025 ささやかなチート
あくる日、草太は小助に呼び出された。
何事かと急いでいくと、ろくろ小屋の前でオーガと馬鹿犬周助が中をのぞくように立っている。汚い半纏の中に手を突っ込んで腹の辺りをぽりぽりと掻いていたオーガが草太の気配に顔を向けた。
「来たか。中で小助どんが待っとる」
草太は急いできたものだから、両手が変なものでふさがったままだった。
「なに持ってきたんや」
「…えっと、…サンプル?」
「さんぷる?」
「ちょっといろいろな土の見本作ってて…」
自然と出てくる外来語に慌てつつも、草太は手に持っていたすり鉢と擂り粉木棒を地面に置いた。やることがないものだから、耐火粘土を作る上での最適な粘土を模索すべく資料を集めていたのだ。
会話に周助が首を突っ込んでくる。
「なにが見本や! どうせ子供の泥遊びやろう!」
いちいちカチンとくる物言いの男である。天領窯の責任者小助の息子でなければ、非力な女子供にしか許されない泣き落とし作戦で精神的に反撃してやるのだが。わずか5歳にして縦社会の厳しさをわきまえてしまうおのれの物分りのよさに少しだけ気が遠くなる。
ともかく気を取り直して、小助がいるのであろうろくろ小屋の中に足を踏み入れた。
ろくろ小屋には、蹴回しのろくろが2機と、粘土を練る作業台が置かれている。そのどこにも小助を見つけられず、草太の目はさらに奥の倉庫へと向けられる。倉庫の戸は開いていて、その中にこちらに尻を見せてしゃがんでいる小助の姿があった。
なにをしているのかと様子を見ようと近づく彼に気付くこともなく、小助は床板をはずした縁の下に顔を突っ込んでなにやらやっているようである。そこはオーガに教えられた粘土の寝かし室のあるところだ。
小助は何かに夢中になると、周囲のいっさい合切が耳に入らなくなる男である。いまも呼んだ相手がおのれのもぞもぞさせている尻を見下ろしているのも気付かない。その辺りはわきまえたもので、入り口で様子を見ているオーガから声が発された。
「小助どん!」
腹に響く大声に、小男の小助が飛び上がる。
「小助どんが呼んだぼうずがもう来とるよ」
「おお、そうか」
自分が呼んだことすら忘れていたのだろう。
膝を着きつつ半身を起こした小助が、もじもじと立っている草太を見やった。
「…こいつを、おまはんが作ったんか?」
見ると、小助の手には草太が作った耐火粘土第一号が握られている。
同意するように無言でこくりと頷くと、
「なかなかええ土やないか。ざらざらしとるように見えて割りと粘りもある。この色合いは久尻の土でも使ったんか」
「五斗蒔土【※注1】があったんで、瓦の割り粉と窯の目土に使ってた滝呂の土を混ぜ合わせてみました」
「…どうして五斗蒔使おう思ったんや? なかなか手に入らんどえらい高い土やけど、理由が納得できれば許したる」
うわ。
五斗蒔土って、高級品なんだ。やばいな。
「五斗蒔土は焼いてもなかなか焼き締まらない土だと聞いてたんで……割り粉もけっこう配合を多くしたんで、粘り気を足す意味で滝呂の土を少し混ぜました」
五斗蒔土は、志野焼に欠かせない粘土で、耐火温度が高く焼締まりが弱いのが有名(業界的にだけど(笑))なのだ。その性質はずばり耐火粘土向きだと思うのだ。
「五斗蒔土が焼き締まらんのをよう知っとったな。このへんの土を集めてまわっとるわしぐらいやないとなかなか知っとらんぞ。それにこの練った土、なかなかうまい具合に空気も抜けとるし、水加減もええ」
それはそうだろう。
工場ではいつも材料粘土の品質管理を徹底してたからな。もちろんわずかな気泡で焼成中に爆ぜてしまう焼物の弱点も知ってますし、古式ゆかしい『菊練り』の技法も体得済み。
彼の顔をじっと見つめていた小助が、おもむろに粘土の塊を放り投げてきた。
「そこで練ってみやあ」
あ、これは試験ですか。
見てくれは貧相な5歳児とはいえ、その身に宿す可能性を見極めていただけるのなら、どんだけでもがんばりますって!
