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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
232/288

026 顛末





「…よかろう。…これにて西窯へお取調べ、終わりといたす」

「一同、平伏」


尾張藩の御蔵会所からやってきた一団が、西浦屋の屋敷を借りて行った一連の詮議が終った。

『お白洲』となった庭に集められていた関係者がいっせいに平伏して、衣擦れの音が響いた。廃業した西窯の元関係者たち、何人か集められた西浦屋出入りの仲買人、近隣住人らが丸めた背中を日差しにさらしている。


「…奥に用意がございますので、そちらでお休みくださいますよう」

「うむ、かたじけない」


颯太とともに濡れ縁の端に同席させられていた円治翁が、奥へ退こうとしているお役人たちを捕まえて、準備していたのだろう食事の席に案内していく。

その去り際、円治翁に「あとはこちらで」と目配せされて、颯太もようやく正座で硬くなった足を解いたのだった。

お役人たちの目がなくなるのを待って、平伏していた人たちもそれぞれに起き上がりだし、互いに肩を叩きながらお咎めのなかったことを喜び合った。

西窯の『元関係者』たちもすでに立ち上がっており、おのれらの失態で骨を折らてしまった人々に謝罪して回っている。

そのなかの窯大将、加藤弥兵衛(弥助の伯父に当たるらしい)が颯太のほうを見て、深々とお辞儀する。今回の件に救いの手を差し伸べたことについてなのか、今後の雇用関係に対してのお礼であるのか、まあどちらかのつもりであるのは間違いない。

とにもかくにも、これで地元を騒がせていた偽物騒動は幕となったのだった。


(…簡単に考えていたけど、皆で口裏合わせてたとはいえ、総取締役のクソじじいにはかなりのリスクだったよな)


颯太は円治翁が消えた廊下の奥を見て、小さく息をついた。

偽証の片棒を担いでいるに等しい今回の西窯廃業のタイミング操作について、ウソが露見すれば、西浦屋そのものが吹き飛びかねなかったのは事実である。

特権商人として地元の富をがつがつと吸い上げている一方で、一朝事あれば身体を張って弱者たちを守る、そんな義侠的な側面を実際に見てしまったわけである。

西浦屋が美濃焼総取締役に成り上がる切っ掛けとなった、尾張藩蔵元システムに真っ向から喧嘩を売った江戸表への命懸けの直訴事件も、美濃焼窯の貧窮を見ての義挙のひとつであったのだと納得してしまった。


(そりゃ周囲の人間も頼りにするわな。…まあなんにせよ、今回も美濃焼窯のひとつが守られたわけやし、その辺は公平に評価すべきなんやろうな)


清濁混交して西浦円治という複雑な人格を形作っている。

颯太は西浦屋の家人から差し出された茶をひと息に飲み干すと、その湯飲みがどこか見覚えのあるものであることに気づいた。例の物とは形状が違うものであったけれども、磁器の薄手に瑠璃呉須が染め付けられたその一品は、間違いなく隠滅されたはずの西窯製のものであった。

春めく日差しが薄い磁器を白く輝かせる。

円治翁の厚かましさに思わず笑ってしまった颯太であった。




さて、今回の偽物騒動がどのような顛末を迎えたのかというと……結果から言うと、この贋作騒動の大本である行商人、『淀屋善七』を含めた幾人の身の破滅を持って落着することとなった。

大罪を犯している自覚に乏しかったのだろう、『淀屋善七』は顧客である名古屋の旦那衆のもとを顔出しに訪れたところをあっさりと捕縛され、それを皮切りにほかの共謀商人たちが相次いでお縄となったのだった。各商人の出身地となる諸藩は御三家である尾張藩の怒りに恐れをなしてあっさりと領民保護から手を引き、処罰は尾張藩勝手となった。

『淀屋善七』は公的印章偽造の罪で獄門。三日にわたりその首は晒された。家財はすべて没収。

その他共謀の商人たちも無期限の篠島(しのじま)遠島となり、家財はやはり没収となった。

あの小箱を作成していた漆塗り職人も、企みへの寄与が大きいとして篠島(しのじま)遠島となっている。往生際の悪い善七の讒訴(ざんそ)により、その関与が悪しざまに伝えられていたこの職人への判決は、実はいったん死罪が言い渡されていたりするのだが、近隣縁者らの連名での助命嘆願と、その娘の一命を賭した直訴、なにより善七の性根の悪さに疑問を抱いていた取調べ人の助言もあり、あわやというところで減刑となったのだった。

