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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
250/288

044 このまま置き去りになるのかと思ったじゃないですか






要求しておいてなんなのだけれども。


「…まさか本当に渡して寄越すとは」


イギリス艦の主帆(メインセール)が降ろされ、くるくると畳まれたそれが無造作に幕府船へと運び込まれた。畳で10畳以上あるだろうそれはかなりの重量物で、甲板に引き揚げるのに轆轤(※人力のウインチのようなもの)を使わねばならなかった。

その主帆と、10挺のエンフィールド銃、各30発分、合計300発分の薬包と弾薬が送られてきた。

検品が済んでから、今度はこちらが捕虜を解放する番となる。

むろんこの引渡しに際し、イギリス艦にはすべての帆を降ろさせている。碇もついでに降ろしてもらった。

あちらから迎えに来た短艇(カッター)に捕らえていた捕虜たちを乗り移らせつつ、幕府船は手際よく出航の準備を進めている。捕虜全員が短艇に乗り移った時点で、すぐさま出航である。

幕府船はほとんど空荷であるので、ただでさえ足が早い。受け取った捕虜たちですし詰めになった短艇が母船に帰り着くまでの時間と、帆を復旧する時間を合わせれば、それなりに安全な相対距離を得ることができるだろう。

なにより一番推力を得られる主帆を欠いた状態であるので、たとえ追跡できる段となっても、相手側の優速というアドバンテージはかなり失われてしまっている。いったん距離さえ突き放してしまえば、逃げることは容易になるだろう。

捕虜の解放が実行されることとなって、船倉に閉じ込められていたイギリス人たちが甲板へと上げられて、迎え待ちしている。むろん彼らは武装を取り上げられたままのご帰宅となるのだけれども……当然のことながらその返還を強く要求してくる者もなかにはあった。

その立場をわきまえていないひとりが、くだんのコクラン家の士官候補生だった。


『…銃を返せ。あれは我が家の家宝なんだ』


通詞の松陰先生に掴み掛かろうとするのを仲間に羽交い絞めにされているのだけれども、その主張する内容に感じるところもあって、颯太は捕虜になっていたふたりの士官候補生の短銃を持ってこさせて、こっそりと検分することにした。

短銃は個人の持ち物らしく、ふたつともまったくタイプの違うものだった。

颯太は銃器系には詳しくないのだけれども、ふたつがまったく別物であると一見して分かるほどの違いようである。

ひとつはおかしな形のもので、ガトリングを短銃サイズに小型化したような、銃身を7本束ねて手で回転させることができる連発式の拳銃であった。かなり年代物っぽい。リボルバーが広く普及する前に人気を得ていた、『ペッパーボックス』と呼ばれる銃で、むろん仕組みが理解できる程度で颯太はその名前を知らない。

そしていまひとつの、トバイア・コクランの所持品のほうは、竜馬が持ち歩いていた感じの。非常に見慣れた形をした銃だった。『コルトスピン』と呼ばれるものなのだが、こちらも同じく仕組みが察せられるだけで名前は知らない。


「どちらも連発式の短筒です」


船楼の物陰でふたつの銃を前にしゃがみ込んでいる颯太を見て、ミリオタの中島が求めてもいないのに解説してくれる。どうやら所持品を取り上げたあと、独自に検分していたらしい。


「…常に懐に忍ばせておけるというだけですばらしいですが、仕組みの精緻さでいえばこちらの品のほうが明らかに進んでいるようです」

「…まあ最新型っていうほどじゃないか」


リボルバーはすでに幕府も保有していたりする。

ペリーが貢物として数丁渡してくれていて、それを水戸藩がひそかにコピーしようと躍起になっていると聞いている。のちにそのコピー品が桜田門外の変を引き起こすのだが、幕府が『持っている』のを知っているだけで、颯太はそこまで詳しく把握しているわけではない。


