014 拉致られそうです
「…あまり外を出歩くなと言われてもねえ」
「殿よりのお達しゆえ、ご容赦されよ」
颯太が一歩歩くたびに、その周囲に数倍する足音が起こる。
左右、そして後ろ。帯刀したお侍様が颯太をゾーンディフェンスで警護している。その彼らの後ろから、おっかなびっくりもうひとり、複雑そうな顔をした庫之丞が少し距離を置いてついてきている。
(伊勢守様も、心配しすぎだと思うんだけど……でも一概にそうだと断言できないのも嫌な話だよなあ)
ちらり、と不自然でない程度に後ろを振り返ると、行き交う人々のあいだにこちらをうかがっている複数の『武士』らしき姿が見える。目の前を颯太たちが行き過ぎると、あからさまにゆっくりと動き出すものだから、尾行者であることは明らかである。
しかもそっちのプロ的な『さりげなさ』にいっさい気を払っていないものだから、まったく関係のない通りすがりの人々からも注目を集めてしまっている。
当然ながらそれらの尾行者たちも含めてすべてが颯太の一挙手一投足に合わせて動いているので、野次馬たちの視線は結局彼の小さい背中に集まることとなる。
「あれが噂の」
「小天狗様も偉くなられたものだねえ」
「あれだけご活躍されたんだもの、出世されたんでしょうよ」
護衛とその他大勢を連れて歩いているのだから、まあそんなふうに見えるのは仕方がない。
「…あの人たち、ほんとに……その、水戸藩の人なの?」
「おそらくは。…あまりあちらを見られないほうがよろしいです。あれらはいちおう隠れているつもりでしょうから、気付かれたと分かったら仕掛けてくるかもしれませぬ」
「…他藩の者も混ざっています。老中様方のこのところの動きは、『溜詰』でもたいそうな評判だそうで、どなたさまかの登城時の警護人によく似た者を見たとの報告も上がっておりますゆえ」
「溜詰、ねえ」
溜詰ということは、いま少し後に史実で大老となっている井伊直弼御大たちの大名グループである。幕臣になればおのずと覚えてしまう武家社会の序列なのだけれども、溜詰は上から三番目のグループで、端的に言えば譜代藩のなかでの上位陣がかたまっていると思えばいい。井伊家は譜代藩の筆頭格であったりする。
ちなみに阿部様はその下の譜代藩中堅グループである帝鑑間に属している。
神君家康の時代から君主の輔弼者であることを求められてきた溜詰の大名たちは、幕府のまつりごとに深く関わってきたがゆえにその力の限界を体感的に分かっていたのかもしれない。聞くところによると、開国派が大勢を占めているらしい。
「…一度あわやということにもなったのです、できるだけご自身でも気をつけていただかないと」
注意されて、颯太は口ごもった。
老中会合からそろそろ1週間が過ぎようとしている。問題が発生したのは3日目のことで、その日宿舎代わりにしていた新屋敷の林本家に帰宅途中、数人のグループに囲まれてしまったのだ。
福山藩中屋敷に颯太が詰めるようになって、居場所が定まっていたことがそもそもの問題であったのかもしれない。幸いにして相手も様子見のつもりであったのか、強制的に拉致ということにはならず、任意にご同道願いたいと言われたものだから、颯太はその長い舌でごねまくって、通報で呼ばれた奉行所の同心に助けられることとなった。
そのとき相手も悪気があったわけではないので名前まで名乗ったのだ。菅政友とかいう人で、「会沢先生」という偉そうな人の名前まで出していたので、すぐに彼らが水戸藩の藩士だということが特定されたわけなのだけれども。
どうやら斉昭公が、藩邸で颯太の話ばかりしているのだという。それもかなり意気消沈している様子で、まわりの側近たちが気を揉んでいるようすが目に浮かんでしまう。ほんとうに申し訳ないのだけれども、こればかりはどうにもフォローしようがない。
それから颯太は護衛付きでの移動が言い渡されてしまった。水戸藩がそうした動きをしているのに触発されたのか、最近では他藩の人も混ざりはじめているのだから始末に負えない。
「…で、これはどういうことなのかしら?」
「気にせんでいいし」
「気になるに決まってるでしょうが!」
日本橋近くの瀬戸物町にある、西浦屋の江戸支店。そこに設置したポストを定期巡回するのが、誰に何を言われてもゆるがせない颯太の最重要の行動ルーティンに含まれている。
もう店の番頭や丁稚らも颯太の出入りには慣れ切ってしまっていて、彼の姿を見るとポスト近くの框に自動的にお茶が出てくるぐらいである。
ポストを手早く漁って新着のものがないと、颯太はその框に決まって腰を下ろすのだ。
「…さすがに毎日はございませんねえ」
「すいませんね番頭さん。来るかこんかは分からんし、いちおう見回っとかんと落ち着かんから。歩くのも多少の気晴らしにもなるし、こうしてうまいお茶も飲めるから」