作業台の上に粘土を乗せ、身長の足りなさをカバーするための木箱をずらしてくると、ひょいとそれに飛び乗り、ハンドパワー解放!とばかりに両手をかざしてみたりする。まあぱっと見だけで意味はない。
で、披露しました。
必殺『菊練り』!
練り揉みするうちに、粘土の塊りが菊の花のような形に仕上がっていく伝統的な練りかただ。伝統的であるがゆえに、その技量もまたおおよそが推し量られてしまう。中華料理人のチャーハンみたいなもんだ。
「…なかなかうまいやないか」
お褒めの言葉ありがとうございます。いつもよりハンドパワーを込めてみました。
横でのぞきこんでいた馬鹿犬が、
「そんなバカな…」
分かりやすく驚愕してくれてます。いつも邪険にされている分だけ、その驚愕の声が甘美な痺れをもたらしてくる。俺すげー。
「その練った土で、器を1個引いてみやあ!」
興が乗ったのか、小助どんが大盤振る舞いを始めました。
この時代の窯元では、ろくろは1個所有するだけで税金のかかる金食い虫だ。年に銀5分を支払ってまで維持しているのだから、金になる商品を作り出すことのできる1人前の職人にしか使うことは許されないものなのだ。
それをこうも簡単に許可するとは。ここは存分にハンドパワーを発揮すべきであろう。
「ハンドパワー!」
「はんど…? なに…?」
「…なんでもないです」
ろくろ引きぐらい、元美濃焼業界人としてたしなんで当然でしょう、とか言ってみる。実際は全部焼物試験場での研修中に覚えたものです。うそついてごめんなさい。
客観的に見て、素人のおばさまが「まあ、プロみたい!」とか言ってくれる傍らで、専門家に「まだまだ甘い」とか言われる程度の技量に過ぎない。
だが、それでも、ろくろで器を引いているときに絶対的に必要な感覚はかろうじて体得していたりする。
(ろくろ技術の胆は、ぶっちゃけ『厚み管理』だ!)
なんとなく器っぽく作るだけなら少し慣れれば誰だってできるようになる。しかし素人と玄人の差が歴然とするのが、引いた器の『厚み』である。
焼き上がりの器がどれだけ軽く、そして手に馴染んで使われるか。玄人は焼き上がりの完成形まで見通して作業する。素人はそれができないから、焼きあがった器がたいてい重くなる。外見しか気にしないから肉が厚すぎることに気付かないのだ。
むろん薄すぎても強度不足になる。具体的には窯の高温で熱せられて柔らかくなったときに、ふにゃりと変形して使い物にならなくなる。
引き終わった器を麻糸ですぱっと高台部分から切り離し、膝元にあった板の上に手際よく乗せる。
小助がすぐさま、その完成した器を糸で真っぷたつにする。
「厚みもまずまずやな」
「ぼうず、なかなかやるじゃねえか!」
器の断面を見て、小助とオーガが頷く後ろで、馬鹿犬がいまだに現実を受け止めかねて口をパクパクとさせている。
期待を込めて見つめる草太の眼差しに、オーガがにかっと笑ってみせた。
「…これだけできるのなら、今日から窯の修理に加わわりゃあ。いまは猫の手も借りたいぐらい忙しい」
よっしゃ!
根本天領窯の職人集団に、草太が受け入れられた瞬間だった!
【※注1】……五斗蒔土。土岐市久尻で産する粘土。志野焼の素地にもっぱら使用されてます。作中にもあったように、耐熱性が高く、焼締まりが弱い。