賑わいの中から眺めていた彼は、すごい形相で歩いてきた幕府使節団に……正確にはその中心でほくほく顔をしていた7歳児に食って掛かろうとして、警護隊に羽交い絞めにされる一幕があった。
その勢いにやや及び腰になりつつも、背筋を伸ばして対した颯太。
しばらくまともな会話にもならずに、ただ相手がプルプル震えながら指差す曳かれてくる大砲群をついと振り返り、合点する。
おのれがどれだけひどく困惑し、怒っているのかとジェスチャーする鄭士成に対し、颯太は新車発表会の某CEOのように得意げに大砲の数々を披露し、サムズアップまでして見せた。
結果、相当に相手の神経を逆なでしてしまったようだった。
「…よくもまあケチな露西亜人からこれだけのものを分捕りましたな」
ようやく落ち着きを取り戻した鄭士成が、額に浮いた油汗を拭いつつ追従するように笑みを作った。まだふーふーと呼吸を荒くしているものの、大きな商談をうかうかと取り逃がし、下手を打ったのはおのれのミスなのだとどうにかわきまえてくれたらしい。
「…しかし、わたくしも交渉の席にお呼びいただけるものと思っていたのですが」
「それがしもそのあたりはよく分かってはいないのですが、呼ばれなかったということは、その必要がなかったということなのではないでしょうか」
「………」
ニコッと笑んで見せる。
長崎での一件後、仲介人がかなりの不良業者であることを幕府からロシア宛てに、つけつけと指摘した書簡を送ってもらったのはほかでもない颯太であったりするので、こうなった責任はその大半がこの7歳児に求めることができたろう。むろん颯太はそんなことおくびにも出しはしない。
「…総督閣下に名を覚えていただくためだけに、鄭家が何杯の荷をこの地まで運び続けたか、その苦労を思うとため息も出ませんね……こちらはいまだに銃のひとつも仕入れられないというのに…」
「…まあ、そのうち何とかなるんじゃないですか」
励ますように7歳児に腰のあたりを叩かれて、鄭士成は真剣に嫌そうな顔をした。薄々裏事情的なものに気付いているのかもしれない。
まあそっちの事情は知らないんだけど、こっちは国と国同士の、国家レベルでの交渉なのだから、かたや鄭家は大なりとはいえ民間企業……条件の違うものを一緒くたに論じられても困るのだけれども。
「…それで、なにをどれだけ手に入れられたのですか」
しっかりと幕府船への積み込みを監視している鄭士成に、誤魔化す必要も感じなかったのではっきりと言ってやった。
「…小型とはいえ新造の洋船を引き渡したんやから、この程度の『見返り』は当然なんやないの? まあ軽量の20ポンドくらいのが10門と、大きいのは『アレ』1門でしょ。あとはオマケで付けてもらった骨董品みたいなやつが2門……合計13門の大砲と、それなりの砲弾と火薬やね」
「………」
ちなみに砲弾と火薬は各10発分貰っている。
骨董品のカロネード砲は、弾薬まで骨董品らしく、さまざまな形のものが在庫一掃とばかりに引き渡されている。
「…それでご相談なのですが」
「取引は受け付けんから」
「………」
むっつりと口を閉じて、こっちを少し睨んでくる鄭士成。
それを真顔で跳ね返す7歳児。
はぁーっと、鄭士成がため息を吐き出したあたりで、今回一番の獲物である『アレ』が無事に船底に降ろされたらしく、そのたった一つの大砲を積んだだけで廻船としてはかなり大きい幕府船がずっしりと上下に浮き沈みした。
大丈夫なのかな……底が抜けたりはせんよね?
「…ところで、江戸幕府は露西亜との通商を禁じていたはずですが、わが鄭家を間に噛まさなくてもよろしかったのですかな?」
「これは『通商』やないし。条件をみっちりと詰めて、物々交換として上手くいったから、そちらにいらん手間を掛けさせずに済んで重畳やったわ」
「……はあ、そうですか」
探りを入れられても知らぬ存ぜぬ。
実際は書類上であんたの名前バリバリに使わせてもらったけど。
ほんの少し罪悪感がなくはないのだけれども、まあたぶん気のせいだろう。実害はないようにするし、この旅が無事落着した暁には、幕府からもいくばくか礼金を奮発するよう上に具申しておこう。
幕府船の上では、水夫たちがてんやわんやになっている。
「底に置けたら、柱で補強した『支え』があるから! そこに縄で引っ張るように固定したって! いまは仮置きでいいし、縛り方は後で見ます!」
颯太はそちらに向かって大声を上げながら、鄭士成に手を振って縄梯子を上っていく。大砲を固定しやすいように、君沢型を手本として駐退機を止めるための支柱が幕府船には追加で作られている。出向前の颯太の幕府船改造は、このときを睨んでのものだったりする。
縄梯子を登っていく颯太の背中を見送る鄭士成の、なんともしょぼくれた様子が周囲の同情を集めていたのだが、むろん商人同士のプライドがかかる話であったので誰も口には出さなかった。
交渉さえ済んでしまえば、この時期に至っても冬の気配をまとわりつかせている寒々しい港町に滞在する理由もなく、荷物を積み込んで次の日には出航と相成った。
最後の夜には町の中心施設である哨所にて宴席がもたれ、そこでは日本から持ち込んだ酒や船上でのご馳走である味噌仕立ての鳥野菜鍋も振る舞われた。異国の味覚に舌鼓を打ちながら歓談もそれなりに弾み、ロシアと日本との間の人的交流もそれなりに進んだのではなかろうか。酒を注いで回る松陰先生がコネクション作りにいそしんでいたのだけれども、まさかロシアに亡命とかしないよね?
結局次の日、出航の朝にはなに喰わぬ顔で幕府船に先生の姿があったから、おそらくは颯太の約束したメリケン行きをより有意義なものとしてとらえているのだろうと推察する。
幕府船の出航に際して、ロシア側は町中の人を岸壁に集め、礼砲のおまけつきで送り出してくれた。こういう骨惜しみない人の交流は、胸をジンとさせるものだった。
かくして幕府使節は、ニコラエフスクでの秘密交渉という大任をついに果たし終えたのであった。
その帰路で、まさかあのような恐るべき事件が起こるとは、むろんこのときは誰も予想だにしていなかった。