表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
239/288

033 そういうことになってますから

ご指摘のあった箇所を若干修正いたしました。







遣露使節団の旅立ちは、安政3年4月2日(1856年5月5日)、大安の日取りにあわせてのものとなった。

幕府初の海外訪問となるので、大安の日を待ったのは当然であったのだけれども、船大工たちにとってはその間の1週間はまごうことなき災難の日々であったろう。時間的猶予があると知った颯太が、調子に乗ってあれこれと注文をし始めたからだ。


「船底もむき出しのままやなくて、仮でいいから甲板みたいに床をつくろうか。沁み出した海水が商品についたらたまらんし」

「大砲とかばっかじゃなくて、砲弾や火薬も扱うことになるかもしれんし、一番丈夫な船の中央に、壁を二重にして貯蔵庫も作ろうか。…ああ、湿気ると使い物にならんくなるから、通気には気をつけて」

「船室とかないし、最低限の睡眠が確保できるようにハンモックを漁師の人に作らせて。こんな感じのもんやわ。使う縄はこっちで丈夫なやつを支給する。網を編むのは漁師のお手の物やろうし、20張りぐらいは作ろうか。船尾の船底を2段底にして、そこを上下とも仮眠室にしよう。隔壁の幅をいい塩梅に調整して、ハンモックを引っ掛ける金具を等間隔で打ち込んどいて」

「航海中に補給が上手くいかんこともあるやろうし、(壊血病で)身体壊すといかんし、大豆と底の浅い箱用意しとこうか。箱の中に筵を敷いて水含ませれば簡単な水耕栽培ができる。船倉に収納できる棚みたいなもんも併せて作ったって」

「等間隔で大砲を固定できる支柱をでっち上げてもらえんかな。揺れるたんびに転がらんように固定できるような。…こうやって両側から縄で固定するんやわ……やから支柱は一等丈夫に造ったって」


…等々、まさに休む暇もなかったろう。

幕府の依頼仕事であるので、材木などの調達が簡単であったのがさらに状況を悪化させたともいえる。材料不足を理由に断ることが不可能であったのだ。

かくして大勢の船大工と潤沢な材料があったゆえに日の目を見ることとなった、千五百石菱垣廻船改……外洋航行能力の向上した国際交易用スーパー廻船が爆誕した。


「ぅおおぇぇぇ…」


警護隊の冷や飯軍団が、舷側に汚い尻を並べて胃液を海面に吐き出している。

その横で使節団リーダーである小栗様も一緒になってえずいている。


「…まあこればっかりはお約束みたいなもんですわ」

「くれぐれも海には落ちんでくださいよ」


水夫たちに気遣われて、普段ならば武士の沽券がどうとか騒ぎ出しそうなシチュエーションであったのだけれども、誰一人としてそんな余裕を持ち合わせていないようである。

たしか万延元年の遣米使節団でも、長崎海軍伝習所出身の勝海舟が「航海はすべてオレたちでやる!」と豪語しておきながら、荒天続きで即行船酔いし、到着間際までのひと月ぐらい私室にこもりっきりになるというポンコツぶりを発揮したというのを本で読んだ覚えがある。確か福沢諭吉も船酔いでずっと引きこもっていたそうで、けっこう彼らの黒歴史であったりする。

さて、これはチートとは違うと思うのだけれども、颯太はピンピンとしている。思い出す限りにおいて船酔いなどしたこともない。

むろん水夫たちや、船に慣れている海軍伝習生である永持石井の両名などはへっちゃらで船上生活を送っている。

幸いにして波の荒れていない穏やかな季節であるので、3日目くらいから彼らの容態も落ち着いてきて、10日目の関門海峡を望むあたりでは船酔い組もほとんど健常者として復活していた。海峡の瀬戸内側入り口である田野浦のあたりで、待っていた鄭士成のジャンク船が近付いてくるのを見たとき、ほんとに間に合ってよかったと胸をなでおろしたものだった。彼らに対しての睨みを利かせるためにも、こっちの弱みを見せたくはない。ゆえに警護隊の回復は必須であったのだ。

