019 西浦屋との交渉①
いずれ、海外へと打って出る。
颯太のなかで、それは規定路線であるのだけれども、ただ海外へ進出するといってもそのときの状況によって、向うでの『戦い方』はがらりと変わってくる。
いまの状況を勘案すれば、徳川幕府という金主を背景にいきなり巨大資本を動員して、『問屋』として日本全国の陶磁器を取り扱う道が見える。いや規模から考えればもはやそれは後世の財閥系商事会社に比肩する『大商社』であり、潤沢な資金を元に初手から横綱相撲を仕掛けることが出来るだろう。
しかしそれは完全な国家財産の運用にほかならず、彼個人の成功はあくまで官僚としての功績という次元に置き換えられてしまい、おそらくは彼の手元に正当な対価としての金銭はほとんど残らない。幕府というほんの一部の能吏と無数の無駄飯ぐらいを終身雇用する巨大組織に利益は吸い尽くされ、冗費されていく運命にある。先祖伝来の既得権に胡座をかく無能な人間が棚ぼた的に金を得ても、ろくなことをしないのはこの世の摂理みたいなものである。いち商人として、そんな結末は面白くない。
最低でもそれなりの生産能力のあるメーカーを率い、そのトップとして打って出ることがかなうのならば、『多少の余禄』をそちらに回すこともできるだろう。資金を稼いでさらなる投資を繰り返すことで、会社というものは育っていく。明治期の『政商』たちだって、政府に対して滅私奉公などしたりはしなかった。おのれの力のバックボーンとなる所有企業が巨大化することによって、彼らは財界人として発言力を増していったのだ。
(…オレはできるだけ早く天領窯を大きくせなかん)
自身の決定で動かせる、物を作り出せる組織を持たなくては、そもそも海外に出たときに『売りたい物』が素早く準備できない。
どうしたって地元の焼物を取り扱いたいのだから、そちらの生産体制を拡充しておくことは必須であった。そして現状、『窯株』という既得権によってがんじがらめになっている美濃焼業界で、いっときに生産能力を高めるには……既存の窯を資本的に支配し、囲い込むしか手はなかった。
ようは『窯株』を掻き集める形でM&Aを仕掛けていくわけだ。
その美濃焼業界を現在統制しているのが特権商人である西浦円治であり、西浦屋であった。
「…こちらに戻られているのはうかがっておりました。今後は呼びつけていただければこちらから参りますので。そのようにお取り計らい下さると助かります」
「自分で動いたほうが早いし。それよりその遜りはやめてほしいんやけど」
「先日のお願いを陶林様が聞き入れて下さり、たとえばわたくしめが仮初めにもお身内のような立場にあるのならば百歩も譲りましょうが、いまは無理なご相談であると申し上げるしかございませぬ」
「………」
「陶林様がこちらに戻られたと知って、娘は後追いでこちらに向かっている最中のようですぞ」
あー。
いろいろと仕込んだのが西浦屋の江戸店だったしなー。江戸といえば本家の庫之丞も同行したいと泣きついてきたのだけれども、徒目付が張り付いている状況を見て内膳様が待ったをかけられたっけ。きな臭いにおいに敏感なのは、江戸城に本丸小姓組として詰めているからだろう。
お嬢、戻ってくるのか。江戸でデザイナー目指すのは大丈夫なのかしらん。
ふう、とため息をつきつつ出された茶を喉に流し込んだ。こんな香りのいいお茶を出せるのは、この多治見盆地で西浦屋以外にはないだろう。
さて、西浦屋の座敷に来るのはもう何度目のことだったろう。
庭に見える植木の松の枝ぶりも、ずいぶんと見慣れてしまったものである。
「その話はとりあえず脇に置いておきましょう」
「…そういたしましょう」
互いに居住まいを正して、まっすぐに向き合った。
後ろの方でもそれに倣ったのか、同行した次郎伯父の衣擦れの音がする。この地での颯太の代理人として、次郎伯父にはいろいろと見聞きし把握しておいてほしいから連れてきた。さっきまであくびをかみ殺していたけれども、さすがに空気を読んでいまは真面目くさった顔を作っている。
そのさらに後ろには助さん格さんもいるのだけれども、ふたりには部屋の外に待機してもらっている。
「…以前西浦殿から、『美濃焼の未来をどうするつもりなんや』と問われて、それがしは『世界一に』と答えたと思う」
円治翁はじっとこちらの出方を伺っている。
あるいは以前おのれが問うた内容について改めて思い出しているのかもしれない。
「その『世界一』を目指すために動き出そうと決めたんやわ」
「…この立ち遅れた美濃の技術で、どのように『一番』を目指されるおつもりで?」
「『美濃製陶所』という会社組織を立ち上げ、これまでにない大規模な工房を作って腕のいい職人といい粘土、最新の技術をできうる限り結集する」
「…会社、ですか」
「そうや、人が集まって金になる仕事をするための組織やわ。それがしがそこに500両出資します」
「500!」
円治翁がかなり驚いたように声を上げた。
江戸大阪の直営店を合わせて年商20000両にもなる西浦屋であれば、500両など小金だろうにとは思うものの、口にはしない。まあ年商がそうでも、最終的に手元に残る純利益はもしかしたらかなり少ないのかもしれないわけで。
「…もしかしてうちの天領窯がそんな儲けを出しとると思ったんなら、それは訂正しとくよ。この資金の出どこは、幕府がらみの、非常にやんごとなき方からやから、まあ事実上お上の公金やと思ってもらってもええよ」
