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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
236/288

030 開所式

027話途中から柿野行エピを挿入する編集を行っております。

ご了承ください。





おっさんがまだ中学生であったころ、上級生たちを送り出す校長先生が長々と語りかけていた内容を最近急に思い出すようになった。

当時はクソつまんない話だなぁとか聞き流していた覚えがあるのだけれども、「人生は長いようで短い。光陰矢のごとし。限られた時間を上手く使いこなす人間ほど大きく成長する」と語っていた校長先生も、おそらくは自らの体験から教えようとしていたのだろう。目が回るほどの忙しさを体験して初めて、人に与えられた時間が非常に貴重な、有限のものであるということが理解できるようになる。


(光陰矢のごとし、か……振り返るとまさしく一瞬だったな)


忙しさのなかで、時間はリアルに跳ぶように流れていった。

あっという間にひと月余りが過ぎ、そろそろこの地を発たねばと思い始めた頃合に、『美濃製陶所』の工場が竣工を迎えたときには、ずいぶんとホッとしたものだった。

それは根本の代官所をさらに倍にするぐらいの大きな建物で、周囲を驚かせた。建坪が大きいだけでなく、その天井もかなり高い。

さっそく中に入ると、床は三和土(たたき)できれいにならされている。漆喰に赤土などを混ぜたこの時代のコンクリートのようなもので、踏んだ感じ十分な硬度を持っていることが分かる。

まだ春とはいえ、建物の中は存外にひんやりとしている。見物に集まった代官の坂崎様を始め、お役人や天領窯関係者なども肌寒さを感じたのか肩をすくめている。

数十人が一斉になだれ込んでもなお工場は広い。

入って右側にろくろ場があり、西窯から運び込まれた4丁の蹴回しろくろがすでに設置されている。明るい窓(木戸)側に並んでいて、手元が暗くならないように配慮されている。同じように反対の左側には窓に向かって作業台が置かれていて、こちらは絵付け作業エリアだ。ろくろ場と絵付け作業場はお互いの乾燥棚でパーテーションされる格好で、個人の作業に集中してもらいたいとの颯太の案だった。

中央は奥まで続く広い通路となっていて、物の搬入搬出に荷車を入れられるようスペースがとられている。その通路の突き当りには引き戸があり、そこを開けると水簸作業を行う水車動力と連動された臼と杵が並ぶスペースがある。もっともこちらはまだ完成していなくて、水車の軸動力を中に入れる穴が仮塞ぎされた状態で空き家となっている。


「棚だらけやなぁ」


見物人の中の小助どんが感心したようにつぶやいている。ざっと見まわすと、たしかに空いた壁際はすべて棚が収まっていて、片隅には開いたスペースを図書館のように棚が埋めていたりするので、まさに棚だらけである。

量産する製品の乾燥待ちに対応するためで、これでもまだ少ないと颯太は思っている。


(むろ)は」


颯太の問いに、番頭の半次郎が反応する。


「水簸部屋の内側壁伝いに地面を掘り下げて、上から蓋をかぶせてあります。かなり大きめに用意したので、粘土の寝かせだけでなくほかの物の収納も可能です。石臼と杵、それに水簸用の大甕は水車の設置を待ってから用意します。…石臼と杵は水車造りと一連のからくりを任せた水車大工に任せることになっています。大きさなどの塩梅があるようで…」

「水車はあとどのくらいでできるの?」

「まだ指物師に出した部品が揃っていないらしく、急かしてはいるのですがあとひと月ほどはかかりそうです」

「おっつけでいいから、従業員の休憩部屋も作ったってね」

「別棟で用意致します。…それと、旦那様」


旦那さま、と呼ばれて颯太はそちらに顔を向ける。西窯の大将がそんな風に呼び出してから、ほかの職人や半次郎たちもそう呼ぶようになってしまった。7歳児にはまだ早い呼称であるように思うのだけれども、オーナーなのに『陶林様』と呼ばせるのも違うと思うし、『社長』はちょっとまだ当世風ではない。

円治翁も西浦屋では『旦那様』であるので、このあたりはもう割り切るしかないのだろう。


「焼き上げを依頼する各窯に品を運ぶ荷車ですが、一部通行に適さない道の狭い箇所、傾斜のきつい坂などがあります。そちらも多少の出資をして、道を均しておくべきかと思います」

「そうやな、そのへんはやらなかんやろう。でも全部にうちが手を貸す必要はないよ? うちは仕事を出す側やから、仕事の欲しい窯のほうにも、せめて近場は協力してもらって。たぶん土岐川の反対側には運ぶ橋がないし、協力要請するのは高田の方とかが主体になる。そっちへの道筋を重点的に整備したって」

「かしこまりました」


工場の建設で120両(土地代抜き)、護岸と水路工事に14両、水車の設置とその構造物(水車2基と動力伝達のからくり)の発注に約80両、移築を決断した西窯の費用が推定10両(物はあるので工賃のみ)、実験結果が良好で採用が決定した柿野に露出していた陶石(カオリン)の大量買取で20両(西浦屋プライス。美濃郡代への運上金等の費用も含まれている)、ほか粘土原料や各種釉薬の資材購入で60両(これも西浦屋から。天然の支那呉須も高価だけど大量購入した九州産の擣灰(とうはい)がめちゃ高い! しかし透明釉として必須!)、作業台なんかは大工さんに片手間に作ってもらったので工賃のみで1両。

