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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
235/288

029 柿野鉱山

西浦庭園をぐるりと廻っていただくと、資料館があります。

何度か足を運んでいる作者も入ったことがありません(笑)

運よく人がおられたら、トライして見てくださいませ(^^)





案内された柿野のカオリン採取地は、宿泊した温泉宿から半刻ほど山中に分け入ったところにあった。


(よくもまあ、こんなところにまで人が入るもんだ)


近代以降のこの地域の焼物史を俯瞰すると、それはただもう『そこに粘土があるから』という職人たちのあくなき情熱と探究心が『美濃焼』を誕生せしめたのだということを実感する。

遠くは戦国時代、信長の治世に重要な戦略物資とされた『焼物』が、まずはその保護下であった瀬戸に成立し、ひとつの産業として急速に拡大していった。その生産の拡大は子弟が次々に窯を開いていくという流れの上に起こり、瀬戸という限られた土地ではすぐに飽和してしまうこととなる。

窯の乱立を防ぐために一子相伝の取り決めがなされ、それはやがて『窯株』の概念へと変化していくわけだが、家産の継承にありつけない次男三男などの冷や飯食いたちは、富の分配が終了してしまった瀬戸を次々に脱し、良土を求め、美濃の山中に分け入っていくこととなる。

太古の時代、『東海湖』と呼ばれた巨大な湖がはぐくんだ粘土層……その地勢条件に導かれるようにして美濃へと分け入った職人たちは、幸運にもいたるところで良質な粘土を発見した。

そうした『粘土鉱山』を求め続ける業界人たちの欲求が、時を越えてこんな辺鄙な山奥にカオリン鉱山を発見したのだ。歴史を俯瞰的に捉えられる颯太に感慨深い想いが去来したのも仕方のないことであった。


「けっこう登って来た気がしたんやけと、薬師湯があんな近くにあるわ」


もともとはさして使われることもなかっただろう踏み分け道は、最近かなりの大人数が通行したあとのようで、草木が押し倒されて存外に歩きやすかった。

降雨時に水が流れるのだろう涸れ沢を何度かまたぐように登って行く。

「もう少しやわ」と、案内人の指し示す先に皆が目を向けた。涸れ沢から離れるように道は斜面を駆け上がり、ようやく登り切ったところで急に拓けた土地が視界に広がってくる。


「あれが採掘場ですわ」


言われ、指差されたその先に、木々の切り払われた灰色の斜面が白く輝いて見えた。地層が何らかの原因で表面に露出したのだろう、それは明らかに粘土質な風合いを示していた。

その光景を目にした瞬間に、颯太は駆け出していた。滑るから危ないと足元を心配する声を振り切るように、一団を追い抜いて『カオリン鉱山』への一番乗りを果たした。


(…あれが柿野のカオリンか)


採掘場と思しき灰色の崖を取り囲むように、木柵が廻っている。

ここで発見された白い陶石が儲け話になると分かって、所有者が慌てて設置したのか、それとも西浦屋が手を打ったのかは知らない。

その木柵に取り付いて、了解を得るのももどかしく子供ボディを隙間から滑り込ませる。すぐに目に付いたのは、誰かが試掘したらしい浅い穴だった。

むろんそこが一番質の良さげな鉱床であったのだろう。颯太も先人に習って穴に取り付いた。掘ったのも最近に違いなく、そこには非常に良質そうな白っぽい陶石が20センチほどの厚みで露出していた。


(…間違いない、十分に使えそうなカオリンやわ)


その鉱床を掌で撫で回し、指でこそごうとして失敗する。人間の爪では歯が立たない硬さだ。そうして足元に転がっていた屑石を手にとって、親指と人差し指でつまんで転がしてみる。

多少風雪にさらされていたためか、その小石は存外に柔らかくクシャリと指の間で潰れた。潰したその勢いで、くりくりと捏ねてみる。


(…この陶石を工場の水車で砕いて、水簸すればいけるな)


見れば水たまりの残ったくぼみがあり、その底に沈殿した砥の粉のような白い泥がある。颯太はそれを手で掬い上げ、水気を切ってから両手で捏ね合わせてみる。まだ若干弱いながらも、粘土特有の粘り気、可塑性が生まれている。


