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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
230/288

024 西窯






祖父の容態は、やはりというか芳しくなかった。

一度心肺停止状態になっていたのだ、それが颯太の蘇生法で息を吹き返しただけであり、本来ならば設備の整った病院にでも入院してほしいところなのだけれども、むろんこの時代にそんなものはない。

ともかく安静にして、養生するしか道はなかった。

意識ははっきりとあり、枕元で声をかけた颯太にも気づいて、差し伸ばした手をぎゅっと握ってくれた。


「…あのお侍さま方は」


屋敷に運び込まれてもなお孫の心配をしていたらしい祖父の問いに、颯太は両手でそのごつごつした手を包んでさすりながら、「帰られたよ」と答えた。

それでもまだ心配なのか、「用件は」とか「恨まれはしないか」とか繰り返すので、「自分が決して手出しはさせません」ときっぱりと言ってみせた。

そうか、と息をついた祖父は、力なく天井を見上げて、しばらくしてから目を閉じた。その目にある諦観の色が、颯太にこの時代の人間の短命さを思い出させた。

村に医者はいない。ならば何かあったときのためにすぐ服薬できる置き薬とか準備しておかなくては。以前京都行で一緒になった富山の売薬商人、権八がここの屋敷にも置き薬を置いていっている。

颯太はその薬を戸棚から全部引き出して、効能などを謳った半紙を精読した。

どうやらまだ後の世で有名な某救〇みたいな強心剤などはなく、かろうじて颯太も愛飲している反魂丹がそのような効能があると謳っているだけだった。

これはさすがに万能薬設定過ぎて効き目が怪しげである。

こういう薬関係は意外に金持ちの年寄りとかが詳しそうなので、円治翁か浅貞屋さんに今度会ったら聞いてみよう。多少の高級薬ぐらいなら何とか手配してみせる。


「…寝たようやな」

「…そうやね」

「やばそうやったが、何とか助かったみたいやな」


次郎伯父が安堵したように足を崩したのを見て、同席していたほかの家人たちもようやくもぞもぞと動き出して、それぞれに放り出していた家事などに復帰していった。次郎伯父の反対側に座っていた父三郎も袖で目を拭っている。当主である祖父が万が一亡くなっていたら、普賢下林家を引き継がねばならないという重い現実がその肩にはかかっている。


「颯太さん、何か効きそうな薬はありましたか」


祖父の世話をせねばならない祖母は、置き薬を確認していた颯太を気にしていたのか、広げられているいくつかの薬を手に取って聞いてくる。

動転すると何も考えられなくなる女性も多いが、どんなときにも毅然とあるがままを受け入れるリアリスティックな女性も割合に多い。祖母などがその好例であったろう。おそらく祖父の介護をどのようにやりこなしていくか、その頭の中でめまぐるしく検討を重ねているのだろう。

一応『反魂丹』がそれっぽいことだけは伝えておく。まああの(にが)えぐい味が、気付けにはなることだけは間違いない。

祖父の危篤に接して集まった家族たちの顔を見て、颯太はそこに見つけられないある人物のそれを思う。


(…太郎伯父)


本来ならば、この家を継ぐはずであった長男である。

太郎伯父はあの問題が終息してすぐに、普賢寺の和尚のつてで西濃のほうにあるさる格式の高い神社に預けられている。和尚と根本代官の坂崎殿が口添えしてくれているらしく、無碍な扱いはされていないと聞いている。

ほとんど奇跡的に大した被害もなく終息した根本新製流出騒ぎであったのだけれども、代官様をはじめ肝を冷やすこととなった地元有力者たちの怒りは解けず、太郎伯父の名は本人の希望通り人別帳から削除されている。

いずれ日を改めて、名誉の回復だけはするつもりでいる。しかし祖父の容態を見るに、その機会は早々にやってくるのかもしれない。


「…次郎おじさん、後で話したいことがあるし」

「…後でええのか」

「どうもまだ『火消し』せなあかんとこがあるようやし。ちょっと出かけなかんから、おじいさまのことよろしくね」

「…おまんにしかできんことなんやろ。こっちは任せとけ。母上も三郎もおるし」


太郎伯父の処遇を後でみなと相談しよう。

もしもその時が来るならば、兄弟そろった顔を祖父は見たいと願うはずだから。どんな形で太郎伯父の居場所を用意するのか。陶林家でそれを用意するのか、それとも普賢下で父三郎の補佐として迎えるのか。どうなったところでまた何か問題が起こりそうな気もするのだけれども、それはもうこの際痛いけど織り込んでおくしかない。


…颯太はこの時そのような考えを持っていたのだが、数日後に太郎伯父の預かり先からの失踪という意外な形での幕引きが起こることとなる。

むろんこの時の颯太にそれは予見できるものではなかった。



***



颯太は半刻ほど後に、ある窯元の前に立っていた。

土岐川を足で渡った東岸、西浦屋などもある本郷(多治見郷)の窯元のひとつだった。


『西窯』


そう言えばこの土地の人間ならば通じてしまうような、ここいらでも指折りの歴史ある窯である。美濃焼の陶祖、加藤景光のひ孫にあたる加藤景郷が興したといわれる窯であり、多治見の地場では最も古い窯のひとつといえる。

