022 上げ潮の予兆?③
案内に立つ若侍は、この地に根付く若尾氏の流れの者だといった。
若尾氏はもともと信州の豪族で、武田氏が東美濃進出のさいそれに先じて移り住んだのだという。
ちょうど信長公が武田信玄と争っていた頃のことだろう。
なんでそんなことを知っているのかというと、若尾氏の由来を会話のネタに振ってみたら、その若侍が顔を真っ赤にして聞いてもいないことをまくし立て始めたからだ。かつて高社山の頂にあったという砦(根本砦)の城主も若尾氏であったらしい。
まあつまり、徳川の時代以前のこの土地の殿様の家系ということだ。
当時、関が原や大阪の陣で東軍に組しなかったり家康公に嫌われたりした大名や豪族はことごとく冷や飯を食わされたというから、まあご先祖に先見の明がなかったのが不運だったというしかない。
案内された先には、『元昌寺』という立派なお寺さんがあった。
「ここは我が先祖、若尾元昌公が開基された寺で、我が一族の菩提寺となります」
「若尾氏は森長可公にもつながる名族だ。長可公は知っているだろう、草太」
「《鬼武蔵》の長可公ですね。土蔵にあった《甫庵信長記》か何かで読んだ覚えがあります」
《甫庵信長記》は江戸時代になって刊行された信長時代の歴史本である。林家の土蔵本はすでに読破済みである。
森長可はあの有名な森蘭丸の兄としても有名である。
ご先祖が褒められていい気分なのだろう。血の気の薄かった顔を紅潮させて、若侍は若尾氏の歴史をつまびらかにしようと躍起になり始めたが、すでに頭が《根本の窯》のほうに行ってしまっている草太の耳には半分も届かなかった。
(こっちのほうに連れてきたってことは、このあたりに窯があるはずなんだが……このへんは来るときに見下ろせたし、それらしい形跡はなかったはずなんだが…)
『元昌寺』は立派なお寺だった。
当時の殿様の隠居屋敷を建て直したものらしく、庭園とかもそのまま残っていて見るからに立派である。
その裏手は山というほどもない低さの土手が木々に覆われていて、たくさんの墓碑の上に影を落としている。
そこには見つからなかったので、さらに離れた場所を目で探す。
と、そこで、ようやく木々のあいだに半ば隠された斜面を覆う屋根を見つけた。登り窯を雨から守る屋根だろう。
「見つけられましたか。あれが『天領窯』です」
天領窯……なるほど、名目上は幕府の所有ということになっているのか。
領主が大身旗本だからこそ可能な離れ業なのかもしれない。お上のために造りますと申し出て、窯株とか関係なしに窯を作る許可を得たのだろう。
天領窯…。
草太がいままで知らぬままであったのは仕方がなかったのかもしれない。
この窯は、どう見ても「隠して」あったのだ。
現代ならばそのあたりもずいぶんと開けていたはずなのだが、この時代まだ雑木林が相当な面積で残されている。その森のけっこう奥のあたりの斜面に沿って、掘っ立て小屋がふたつほどと、窯を覆っているのだろう斜面の屋根だけがわずかに見て取れる。
半ば木々に埋もれているので、大原郷側からはまったく見えないだろう。
自然、草太の足取りは速くなった。
もはや案内など置き去りにする勢いである。
寺の脇の細い道から、その天領窯へと続くだろうま新しい轍道がある。夏ならばすぐに雑草で覆われそうなところだが、もう師走もすぐそこのこの時期、草も枯れて黄色くなっている。
「なに奴だ!」
駆け込んできた草太の前に、鋭い槍がつきつけられる。
道の口には門柱が打ち建てられ、衛兵が立ち番をしていた。
「ガキがこのようなところでなにをやっている! ここは遊び場やないぞ!さっさと去んでしまえ!」
槍をつきつけられた草太はぎょっとしてたたらを踏んだ。不用意に近づいていい場所ではなかったようだ。ひげもじゃの衛兵がぬっと顔を近づけてくる。
「見覚えのないガキだな……根元郷のガキならこのあたりで遊ぶと大目玉なのは知っとるはずやし、おまえ他所のガキやな!」
「あいや、待たれよ!」
そこに若侍が追いついてきた。
衛兵もさすがに代官様の近習の顔ぐらいは知っていたのだろう。「これは若尾様」とか借りてきた猫のようになった。
「これはお勤め、ご苦労様です」祖父の貞正様がそつなく挨拶すると、
「こちらは大原郷の庄屋、林太郎左衛門貞正殿だ。もう代官様のご許可はいただいておるゆえ、今後この庄屋殿と孫の草太殿はこちらへの出入り不問と心得おけ」
「か、かしこまりました!」
通過が許可されると、草太はおっかなびっくり門柱をくぐり、衛兵の様子をうかがうように振り返る。そしてもはや誰も止めないと確信を得ると、心は光速の速さで前方の登り窯へと向かった。
「まったく、逸りよって…」
後ろのほうで祖父が嘆じていたが、むろん止まりません。
窯を作る時にこのあたりの木々を切り払ったのだろう、たくさんの切り株が見える。そして前方の掘っ立て小屋を見て、「ああ、切った木であれを造ったのね」と納得する。
太い木は柱や壁に。細い枝とか切れ端は窯を焚く薪にされたわけだ。
現場近くには、2、3人の人影が立ち働いている。
「なんだ、おめえ?」
早速見つかって、襟首を掴み挙げられました。
力仕事してる人なのだろう。まるで弁当の包みを捧げるぐらいの気軽さで、ひょいと持ち上げられた。
冬になっても日焼けが消えないほどに真っ黒ないかつい顔が、道を下った先の門の衛兵に問うように向けられると、衛兵の身体を使った分かりやすいボディランゲージで「許可」の旨が伝わってくる。ようするに、全身使って『○』だ。
「小助どん! へんなのが入ってきよーるぞ」
おお、窯を作ってる監督がたしか『小助』という名だったはずだ。
掘っ立て小屋の裏手に回ると、そこにようやく登り窯が見えてきた。草太の胸の奥で、ときめきのあまり心臓が飛び跳ねた。
(やった! 本物の登り窯だYO!)
窯の数は、合わせて6房。
本場の有田では数十メートル級、10房以上の大登り窯もあったはず(これは前世記憶)だから、完成重視の中規模窯なのだろう。
窯側面の口から、ひとりの男が這い出してきた。
股引に袢纏姿、時代劇的には大工さんの格好に近い小男が、手や膝についた土を払って、持ってこられた不審な子供をしげしげと眺めた。
「…誰?」
「わしも知らんて」
この小助って人、メガネかけてるよ。すごい分厚いビン底メガネ。
一瞥したあと、まったく関心が失せたのか、
「その辺に捨ててこやあ」
とか言い放った。
聞いた瞬間、草太は暴れて男の手から脱出すると、背中を向けた小助にドロップキックを仕掛けた!
「ウオオオッ!」とか分かりやすく声出して接近したんだけど、小助どんは相当に鈍い性質の人のようで、キックがまともに決まってしまった。
あれ。
「うわあ」とか言いながら、このひと脇にあった泥の山に頭から突っ込んだよ。なんかマンガみたい。
とか、笑ってる場合じゃないし。
草太は慌ててフォローに入ったが、すでに手遅れのようだった!