「お嬢様が陶林様用にと買って来られたものですから、どうぞ遠慮なく」
「平助!」
「お嬢様も陶林様がおいでになるのをいつも首を長くしてお待ちですので…」
「もう! あんたはいいからあっち行ってて! しっしっ」
顔を真っ赤にしたお嬢に追い払われて、テレテレと頭を掻きながら店先へと移動する番頭さん。いま一瞬隠れてサムズアップしたよこの人。
怒りと恥じらいの混じったのぼせ顔で今度はこっちをきっと睨みつけてきたお嬢が、颯太の鼻をつまんで引っ張った。
「だからそんなふうに落ち着いてないで、早くあの人たちどうにかしなさいよ! あれじゃお客さんが寄り付かないじゃないの」
「いちおう店先には立たないでって頼んであるし…」
「あんな人数のお侍が間口の両脇に構えてて、入ってこられるお客なんていないわよ! もう絶対分かっててやってるでしょ」
「…でもあの人たちにもお役目があるし」
「…役目って」
お嬢は急に声を潜めて、視線を気にするように店先をうかがいながら囁くように言った。あまりにも顔が近付いたために注視してしまった柔らかそうな唇が、言葉を紡いで動く。
「…それって、あんたの護衛なのよね? ほんと、大丈夫なの?」
言われるまでもない。かなり大丈夫ではない。
彼の隣に腰を落としたお嬢。触れる肩の密着感が、気持ちの『近さ』の現れであることは伝わってくる。意図的なのか天然なのかは分からないのだけれども、女性にはそういう距離感のアピールがあるものだ。颯太の中のおっさんもけっして『魔法使い』というわけでもなかったので、そのあたりのあやには反応してしまう。
「あんた、江戸にはいないほうがいいんじゃないの? 命とか狙われてたりするんでしょ?」
「…うーん、どうなのかなぁ」
そのあたりはあまり確証がない。
命を狙われているということはないように思う。しかし現状表ざたにはなっていないものの幕府が『開国』に大きく舵を切ろうとしていることは確かであり、その動きの核である阿部伊勢守を政策面で後押ししているのは『秘蔵っ子』といわれる謎の子供役人である。ガチの攘夷派の連中から見れば、早急に取り除かねばならない悪質な病根とみなされてもけっしておかしくはなかった。
がしかし、世はまだ黒船の脅威に対する『開国』だ『攘夷』だと言い合い始めて間もないころであり、幕府自体はまだその影響力も健在であるので、いきなり切り殺されるような雰囲気はないと思う。
まあ水戸藩あたりに拉致られたら、内部的にかなり危険らしいので気をつけねばならないのだけれども。
「あんたの窯もほっとくわけにもいかないだろうし、いっそのこと美濃に帰ったらどうなの」
「…それができれば願ったりかなったりなんやけどね」
むろん故郷に帰りたくないわけがなかった。
だがいまは阿部様がそばから離してくれない。困ったときのウィキ先生状態で、ポンポンと飛んでくる質問にチート知識にまつわる見識を返すことが要求されているのだ。最近はアメリカが送り込んでくるだろう『領事』についての対応策がメインで、むろんハリスの個人名は出せないのだけれども、入国するアメリカ人の権利を守ろうとする彼の行動をきっちりと管理して、その主張するだろう権利の数々を『相互主義』を振りかざしてアメリカ上陸時の自国民権利に転換していく作戦に熱が入っている。そういう知的作業を積み重ねていくときの阿部様の生き生きした姿は、本当に寝込んでいたのかと思うほどである。侍医いわく、夢中になるあまりに酒を飲んでいないのだという。
「あんたのおじいさんが亡くなったとか、屋敷が火事で燃えたとか、出まかせでもいいから上の人に言ってみたら?」
「…あんまひとの身内を殺さんでね」
「あっちの偉い人から頼んでもらったらいいんじゃないの? たしかあんた、笠松の郡代様とは面識があるんでしょ? そういう方から言われればあんたの上のひとだって…」
「……ッ」
口に運ぼうとしていた湯呑が止まった。
現状を打破しないとおちおち窯の様子も見られないと焦ってはいたのだ。そのとき舞い降りた天からの着想に、颯太は喜びのあまりお嬢の手を両手で握りしめて、ぶんぶんと振りたくってしまった。
「そのアイディアもらうし!」
颯太は番頭さんから紙を一枚もらうと、猛烈な勢いで文章をしたため始めた。
むろん勘定奉行以下の郡代様程度のお願いでは、阿部様の鼻息で吹き飛ばされてしまうだろう。
いるじゃん、面識のあるもっと大物の人が。
こういう時のために『根本新製』だってロハで譲っておいたのだから、利用しない手はなかった。手紙のあて先は『浅貞』の主人。そこから伸びる『利害の輪』が、地元の最有力者にしっかり繋がっているではないか。
(…天領窯の生産が伸びないのも、全部阿部様のせいにしとこう)
文面の内容は、尾張藩主慶恕公に宛てたものだったりした。
いろいろとリアルが忙しいです。
体力的にやばいです。