015 あわただしい帰郷
颯太のたくらみは功を奏した。
ほとんど望外の短い期間で慶恕公の親書が徳川宗家の主人、将軍家定の下に届けられたのが手紙を出してから10日後であり、その次の日には『上意』として老中首座阿部伊勢守に伝えられた。
幕閣を支配する阿部様にしても、将軍本人の指示においそれと否やは言えない。将軍のもとに駆けつけて、阿部様自ら『颯太』という特異な人材の希少性や難局を迎えつつある幕政の時期的問題を訴えたらしいのだけれども、カステラ将軍の心には少しばかり届かなかったようである。そもそも徳川宗家は御三家筆頭の尾張藩に配慮を怠れない歴史的経緯があり、尾張藩公から頼まれれば……よほどの無理筋でもない限り断ることは難しかったりする。
結局颯太は無罪放免、美濃に一時帰郷が認められたのであったが…。
「そなた、裏で糸を引いたのであろう」
いやいや何のことでしょうとうそぶいてはみたのだけれども、なぜか断定されてしまいました。
「尾張殿がなぜかわたしを名指しでいろいろと批判されておいででな、そもそもそなたをこき使っているのがこの伊勢守だと尾張殿が知るはずもないのだが…。そなたの新製焼が減産しているのもわたしのせいだとか、影で知恵を吹き込んだのが誰かまる分かりよ」
「…減産についてはそのとおりですが」
「…そんなに減っておるのか」
「…そんなふうにとぼけられても誤魔化されませんよ。あの地揺れの後始末に呼び出されて以来、まともに窯の経営に関われなくなってるのは伊勢様だって知っているはずです」
「指示を切らさずにしておけば、現状維持ぐらいはできよう」
「窯の再建費用を工面したのもそれがしですし、絵師を京から引っ張ってきたのもそうです。尾張藩御用の浅貞屋との販路を繋いだのも、露西亜全権のプチャーチン様に売り込みを掛けて川路様の目に止まったのも憚りながらそれがしです。てぃかっぷの形状を決めるのも、絵柄を選定するのも、世に出すべきか検品するのもそれがしです」
「…全部そなたか」
そこでようやく状況を理解されたようで、阿部様は「あちゃー」というようにおのれの額を手で叩いた。
「…それであのようにやたらと美濃からの便りを気にしていたのか」
「そうじゃなきゃなんだと思っていたんですか」
「店に馴染みの若い女子がおると聞いていておったから、足繁く通っておるのだと」
「伊勢様の吉原通いと一緒にしないでください」
「このまま他人に任せておくことは難しいか」
「いやほんとカンベンしてください」
「…そうか。そういうことならばもっと早く申してくれれば」
「…誰の口添えもなく素直に放免していただけましたか?」
「………」
いくら南蛮列国の干渉が激しくなっている難しい時期とはいえ、今日明日にいきなり非常事態が発生するというものでもないので、阿部様もついには退いてくれたのだけれども。
「帰郷は長くてもふた月までだ。それ以上は許さん」
「…心得てます。露西亜出立の時期を外したりはしません。3月中には必ず戸田に向います」
「露西亜から無事戻った後は、阿蘭陀との交渉が待っておるぞ」
「…それは、まあ付き合います」
「列国との外事交渉も、基本そなたの仕事としていくからな」
「………」
まあそのあたりは仕方のないことではあるだろう。これだけ歴史改ざんしまくったうえは、できるところまではフォローいたします。
それもこれも後の陶林商会海外進出の地盤固めだと割り切れば、そこはかとなくやる気も沸いてくる。咸臨丸に同乗するか、それに先んずるかしてアメリカにまで渡ってしまえば、後は自由気侭にさせてもらうし。
一応これで挨拶は済んで、福山藩中屋敷での仕事はお開きとなったのだけれども…。
「…なんだ、その手は」
「…えっ? ですから約束の千両を」
「………」
「…窯を拡大します。ついでに新規窯株のお許しもいただければ願ったりです」
まさか忘れてはいませんよね、千両出資のお話。
颯太の窯の生産品を拡大することで海外交易の試金石とするのは、阿部様も了解のことであったはず。
「伊勢様もきっと、この千両がどれだけの富を生み出すことになるのか、あとで知って驚かれますよきっと」
「…そうであってほしいものよな」
どうやら千両の出資は、幕府名義で為替が振り出されるらしい。
千両箱を直に運ぶつもりであった颯太は、なるほどと納得した。盗難や逸失のリスクや、あの重量物を運ぶ労力を考えれば、為替で運んだほうがいいに決まっている。多少手数料を取られて目減りしてしまうのが難であるのだけれども、それでも天領窯の規模を激変させるに足る大金である。
後日美濃まで送らせるとの言質を得て、颯太はようやく笑みを浮かべたのだった。
かくして美濃帰郷と相成ったわけだけれども、旅立ちは2択を迫られた。
①継飛脚による最速帰郷。