「颯太様! よい粘土なのですか」


追いついてきたのはお幸だった。

それを颯太は横目に見て、にいっと歯を見せて笑う。


「上等やわ」


明治時代以降、爆発的に生産数を増やす美濃焼、特に欧米で好まれた磁器製品は膨大な数量に及んでいる。年産数千万個を数えるそれらの製造を支えたのがこの貴重なカオリン鉱山であり、神明カオリンと並んでこの柿野カオリンは相当な埋蔵量が約束されている。

磁器生産が始まっていないこの時点ではほとんど無価値の何の変哲もない山にしか過ぎないここも、颯太の大量生産プロジェクトが始動することにより恐るべき価値を持つこととなるだろう。

どうにかしてこの土地を確保したいのだけれども、そもそも江戸時代に土地の所有権売買など聞いたことがないし、このカオリン採掘場はれっきとした『鉱山』であるから、幕府、もしくはそこを封領としている大名家に帰属するものと見たほうがいいのかも知れない。

柿野の一帯を支配しているのはどこなのかと案内人の背の曲がったじいちゃんに尋ねると、どうもここいらは岩村藩の領地に入っているらしい。ということは笠松郡代だけでなく、岩村藩の意向とかも絡んでくる話になるのだろう。

円治翁の入れ知恵で動いているらしいお嬢にいちおう聞いてみたのだが、案の条というか、まったくと言っていいほどなにも知らなかった。


「おとうさまに任せておけば、いいようにしてくれるんじゃない?」


いやだから、任せっきりなのはいろいろと危険なの。

いちおう郡代の岩田様にはコネもあるので、帰ったら自分でそちらに問い合わせてみよう……などとつらつら考えていた颯太であったけれども。


(なんやあれは)


ふと目に入った、木柵に掲げられた見覚えのある形をした板木。

嫌な予感がしてそちらを見に行った颯太であったが、それがなんであるかを理解して腰砕けに座り込んでしまった。

目端の利く商人というのは恐ろしい。呆然としている颯太を見て変なものでも見つけたようにコロコロと笑い出すお嬢の向うに、クソじじいのドヤ顔が幻のように目に浮かんだ。

その板木は、岩村藩主の名で掲げられた高札であった。

ここは藩の大切な土地であり、みだりに立ち入ることを禁ずる旨。所有はあくまで岩村藩であるが、公儀に命ぜられたので陶石鉱山はしかるべき手続きを踏んで美濃郡代に管理権を移譲したこと、盗掘などの罪はすべて笠松支配所にて裁かれることなどと書き連ねている。

そしてその高札の隣には、同じくらいの大きさの別の高札が掲げられ、そちらには美濃郡代の名で、鉱山の支配は幕府であり、その運営は郡代の手で行われるものと謳っている。そしてその末尾に、「右のものに運営を付託する」と、岩田様の名に並んで円治翁の名がくっきりかっきりと書かれている。

美濃焼総取締役のポストにある西浦屋から、特権商人としての商売のやり方はこうだとのたまわれているようで、こめかみの辺りが自然とひくついてくる。

岩村藩と笠松の郡代様にはしっかりと根回しが済んでいるようで、どうやらここのカオリンは西浦屋から購入する形になるようであった。


「…祥子からおとうさまに口を聞いてあげるから心配しなくてもいいわよ?」


能天気なことを言っているようで、しっかりと『駆け引き』を意識しているのが分かるお嬢の笑みを含んだ目。

言外に「身内になっちゃえば全部解決よ?」と言われているようで、いつの間にか出口をふさがれて迷路を右往左往するハムスターのような気分である。

そこでつい思い出してしまった昨晩の光景に、かぁっと顔面が熱くなってくる。混浴バンザイな露天風呂で裸体をさらけ出す娘の危うさを耳元で巧みに囁くお付き女中さんと、あざとく上目遣いするお嬢のコンビネーションブローに脳を豆腐のように揺すられてしまったのはもはや黒歴史と言って過言ではなかったろう。

結局、目付コンビとともにSPまがいの身辺警護をさせられてしまった初心な自分が恥ずかしい。大小を腰に佩いたお武家が睨みを利かせた結果、女性陣の入浴は完全な貸し切り状態となったのだけれど、当然ほかの利用客にとっては迷惑千万な話であったろう。お幸のほうは普段と雰囲気の違う颯太の様子に首を傾げるばかりであったのだけれども。

