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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
231/288

025 苦い根回し





「…ほんとに、ええんか?」


ああ、そんな目で見ないでくれ。

心の内で吐き出しつつ、颯太は絡み付いてくる視線を振り払うように窯大将のほうを見た。『西窯』という由緒ある窯を長年にわたり守ってきた自信が、その男の目には宿っている。

颯太の目のなかにある『色』を感じ取ったのか、窯大将の地に付けられた手が土を握りこんだ。悪い知らせであることを察したのだろう。


「…少し別の場所で話させてもらえん?」

「…蔵のほうでええですか」

「それでええよ。内々に話したいことがある」


職人たちの目線に追い立てられるように颯太と窯大将は開けられていた蔵の物陰に移動する。扉まで閉めはしないものの、入り口は目付コンビに固めてもらって、小声で話し始める。


「…あの新製焼、『なかったこと』にできんかな」

「…! そ、それはどういった理由でございますか」

「…大将のところで作ったアレが、うちの『根本新製』の紛い物として市場に流れた」

「……ッ」


蔵の暗がりの中であるのに、窯大将の顔色から血の気が失せたのが分かった。

天領窯が幕府御用となった話は、すでに地元では有名な逸話となっている。ひと組百両などというとんでもない噂さえある幕府御用の新製焼に対して、模造品を作って売りさばこうなどという企みがけっして許されないだろうことを窯大将も理解している。

むろん青天の霹靂であったろう。『西窯』にとってあの磁器焼は、客のオーダーに従ったまでのものでしかなかった。


「大将のとこに出入りしとったその『近江商人』は、買い取った磁器焼をたいそう立派な漆塗りの箱に詰めて、これぞ噂の『根本新製』だと……たぶん名古屋界隈の蒐集家の旦那衆にぼったくりで売り歩いとる」

「…陶林様! 違うんです!」

「…わかっとるよ。あの磁器焼、手間かかっとるしそれなりにいい値で売れとったとしても、せいぜい高くても銀一分ぐらいのもんやろ。美濃焼としては破格でも、悪事の片棒担がされるにはあんまりにも安すぎる」

「銀二匁しか受けとっとりません」

「その『近江商人』は、あの磁器焼……湯飲み6個と急須で100両も荒稼ぎしとる」

「………」


驚きのあまり、窯大将が目を見開いた。

そうして悔しげに握った拳をわななかせて、蔵の壁を殴りつけた。


「…ついさっき、うちの窯場にさる御大身のお武家様が家臣を寄越してね、うちに偽物を売りつけた責任を取れって文句を言いにきたんやわ。どうもそのお武家様は、どこかの旦那衆から偽物を買い取ったみたいで、200両も支払っとったからえらいお怒りのようすでね」

「……ッ」

「うちも被害者やということを何とか理解してもらってお引取りしてもらったんやけど、当然のことながらその殿様が騙された事実は何も変わらんし、その悪事をはたらいとる商人に対しての詮議が当然始まるやろう。ぶっちゃけそのお武家様は万石取りのお大名様やわ。何も手を打たんとそのクソ商人に巻き添えにされて、…大将たちもコレになる」


颯太は指でおのれの首を横に切る手振りをする。

かなりの確率で、それは起こる。おそらくその『近江商人』は、漆塗りの小箱を作らせた工房にも口清いことを言って騙しているに相違なく、尾張藩の詮議が本格化すれば、御三家のご威光で上方の他藩であってもその工房の摘発に協力するだろう。

そして一方の磁器の製造元であるこの西窯には、もっと直接的な形で取調べが行われることになる。なぜなら美濃焼は尾張藩自身の権益であり、美濃焼各窯に対する取調べは、当然のことながら美濃焼総取締である西浦屋がその職責にしたがって、全責任を持って執り行うことになる。西窯が西浦屋とどれほど昵懇にしていようと、それを情で見逃したりすれば西浦屋自体が破滅しかねない。


(円治翁はそういう事態になったら、ドラスティックにバッサリいくやろうな…)


「…ど、どうすればよいんですか」

「大将んとこには前にお世話にもなったし、こうして騙されとったことも分かったから、できるだけ穏便になんとかしてやりたいと思っとる。…やけど、ここでそれがしが直接動くと、結局偽物騒動が天領窯の責任になってまう。やから大将の手をとって『出口』に導いたることしかできん」

「…陶林様」

「取調べで乗り込まれるよりも前に、こっちから動くよ。あの『新製』も持って、一緒に西浦屋に行こう」


颯太の硬い笑みに、西窯の大将もおのれたちがかけた多大な迷惑を自覚して、また土下座しようとする。それを押しとどめて、颯太は言った。


「…弥助の絵付けのおかげで、それがしがすぐにピンときたのは僥倖やったと思う。いまはともかくできるだけ早く動かな。時間がもったいない」

「西浦屋さんに…」

「こういうごたごたは、あのひとの得意分野やろ」




かくして西窯の大将を連れて、本郷の西浦屋へとやってきたのだが…。

事情説明した途端にこちらの心底を見透かすような眼差しで睨めつけられて、颯太も肩をすくめるしかなかった。

読唇術とか知らないのに「毎度甘い」と声にならぬ呟きが漏れたのが分かった。

そうか、オレはまだ零細企業家の体質が抜けきらない、脇の甘い部分があるのかもしれない。巨視的になりすぎて細かいことが見えなくなるのは、いまだワンマン経営に近い天領窯では早すぎると思うのだけれども。我が身の事情ですぐに地盤を離れねばならない颯太には、手荒な処置をしてそれをほっぽり出して行く勇気などまだなかった。


