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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
226/288

020 西浦屋との交渉②





安政の大地震がもたらした災禍が美濃焼に甚大な被害をもたらしていなければ……あるいは西浦屋が江戸大阪の支店への運送手段を独自に維持し続けていたならば、その合意はより難しいものになっていたに違いない。市場支配の源泉たるべき独占権とそれにまつわる価格統制権を、特権商人がたやすく手放すことなどまずあり得なかったし、長年にわたり実質放り出されていた荒廃した美濃焼産業を、富を搾れるまでに立て直したのは西浦屋自身だった。

技術的に立ち遅れ、本業焼(※陶器)メインの製造を続ける美濃焼の販売は、廉価品商売を余儀なくされるために問屋としてはうまみの少ないものであったろうが、それでも祖父の代から三代にわたって業界に食い込み、築き上げてきた西浦家が、この地での優位性に執着しなかったはずはない。


「…しかし瀬戸物の2倍とは、また豪儀な話ですな」

「『美濃製陶所』でもう技術者の確保は済んどるんやけど、これは新規性の高い『銅版摺り』染付けに対する値付けやし。…何の根拠もなく法螺を吹いとるわけやないし、そのへんは任しとってくれたらそれがしのほうでどうとでも道筋はつける」

「ただの新製焼の茶器を100両にして見せた陶林様のことですから、そのあたりについてはぬかりはございますまい。買取は都度協議で構いませんが、むろん市場で思ったほどの値が付かず在庫を抱えるようなことがありましたら、そのときは遠慮なく『適正な価格』を提示させていただきますがよろしいか?」

「そんときはそんときやね。最悪事業から手を引くことになったら、在庫はそれがしのほうで全量卸値で買い取ります。…まあそんなことにはならんと思うけど」


商人同士、利害がかみ合えば話は早い。

颯太の立場が強くなりすぎて容易には抗えない、という空気はたしかにあったのだけれども、颯太自身お互いの強みと弱み、相互に利益をもたらすことなどを考慮しつつ建設的な提案に腐心していたので、円治翁も嫌な顔をせず言葉のやりとりに乗ってくれる。


「製造拠点となる『大工房』とその他資機材関係の必要資金については出資金から賄います。『大工房』の敷地は陶林領の適当な土地に建てる。窯と違って斜面に作る必要もないから、大原川の水源から水車動力を取ることも考慮して川辺の土地に用意するつもりやわ」

「では付き合いのある黒瀬の材木問屋に話を付けておきますので、そこから建材を入手なさってください。錦織綱場(にしごりつなば)【※注1】絡みの顔役ですので、木曽の良材を安く手に入れることが出来るでしょう。瓦も窯元から卸値で手配できるようにいたしましょう」

「助かるわ。あまり商売と関係のないところに金を溶かしたくないしね。ついでに銅板の入手はどこを当たったらいいか、もしかして伝手は知らない?」

「銅板、……そうですな、大阪に銅座がありますので、些少の手間賃はいただきますがこちらで手配してみます」


東濃一の豪商はやはり伊達ではない。打てば響くように答えが返ってくる。

顔の広さというか、商売以外でも地縁血縁で恐ろしい数の人間と繋がっているのだろう。八百津の錦織綱場(にしごりつなば)にも顔が利くし、大阪の銅座にも、おのれの大阪支店が簡単にアクセスできてしまう。

『手の長さ』の違いを実感して、颯太は内心痺れっぱなしである。商人としての実力はいまだに西浦屋のほうが何枚も上手であるのだ。

ゆえに、颯太も言葉に力が入る。


「…必要経費であるとは理解しとるけど、大工房立ち上げまでの費用は出来るだけ協力してもらいたい。後に商売が軌道に乗ったときに回収するつもりで大きく構えてもらえると助かる。…銅版摺りは物はようできるんやけど、金がかかりすぎて瀬戸でも持て余しとる新技術や。それがしの目論見が当たればその技術的な問題も早晩解決すると思うし、そうしたら瀬戸新製より割高やけど有田の染付けにも遜色ない出来の『美濃新製』が市中に突如登場することになる。有田の手仕事品よりは安いけど、瀬戸新製よりは高い。普通よりも少しいい品を求めとる中間富裕層に訴えれば、瀬戸新製の2倍の値付けもけっして無茶やない。そう何年も待つこともなく元手は回収できると思う」