「…家宝らしいし、このぐらいのものなら返却してやってもいいかな」

「それはいけません、陶林様」


中島に止められて、瞬きした颯太。

なぜ、と問われるまでもなく勝手に中島が語りだす。


「南蛮の先進武器について、われわれは知らないことだらけです。なにがよくてなにが悪いか、そんな簡単な『良し悪し』さえ、物を知らなければ判断することもできません。このような重要な『資料』は、持ち帰って研究すべきです」


はあ、そうですか。

まあコクラン君には泣いてもらおうかな。まあ実家は金持ちだろうし、銃ひとつでピーピー言ってないでパパにアメリカ製の最新式をおねだりしたまえと言っておこう。なんか中島くんの目も怖いし。

トバイア・コクランに食って掛かられている松陰先生も、実際なにを言われているのか分かっていないので、東洋的アルカイックスマイルで不幸な青年を帰りの船へと送り出していた。先生の通詞の振りもかなり板についてきたな。


捕虜すべてが降ろされ、過積載気味の低い船縁を揺らしながら短艇が引き返していく。外海の波の高い場所であるので、たった100メートルほどの帰り道もけっこうしんどそうだった。母船のほうも帆を降ろしてしまっているので迎えに寄せることもできない。

むろんこのわずかな時間さえ幕府船は無駄にすることができない。

たった一枚の、しかし表面積だけならイギリス艦のそれよりもかなり大きい帆が張られ、それが風を受けるやぎしぎしと帆柱をきしませる。

風の力がそのまま船足へと置き換わっていく。

ようやく動き出した周囲の景色に、颯太は胸いっぱいに息を吸い込んで、そして吐き出した。少し移動しただけで空気が新鮮に感じるのは、本当に気のせいなのだろうけれども。

イギリス海軍との悶着は、これでひとまずの幕となったのだった。




イギリス艦は、あれ以来追って来ることはなかった。

海兵の銃10挺にメインセールまで奪われて、腹を立てていないとは当然ながら考えてもいない。戦闘で失われたわけでもないそれらの備品は、予算の逼迫しているだろうイギリス海軍本部から無条件で充当されるとは思えないし、おそらくは拿捕賞金で懐の暖かいフリゲート艦長の私費での弁済が暗黙のうちに求められるだろう。どうせおのれの手出しになるのなら……割り切ってしまえばマイナス評価されかねない本部への報告とかもしないだろうな、たぶん。

ジャック・ベイカー氏は、しばらく拿捕賞金獲得に目の色を変えるだろう。ここいらの海域で敵国ロシアの艦船が見当たらなければ、あおりを食らうのは清朝の商船あたりで、最初に見せたあの警察の白バイもかくやという臨検行為を繰り返せば、賄賂文化のある清国人たちからそれなりの『あがり』を掠め取ることができるだろう。

まあ降りかかる火の粉を払うのは、各自の自助努力やし。健闘を祈っとく。

先行していた鄭家の船と合流を果たしたのは3日後のことだった。入江の影に身を潜ませていたあちらが、幕府船の健在な姿を見ておっかなびっくり出てきたのだ。無事な君沢型の姿を確認して、こっちは皆がほっとしたのだけれども。

その合流点はすでに大陸と樺太半島が作り出す海峡部にさしかかろうという場所であった。

君沢型の管理人としてひとりだけ先行する形になっていた永持が、顔を赤くして手を振りまくっていたのには驚いたのだけれども、まあ極度の不安から解放されて感情が爆発するとあんな感じなのかなと思う。

危機を乗り越えて再び合流を果たした3隻は、この日ばかりは身を寄せるように接舷して、鄭家が寄った港から調達してきた酒と食料で宴となったのだった。

船同士が横付けになり、渡し板で行き来できる状態となってから、鄭家船の厨房がフル稼働して油の多い中華料理が大量に振舞われた。

酒は白乾児(パイカル)というコウリャンから作られる蒸留酒で、恐ろしくアルコール度数の高いやつだった。某子供探偵の某子供化薬を無効化するアイテムとして登場した酒であったりする。

