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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
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047 日露秘密交渉②






交渉は、予想以上にトントンと進んでいった。

それはシベリア小艦隊司令であるカイゼル髭、カザケヴィッチ氏が恐ろしく食いついてきたからである。

むろんその理由についてはなにも言わないので推測するしかないのだけれども、おそらくは軍港の艦船の惨憺たる有様が雄弁に語っているとおり、深刻な海上戦力不足に陥っているのだろう。君沢型一番艦であるヘダ号が大車輪で活躍しているその実績も、日本製帆船に対しての信頼の一助ともなっているのだろう。

ここでは材木など切ればどれだけでも手に入り、船が作り放題のような気もするのだけれども、造船という特殊なスキルを持つ職人はロシアでは存外貴重なもので、流刑地扱いしているこんな僻地に飛ばされてくることなどないのかもしれない。

そもそも帝都であるサンクトペテルブルクにも軍港があり、当然のことながらそこの工廠が規模技術ともに国内最大かつ最高峰……最新最強の軍艦は皇帝に御披露目する意味でもそこで建造されているだろうし、職人自身も正当な評価を得るために帝都勤務に固執するだろう。こんなド僻地のシベリアの果てになど自主的に来たがるはずもないし、いなくても影響のない二流、三流どころが上の命令で強制的に送り出されている……しかも本人たちはモチベーション激低という構図が思い浮かぶ。


(…船渠(ドック)はあるけれども新造船を作れるような体制は皆無、というわけやろうな。自前でやれることは大雑把な修理のみとなれば、戦力補強の見込みのない艦隊司令としては、怪しさ満点に擦り寄ってくる『君沢型』セールスにも食いつかざるを得ん、ていうことか)


なんだ、入れ食い状態じゃないか……そうは思うのだけれども。

ほくほくしている使節団側とは対照的に、ロシア側にはなぜか緊張するような硬い笑みが張り付いている。颯太はその様子を値踏みするように観察する。

何か落とし穴がありそうだと、勘が告げていた。

ロシア側はのっけから英語で交渉するつもりのようなのだが、颯太はもともとシベリア総督と契約を結んでいる鄭士成が交渉の、主にロシア側通詞として仲立ちをする可能性を想定していた。荷降ろしに忙しそうな鄭家の船にも、何人か軍人が張り付いていたので、鄭士成には『別口』で呼び出しが掛かっているのだろうと予想していたのだけれども、この部屋にやってこなかったところから少し当てを外してしまっていた。


(…やつは総督にだいぶ売り込んだみたいやけど、この調子だともしかしたら海千山千の総督も悪企みを見抜いて笑って聞き流しとったのかもしれん。…ということは、鄭家はあくまで中間の『代行業者』として割り切られとるのかな。日本戻りの『武器()』が途中で抜き取られてえらいことになるとしても、船が手に入ればいいロシアには特段関係ないし)


ロシアと鄭家との関係性も、大体そのような感じが透けて見えた。

まあ鄭士成と関わりだした後にも幕府はロシアと書簡をやり取りしていたので、もしかしたら颯太のマイナス評価を素直にロシア側に伝えていて、ナチュラルに外されただけなのかもしれない。そのときは身から出た錆だと自戒してもらうしかないだろう。

ちなみに英語での交渉は、むろん聞き取りは颯太で、松陰先生には訳知り顔でうんうんと頷いていてもらって、その都度『yes』か『no』の回答をテーブル下のハンドサインでやり取りしている。話の内容についての全員への周知は、颯太がすごい説明的な独り言を口にする方向で行っている。


「It's about the condition of the dealings…(それで取引の条件についてですが…)」


かなり慣れてきた松陰先生の小芝居の後、颯太は「おーけーおーけー」と、待ってましたとばかりににこやかにほほ笑んで見せた。


「君沢型をどういった条件で譲ってくれるのか聞いているようです。小栗様、さて、いかほどの要求をしましょうか」


話を振ると、小栗様もやっとおのれも参加できるのかと口元をゆるめて頷き返してきた。


「当然のことだが、我々は最新の武器が欲しい。軍艦一隻に見合う価値のあるものを持ち帰らねば意味がないので。この君沢型を一隻作るのに、幕府は数千両の大枚をはたいている。大砲が一門100両としても、最低で10門ほどはいただきたいですね。そして南蛮で使われているより威力があるという最新の弾薬も」

「大砲ならどれだけでも欲しいところやけど、うちの船にどのくらい積めるのかも問題やね……いっぱいに詰めたら30くらいならいけそうやけど……弾薬も研究用に欲しいから、『大砲』20門と『弾薬』100発分ぐらいにしときましょう」