門は職人や家人の出入りが多いので開けっ放しである。

勝手知ったる何とやらで形だけ中に向かってあいさつした颯太は、軽い感じに中に入っていく。その後ろからは当然のごとく須藤(すけ)さん角田(かく)さんも追随する。

すぐに目に入ったのがやはり登り窯。ちょうど職人たちが窯出しをしている最中らしく、中にもぐりこんだ職人と外の職人とがリレーで受け渡しを続けている。

しめた、タイミングが絶妙じゃんか。

いままさに焼き上がった陶磁器が窯の外にこれでもかと並べられまくっている。


「…余所もんが勝手に入んなや!」


だいぶ中まで侵入して、これでいいのかしらと不安になりかけていたので、警戒の声をぶつけられたことで返って安心してしまう。


「…元気そうじゃんか、弥助」

「…なにとぼけたことをいっとるんやこの天領窯のちんちくり…!」


威勢良く応じかけた弥助が、後ろからほかの職人たちに羽交い絞めにされて、その口も煤除けの手拭いできっちりとふさがれている。


「こ、こんたーけが!」

「陶林様になんちゅークチを!」


さすがは大人である。いまや美濃焼のドンである西浦円治翁にさえ『様』付けされる、地元名士として赤丸急上昇の陶林颯太の破天荒な来歴を把握していれば、その大人たちの反応がもっともであった。

いまだにふがふがと暴れている弥助をちらりと流し見てから、「窯大将は」と尋ねると、職人のひとりが脱兎のごとく家の中に飛び込んでいった。

待つことしばし、泡を食った様子で窯大将……以前にも会ったことのある初老の男が出てきて、その後退気味の額を地べたに押し付けるように平伏した。


「こ、このたびは西窯までわざわざお足を運んでいただき…!」

「あー、ちょっとタンマね」


これでは少しばかりやりにくいので、颯太はその仰々しい挨拶を遮って、窯大将の顔の近くにしゃがみ込んだ。大将の顔が上がることで、視線がかなり間近にぶつかることとなる。


「…ちょーっとだけ、確認したいことがあるんやけど、見させてもらってええかな」

「…はぁ、確認、ですか」


よく分からないというように、ぽかんとしていた窯大将が、慌てて颯太の動きに合わせて立ち上がる。賓客がおのれの窯を見たいというのだ、案内せねばならないという使命感があふれ出す。


「…こいつが今日出したばかりの品ですわ。どうぞ遠慮なくご覧くだされ」

「…ん、遠慮なくね」


周囲の職人たちも、突然の事態に呆然とこちらを見るばかりである。

職人のひとりに抱えられたままの弥助もまた、おのれが叱られてばかりの窯大将のしおらしい様子に、言葉を失っている。


「…もうこれで全部出したの?」


まだ窯出しの最中であるから、中にもいくらか残っているだろうとの問いであったが、窯の中にもぐりこんでいた職人が「これで最後やわ」と請け合ったので、本当に良いタイミングであったようだ。

颯太の目は、当然ながら『白い』ものを優先して追っていく。いろいろな焼き物が並ぶと、磁器の白さというのは本当に際立って見えるものだ。


(…磁器は……っと、あの辺だけか)


西窯でも磁器製品は『高級品』であるので、それらだけ丁寧に別置きにされていた。

ぱっと見で、呉須で下絵が施されているのを見て取った。しかも並んでいるのは湯呑と急須である。

しゃがみこんで、筵の上に並べられているその品を手に取り、ためすがめつ検分していく。

持った感触、そして確かな成型技術に裏打ちされた羽のように軽い重量感。


(…『下絵』も、やっぱり花鳥図か)


何度見ても、どれほど角度を変えて観察しても、それが『当たり』であるという結論が動くことはなかった。

天領窯のオーナーが直に乗り込んできて、まがい物の製造現場を押さえた決定的な瞬間なんだけれども……窯大将にびくびくしたところは見られないし、職人たちもまるで後ろ暗い雰囲気とは無縁な様子である。それどころかおのれたちの作品についての『論評』を心待ちにしている無邪気ささえ感じとれる。

そこで颯太は悟らざるを得なかった。


(…この窯も、だまされたクチか)


「…天領窯の新製焼がえらい評判だそうで、ならうちも作ってみようとイギ土(瀬戸の磁器土)を仕入れて作ってみとるんですわ。…その、出来栄えのほうはどんなもんでしょうか」

「…大将、これってどこかの商人に注文されて、それで作ったもんやの?」

「…分かりますか」

「…だって、下絵の手が込み過ぎとるし。西浦屋さんのとこじゃ、どんなに下絵を凝っても買い取り価格はおんなじでしょ? なら別口の注文やないと道理が通らへん」

「…べつに抜け荷とかやありませんよ? 西浦屋さんとこの仲買株持っとる商人相手なら、多少の融通はきいてもらえるんですわ。…こいつらは西浦屋さんに出入りしとる近江の行商の方に頼まれて作ったもんで、なんでも上方のほうでこういうのが今ようけ売れるんやとか」

「…へえ、上方のほうで」

「…下絵に時間がかかってしょうがないですが、それなりの値をつけてもらってこの不景気にありがたいこってすわ」

「…この下絵、もしかして弥助ですか」

「…どこで知られましたんで? ろくろ引きはまだまだですが、どうやらこいつには絵付けの才能があったようで、最近はずっと絵付けばかりで、めきめきと腕を上げとりますわ」

「…なかなかええやないの」


完全に騙されて、贋作づくりの片棒担がされとるし。

上方向けの特注品のつもりでいるから、罪悪感などかけらもない。この人たちを騙している近江商人、たぶん先日の流出騒動も間近で見とったのかもしれん。


「…ほんとに、ええんか?」


弥助がぽつりと呟いた。

その顔に浮かんだこらえようもない喜色に、颯太の胸はキリリと痛んだ。


たくさんの感想ありがとうございます。

とりあえず駆け抜けます。

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