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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
234/288

028 薬師湯

9/12 改稿しました。






柿野のカオリン鉱山は、想像以上に山に分け入ったところにあるという。

片道2里ぐらいだろうとたかをくくっていた颯太であったが、歩き始めて1刻ほどで付いてきたことを後悔し始めた。

さすが現地民しか使わないローカル街道というか、ほとんど人の手をかけていない地形に準じた険しい道行きは、なかなかに本格的でトレッキングとでも呼ぶべき様相を呈していた。

本郷(多治見郷)を抜け、それなりに起伏のある雑木林の丘陵部を越えたところにある笠原郷に至るまではまあ普通の道であった。古くは旗本妻木氏の領として妻木郷と呼ばれていたその集落は、天領となって笠原郷とその名を変えた。

のちにタイル製造業が発展し全盛期を迎えることとなる笠原郷は、この時代石高1161石あまり、単純に千人ほどの住人が暮らしていたかなり大きめな集落であったようである。

その集落を抜けたあたりの小高い丘の上で、眺望を楽しみながら茶を楽しんだあたりまでは、それでもまだ余裕はあったのだ。

まさか笠原郷の田園風景を後にするなり急峻な山地へと道が一変するなどとは思いもしなかった。一帯の生活を支える笠原川を遡る形に伸びていく急な山道は、半里ほども続いたであろうか。

その山道が尽きたところで、ようやくにして主要な街道である中馬街道(国道363号線)に出ることができた。お嬢は息を弾ませているものの堪えた様子もないし、お幸は鍛え方が違うのかまったく余裕のふうである。歩幅の違いがでかいのだと自分に言い訳をしつつ空を見上げる。

日はけっこうな速さで西の空へと沈みつつある。中馬街道は山間にあるので、日暮れはもっと早いだろう。


(…これは日帰り無理なんじゃないの?)


素でそう思った颯太であったが。

お嬢について歩いているお松という女中さんが、同行者たちの心配を払拭するようにサプライズ発表を行った。


「ちゃんと宿の手配はできておりますので、ご安心ください」


どうやら宿場町的なところに宿が確保されているらしい。ハイキング気分がまさかのお泊りコースである。

どんな山奥にも行き交う人がいればおのずと宿場はできるものらしい。後世でもほんと何にもないところであるので、それらしい宿場町とかはまったく思い浮かばない。

幅もあり歩きやすい中馬街道を北へとしばらく歩くと、点々と集落がある中にやや大きめの建物がいくつか見え始め、湯気を盛んに上げているのに気付く。炊事の煙かと一瞬思った颯太であったのだけれども、ここでお嬢のドヤ目線に気付き、その口からさらなるサプライズが皆に告げられることとなったのだった。


「柿野には古くからある温泉場があるのよ。薬師湯っていうの」


なんと、温泉である。

ここに至って、ようやくそれらしい場所に前世の記憶が行き当たる。


(柿野温泉か!)


多治見からもっとも近い温泉場のひとつである。

一度同窓会の宴会場として使った覚えがある。2、3軒の温泉旅館が固まっているだけの、なんともひなびた感じの温泉場が脳裏によみがえる。

よく考えたら、この時代に生まれ変わって、まともな温泉とかに入ったことがないのに気付く。旅館とかにあるぬるい湯船には浸かったことはあったけれども、衛生状態のよくないこの時代の人間がイモ洗いのように入る湯船がきれいであるはずもなく、うっすら白濁したそのぬるい湯で颯太が満足を得られたはずもない。

温泉ってことは、源泉かけ流し。

滾々と湧き出てくる熱々のお湯に首まで浸かっているおのれを想像して、それだけでほわんと幸せな気持ちが湧いてくる。

温泉旅館の宿泊費は西浦屋が持ってくれるらしい。クソじじい発の策謀の匂いがぷんぷんするのだけれども、まあここは貴重な温泉体験と引き換えにおとなしく毒饅頭を食して進ぜようではないか。