慣れない油分の多い料理に戸惑った幕府船組も、この白乾児(パイカル)の高濃度アルコールにすぐにやられてしまって、宴はおおいに盛りあがった。

酒が人の心を解きほぐすのは時代が違っても変わらないもので、言葉がほとんど分からないというのに酔っぱらった人間が気侭に渡し板を渡り、異国人の間に気軽に飛び込んでいく。言葉が分からなくても、楽しいのが伝われば人は皆嬉しくなったりする。

肩を組んでそれぞれの故郷に伝わる歌を歌ったり、身近な人間の物真似を大げさにやってみたり、身振り手振りで猥談に耽ったりと……ともに危機を乗り越えたことで生まれた連帯感がそこらはあった。

むろんそのなかにあってひときわハッスルしていたのは松陰先生で、その持ち前のコミュニケーション能力ですぐに場の中に馴染んで、清国人たちから雑多な知識のピースを掻き集め続けている。先生の高スペックが判明したのは、そんな会話のうちから生まれた筆談の超速進化で、半刻もせぬうちに片言の会話まで可能になっていた。こういう国際交流というのは、やはり体当たりで動ける人間が一番強いと言う事例である。

そしてこの宴でもっとも話題となったのは、むろん清国人の海賊たちさえも尻に帆をかけ逃げ出すイギリス人たち相手に、無事に逃げ出しただけでなく武器と帆布までかっぱいできたという幕府の驚くべき『戦功』についてだった。

日本語に堪能な鄭士成や総官のひげもじゃあたりは、幕府の首脳たちと席をともにしている。そこで語られる内容はなかなかに驚くべきものだったようで、捕虜返還交渉で武器をせしめたこともそうなのだが、それ以前に捕虜確保の切っ掛けとなった7歳児のブチギレっぷりに、特に話題が集中した。

そのシーンを見ていなかった者が見ていた者に『語り』をねだるのだが、みな白乾児(パイカル)が脳細胞にまで到達しているので、すぐに忘れ果てて聞き返すと言う繰り返しである。その横で白乾児(パイカル)にギブアップしてウーロン茶を飲んでいる颯太には、まさに無間地獄であった。

何度もコメントを求められて、最初はまともに答えていたのだけれどもそのうちに馬鹿らしくなって無視するようになった。あー、青菜炒めくっそうまいなー。

そんな颯太の横で、ぽつりと漏らしたクソ商人の言葉が耳朶に引っかかる。


「…それはもう、英吉利人どもにも同情いたしますな」


しみじみと、我が身を省みるようにつぶやいて、ため息をついてやがる。

そういや、こいつの屋敷でもいろいろとやらかした覚えはあるのだけれども。


「おかしなものですが、それがしも童にねじ伏せられている英吉利人を見たあとで、不思議なことにそんなふうに思ってしまいましたよ」


それに普通に乗っかる小栗様。

ふたりの間で起こる気の抜けたような笑いが、その後の小天狗議論に延々と繋がっていくことになるのだが、それに口を挟もうとした颯太の背中を、すっかりと酔っ払った永持がもみじパンチしてきて盛大にむせてしまった。


「…このまま置き去りになるのかと思ったじゃないですか」


そのまま背中によっかかられて、首に掛けられたひじが身体の傾斜に合わせて気道を圧迫してくる。うわっ、こいつ泥酔してやがるわ。


「…まあ、それでも……あれを切り抜けたとはたいしたものだと思います。こんなちんまい童にこの使節団の命運がかかっているのだと、実感しました」


わしゃわしゃと頭を撫でられる。

その理不尽に黙って耐えていると、別の手がさらにかかってきて、首が揺らぐぐらいに撫でられまくった。

ちょっ、小栗様! クソ商人までどうした!


「…なんだか天狗のご利益がありそうです」


んなもんないわ!

こんの酔っ払いどもが!


感想ありがとうございます。疲れていても書こうかなと思えるほどに励みになってます。


勢いで書いているので、あとで改稿するかもです。

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[気になる点] >どうせおのれの手出しになるのなら  どうせおのれの手からの持ち出しになるのなら
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