032 遣露使節団
下田に到着した颯太は、ロシア行にともに臨むこととなる人々と顔を合わせることとなった。
いつ来るか分からない颯太を待って、もう一週間ほどこちらに滞在していた人もいたようである。
奉行所では現奉行である川路様の実弟、井上様との再会があった。阿部様の招きで初めて訪れた江戸の福山藩邸で、林本家の親子が猟官活動まがいの売込みを行って大顰蹙を買った、あの現場に居合わせたのが井上様だった。むろんバリバリの阿部派である。
来るのが遅いと小言を言われたものの、はっきりした期日が切られていたわけではなかったので、のらりくらりと話の腰を折り続けて……してやったり、地元での長逗留については不問ということになった。
そのあとに「伝えよと言われたので伝えておく」と井上様が居住まいを正したので、何事かと身構えた颯太であったのだけれども……メタボ領袖様発信の伝言に触れて、平伏したままで助かったものの、畳の目を睨みながら軽く噴き出してしまった。
「水戸の老公があれ以来意見書を持って日参してくるので、伊勢様もほとほと参っておいでだ。そなたが知らぬところで何か余計なことを老公の耳に入れたのではないかと聞き出すよう言われていてな」
「…はあ」
なにそれ。んなわけないじゃん。
あのあとどんだけ自分に監視が付いてたと思ってんの。いまだって目付けコンビが後ろで目を光らせてるし。
いちおうはっきりとその疑惑には否定して見せたのだけれども。
「…役務はできるだけさっさと終らせて、江戸に来い、とのことだ。これでちゃんと伝えたからな。後で根掘り葉掘り問い質されても、そのことだけはしっかりと言うように」
井上様はちゃっかりとおのれの保身を担保したあとに、「せいぜい露西亜人どもを蹴散らして来い」と笑いを含みつつ言った。周囲の人に対しての要求が厳しい人ではあるものの、しっかりと気遣いもしてくれるので川路様の兄弟なのだなあと改めて実感する。
そうして奉行との接見が済んで、そこで改めて下田に集結した『ロシア行き』のチームを紹介される。
続きの間の襖が開かれると、そこに全員が勢ぞろいしていた。長崎面接組、永持亨次郎と石井修三のふたり、そしてその両名がはさむような形で中心にまた見知った顔があった。
「…お、小栗様」
「ふふ、…驚かせられたようで何よりです」
どうやら一行のリーダーとされるらしく、『目付格』という微妙な肩書を与えられているようだ。成り上がりで幕臣の端っこにぎりぎりぶら下がっているような颯太では、外国の要人相手にはいささか貫目が足らないとは指摘されていたので、それが『小栗忠順』になったということなのだろう。
小栗家2500石の当主であり、亡き父親が新潟奉行を務めたその家柄ならば、何とかバランスが取れるのかもしれない。たしか史実でも、万延元年の遣米使節に小栗忠順は目付として帯同している。
「陶林殿が随分と面白そうなことをなさっていると伺っていましたので、何とかそれに便乗できないものかといろいろと手を尽くしてしまいました。何とか間に合って何よりでした」
「………」
「…小栗殿、そういう話は裏に引っ込んでからにいたせ」
井上様から突っ込まれて、肩をすくめて見せる小栗様。形ばかり恐縮したふうを装ってはいるけれども、うれしくてたまらないというように目元がゆるんでいるので内心は見え見えである。
危険な航海をせねばならない、下手したら死ぬかもしれない大渡航だということを分かってんのかなこの人。まあ遣米使節にも迷わず参加した人だから、肝は据わっているのだろう。
横にいる永持は複雑そうに眉根をゆがめてこっちを見ている。いろいろと言いたいことを我慢しているのだろうけれども、阿部派閥においては理不尽な上意下達に振り回されるのは当たり前であるので、そういうのには慣れてもらわねばなるまい。
石井は若干俯き加減に金壺眼をしょぼしょぼさせている。彼にはロシアに運び込む君沢型スクーナーの保守管理を任せると言い置いてあったので、夜遅くまで図面とにらめっこしていたのかもしれない。
3人の後ろにも人が控えている。
あれ、長崎行きで一緒だった後藤さんじゃんか。
颯太の視線を感じたのか、堅気とは思えない傷顔をこちらに向けて、面映ゆそうに小さく笑ってみせてくる。つまりは遣露使節の護衛のひとりということなのだろう。ほかにも5人ほどのいかつい見るからに番役な人たちが並んでいる。
「彼らは使節の警護を任としています」
小栗様の説明によると、後藤さんつながりの剣術道場仲間で、どうやら御家人の二男三男、つまりはわずかなチャンスにでもがむしゃらにならざるを得ない無役の冷や飯食いたちが掻き集められたようである。颯太との面識があった後藤さんがまず指名されて、彼からの嘆願という形で冷や飯食いたちが任用されたらしい。
まずロシアとの取引が国家機密のような扱いであったこと、そして何が起こるか分からない危険な海外渡航であり、幕府としても何かあったときの人的被害を抑えておきたかった思惑が、このような人員となって現れたというわけである。。
そして後藤さん以下5名の警護隊の横に、また毛色の変わった人が座っている。
「取引の主要品目となるだろう相手方の大砲の、良し悪しを見分けるために専門家を連れて行きます。高島流砲術の門弟の方です」
石井の後ろに座っていた人物が顔を上げたとき、颯太はその人物との面識を思い出していた。
「中島三郎助と申します。…陶林様とは一別以来でありましょうか」
ロシア行のメンバーを面接選考した、西役所でのことを鮮明に思い出す。
永井様が選りすぐった人材の中に、彼もいたのだ。
「あのときは残念ながら陶林様のお眼鏡にはかないませんでしたが、またとない露西亜国渡航……それも向かう先は軍港であるとか。砲術に練達した技術者がいるに違いない彼の地に、是が否にも同行いたしたく、高島先生のお力にすがらせていただきました」
なるほど、砲術に通じていると売り込んでいた人がいた記憶はあるのだけれども、全員がうるさくアピールしていたときだったので聞き流してしまっていた。
正直砲術の専門家がついて行っても、途中何をどうしてほしいとかはなさそうなんだよなー。まあかの有名な砲術家、高島秋帆からの嘆願であれば、阿部様も時勢柄検討せざるを得なかったんだろうけど。ロシア軍人がおいそれと砲術のノウハウを教えてくれたりは……たぶん期待できないと思う。
もっとも、上からの命令であるから、受け入れるのはやぶさかではない。コネ入社の現実を見て、長いものに巻かれることにした中間管理職のような気分である。
これで総勢、10名。颯太を入れて11名が、遣露使節の人員となる。
え? ちょっと人数が少ないって?