「…分かりました、なるべく協力はいたしましょう。…ところで銅版摺りの問題はわたしも聞き及んでおりますが……その解決法に確かな当てがあると」

「必要なものさえ揃えば、わけないと思うよ」


颯太が円治翁に勝っているところは、現代知識チートと世俗的身分、そして失敗を恐れない『若さ』ぐらいであったろう。

颯太の浮かべた笑みに、円治翁も面白げに口もとを笑いに歪めた。

むろん技術的なものに関しては簡単には開陳しない。


「…販売に絡んだことは当然西浦屋さんに負っていただかねばなりませんが、その他にもいろいろとしていただきたいことがあります」


スルーされても気にするふうもなく、円治翁は笑みを崩さない。


「…できうる限りのことならば」


ほんとうにいい意味で噛み応えのあるクソじじいである。

気合をいれなおすように颯太は下腹に力を込めた。


「…大工房から最終製品として出荷した後はむろんお任せですが、先ほどもお願いしました生産に協力してくれる窯元の選定と調整、その窯への焼成委託物品の搬入搬出の指図、それから一等重要なことですが、肝となる質のよい支那呉須(しなごす)と磁器土……とくに坏土となる粘土材料の調達全般をお任せしたい。美濃ではあまり扱わない磁器製品を主とするので、磁器土を大量に、それもあたうかぎり安価に手に入れていただきたい。これはたぶん、顔の広い美濃焼総取締役である西浦屋さんにしかできないことやと思うし」


むろん颯太も知らぬことだが、郷土史を紐解けば、三代目西浦円治が美濃焼の窯元を支配するために、資材等の入手ルートを独占し、それらを『ツケ』払いで窯元に売りつけていた事実にすぐに行き当たる。

すでにして借金まみれの貧乏窯元は、透明釉の原料となる高価なイス灰などの調達にも苦しんでいたようで、手元不如意の彼らを西浦屋はさらなる負債という名のしがらみの鎖で縛り付けたのである。貴重で値の張るそれらの資材を西浦屋が美濃で独占的に販売していたことは史実にもあり、その商売で大儲けしたことを円治翁自身が自慢げに語ったという記録も残っていたりする。

つまり西浦屋は資材問屋の側面も併せ持っていたのだ。この時代九州特産であるイス灰などを取り扱えているのだから、かなり本格的にやっていたと推測できる。


「…磁器の坏土でございますか」

「距離的に考えても、瀬戸の千倉石かイギ土【※注2】を調達するのが一番の早道なんやけど、染付の新製焼を作るなんて知れたら、多分すぐに入手できんくなるやろう。西浦屋さんならこのあたりでほかに良い土を知っとるかもしれんし、余所から手に入れるにしても伝手とかあるんやないかと期待しとる」

「磁器の坏土にできるようなものは……心当たりがないわけではありませんな」

「…ッ! なにか心当たりがあるんですか」


そのときさすがに前のめりになってしまった颯太であった。

磁器焼への移行があまり進んでいない美濃地区の現状を見てきただけに、その原因のひとつに『原料磁器土の不在』があるのではと考えていた颯太であったが、実際はそんなことはなかったのであった。

聞けばすぐに彼もピンと来てしまった。


「土岐へと抜ける峠沿いにて産する白土が、磁器焼に使えるのではないかと一時噂がありましたな。その土を試してみた窯があったはずですが、その後はとんと耳にしてはおりませぬが」

「『土岐口の砂礫層』か!」


思わず叫んでしまった。

知識としては知っていたのだけれども、瀬戸の磁器土のようにまだ産業化されておらず、採掘もずっと後のことになるだろうと思っていた潜在的なカオリン鉱山が、実は多治見と土岐の間にある砂礫層に存在していた。

ちゃんと掘りもせず見つかっているということは、何らかの形でその地層が地表に露出しているのだろう。磁器製造がまだあまり進んでいないために、放置されているらしい。

柿野カオリンか神明カオリンかは分からないけれども、はっきりと地表に露出しているというのであれば、その採掘は容易である。

さすがは美濃焼業界に君臨する特権商人である。情報の引き出しはまだまだありそうである。これはカオリン採掘に備えて、しっかりした水簸(すいひ)設備を作っておいた方がよいのかもしれない。