「…淀屋善七か……血迷ったか」


そうして、すぐに大本の悪徳商人に行き着いてしまった。

まあ西窯の大将がすぐに信じてしまった相手であるから、それなりに長い付き合いもあったのだろう。西浦屋としても、仲買株を与えた相手であるので、その身元までしっかりと把握している。

『淀屋』と号しているものの実際に店などは持たず、行商専従の零細な商人であるらしい。まあだからこそ、危険を承知で一発大穴を狙ったのだろう。

まあ意匠権など影も形もない時代であるので、本来ならば被害者である天領窯の恨みを買う程度のリスクを想定しての悪巧みであったろうが(この時代は他産地の模倣など当たり前に行われていた)、幕府の御留焼であり、かつ尾張藩もそのブランド保護に乗り出そうとしている『根本新製』は、いち行商人など木っ端のように吹き飛ばしてしまうに足る恐るべき権力者たちの庇護の下にある。


「尾張様から質されればむろん答えぬわけにもいきませぬ。善七についてはまあ置いておくとして……西窯さん、やらかしましたな」

「…金も返金いたします! どうかお見逃ししていただきたく」

「もはや金で済まされる程度の話しではなくなっているのですよ、西窯さん。美濃焼総取締役として、この西浦屋は尾張様のご指示に従うほかはありませぬ」

「ひらに……ひらに」

「陶林様の天領窯で作られている『根本新製』は、いま尾張様もことのほか関心を持たれ、藩の優良な特産品として、とくに手厚く保護されることにが決まっております。藩の御蔵会所での認証も得ぬ紛い物が出回ったとなれば、尾張様の御怒りを買うは当然……その企みに与していたとなれば、厳しいお沙汰が下されることもまた必定でしょう」

「……お助けを」


西窯の大将は、もう精神的には畳の下にまでめり込むような感じて這いつくばっている。資金繰りに苦しんでいるとはいえ本郷(多治見郷)の経済を回している経営者の一人として、本来ならば西浦屋に対してもそれなりの対応をされるべき人物であったろうに、いまはもう全身を震わせて助けを乞うばかりである。その転落を颯太と円治翁が苦い思いで見つめている。

つと、円治翁がこちらに目配せをしてきた。

颯太はその意を汲んで、腹蔵していた処理案を口にした。


「…西窯はすでに『廃業』していたことにしませんか」


颯太の口から出た言葉に、西窯の大将は呆然とした顔をこちらに向けた。円治翁のほうはすでに織り込んでいたのか同業者の失敗を鏡と内省しつつ瞑目している。


「あの地揺れのあと、西窯はその再建をかけて窯の補修と試し焼を続けていたが、資金繰りに行き詰って先日廃業届けを出していた。窯株は質草であったので西浦屋さんの預かりになっていたとしましょう……その行商人の注文品の磁器焼は、試し焼きの際に出たものが不正規品……撥ねモノとして出回って、それをたまたまくだんの行商人が二束三文で買い叩いた。…あとで捕まった淀屋なにがしが『西窯に注文した』と騒いだところで、西窯が遡って廃業していれば、当事者不在で咎めようもなくなります。そもそもその取引、西浦屋さんを通したものではないのですから、西浦屋さんも淀屋なにがしを突き放しやすいでしょう」

「…対応としてはそれしかありませんな。窯の廃業の月日となれば、総取締役のわたしの胸三寸でことは済ませられます。西窯さんを庇うにはもうこれしかありますまい。幸いにも、一方の当事者である天領窯の窯主が口裏を合わせてくれるというのですから」

「…廃業と言っても、それは大将の努力次第で何とかなるようにいたしましょう。ほとぼりが冷めるのを待って、西窯の職人たちは天領窯で引き受けます。…もちろん大将、あなたもです」

「…と、陶林様」

「…というわけで、質草のままだと質流れしてしまうんで、その西窯の『窯株』はわが陶林家で買い受けておきたいのですが。よろしいですか、西浦屋さん?」


颯太の企図を予め聞かされていた円治翁は、この窯株の買い取りもまたその計画の一環なのだということを察したらしい。

陶林家に資金的余力のあることも知っている。いわく付きになってしまった窯株など手に入れても持て余してしまうだろうこちらの事情も察しているらしい小天狗に、円治翁はわずかに肩をすくめて「喜んで」とつぶやいたのだった。


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