かくして数件あった宿の中で一番上等なところに当たり前のように誘導されて、なかでもVIP専用と思しき2階の一番見晴らしのよい部屋へと案内される。

西浦屋の要望ならばすべてが通ってしまいそうな下にも置かぬ扱いで、女将自らの挨拶までされてしまった。


「…まあとりあえずお湯に浸かってくれば?」


めずらしいお嬢の気配り発言に、ありがたく乗っかることにする。

仲居さんが運んできた浴衣装備に手早く切り替えて、いざ鎌倉とばかりに風呂を目指した颯太には、同じく喜色満面の目付コンビが同道している。柿野行に明らかにだるそうに付いてきていたふたりであったのだけれども、まさか行く先で天然温泉に入れるなどとは思ってもみなかったのだろう。お風呂文化が花開いて日に何度も入浴していたという江戸っ子には、風呂屋のない田舎暮らしはストレスであったに違いなく、前を颯太が歩いていなければ駆け出していたかもしれない。

手ぬぐいを持ったほうとは反対の手にいちおう刀を掴んできているので、警護の役目まで忘れてはいないようなのだけれども、果たしてこの入浴中に襲われたら無事に切り抜けられるのだろうか心配になる。

そうしてこの時代温泉宿に自前の風呂がないという常識に出会った颯太。


(外湯か)


幾分がっかりはしたものの、女中さんに『薬師湯』がどこにあるのかを尋ねて後、7歳児と目付コンビは猛然と共同浴場チックな掘っ立て小屋にたどり着き、露天の脱衣場で着物を脱ぎ散らかして(最後にカゴにまとめましたが何か?)、石の段々を数段下ったところに開けた大きな露天風呂に飛び込んだのだった。

が、そこで。


「…まずは湯に浸かりましょうぞ」

「ささ、陶林殿」


ちょ、えっ?

湯船の中に数人の女性方が浸かっているのですが。老婆率が非常に高いグループなのだけれども、中にはまだ若そうな娘さんもいたわけで。

突然の颯太のしり込みに、ピンと来たらしい須藤(すけ)さんが至って真面目な感じで耳打ちしてくる。


「温泉などというのは、どこも入込湯(いりこみゆ)が常識。何も恥ずかしがることはございませぬぞ」


入込湯(いりこみゆ)とは、いわゆる『混浴』のことであるらしい。

いや、こっちの恥ずかしさじゃなくて、セクハラ的な軽犯罪の危険を覚えているだけなのだが。えっ、女性陣がこっちの入るスペースを譲るように移動してくれてる?

目付コンビは湯に入りたくてうずうずしているのだけれども、颯太がまず入らねば順番がおかしいとでも思っているのだろう。結構強引に急かしてくる。

フルチンを放り出していた颯太は手ぬぐいで息子を覆い隠して、内股に固まっている。結局業を煮押した角田(かく)さんにひょいと持ち上げられ、強制入浴と相成ったのだった。

ほわっ。

はふー、熱めのお湯は、いわゆるアルカリ泉質の肌がとぅるっとぅるになるやつである。これは美肌効果が高そうだ。


(…オレは反応せんけど、ふたりは大丈夫なのかな)


この時代の風呂場利用のルールは、現代とは真逆であったようで、身体を洗ってから入るのではなく、一度お湯に浸かって身体の垢を柔らかくしてから身体を洗うのが一般的であるらしい。

颯太を挟むように湯船を満喫しているふたりはというと、特に息子がいきり立っているということもなく、至近で裸体を放り出している妙齢の娘さんがいるというのに実に平和な感じを維持している。まあ暗黙の了解でもあるのか、そっちにふたりは目をやろうとはしないのだけれども。

ちなみに若い娘の裸体は周囲の老婆たちが巧みにブロックして隠しており、そちらをちらりとでも見ようものなら威嚇するように鼻を鳴らされる。一定の治安が保たれるように人同士が不文律に従って行動を定めていることが分かる。

こういうのも江戸時代ならではであるのだろう。

しかし何か心に引っかかるものがある。

上背がないものだから顔半分が湯船に沈んでいる颯太は、ぶくぶく泡を出しつつ思案に集中する。

そしてなにが心にかかっていたのかを理解することとなった。


(お嬢とお幸ちゃんもこの風呂に入るのか!)