颯太が騒動の震源地のひとつとなった西窯に気づいていなければ……その危機回避に素早く動いていなければ、同様に西窯関係者も恐ろしい状況に晒されていたことだろう。

『淀屋善七』はその尋問で西窯のことについても同様に悪しざまに証言していたらしいので、窯大将であった加藤弥兵衛とその職人一同は漆塗り職人と同等の刑罰の対象になったに違いなく、まさに命拾いをした格好であった…。



***



「…尾張様のお沙汰も済んで、もう頃合でありましょう」


後日、颯太は西窯の窯株を西浦屋からおよそ100両ほどで譲り受けた。

西窯の質草としての借り入れは70両ほどであったらしいのだけれども、まあ市場価値200両ほどと言われている株を半値で譲られたのだから、西浦屋の好意と言われればそうなのだろう。

金子と引き換えにその株を受け取り、颯太はその日名実ともに西窯のオーナーとなった。それと同時に、西窯が抱えていた職人たちの雇い主という形となり、予想外の形ではあったけれども前々から因縁のあった弥助とも雇用関係を持つこととなった。

命を救われた形である窯大将の加藤弥兵衛以下職人たちの感謝の念は相当なもので、颯太の『美濃製陶所』の企図を聞かされて恩返しとばかりにかなり意気込んでくれている。目下人材不足の『美濃製陶所』にとってそれは干天の慈雨に等しく、すぐさま製陶所の『工場長』には加藤弥兵衛が指名された。職人たちを束ねることについてはあきらかに熟達しているので、ほとんど即決であった。

そして窯株の受け渡しと同じくして、西浦屋から借り受ける形となった『番頭』、半次郎青年にも触れておかねばならない。


「…帳場の管理についてはひととおり叩き込まれております。どうぞ遠慮なくお使いくださいますよう」


西浦屋の大番頭さんの身内なのだという。

日増しに身代を大きくしていく西浦屋に勤められるよう、幼いころから厳しく躾けられてきた純粋培養な事務方人材だった。歳は24、西浦屋でも番頭仕事の補佐的なことをしていたらしいから、すでにして即戦力である。

颯太はとりあえず初仕事として工場建設の工程管理を任せて様子を見ている。


「『工場長』がロクロ場をまず4丁分用意してくれと言ってきています。ロクロ自体は西窯から使い慣れたのを運び込むそうです。ご説明するまでもないとは存じますが、ロクロ一丁につき笠松郡代様に年に銀5分の運上金が発生します。それでよろしければ用意させようかと思います」

「…構わんよ。4丁ね。とりあえずうちの屋敷の濡れ縁の下にでも運んどいて。小さい小屋をどこかにでっち上げるまでの仮置き場にする。…もちろん大工房のほうも、今後増産の必要に迫られたときに困らんよう、ロクロ場は拡張性を多めに取っておいて」

「…かしこまりました。それでは大工房(※工場のこと)を作るのと並行して資材置き場を仮にでも作ってしまいましょう。そのほうが効率的です。陶林様の御屋敷を一部開放していただいていますが、その、汚れ仕事の職人を休ませるには何かと難しいところもございますので、その休憩所も兼ねて用意いたしましょう」

「うん、任せるわ」


打てば響くように仕事が進んでいくこの快感。

番頭最高! 叫んで喜びを表明したい。

颯太が『美濃製陶所』を立ち上げるにあたり、資本金もしっかり確保していることを理解した半次郎青年は、隠し球にしていたのだろう更なる人材を推薦してきたからもう笑いが止まらない。


「…おそらく管理がわたしひとりではとうてい足りなくなります。よろしければ、知り合いに掛け合って引っ張ってまいりますが」


そうして次の日には、同郷だという男女がふたり増えていた。

同じ寺子屋で共に習ったふたりだといい、計数などが得意らしい。半次郎青年が西浦屋で出世したら、そちらに引っ張るつもりの人材であったというから、多少土臭い感じの男女であったけれども即採用した。

