027 えんがちょ
弥助はいま、西窯の連中とは切り離して、牛醐先生のところにつけている。
むろんその才能を感じていた絵付けについて学ばせるためだ。失敗の許されない磁器の素地への下絵付けに、一球入魂であれだけの密度の絵付けを完成させられるのだ、そっち方面の才能がないわけがなかった。
焼物への下絵付けは、いろいろな意味で水墨画に似ている。呉須という『墨』の濃淡で絵柄を構成することもそうなのだが、線が歪んだり色塗りがはみ出したり、一度失敗すると取り返しが付かないところなんかも非常に酷似している。本焼成した後にする上絵付けは拭き取れば何度でもやり直せるが、下絵付けは染み込んでしまうために、器自体を削るしか直しようがないのだ。もちろん出来上がっている器自体を削って修正とか、下の下策である。形自体が歪んでしまうし、削り取ったコバルト成分は微量であっても発色してしまうことがあるので、見えない取り残しが斑になってしまう場合もある。
増してやそれが白さ第一な磁器ならば、絵付けが失敗した時点でアウトであろう。削りを絵柄の陰刻技法として取り扱う場合はその限りではないけれど。
「どうしたん、弥助?」
「…先生が……見てもらえって」
見れば、弥助は手に丸めた紙を持っている。
ピンと来た颯太は、屋敷の一の棟に弥助を招き寄せて、その濡れ縁に腰掛けた。
「見せやあ」
その紙を受け取って、一度反対向きに丸めて癖を取ったあと、濡れ縁に広げてみる。
紙は二枚あった。ふたつとも同じ絵柄で、紅白の2輪の牡丹が描かれている。
座る颯太に対して、弥助は濡れ縁の端に手をついて覗き込む格好である。
「…こっちが先生ので……これが弥助のやつやね」
「…やっぱり分かるもんなんや」
絵の出来はいっけん瓜二つではあるものの、細部を見れば差はまだ分かりやすく見つけられる。絵師として鍛錬を続けている牛醐先生の描く線は迷いがないし淀みなく物の形状を追っている。いっぽうでそれを模写したのだろう弥助のそれは、筆の運びが遅いので線形に張りというか力がない。
色付けもそうで、おそらく絵の全体を俯瞰して彩色の濃淡と面積を計算している牛醐先生に対して、弥助のそれは色が強く乗りすぎてしまっている。これも筆の運びが遅いためで、絵具が紙に吸われて必要以上に乗ってしまったためだろう。一見色味がはっきりしていて綺麗な感じなのだが、全体としては色が主張し過ぎて紙の白とのハレーションが起こっている。
「…やっぱ、まだまだなんやな」
すでにもう何日か弟子のような生活をさせていて、先生からは『貪欲さがいいですね』と苦笑されてしまっている。暇さえあれば先生のいままでの図案を見、その作業のさまを食い入るように見つめているのだという。
その弥助の熱心さに触発されて、周助やほかの『絵師予備軍』も火がついているとか。新参者に後ろからスパッと抜き去られて、心中穏やかでいられないのだろう。
天領窯にはもっとたくさんの絵師が必要である。いまは供給を制限しているので先生ひとりでどうにかなっているものの、いずれ海外の王侯貴族や金持ち相手に売りさばくためにはそれなりの量産力が必要になってくる。弥助の参入がきっかけで絵師たちの底上げがかなえば、天領窯の未来はさらに明るさを増すことだろう。産地なので腕の立つろくろ使いは多いのだけれども、絵付師が圧倒的に不足している。弥助の参入はそういった面で非常に利益があった。
「弥助の描く線は細くて安定しとるからそれなりに綺麗に見えてしまうけど、先生のをよーく見てみ? 例えばこの茎の直線、すっと線を走らせとるから『茎の硬さ』が感じられるやろ。花びらの一枚一枚も、それがもっとる柔らかな張りとか、筆運びで表現しようとしとる。筆運びの緩急強弱がたしかな技術で紙に乗れば、こんなふうにただの『牡丹絵』に命が吹き込まれるんや」
「…手を紙から離しながら筆書きするのはほんとうに難しいんや。先生の腕はほんとにすげえと思う」
「牛醐先生はあの有名な丸山派のお人やからな。京できっちりと修行は積んでこられとる」
「…はえー、すげえな」
「色塗り……絵の具の置き方だって、ひとつひとつきっちりと制御しとる。…こうして遠目にして見ると、ちゃんと『見せ場』を意識しとって、絵の一番見て欲しい場所がすぐに目に飛び込んでくるように計算しとるのが分かる」
「…おまえもけっこうすげえな」
いつのまにか言葉遣いが戻ってしまっているのだけれども、まあそのほうが弥助らしいのでここで指摘はしないでおこうか。
弥助にはまだまだ精進して欲しいので言わないでおくけれども、焼物の絵付け作業と限定してしまうと、紙とは違って立体相手であるし、絵具の吸い込み具合もずっと強いので、さすがの牛醐先生でもそんなに自由自在に描けているわけではなかったりする。焼物に描き込まれた時点での両者の絵の質はそれほどまでに差は開いていない。おそらくだが、弥助はあともう少しがんばれば、下絵付けに限定すれば『根本新製』の正規品レベルの絵付けだって可能になるだろう。こいつの絵に対する緻密さは、それだけでかなりの武器になっているのだ。