一瞬にして妄想が膨れ上がり、思わず立ち上がってしまった。

むろん意識を飛ばしているので、フルチンを放り出していることにも気付かない。ちょうどその仁王立ちの真向かいに先客の娘さんがおり、颯太はおのれの小象をどーんと披露した格好である。


「あら、まあまあ」


老婆が意味深な笑い方をして、ひそひそとやりだした。その向うにいた娘さんまで颯太のそれを凝視してしまい、ぷくっと忍ぶように噴出している。

ませた子供が若い女に興味を持つのは仕方がないし、社会勉強に見せてやろうかい的に老婆までこちらに裸体をさらしたので、その恐るべきテンションダウン効果ですぐさま賢者状態に落ち着いてしまう。7歳児が突然女性に目覚めるという奇跡は未然に防がれたようだ。

しかしいまはそんなことよりも。


(いやいやいやいや、まずいだろそれ)


裸体をさらけ出すことにあまり忌避感のないらしい江戸時代のおおらかさは受け入れたく思うのだけれども、さらけ出す対象が知り合いとなると話は変わってきてしまう。

7歳児がテンパる横で、何か勘違いした目付コンビがのたまいだす。


「陶林殿は、ああいう田舎娘が好みでござったか」

「西浦屋の息女といい、お付きの小娘といい、かなり器量良しだというのに嗜好がこれではなかなかに釣り上げられぬのも道理」

「…そういうことではないからね念のため」


即行でその間違いを正しつつも、恋愛対象にすらなっていない少女たちの、その清さを守らねばならないとほとんどほ反射的に考えてしまったおのれは、相当にさもしいと感じる。

自覚がなかっただけで、執心や独占欲とかふつうにあるのかもしれない。7歳にして煩悩にとらわれるとは、この身体の奥底、遺伝子のレベルで父親のヤリチン資質が準備運動を始めているのだろうか。


「…西浦屋のご息女たちの入浴を心配されているので?」


先客の女性陣が湯を上がっていったのを見送ったあとに、持参のぬか袋で背中の流し合いをしながら男同士でしかできない相談事をしたのだけれども。

返ってきた答えはなんともあっけらかんとしたものだった。


「ご息女らがわれらを先に行かせたのは、男が入る時間を避けるためでござろう。だいたいどこでも、男女の入浴時間は決められているものでござる」

「…ああ、そうなんだ」

「夕方頃の早い時間は、もっぱに仕事帰りの男の時間ですな。先ほどの女子らは、その時間を分かって入っていたのでござるから、多少見られることも覚悟の上であったでしょうな。見られたくないのなら時間を守ればいいだけのことなのでござる」


なんだ、一応ルールっぽいのはあるんだ。

それである程度の懸念は晴れたのだけれども。

しっかりと半刻ほど湯を堪能し、半ばのぼせながら部屋へと戻った颯太は、そろそろこっちの番だと露天風呂に行く用意を始めているお嬢たちを見て、つい「見られても大丈夫なのか」「もっと時間を選んだほうがいいんじゃないか」などと漏らしてしまった。

それがドツボだった。

目をきらりと輝かせたお嬢にくりくりと人差し指で突かれながら、


「そんなにも祥子の裸が大切なら、近くで見張ってみてもらっても構わないわよ?」


なんて耳元で囁かれて、ボッと一瞬のうちに赤面してしまった。

は、恥ずい…。めちゃ恥ずい。なるほどこれがクソじじいのたくらみかと確信した颯太であった。

俯いて赤面しているところを、お幸からも「一緒に入る?」と誘われてしまった。

もうどないせーちゅうんだ。


図らずも温泉回になりました。

実はこの柿野行に先立って、柿野鉱山の現地調査に行ってまいりました。

工業団地内をバイクでうろつく不審者は作者です。ほとんど工業団地として造成されてしまっていましたが、採掘場跡地とされている調査地図を頼りにしていくと、この時代に似つかわしくない古いバラックのような工場跡がありました。

九谷の粘土工場もそんな感じの平屋建てであったので、経験的にこれだなと確信したりしています。

写真アップしようかな。

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