本郷の小作人の息子、与四郎は日に焼けた胸元を始終ぽりぽりと掻いている。潰れたダンゴ鼻と秀でた頬骨のせいでなんだか牛に似ている。

同じく本郷の薪取りの娘のおみつは、夢見がち過ぎて家事がおろそかだと実家に帰されたいわく付きの女性だった。やや痩せ気味ではあるものの器量は悪くないのに、出戻りになったのは子供が出来なかったことも大きいらしい。こちらは計数もそうだが字がやたらうまかった。柔らかくかつ達筆。

三人は気心が知れているのが目に見えて分かり、以心伝心、たしかに管理の効率が向上したのだからまあ文句はなかった。




物事は一度転がり出すと、どんどんと勢いを増していくものらしい。

人が急に集まってもまだ建物ひとつない『美濃製陶所』であるので、先にも半次郎が触れているが、陶林邸のおのれのスペースである一の棟を仮の事務所として開放している。

伊兵衛ら母方の家族が戸惑うほどに屋敷にはたくさんの人間が出入りするようになり、敷地内には仮の置き場として資材が山積みになり始めている。

半次郎たちが最優先で工場の立ち上げを目指しているので、近隣から大工が掻き集められて、20人ほどがわらわらと作業を続けている。数が数であるから、建築のペースは驚くほど早い。まだ始まって数日だというのに土地が瞬く間に整地され、大きな工場の土台が早くも現れ始めている。普通の家ではないほとんどがらんどうの建物なので、上棟が始まったら想像以上に早く完成してしまうだろう。

大工たちが土台作りに精を出している横では、5人の石工たちが大原川の土手に野積みの石垣をせっせと積み上げている。工場周辺の護岸と、水車用の水路を引いてくる工事が彼らの仕事だ。幸い大原川の河原には石が掃いて捨てるほどあるので、材料費は多少使う杭や木板、漆喰ぐらいで済んでいる。

西窯の職人たちもまた、ロクロの運び出しに始まった引越し作業の最中である。もともとの工房からおのれたちの荷物を運び出してきては、陶林邸の庭に勝手に積み上げていく。作業台や乾燥棚なんかが露天にずらりと並んでかなり壮観である。しばらく暇になるのなら西窯の登り窯自体をこっちに移設しようなんて話も出ており、引越し作業の合間に石炭窯用に確保してある屋敷の土手を職人たちが本気で物色しているので、ちょっと調整しておく必要があるかもしれない。

…まあそんなこんなで、陶林邸周辺でむさい男が30人以上動いているので、休憩時に用意するお茶とか昼の炊き出しとかに、おはるをはじめ母方家人がてんてこ舞いである。むろん炊き出しは大量に作れる雑穀雑炊である。味付けは塩味の強い田舎味噌だけで、正直あまりおいしいものではないのだけど、最近の美濃焼不況で金回りの悪かった者たちにはそれでも腹いっぱい食べられるだけで好評だった。

彼らの胃袋に消える穀類は当然ながら池田町屋で買い付けている。その出費がまた地味に痛かったりするのだが、それを愚痴るような安いことはできない颯太である。


「…だいぶ慣れたみたいやね、ふたりとも」


その炊き出しで雑炊をがっついている人々の中に、颯太の目付コンビが同じように茶色い雑炊を掻き込んでいる。


「慣れてみると意外に何でも美味いものです」

「…なぜか近頃からだの調子もよい感じで」


もしかしたら脚気気味だった身体が、白米離れしたおかげで改善したのかもしれない。江戸の贅沢病はいろいろなところで密かにはびこっているらしい。

このふたりを見るたびに、颯太は思い出させられる。地元にいられる時間がどんどんと短くなっていっていることを。

3月の中頃には、確実に下田に向わねばならない。君沢型をセールスするためのロシア行が颯太を手ぐすね引いて待っているのだ。

いまはもう2月の半ば。有余はあとひと月ぐらいしかなかった。


「…ち、…えっと、陶林…さま!」


ふいに後ろから声をかけられて振り返った。

颯太はそこに「ちんちくりん」と言いかけてあわあわしつつ、息を弾ませている弥助を見つけたのだった。


かなり難産で、書き直しまくりました。

改稿するかもです。

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