それではそのカオリンと思しき『白土』をさっそく入手してもらって、実験しなくてはならないな。こいつが使えるとなれば、天領窯で使っている骨灰の坏土にも流用できるかもしれない。


「…その、『白土』を試しているっていう窯とかもぜひ紹介してほしいけど……ともかくそういう西浦屋さんにしか分からない、手配できないものをお願いしたい。…この事業が軌道に乗れば、美濃焼はきっと生まれ変わる。面倒やと思うけど、協力したって欲しい」

「多少の手間賃はいただきますが、それでよろしいのならば、この西浦屋、いかようにもお手伝いいたしましょう」


さすが本郷(多治見郷)のビッグファイヤー、実のある話がサクサクと進むのは非常にうれしいし楽しかったりもする。お互いの『利』がしっかりと噛み合えば、一気に付き合いやすくなるクソじじいである。浅貞屋さんもそうだけれど、やり手の商人というのはやはりこういうものなのだろう。


「…商売っていうのは、釈迦に説法なのかもしれんけど、買って売って、その利ザヤで儲けを出すのが基本なんやけど、西浦屋さんにはぜひいま一歩踏み込んでもらって、この陶林颯太の『商売』の仕方を見たってほしい。西浦屋さんがつぶれそうな美濃焼を立て直して利益が出るようにしていったのとおんなじ理屈やけど、それがしはこの『美濃製陶所』の製品をまずは国内有数のものに育てて、その実績をもって後に海の外へと大きく打って出る。国内販売を通して製品の質を上げ、量産の効率化を推し進める。他産地の焼き物との競争を経て培われた製品力で、海外の対抗製品に打ち勝つ。…それをもってして、美濃焼を日本一に、…世界一にしたろうと思う」

「世界…一」

「そうや、この国だけじゃなくて唐土や南蛮列国も含めた世界中で、最もたくさん売れて使われる焼物にしたる。…国内での販売は、その下準備やとおもっとって。西浦屋さんが江戸大阪で大儲けしたからって、それがこの商売の終わりやないから。国内の成功がその後の千里の道程の最初の第一歩やから」

「………」


颯太の差し出した手を、少し戸惑いつつ円治翁が取った。

そのごつごつと節くれだった大きな手を握り返して、ここに陶林家と西浦家との間に新しい協力関係が始まった。


「…それで、ものは相談なんやけど」


そうして舌の根も乾かぬうちに、颯太は早速の『要請』を行った。


「西浦屋さんに無心するようで申し訳ないんやけど…」


ギブミー人材。

できたら番頭級をヨロ。

颯太自身がこちらに滞在している間は何とか見てはいられるのだけども、新組織立ち上げの最後まではロシア行のお役もあって見届けることができない。

颯太の構想を理解して、それらの管理をできる人材が不可欠であった。

次郎伯父は天領窯でいっぱいいっぱいであるし、天領窯のクオリティ管理に長けてきた窯頭の小助どんを引き抜くわけにもいかない。最低でも颯太が用意する『美濃製陶所』立ち上げまでの工程表を管理できる責任感のある人材を一時でいいから貸してほしい。

そのあたりの『人材不足』を見透かしていたらしい円治翁に苦笑されてしまった。


「よろしいでしょう。次に陶林様がお戻りになられるまで、幾人かお貸しいたしましょう。美濃焼の将来を見通せば、これもひとつの『投資』といえなくもありませんから」

「いやー、ほんと助かります」

「娘が無事嫁げば万一の取りっぱぐれもなくなりましょうゆえ…」

「………」




【※注1】……錦織綱場(にしごりつなば)。木曽川水系で集められる材木が、筏に組まれる場所で、木曽川の水運を牛耳っていた尾張藩の地方役所もそこにありました。

【※注2】……イギ土。川本治兵衛(二代目)が発見したカオリン。嘉永年代以降瀬戸新製の原料として急速に普及した。


8/13改稿いたしました。

誤字誤用修正しました。


8/11あと、『ハード』という言葉の入れ込みですが、わざとやっております。

無意識の『漏れ』であり、それを耳で拾っているだけの周囲の人々のスルー、という状況の積み重ねで、長い目で見た颯太の『異質さ』を作中に浸透させようとしているところです。効果があるかは保証の限りではないですけど。

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