その日田野浦沖で合流したジャンク船からは、フットワークよく鄭士成が小船でこちらへと渡ってきた。縄梯子をするすると慣れた感じに登ってきた鄭士成は、にこやかな笑みをたたえた小栗様に出迎えられ、こちらも海千山千の商人らしく笑いを貼り付けた顔で近付くと……拳法家がやりそうな右こぶしを左手に合わせるようなしぐさで挨拶を交わしたのち、改めて握手を交わした。

ちなみに抱拳礼(ほうけんれい)と呼ばれるその挨拶は、秘密結社である天地会の習いのようなものであるらしい。握手文化は意外であったのだけれども、イギリスとの交易を盛んに行う華南商人たちの『外国人に対して特段に親愛を示す場合』の当世ふう流儀なのだという。

小栗様以下遣露使節団の関係者たちと、鄭士成側の顔見せがそこで行われたのだった。




懇親会を兼ねたつつましい夕食会が廻船の船上で行われた。

参加したのは幕府側は小栗様と颯太、永持、石井、中島の5名。鄭士成側は本人と『総官(ソングェン)』と呼ばれる事務方っぽいひげもじゃの男の2人。

港から取り寄せたカレイの煮つけとあさりの酒蒸し、それと笹の葉でくるんだ赤飯が各自に配られ、今日ばかりはと同じく手配した清酒を1合ずつ。酒のお代りは自分で徳利から注ぐ。


「明日からの旅の無事を祈念して……乾杯!」


けっこうなみなみに注がれた酒を、みなすぐに飲み干してしまった。むろん颯太も……甘酒を一気飲みした。

お互いの自己紹介が済み、鄭士成の鄭家自慢を適当なところで颯太がぶった切ると、しばしの歓談タイムとなった。

小栗様は早速鄭士成を捕まえていろいろと歓談という名の情報収集にいそしみ始め、相手のクソ商人と一緒に腹黒いオーラをまき散らしている。おのれが随員のひとりにすぎないと自覚している永持、石井、中島の3人が仲間内で静かに飲んでいるのを横目に、颯太は相手もなく手持無沙汰にしている『総官』のひげもじゃに話しかけだ。


「廻船が珍しいですか」


日本の廻船は結構見慣れているはずのひげもじゃ、名を田旦(でんたん)という男は、この千五百石船を珍しそうに見回していたのだが、突然声をかけられて驚いたように肩をはねさせた。


「和船、…それほど大きくない。…でもこの和船、大きい」

「結構大きいのを選びましたし、和船の中では大きい方だと思います」

「これ、やっぱり大きいか」

「そちらの帆船(ジャンク)も、おんなじくらいの大きさですけど」


ひげもじゃいわく、鄭家のあの船もそれなりに大きい部類に入るらしい。

全長も同じく40メートル近くありそうである。

ちなみに鄭家のジャンク船は大中小3本マストで、船員もあちらのジャンク船ほうがずっと多い。水夫だけで50人近く乗っていて、見た目風を受けた時の船足がこっちよりも早そうである。

とりあえずはそれぞれの船の話をネタに、会話を重ねていく。


(なるほど、帆柱の数の分だけ乗組員が膨れ上がるってか……へえ、道理で)


ひげもじゃが言うには、強風などに突然襲われたときに、帆を迅速に畳めるかどうかが帆船の生き死にを決定する時があるのだという。なるほど、帆が多いほど風を捕まえやすいし推進力を得られやすいのだけれども、嵐の接近とか突風とか、場合によってはそれが致命傷になることもあるっていうことか。…でもそれで人件費がかさむというのは痛し痒しというところだよな。食料品の消耗も激しそうだし。

そして颯太はむろん気づいている。乗組員が多いのは、そんな操船作業のためばかりではないことを。


(海の上で海賊に襲われたときとか、人数がそのまま安全につながる場合もあるんやろう。いまはリアルに海賊が跋扈する時代やし、そのぐらいの自衛努力は当たり前か……でもその人数で海上で反乱を起こされると、ちょっとばかりまずいかもしれんな)


50名の乗組員は、一朝事あったら全員が戦闘要員になる。

その50名が友軍として機能している間は心強いのだけれども、何かあって利害が対立し鄭家が敵に回れば、その脅威がすべて悪い方向に向かって跳ね返ってくることになる。


(もしかしたら、自分たちももっと大人数で来るべきだったか…)


