021 上げ潮の予兆?②
代官、坂崎源兵衛。
その人物は、平べったい面に温度の低い笑みを浮かべて坐っていた。
二十代半ばほどだろうか。訪れた大原郷の庄屋を見据えて落ち着きなく目線を揺らしたあと、この世のすべてを見透かしたような笑みに口元をゆがめた。
一見して尊大そうな青年、という印象。
本人はもしかしたら笑っているような自覚はないのかもしれない。偉そうに感じるのは、屋敷の上位者として一段高い場所に座をしめている分だけ、少し見下ろすふうになっているからなのかもしれない。
「…房重様も、だいぶ代官姿も板についてこられましたな。…あれから2年、月日がたつのも早いもの、岩村の藩校知新館【※注1】にご遊学されていたのを急ぎ呼び戻され、坂崎家の名跡を継ぐよう縁者から詰め寄られたときの重房様のようすがいまもこの目に焼きついております」
「まったく、いやな思い出や……佐藤先生【※注2】を頼っていよいよ江戸まで出ようというときにあれらに呼び戻されたからな」
坂崎様は、脇息にひじを着いて身体を崩しながら、値踏みするように大原郷の庄屋とその孫を眺めた。そのとき草太が直感的にイメージしたのは、刑務所のサーチライト。
「よもや父上があのような仕儀となるなど想像もせんかったが、こうして代官の職を継ぐのは子供のころから分かっていたことやし、もう勉学の道はすっぱり諦めたわ」
「重房様はまことに良くがんばっておられまする。…この2年領内の政務およそ滞りなく、根本、大原ともに民も安穏を楽しんでおりますれば、いずれ江戸表にも房重様の才腕は伝わりましょう」
「いやいや、われもまだまだ至らぬ若輩者。周りの者にはいつも迷惑をかけ通しでな…」
坂崎様は、おそらく人並み以上の知性を備えた人物ではあるのだろう。どうやらあの有名な知新館に遊学していたようだし、学求のために江戸表にまで出ようとするなど幕末の志士になりそうなほどの情熱も持っている。
すでに面を上げる許可は出ていたので、遠慮がちに代官のようすを観察していたのだが、学歴をひけらかす若者にありがちな、無学者に対する冷ややかさがつけつけとした視線となって彼に返ってくる。
急に庄屋風情が面会を求めるなどどういう魂胆があるのかと、探るような眼差しである。とくに帯同する5歳児の存在に疑問噴出という感じである。
「…そろそろ用件を言やあ。われもそれほど暇ではない」
「ご高察いたみいります。…草太」
促されて、草太はかしこまった。
「貴重なお時間を割いていただきましてまことにありがとうございます。林丹波守勝正公の裔、林太郎左衛門貞正が三男、三郎左衛門の子、林草太と申します。非才の身でありますが、粉骨砕身、この身を持ってお仕えする所存でございます」
平伏する。何とか舌を噛まずに言い終えてほっとしているのは秘密である。
そして、しん、と。
草太は息を詰めて待った。
「……?」
しかし反応がなかなか返ってこない。
じれて代官様のほうを遠慮がちにチラ見すると、何か突拍子のないものを見たように目を見開いている。祖父が求めるインパクトのために加減ない言葉遣いを選んだのだが、充分に効果はあったようだ。
祖父のほうを見ると、まじめくさった顔に隠しきれない喜びの衝動がひそめられている。かすかに肩がひくついているのだが、そこは年功者、言葉の継ぎ穂で見事に誤魔化した。
「わが孫でございまする。まだ歳は6つ(数え年)でございますが、手前味噌ながらなかなか知恵の回る性質に生まれたようで、狭い世間で天狗になる前に、厳しい世の中を味あわせたく愚考しております。それで…」
祖父の視線が、代官様をうろたえさせた。
「例の《窯》仕事に、我が孫をつけさせていただくことはかないましょうか?」
例の《窯》…?
なんのことだ?
草太はその言葉を慎重に吟味する。前世の記憶を検索しても、大原・根本地区に窯元などなかったはずだし、この時代の地元民として人並み以上に駆け回ってきた彼の目にもそれらしいものが映ったためしはなかった。
(窯……窯なんかあったっけ…)
驚くべき新事実に脂汗を流しながら考え込む彼を置きざりにして、祖父と代官の会話はとんとんと軽快に進む。
「…6つの童が混ざったところで、何の役に立つッちゅうの。邪魔にされるだけやろう」
「いえいえ、この者はすでに多治見郷の窯に何度も出入りして独自に研究を始めるほどでございます。…例の小助なるものが有田の窯を再現するのに苦心しているとうかがっておりますれば、多少なりともお役に立つと…」
「あれはまだ作った土が馴染んでおらぬせいだと聞いとるぞ」
「多治見郷でもすでに連房式の窯がいくつも使われているというのに、手間取る理由はなんなのでございましょう? 先代様が見出された小助なるものの能力を疑うつもりは努々ございませぬが、思い悩んでいるのならそこに新しい風を入れてみるのもひとつの手。童とはいえ実際に窯を見聞した者なら、有用な思案を出せるやも知れませぬ」
「…しかし6つやぞ」
「役に立たぬのであれば、その場で追い返していただいてけっこうでございます。それもこの子にはひとつの経験でございましょう」
「小助のやつは、なかなかに強情者でな…」
小助、という人物が窯を作っている最中らしい。
むろん名前を聞いただけではまったくピンとこない。
ぼんやりと祖父と代官のやり取りを眺めていた草太は、ふと過去の記憶に刺激を感じた。
(…あっ、そういえば根本と大原の間の山奥に、窯の遺跡があったっけ)
うろ覚えな記憶。
遺跡、と言うと、原始時代のそれを思い浮かべてしまうが、窯の遺跡、というのは意外と多く、古くは奈良時代あたりから近代は江戸時代まで、古くなったり廃れた窯が埋もれた状態で発見される。
多治見の近辺にはそういう遺跡が多かったが、一般の関心は当然ながら薄く、ほとんど知られていないことがほとんどだ。
思い出した遺跡の記憶も、自信を持って断言できるほどはっきりしたものではなく。奥ゆかしく言葉尻に(?)をつけさせてもらおう。
「草太。ご許可をいただいたぞ」
祖父が頷いて、深々と平伏した。
慌てて草太もそれに習い、カエルのように額を畳に擦り付ける。
代官様のほうでは、若い役人をひとり呼びつけて何くれと指示を与えている。そこにいる若い役人には見覚えがあった。
(年貢の検査のときに来てた若侍か)
たしか名は若尾とかいう若侍だ。
代官が退出するのを待って、その若侍がこっちにきた。
「それがしがご案内仕ります」
現代にはすでに残っていない、林家の窯。
歴史の中に埋もれてしまったその窯も、いまは現在進行形でこの時代に現存している。
その存在に彼が関与することで、歴史が変わっていくかも知れない。
そんな予感に、草太はぶるっと武者震いした。
【※注1】……藩校知新館。わずか3万石ながら全国的にも文教藩として名が高かった、岩村藩の藩校。松平乗紀公による創建。
【※注2】……佐藤先生。幕府の儒官として門下生3000人を教えた佐藤一斎のこと。佐藤一斎は藩校知新館出身で、佐久間象山、渡辺崋山らの師でもある。