「…陶林様、可能ならば小型の銃器もいく種類か付け加えていただきたい。銃は列国でも多くの種類があるそうなので」


会話に中島も加わってくる。


「…な、なら、『りばべとらりーふぁなんす』の図面も!」


石井も思い切ったように要望を言ってきた。

急に英語と思しき言葉が出てきて驚いた颯太であったが、実はこの石井修三は一時期ジョン万次郎と英和辞典の作成に取り組んでいたことがあったりする。

『りばべとらりーふぁなんす』とは『reverberatory furnace』で、反射炉のことを指している。

えっ、石井くん英語話せるの?! いろいろな意味で驚愕した颯太であったが、引っ込み思案な彼はおのれのスキルを言い出せずに隠し持っていたらしい。

もっとも、英語の聞き取りについては不得意らしく、イギリス艦との件では始終動揺していたこともあってそのスキルはまったく機能していなかったというから残念の一言であるのだけれども。

くそ、先に知ってればもっとイギリスとの交渉で楽に使い倒せてたのに! 一行もみな驚いている。石井が反射炉の図面を欲しがるのは、江川家の陪臣として韮山反射炉に貢献したいがためなのだろう。

颯太は驚きから回復するなり石井をさっそく便利使いすることにした。


「大砲は英語で?」

「かのん、です」

「プリーズ! Cannon!! twenty!!(20!)」


石井の単語を拾い、身振り手振りを加えてジェスチャーする。前半の事務手続きはイエスとノーで事足りたのだけれども、肝心の条件闘争ではそれなりの語彙が必要になってくるので、備蓄庫にでも案内させて現物を指定するしかないかなと思っていたのだ。

やり取りががぜん楽になった。大砲を20門寄越せ、と言われたとたん、議論を見守っていたボリス・イワノフ氏が「あちゃーっ」という感じに天井を見上げ、カザケヴィッチ氏が梅干を頬張ったような渋面になった。


「no…」


お話にならない、という感じにカザケヴィッチ氏が肩をすくめて椅子の肘掛をこぶしで叩いた。


『…わが国がこの東洋の地にまで一門の大砲を持ち込むのにどれだけの労力を払っているのかお分かりにならないようだ。世界は途方もなく広い……あんな重たいものを陸送などできはしないとなれば、もうこれは船便で運ぶしかない。皇帝陛下のご意思で貴重な軍船を輸送に割いているぐらいなのです。…しかしこの物騒な時世に安全かつ大量に物を運ぶためには強大な自衛力を持った軍船でないと間に合わない……その条件にあてはまる戦列艦級ですらおいそれとは無事ではたどり着けない、そういう土地なのですよここは…』


カザケヴィッチ氏の独白はロシア語でなされ、それを通詞が機械的に英訳していったのだけれども、余計なことはするなと本人から一喝されて、哀れな通詞は小さくなってしまった。

どうやら軍港に停泊していた傷だらけの3等戦列艦は、皇帝肝いりでシベリア方面への物資輸送という大航海を果たした『勇者』であったらしい。

ということは、『シベリア小艦隊』というのは、本当に『小艦隊』で、戦列艦などを含まない、地方の遊撃戦隊のような規模なのかもしれない。

であればなおさら、スクーナークラスでしかない君沢型でも喉から手が出るほど手に入れたいだろう。

うーん。大砲がだめなのか…。

思案に沈む颯太の横で、小栗様が「陶林殿」と肘をつついてきた。

なんですか、と顔を向ける彼に、小栗様は目配せで部屋の外につながるドアを示した。


「…成行きが思わしくなさそうなので、伊勢様から含められていたことを先にお伝えします」


ここで交渉の第一ラウンドが終了したようだった。




「…それで、伊勢様のお話とは」


部屋の外に二人で出た小栗様と颯太。

かっぱぎタイム中の颯太はすでに戦闘状態であるので、強い光を宿した目だけでその先を促した。小栗様は気負った7歳児に苦笑する。


「…おそらくこの件は知るまいと、伊勢様が交渉の選択肢の一つとしてそれがしに含められたものがあります。まだ陶林殿が幕府に出仕する前のことでもありますが、そもそもその件はあまり言い広められてはいないので、幕臣でさえいまでも知らぬ者が大半の秘事なのですが…」

「秘事、ですか…」

「…これは此度の露西亜国とも絡む話です。…去年我が国に参られた露西亜全権、プチャーチン殿の置き土産なのですが……大地揺れの際に起こった津波で、その座乗船『であな号』が海没したのは存じていると思いますが……『であな号』が搭載していた大砲類が、幕府のさる所にすべて保管されているのです」

「…っ!」

「大砲だけで全52門。正直、いまだに幕府がこれに手を付けていないことが不思議なほどのお宝です」


…さあ、一度落ち着こうか。


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