その辺は牛醐先生も分かっているのだろう。だからわざわざ弥助の手習い絵を見せに寄越したのだろう。先生にしても、駆け上がろうとする若い才能に刺激を覚えているのかもしれない。なんかいい感じだ。
礼を言って立ち去っていく弥助の背中を見送りながら、颯太は今日のスケジュールを算段し始める。地元滞在時間が限られている颯太にとって、一日一日は恐ろしく貴重になっている。いかにその限られた時間を濃密なものにするか……自分がいなければ始まらない他者とのネゴシエーションや経営上の決定、あるいはチート知識に基づいた助言などを段取りよく済ませていくことがいまもっとも求められている。
このあと天領窯に顔を出すこと、普賢下の屋敷に見舞いに行くことは鉄板として、それ以外におのれがなすべきことはと考える。一度代官様と一席設けて地元での協力関係を強化しておくのも必要だし、それをいうなら笠松郡代所にも顔を出しておくべきだろう。美濃での行政トップと言って過言ではない郡代にコネの効いているいまのうちに、『天領窯』だけでなく新たに興した『美濃製陶所』についての設立報告と便宜の誘導をしとかねばならない。幕府のコネ全開でぐいぐい行けば、『陶林ホールディングス』傘下企業をアンタッチャブルなバリヤーで守っておくことができるだろう。
今日はまあ無理としても、笠松まで行くにはやはり馬が欲しいし、それなら代官様との宴席をまずこなしておいて、諸々打ち合わせののち協力を仰ぐのがいいだろう。代官所の馬タクシーをこれでゲットして…。
「…やっと見つけた」
その声にぎくりとして、颯太は恐る恐る顔を上げた。
ニヒヒ、と笑うでこ娘がドヤ顔で立っていた。
「今日はこれから柿野のほうへ行きましょ」
顔に見覚えのある中年のお付き女中と、下男らしい小柄な男が大風呂敷をリュックのように抱えている。
「その途中でお茶でも立てましょ」
最近こちらに到着した西浦屋のお嬢が、付き合ってくれるのが当たり前みたいな顔でこっちを見ているのにため息をつく。
まえはただ勝気で我侭なお嬢でしかなかったその眼差しが、颯太の気持ちを読み取ろうと思慮深く観察するふうを強くしているのが分かる。
江戸に出て世間を広く見たことが作用しているのか……あるいはいけずな態度を取り続ける颯太に、おのれが変わらねばならないと気付いたためだろうか……わがままお嬢に溢れていた軽々しさが薄らいでいる。
地元に帰ってきてからというもの、彼女のアプローチがいろいろと計算高くなって対処に困るケースが増えている。今日の『お誘い』も、颯太が重要視している事案のひとつ、柿野で見つかったカオリン鉱山の視察をセットにしてのもので、総取締役である西浦屋の仲介があって始めてできる視察であったので、颯太も声が掛かるのを待っていたのだ。
お嬢のアイディアであるのか、はたまたクソじじいの入れ知恵であるのか。
色恋で食いつきの悪い颯太という魚が最も好む『エサ』が『仕事の話』なのだと見抜かれたのが非常に厄介だった。
「…行かないわけないよね?」
「…行くし」
颯太の返事を聞いて、お嬢はぱっとその手をとって、元気よく歩き出した。
柿野のカオリン鉱山は、後の世ではすでに役割を終え、造成後に工業団地となってしまっている。
現代でいう土岐市南部、尾張藩から岩村藩へと抜ける中馬街道の名残りである国道363号線の近くにある。多治見側から行くとなると、笠原町を抜けていくのが最も近いルートであったろう。颯太の生きるこの時代では、笠原も天領であり、通行するに支障はない。
だいたい片道2里くらいだろうか。この時代の健脚な人間たちからすれば、ほんの近所にピクニックに出かけるぐらいの感覚だった。
お嬢に手を引かれて歩き出す『旦那様』を見て、『美濃製陶所』関係者たちからは生暖かい視線を送られる。こういう男女の浮ついた話は娯楽のないこの時代格好のネタであるので、いろいろと根も葉もある噂話が流布する土壌となっている。
「あ、わたしもついてきます!」
連行される『旦那様』の窮状を察して、おはるのよこで家事の手伝いをしていたお幸が手を振って立ち上がった。必要以上に手を振りまくっているお幸に、がんばれよとばかりに母親のおはるが背中をバチーンとどやしつけている。
その勢いにたたらを踏みつつ前に出たお幸は、はにかみで顔を真っ赤に湯だたせて、目をつむったまま闇雲に颯太のあとを追いかけてくる。
「…またあんたなの」
「わたしは、颯太様のお付きですから!」
「…お呼びじゃないんだけど」
「颯太様! お荷物お持ちしますね!」
ナイスお幸ちゃん。
と言っても、持ってもらう荷物とかはないんだけど。
ぎゅっと力のこもったお嬢の手からは、苛立ちが如実に伝わってくる。
「とうっ!」
その連結部をお幸が無慈悲に手刀で真っ二つにした。
さらりと里帰りを終らせてロシア行きといこうかと思ってたんですが、工場竣工への下りがなんだか唐突な感じが拭えなかったので、エピソードを挟むことにしました。
さらっと日常閑話的に、お嬢との柿野旅行を次話扱いで書いていたのですが、上記理由で再編集することにしました。