自問して……颯太はすぐに否定的な見解へと至る。

しょせん侍など刀を振り回すしか能がないので、乗り込まれた末期的状況の白兵戦にならないと戦いにすらならない。もしも相手が銃砲でも隠し持っていたなら、一方的にタコ殴りなることだってあり得る。刀だけが武器の侍を増やしたところでその状況は変わらない。

一応こっちの船にも弓矢鉄砲は保険で少量積んではあるものの、鉄砲は旧式だしまあ気休め程度というところである。何らかの展開を経て仲間同士で戦いになった時点で、詰むのはもはや必定なのだ。

さて、それではどうやって安全を管理するか……あのジャンク船に首縄をつけるためにはどうしたらいいか……ひげもじゃとの会話に意識を割きつつも、もう一人の颯太は思案を続けている。

もしもジャンク船のほうが船足が早いのなら、簡単な話、足枷をつけて遅くしてしまえばいい。こっちの船が比較優速を維持できれば、反乱などの状況変化に対応しやすいだろう。

ちょうどそのときひげもじゃがジャンク船の船足の速さ自慢をし始めたので、颯太はほとんど反射的と言っていいぐらいの即座の反応で、そのわが船自慢の流れに割って入った。


「…なるほど、そんなに速くなるのですか、帆が三つというのは伊達じゃないと」

「調子良ければ、南蛮船、置いていける。荷物少なかったら、もっと速い」


気付いていないひげもじゃが、酒の勢いもあってかさらに吹き上がる。

なんと、西洋帆船よりも性能がいいとまで豪語するとは。

そんなに早いのがご自慢ならば、ちょっと『重荷』を背負ってもらいましょうか。


「それならあいつを引っ張ってもらっても、大丈夫ですね」


笑みを含みながら、芝居がかったようすでいま廻船が曳航している『君沢型』を流し見る。これ見よがしに。

大事な商品なので、本当は最後までこっちの船で引っ張っていきたいのだけれども、そんな気持ちはおくびにも出さない。

どうせ行くのなら、船足の速い方があいつを曳航するべきだ……その簡明で合理的な主張は、嫌な仕事は弱い立場の他人に丸投げしたいという大陸的思考にもマッチして、ひげもじゃのほうもすぐに理解するところとなった。

分かってしまってから、彼は非常にまずいことになったおのれの立場に気付いたのだった。あー、うー、としどろもどろになっているひげもじゃの肩を叩いてにひひと笑った颯太。


「ニコラエフスクまであいつをよろしくお願いしますわ」

「…まっ、あっ」


そのとき小栗様のほうで盛り上がっていた歓談が突然に止んでいることに気付いたが、颯太は素知らぬ顔を続けて言葉を継いだ。


「帆が3つもある鄭家の優秀なジャンク船なら、あのぐらいのお荷物、お茶の子でしょう。速い船のほうが荷物を引っ張る。それはまさに道理。士成殿ならばそれがしの要望など二つ返事で受けてくれますから、あとでお願いしてみましょう。そんな不安そうにしなくても大丈夫ですよ。士成どのとそれがしの間では、そういうこと(・・・・・・)になっていますから」


そうしてひげもじゃを安心させつつ酒も注いでやる。

そこでちらりと小栗様のほうに目をやると、こちらに顔を向けて、わなわなと震えているクソ商人が見えたのだった。まさか断りませんよねあんな悪さを見逃して契約を維持してあげたってのに。

颯太のもの言う視線に当てられて、クソ商人は手に持った一合升からぽたぽたと酒がこぼれさせている。

船主の鋭い眼光に晒されて、酒を煽ろうとしていたひげもじゃが途端にむせて、小さく「ひぃぃっ」と悲鳴を上げのだった。


異文化のぶつかる瞬間のシーンは、やはり大切に描写しませんとね(^^)

時期的に、そして華南を根拠地とする鄭家ならば、イギリス商人との交流はあったはずなのですと後出しじゃんけん的に追記。そして天地会ならではの挨拶も加えました。

ジャンク船にご指摘にも対応いたしました。ただこちらについても、上記理由もあり異国人からのジャンク船呼ばわりには慣れていたと思われます。16世紀ぐらいからそのような別称が東南アジアのほうで生まれていたらしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