②廻船による帰郷。ただし庶民成り済まし隠密移動。
…むろん二度と糞尿垂れ流しなど体験したくないので、選択は廻船しかない。
継飛脚の3倍以上日数がかかるうえに、数名の徒目付が同行する旅となるため、多少の覚悟は必要となる。
徒目付とは長崎で知り合った永持青年と同じく、遠国の上級官吏を老中が遠隔操作するために派遣されるいわゆる隠密のことで、現代でいえば公安警察に護衛されるような感じであろうか。正直気持ち悪すぎる。
江戸出立は夜になった。
暗いうちに江戸市中を抜け、人気のないところから手配された小早に乗り、横浜あたりの沖に停泊していた船に乗り込んだ。
当然ながら颯太の周りは本名なのかどうかすらわからない名前しか知らない、ふたりの徒目付ががっちりとガードしている。須藤さんと角田さんという。彼らは美濃滞在中もずっと護衛に貼り付くそうで、なんとも取りつくしまもない謹厳な職務態度を嫌って、颯太はふたりにあだ名をつけることにした。
「須藤さんは『スケさん』、角田さんは『カクさん』ね」
思いがけず助さん格さんのチート護衛がそろった塩梅となった。
もっとも、後世の『水戸黄門漫遊記』はまだこの時代には確たる姿を現してはおらず、二人には微妙な顔をされてしまったけれども。
ちなみにこの『水戸黄門漫遊記』は、かの斉昭公が水戸家の格を高めるために流布したという俗説もあり、なかなかにタイムリーなネタであったりするのだけれども、むろんそんなことは颯太も知らないので、『助さん格さん』呼ばわりすることでひそかな鬱憤を払うだけで満足していた。
6日間の航海の後に桑名沖に到着し、そこから小舟で宮宿へ。手紙の件もあり浅貞屋の宮宿支店で許可を得て、本店までの船便に便乗する。堀川から上がればもうそこは浅貞屋の裏口であり、この時代では究極に贅沢なドア・ツー・ドアを実現する。
挨拶もそこそこに帳場にいた浅貞屋主人と取り急ぎ打ち合わせを行い、次の日には名古屋城へと登城、慶恕公との謁見が行われた。自分で筋書きしたとはいえ、慶恕公に手間を取らせたことは間違いないのでお礼はしておかなければならなかったのだ。
借りは結構高くついて、新しい商品が焼きあがったらもうひと組ロハで献上することと、尾張藩での認証作業、役所祐筆による箱書きの手数料を一個一両一分に値上げされてしまった。まあ個数が出るわけではないので、浅貞屋さんが売り出し値で吸収することで折り合いが付けられる。
「そちが宗家の直臣になったという話はまことであるのか」
そんなことを慶恕公に聞かれて頷くと、かなり悔しそうにされていろいろと文句を言われてしまった。
なぜわが藩に来ぬのだ、相応の扶持も与えただろうにとか、後出しじゃんけんも甚だしいことをつけつけと言われたものの、いまさら時計の針を戻せるわけもないので平伏スルーで対応する。
今後は登城自由、謁見では直答も差し許すということとなった。周囲に控えていた近習たちが驚いていたので、相当破格なことなのだろうとは想像したのだけれども、屋敷に戻ったあとに同様にたいそう驚いていたらしい浅貞屋の主人からいろいろと『この特権のメリット』についてまくしたてられた。ただでさえ入城の敷居が高いうえに、慶恕公の御三家筆頭としての矜持も高すぎるゆえに、直答が許されるのは藩内でも相当に高位な人々に限られているらしい。
今後は問題ごとがあれば、颯太を通せばすぐに慶恕公に直接話ができることになる。颯太にとっても特権であるのだが、彼と繋がり融通を受けられる立場にある浅貞屋も、他の蔵元よりもかなり有利な立場になるのだという。
もっとも、慶恕公とて老中筆頭の阿部伊勢守の懐刀となり始めている颯太と繋がりを持つことは大きなメリットであり、その特権の見返りにどれだけ政治的に利用されるか想像するだけで怖いものがある。
思いもかけぬ特権を得てホクホク顔の浅貞屋の主人を見て、颯太はため息をつきたくなった。
(…こんなささやかな便宜に大喜びできる浅貞屋さんがうらやましい)
ひととしての価値観が壊れ気味になりつつある自分を鏡で見てしまったような気分になる。正常な感覚がマヒしていくと、いずれ取り返しのつかない失敗をしでかすのではないかと思ってしまう。
その日の夜、例のごとく泊めてもらった離れに、お伊登嬢がそろりとやってきて、据え膳なことをほのめかしながら布団にもぐりこんできた。
むろん精通もまだな7歳児と間違いなど起こるはずもなく、いつものように抱き枕にされて、抱き枕側も女性の柔らかさに包まれて不思議な落ち着きを取り戻す。
ただ無言で天井を見上げるばかりの颯太を見て、お伊登嬢は何も言わず抱きしめて、ゆっくりと頭を撫でてくれた。
いい娘だな、と颯太は思った。
ペースを取り戻すべく更新します。
改稿するかもです。