しめて305両があっという間に羽を生やして飛んでいった。それも立ち上げまでの初期投資のみでである。

事業を起こすというのは、これだけの大事なのである。今後は人件費や郡代への運上金など固定費が発生し続けるので、颯太が託された1000両など、うかうかしていたらすぐに溶けてなくなってしまうだろう。

そうそう、そして忘れてはならないものがある。


「…こいつが転写機というやつか」


産業機械というのは男心をくすぐるのか、代官の坂崎様が物珍しそうにぺたぺたと触りまくっている。もちろんその横には、同じく相好を崩している銅板摺り職人の寺尾仁兵衛も目を輝かせている。小助どんやオーガまで集まっているので、ほかの天領窯や西窯の職人たちも釣られて引き寄せられてしまう。


「そのふたつの丸いやつに銅版を挟んで、合わせた紙と一緒に押し出すんやよ。その丸太から削りだした丸いやつはローラーって言うんや。上側のローラーに常に重石をかけることで、摺っとるあいだ紙がきっちり密着する仕掛けやわ」

「ほー」

「なるほど、一枚一枚手で摺るよりは早いし綺麗やろうな」

「…こんな仕掛けは、瀬戸にもありませなんだ」


まあこういう機械化は、銅板摺りが急速に普及する明治期以後のことであるので、いわゆるチートというやつである。ローラーになる部分は木椀などを作る腕のいい木地師に特注している。綺麗な同心円の円柱でないと、密着不良が起こるからだ。もしもこれでも密着不足が出たら、ローラーの表面にゴム代わりのなめした皮でも貼り付ければいいだろう。ゴムが手に入るようになったら、シンコンパッド印刷的な手法を開拓してもいいかもしれない。

ローラー以外は颯太の図面に従って大工さんが作ってくれた。棟梁が少し自慢げに胸を張っていたので、颯太はそちらに向けてサムズアップしてやった。

あれ? 普通にサムズアップが返ってきたし。

にやにやと笑いながらほかの大工たちもサムズアップしてきた。あれ?

そういえば作業の途中で人数の多い大工相手にいちいち言葉をかけてはいられないので、サムズアップを多用していた記憶はある。

いろいろと珍しいものを作れて彼らも満足であったのだろうけれども、まさかサムズアップ文化が定着してしまうとは。

大原周辺から始まった『喜びを無言で表す』サムズアップブームは、謙虚であることをよしとするこの国の風土とあいまって、腕を競う職人たちのあいだで広まり、やがて全国規模にまで拡散することになるのだが、むろん颯太の想像の及ぶところではない。


(…さすがに石炭窯に手を出す余裕はなかったな。あっという間やったけど、この辺で区切りやな)


とりあえず『美濃製陶所』は西窯の移築を完了させてのちにプレ操業が開始されることになる。まだ周辺の窯に荷車を入れるための道が整備されていないので、試作作業を簡便にする上でも製陶所独自の窯が必要なのだ。

準備が最低限整った上で、並行して手作業で精製させるカオリンと既存粘土を混ぜ合わせた美濃製陶所独自ブレンドの磁器土で製造に取り掛かる。そして銅版摺りの銅版製作も仁兵衛が牛醐先生監修のもと製作を進め、多種多様な版を作り貯めていく。

出来栄えが市場レベルに達したと判断したら、西浦屋と協議のうえ小量の販売も視野に入れて動く。

そこまでの段取りはすでに済ませた。

事業としての見通しが立ってくるまでには短くとも半年ほどはかかるだろう。それまでにはロシア行を済ませて、何とか戻ってきたいところである。




内覧会の後、開所式も兼ねて御約束の鏡開きも行った。

代官様と円治翁の二人と一緒に颯太は危うげに振り上げた杵を酒樽に打ち落とした。まさかクソじじいと一緒に鏡開きすることになるとは、人生いろいろとあるものである。そのあとは振る舞い酒で宴会となった。

いろいろな人が颯太の元に挨拶に来た。

代官様と円治翁を皮切りに、招待したいくつかの窯元の大将たちに、仲買商人たち。次郎伯父のツテで池田町屋の町名主も来ていたし、西浦家と縁続きという地場の有力な商人たち、それに浅貞屋からも急遽大番頭が来賓して、なかなかの盛況ぶりであった。

いちおう「美濃焼の領分」と前置きして浅貞屋には伝えたのだけれども、大番頭の竹蔵さん(初めて行ったときに会っていたらしい)には恨みがましくチクチク小言を言われてしまった。『根本新製』からかなり落ちる廉価品だと説明して何とか納得してもらったのだけれども、浅貞屋の主人は直前まで本人が来るつもりだったそうで、「美濃焼ならば領分違い」と周りに止められてかなりご立腹しているらしい。こりゃ次に名古屋行ったときにいろいろと言われそうだ。


「…颯太様、取り分けてきてもらいました」


挨拶の途切れた合間を見つけて、お幸が近付いてきて、ちゃぷちゃぷと水音のする5合徳利を手に掲げて見せてきた。

鏡割りの祝い酒を、普賢下にも届けたいと颯太が手を回したものだった。


「先に届けておいて。後で絶対に行くから」


あれからずっと床に付いたままの祖父貞正。

届けた酒を手に嬉しそうに笑んでくれるその姿を思い描いて、颯太は軽くこぶしを握り締めたのだった。


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