いやいや、遣米の時の咸臨丸とは違って、今回の行き来は和船だから。
売約済みの商品である君沢型を当たり前のように使用するわけにはいかないし、使節の乗船するのは幕府が臨時に買い上げた、比較的船齢の若い菱垣廻船である。廻船はぶっちゃけ貨物船であるので、乗務員でもない便乗客をそこまで大勢連れて行けるわけではないのだ。
むろん幕府にも形ばかりの軍船はあったのだけれども、戦国時代からほとんど進化の止まってしまった関船でしかなく、櫂走できるものの船体は小さく荷積みにも不向きであったから、取引の対価物 (今回は特に重量物を想定) を大量に持ち運ぶには廻船が唯一の選択肢であったのだ。
大船建造が解禁された時代なので、どうせならと求められる最大の大きさの船を調達したらしい。2000石とは言わぬまでも、1500石積ぐらいの巨大な廻船である。
下田奉行所で全員が合流した翌日には、商品の係留されている戸田村へと入った。むろん小早での海上移動である。
戸田村の入り江にはひっそりと君沢型スクーナーが浮かんでおり、その入り江の奥の砂浜では、くだんの巨大廻船がドックに載せられて整備作業中であった。
全長22間(約40m)、船幅4間4尺(約8.5メートル)、長崎で観光丸を見ていなかったらおそらくたまげただろう大きさの船だった。通常の1000石積の廻船より、余裕で一回り大きい。
(…阿部様、ロシアからどんだけかっぱがせるつもりなんだろうか)
いやもう、皮算用しまくった結果のこの大船なのだろうけど。
むろん普通の和船では外洋の波の荒さに負けそうなので、すでに颯太が事前提案していた補強工事が行われている。船大工たちが絶賛追い込み作業中だ。
(さすがに後付で竜骨は入れられないけど、これだけの大船ならジャンク船に倣って隔壁構造を強化してもらえば大丈夫やろう。ただ一本の横梁で支えるだけじゃなくて、堅牢な壁で船体を補強すれば耐久度がずっと上がるし)
船底が隔壁で仕切られることで、ひとつの穴で一気に沈没とかも防げるようになる。当然のことながら隔壁もきっちりタールで防水加工してもらった。ここの船大工はロシア人たちと共同作業したおかげで、船の防水処理に草や木を煮詰めて作る木タールを使うことを覚えていた。
どうせなら海水に暴露されている部分をすべてそれで塗って、黒船みたいにしたら耐久性も上がるんじゃないかと提案もしてみたのだけれど、そこまで大量のタールを突貫工事で作るのは大変なのだそうだ。
むろんここで作業する船大工からも幾人かが同行することになる。
そしてこの巨大廻船を運用する腕っこきの水夫たちも掻き集められていた。ドックの横で車座になって白湯を飲んでいる者たちがそうなのだろう。大阪方面からこの船を運んできたのも彼らであった。
「…あの水夫らに、こちらの洋船が操れると思いますか?」
同じく彼らに目をやっていた小栗様からの何気ない問いに、颯太は少し思案してから首を振った。まだこの国には西洋帆船を外国まで運んでいくだけの航海技術を持った者はいなかったはずである。
「あれ(君沢型)は、それがしらの乗る廻船で曳航していく予定ですけど」
「…操船できないと言うことなら、まあそれしか手はないですね。大分と船足は落ちそうですが…」
「まあもう一艘、門司(北九州)のへんで合流する予定やから、最悪そっちの船員を借りて海が穏やかな間だけ操船させればええし」
「それは例の唐の商人とかいう…」
「クソ厚かましいやつですから、最初っから舐められんでくださいね? 初めが肝心ですから……まあ、小栗様のその顔を見てると転がされそうなのはあっちみたいですけど」
「…あちらの国にも伝手ができるというのなら、後々いろいろと面白いこともできそうですね。その節はご紹介、よろしくお願いいたしますよ陶林殿」
声は穏やかなのに、薄らと笑うその目の奥底から物騒な熱気が漏れ出てくるのが分かる。
幕末屈指の能吏があのクソ商人をどのように転がすのか、それはそれで見ものではあろう。生き馬の目を抜くような幕末の豪商たちから『兵庫商社』設立の資本金として100万両をかっさらった男である。鄭士成の背後にあるだろう金脈を見出したならば、面白いことが起こるかもしれなかった。