やばい。型にはめられそうだ。

とどめの柿野鉱山独占の一手はえぐい。


(…ちくしょう、こうなったら土岐口の神明鉱山はなんとしてでも押さえねば)


ちなみに土岐口郷は幕府領であったりするので、単純に郡代の岩田様に運上金の約定等を引き換えに願い出れば、颯太のコネのきらびやかさを考慮すれば同様に独占が狙える可能性はあった。むろんこの時点では颯太にそのような確証などない。

とりあえずカオリン原料として支障はなさそうだという確認が取れただけで今回は良しとしておこう。購入の段でぼったくられるのならば、西浦屋にはここからの運び出しに必要なインフラをがっつり整備させてやる。陶石は重いので、この山中にある採掘場まで荷車で乗り付けねば効率が非常に悪い。必然的に道路整備が求められることとなる。

美濃焼の隆盛期間は数十年に及ぶのだから、そうしたインフラ整備はけっして無駄ではない。




地元のカオリン事情を把握できたことと、試料となる陶石を入手できたことがいちおうの収穫となって、颯太の柿野行は終った。


「お幸、そんなにたくさん背負って重くない?」

「大丈夫です、これくらい」


いくら体力に自信があるといっても、陶石を20キロ近く背負ってにこにこと笑ってみせるお幸を気遣っていると、


「祥子だって運んであげてるんだけど」

「………」


お幸に対抗して小ぶりな岩塊を一個だけだが抱えているお嬢が口を尖らせてアピールしてくる。量は少ないのだけれども、温泉宿で手配した背負子で背負っているお幸に対して、お嬢は思い付きの行動であっただけにそれを両手で抱え込んでいる。下りとはいえ登山道みたいな小路を、両手をふさいで歩くとか危ないんだけども。

目付コンビとお嬢が連れている男も運んでくれているので、試料としてはかなりの量が確保できている。小ぶりな陶石ぐらいならほかが持ってくれそうではあるのだけれども、お嬢は運ぶのをやめない。

ずっと隣を付いてくるので、自然発生的に会話が生まれる。


「…せっかく江戸にまで出たのに、こんな田舎に戻ってこなきゃよかったのに」

「あんたに悪い虫が付いたらまずいじゃん」

「…そんなありそうもない心配しないでも」

「祥子はあんたを見込んでるの。まえにも助言してくれたじゃない。着物の流行とか派手さとか、吉原の花魁や歌舞伎役者を参考にして勉強したらって……なんかそれでいろいろと分かりかけてる気がするの」


そういえば西浦屋の江戸支店のポストを見に行くたびに、お嬢とも何くれとなくデザイナー仕事についての会話をしてたっけか。田舎出しの無知な小娘が勢いで都会に出てきて、見るもの聞くもの知らないことばかりでテンパってしまっているのを不憫に思ってのことだった。

着物の流行の先端を行っているのはやはり目だって何ぼの花魁や役者たちなので、観察してきたらとアドバイスしたのだ。

そうか、ちゃんと聞く耳持ってて、実行してたのか。


「…いま油断してあんたを放しちゃったらまずいって、心がざわついてしょうがないの。直感みたいなものかしら」

「…うーん」

「そういうしょっぱい顔されると地味に傷付くんだけど……あんたは真夜中の暗い道に、ぽつりと浮かんだ提灯みたいなもの? なくすとすぐに迷っちゃいそうだから手放したくないの。ぜったいに」


お嬢の目には、真剣な光が宿っていた。

7つも歳が離れているのに、お嬢は小さな颯太と同じ目の高さで向き合おうとしていた。颯太はおのれの人生の先にあるだろう結婚という岐路を想像せずにはいられなかった。

西浦屋か、それとも浅貞屋か。

あるいは別の選択の道だって当然あるはずだ。


「あっ」


そのときお嬢の短い声がして。

やはりというか両手をふさいだまま足元の根に蹴躓(けつまず)いて、持っていた陶石を勢いで落としてしまったようだった。木々の急斜面にがさがさと転がり落ちていく陶石。むろん危険な思いまでして拾いに行くほどの石の大きさでもない。

やっちゃった、とテヘペロするお嬢の悪気の欠片もない様子に、颯太の心の内申書に『-1』が書き加えられるのだった。


更新遅れました。

きつい仕事続きで眠すぎる…。

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