016 組織の力
あくる日の昼八つ(午後2時)頃には颯太たちは大原の土を踏んでいた。
今回は根本新製の完成品があれば引き取りたいと、浅貞屋が荷運びの馬喰をつけて寄越したので、行く道の効率を考えて足の遅い颯太は馬上の荷物となった。まあ楽ちんでいいのだけれども。
そうして帰着して、まず普賢下の屋敷に顔を出し、心にかかっていた祖父貞正の無事な様子を確認する。随分と痩せてしまっていたが、寝込むということもないらしく、目下跡目として父三郎をスパルタ教育中であるらしい。村娘への夜這いもむろん厳禁とされ、村はある意味平和を取り戻していたりする。
その父三郎はというと、ちょうど農閑期の冬であるので、室内でもやれる英才教育……庄屋として恥を掻かない程度字が書けるようになるべく、延々と写経させられているらしい。障子の隙間からその様子を覗き見て、悪いと思いつつも少し吹出してしまった。
「…次郎も柄にもなくまじめに働いているようですから、あとで様子を見かけましたら、少しでも構いませんので労ってやっていただければ」
せっかく家に帰ってきたというのに、祖父に敬語を強いてしまうおのれに複雑な気分になる。前みたいに遠慮なく話してほしいと頼みたいところなのだけれども、彼の後ろに張りついている須藤さん角田さんが睨みを利かせているので思うに任せない。
「こちらの方たちは」と祖父が尋ね、須藤さん角田さんが「陶林殿の身辺警護を仰せつかっております」と答えたことで、大原の鬼っ子が江戸で頭角を現していよいよ重きをなし始めていることを同席した全員が察したことであろう。祖父は誇らしげに顔を紅潮させ、大奥様は目元を手巾で押さえている。お茶を運んできた顔見知りの女中さんたちも、手に持ったお盆を緊張に震わせていた。
「次郎はたぶん、窯場にいるはずでございます」
早めに窯にいった方がいいのかな。
名残惜しくはあるものの、こんな緊張した会話は正直うれしくない。
出てきたお茶を手早く飲み干して、颯太は普賢下の屋敷を辞去した。
次郎伯父はほぼ毎日、甥っ子の事業を助けるべく池田町屋の木曽屋から天領窯に通っているらしい。
むろん専門的なことなど何もわからないので、窯場のなかをうろうろとして、粘土在庫や備品などの状態を見て仕入れの検討をしたり、職人たちの相談相手になって不満などを聞き取ることに腐心しているようである。
次郎伯父は結構聞き上手なので、きっと信頼関係も醸成されつつあるだろう。
窯場へと続く坂道を登っていくと、こっちを見た職人たちが次々に頭を下げて挨拶してくれる。中には颯太の見覚えのない職人もいて、不在中の採用者なのだろうとなんとなく顔を覚えておく。
「…おお、颯太!」
窯を奥にのぞむ作業小屋が立ち並ぶ小さな広場に、ちょうど小助どんたちと話し込んでいた次郎伯父の姿を見えた。
こっちを見つけて大きく手をふった次郎伯父であったのだけれども、颯太の後ろから続くふたりの護衛に声を尻すぼみにさせ、言い直さないでもいいのに「陶林様」とらしくない感じでお辞儀をしてくる。
心理的な距離を感じて寂しくはなるものの、あまりそういう空気を読まない質の小助どんがこっちに向かって駆けよってきて、「待っとったて!」と颯太の手を掴んでろくろ小屋へと引っ張っていこうとする。
たたらを踏みつつそれに付き合う颯太に、ふたりの護衛たちがやや表情を険しくさせながら追随する。何かしでかす前に助さん格さんのほうにいろいろと言い含めておいた方がいいだろう。ここはアウェーではないので、そこまで神経質になられても困ってしまう。
ろくろ小屋へと入り、その奥の錠前のかかった蔵の扉に小助どんが取りついた。窯頭である小助どんの目がいちばん光っているということで、ろくろ小屋に堅牢な蔵が増築されていた。
小助どんが鍵束をじゃらじゃらさせている間に、ほかの職人たちもぞろぞろと集まってくる。狭いスペースで作業を共にしている仲間であるからこそ、集団の行動にまとまりを感じる。
ろくろ作業を止めてこっちに手を振っているオーガこと辰吉どんと、同じくその横でろくろ台の粘土をこねている周助も顔を上げている。何かと反発してくる周助であるが、前回の悶着を収めた颯太の『人を総べる力』を目の当たりにしたのがきっかけになったのか、いまは複雑そうな顔をするものの頭を下げてくれた。
前触れもなく現れた天領窯株仲間の筆頭、まぎれもなく『オーナー』である颯太の姿を職人たちは気を揉みながら見守っている。組織の上下関係がすっきりと理解されていることに颯太は安心しつつ、目の前で開いていく蔵の重たい扉の向こうを見つめていた。
「…だいぶ『それなり』のもんが溜まってきたし、颯太様に一気に検品してもらいたかったんやわ」
「…ふわ」
颯太は思わず嘆声を漏らした。
蔵の中の棚には、左側にすでに上絵付けまで完成している製品が数十個ぐらい並べられており、小助どんいわく「前に検品済みやったやつの完成品」らしい。