「……ッ」
「まあこの金はそれがしの胸ひとつで動かせる類のものやけど、見上げるのも憚られる雲の上のほうのお指図があったのも事実やし、そのことも考慮に入れて考えてもらえると助かる」
「…胸ひとつで……左様でございますか」
円治翁の喉がわずかに上下する。
こういう背後の『暴力』を思わせぶりに口にしてしまうおのれに苦笑しつつも、颯太はその『効用』を存分に利用するつもりである。いやらしいけれども、そのほうが話が早く済む。『政商』というのはこのチートで恐るべき速さで富を蓄積していくのだろう。
「一昨年の地揺れ以降、経営が苦しいまま再建さえできていない窯もいくつかあると聞いとるけど、そこの状況を西浦屋さんはどのように考えとるんかな? 責めとるわけやないけど、そのへん聞かせてくれん?」
「…正直、相当に厳しいでしょうな。地揺れで窯崩れしたすぐは、動揺のほうが大きかったために自覚が追い付いていなかったでしょうが、『悪い状況』は時間が経てば経つほどにその形があらわになってきております。…この西浦屋が荷を思うように捌けぬのも一因ではありましょうが、窯を再建してもすぐに以前のように出荷できるようになるわけでもなく、銭が滞って職人への手間賃も払えぬところが増えておるようです。最近になってようやく江戸大阪への船便が回るようになって、安い美濃焼はあればあるだけ売れていく状況ではあるのですが、一度滞った『銭の流れ』はそう簡単には戻ってはきませぬ。窯元には売掛金を前払いした状態で止まってしまっておりますので、滞っていた分がきれいに清算されないと次の銭が回ってきませぬ。どの窯元もなけなしの窯株を質草にしているような苦しい状況ですので、銭が手元に入ってこないこの厳しい期間をどれだけの窯が耐えることができるのか……現状把握しているだけで4筋ほどの窯は実際に廃業するやもしれませぬ」
「…いまうちの窯にも、あぶれた職人たちが頻繁にやってきとる。でも全員を雇い入れることもできんし、このままやとここいらの窯関係がひどいことになりそうなんは簡単に想像できる」
「陶林様…」
「その経営が苦しい窯を、うちに紹介してくれん? そしたら仕事を出してあげるし」
そこでなにかピンとくるものがあったのか、円治翁は身震いするように腰を浮かせて、颯太の姿を写す眼を見開いた。
話が早くて助かる。
「さきほどの……『会社』がここにくるわけでございますね」
「その通り。それがしが出資する『美濃製陶所』が、ろくろを引いて物を作り、そいつをそれらの窯に焼いてもらう。…工程のはじめから順を追っていくと、『美濃製陶所』の大工房で器を作り、それを各窯に持ち込んでまず素焼きしてもらう。そしてそれを『美濃製陶所』が再度回収して、こんどは新技術で下絵付けを施すから、それをまた各窯に運んで本焼成してもらう」
「…物を作るのはすべてその『大工房』でされるのですか」
「そうや。全部一ヵ所に集めて、粘土の調整からろくろ成型、絵付け工程に至るまで全部その『大工房』で行うんや。…本当なら、そこ『大工房』に窯とかも全部集めて、すべての作業がそこで完結するようにするのが理想なんやけど、設備投資に最初からそんな大金はかけられんし。なら焼き物を焼き物たらしめる窯っていうハードを既存の窯に求めて、初期投資を抑え込む。全部がうまく回りだした後で、窯の問題はおいおい解決していけばいい」
大工場での一括生産。
初期は委託生産で投資リスクを回避して、順調に商売が回りだすのを見計らってから本格的な設備投資を開始する。むろんその切り替え時は、各窯の人員も吸収していく。
ぐっと力のこもった眼差しを向けられて、颯太はひるむことなくそれを見返した。彼のアイディアの有用性を察したからこその円治翁の厳しい眼差し。
美濃焼総取締役として美濃焼を牛耳ってきた西浦屋にとって、これは家の浮沈にかかわる重大な事案であった。
「美濃焼窯を使うのでしたら、その売り買いはこの西浦屋で仕切らせていただきますが…」
それは当然の言葉であったろう。天領窯は笠松郡代様の言質を盾に美濃焼からなんとか離脱させたが、今度の話は既存の美濃焼窯を使うことを前提にしている。そこで焼き上がる産品については、当然ながら西浦屋は権利を主張できる。
「もちろん、筋目がそちらにあるし当然そうするつもりやけど」
颯太はそこで、座高の差から生じる上目遣いを円治翁に向ける。
彼の提案は、むしろここからが本題であった。
「卸価格については『美濃製陶所』のほうと、都度協議、ということにしてほしいんやわ。ちゃんと双方に利益が出るようにはするし。物は磁器で、販売価格は最終的に瀬戸新製の2倍で行きたいと考えとる」
「…せ、瀬戸物の2倍!?」
「そのくらいでもぜんぜん捌けるから。…西浦屋さんには、そいつを全力で売り出していってほしい」
銅版摺りの上物は、当初は有田などの当時一流の職人の手仕事品よりも高く売れたと、実際の記録に残っている。
手仕事が生じさせるわずかな揺れとは無縁の印刷物のほうが、価値が高いというねじれた時代なのだ。
瀬戸の新製焼利権としがらみから逃れられない浅貞屋は、顧客層の被りかねないこの商売に手を出せない。この計画は西浦屋を巻き込まねばそもそも成り立つものではなかったりする。
(西浦屋の人材もフル活用したる)
7歳児の黒い笑みに、円治翁はその後何度も、嫌な汗を拭わされることとなるのだった。
改稿しました