そして颯太を驚かせたのは、右側の棚に所狭しと並べられている絵付け前の純白の商品群であった。颯太の検品時の傾向をある程度掴んでいた小助どんフィルターを通して残った『準完成品』らしい。
そのおびただしい数々こそ、いままで気持ちばかりが空回りしてなかなか量産の利かなかった『根本新製』が、一気にその生産性を高めたことの証明に他ならなかった。
感極まるあまり、颯太の目にも熱いものがこみあげてくる。
「みんな、がんばったんやね」
「そらそうよ。いつも颯太様に迷惑ばかりかけて、いい歳した大人がなんもよーせんままでは格好がつかんやろ。颯太様の名代になられた次郎様も話の分かるお人で、窯場の風通しもえらーええ感じになったし、粘土を作ってオレらがろくろを回せば、順当にこうやって『品』は溜まっていくし。あとは颯太様が目利きしてくれたら、先生(牛醐)のところにも新しい仕事が回るようになる」
「やっとわたしのところにも新しい器が回ってくるのですね!」
急に声がして、そちらを見ると作務衣姿の牛醐先生が人垣の向こうで首を伸ばしていた。騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。
「おーっし、陶林様にさっそく選んでもらうぞ! 全員で並べるぞ!」
次郎伯父がさっそく大声で指示を発すると、職人たちが蔵から商品を運び出し始めた。作業台のひとつに『根本新製』が溢れるように並んだ。それは作業台ひとつには収まり切らず、ふたつ目も瞬く間に占領していく。『準完成品』だけてたたみ一畳ぐらいの大きさの作業台3つが埋まることとなった。
さっそく颯太は椅子を要求して、作業台のひとつと睨めっこを始めた。
すでに小助が第一次選考をした後のものなので、たしかに見るからにダメ、というレベルのものはなかった。ティーカップの取っ手接合部のわずかな仕上げミスや、溶けて分かりにくいバリの歪み、わずかな鉄粉による色移りなどをはねていくと、『準完成品』も半分ぐらいにはなった。
「さすがにこれは厳しいないか」
颯太の検品の厳しさを知らなかった次郎伯父が疑問を挟んでくるものの、小助どん以下職人軍団はその厳しさも織り込み済みであったので、あまり動揺したふうもない。それどころか「半分は通った」と、喜色を表す者さえあった。
これだけ数が多いと、半分撥ねたところで弾数はまだ大量に残っている。
(おーし、おーし、おーし!)
いままでおのれ個人の力に頼むことが多く、なかなかうまくゆかなかった窯運営であったが、思いがけず型にはまりだした時の『組織の力』を目の当たりにして、ほくそ笑みが止まらない。
いままでの苦労がこの時のためにあったのだと思えてしまうほどに、颯太の中に湧き上がる喜びはすさまじかった。興奮のあまり飛び上がって全員にハグしたいくらいだった。
なんとか気持ちを押さえつつ、今度は絵付け済みの『完成品』へと目を向ける。
こちらはすでに一度颯太の検品を通過したものなので、製品の品質としての問題はない。絵付けそのものの出来栄えを精査していく。
(…とはいっても、現状製品レベルの絵付け工程が許されているのは牛醐先生だけやし、こっちの審査は『顧客』を想定してのものになっちゃうけど)
顧客はまだ幕府と尾張藩、その他浅貞屋が売ると決めた相手のみの限られた数でしかないから、まだ現状は『お固い』感じの定番絵柄商品で押しておくほうがよいだろう。まずいくつか浅貞屋のストック用にチョイスして、待たせている馬喰に持って帰らせよう。
指物師に作らせた桐箱のケースも、蔵の中に20個ほどストックされていた。廿原在住のこの指物師も、定期的に買い付けてくれる天領窯を最近当てにしているらしい。数をこなしているので出来栄えも安定していて、単価もやりようによっては抑えられそうである。
とりあえず選んだ数組をきれいに拭き上げてもらって、ケースに収めた。主に東洋美な花鳥風月な感じのやつばかりを浅貞屋に送ることにする。
全部で5セット。うちの出荷時点で数十両の価値がある貴重品であるから、ただ馬喰に預けるだけでなく、監視人も付けることにしよう。そういうのは代官所の人が手慣れているので、坂崎様に頼んどこうか。
こういう商品の流れがスムーズになれば、天領窯に定期的に資金が補給されるようになる。だんだんと『会社』としての体裁が整っていくことだろう。
「…今日はいろいろとうれしいことがあったし、労いもかねて宴会をしようか!」
颯太がそう宣言すると、窯場はわぁっと人声が弾けた。
こっそりと次郎伯父の袖を引いて『お願い』すると、委細承知とばかりに胸をたたいて笑ってくれた。次郎伯父が資金管理している窯の資金から正当な福利厚生費として出金するのだ。
颯太の後ろでその様子を見守っていた助さん格さんも沸きあがる職人たちにもみくちゃにされて目を丸くしている。このふたりは酒を飲まして懐柔作業を開始しようか。
そのときいきなり身体を持ち上げられた。
気付けばそれは辰吉どんの肩車だった。
そのときにはもう颯太は我慢を忘れた。はじけるようなその笑顔に、みながまた盛大に笑い合ったのだった。