013 はないちもんめ
「…そのありがたさをいまになって惜しむこの愚かなじじいに道を示せ」
言われてしばし、きょとんとなった颯太であったが。
いやいや、ないない、ありませんって。
ほとんど反射的に拒絶の言葉を口にしようとして、相手が誰なのかをすぐに思い出す。断るにしても言葉を選ばねば何があるか分からない。
(…っていうか、断れるのかこれ)
老中たちさえも腫れ物を扱うようにしている水戸の御老公の誘いである。そもそも袖にしていいのかどうかすら分からない。
(…えっ、うそだよね?)
窯と職人を用意してくれるって言われても、『根本新製』という一品を生み出している天領窯はすでに幕府御用をいただき、尾張藩主義恕公の肝いりともなっている。当然のことながらそっくりすべてを水戸に移動させることなどとうてい出来ないし、杯土用の原料土や骨灰なども、おそらく入手が困難になるだろう。なにより美濃から離れたらそれはもう『美濃焼』ではないだろう。すでにして二度目の人生も美濃から始まった奇縁を思えば、土地への愛着もひとしおだったりする。
返答に困って固まっている颯太を見て、なにをどう確信したのか、斉昭公は座布団から腰を上げて立ち上がるなり、まるでいつも連れまわしている近習にするように「ゆくぞ」と顎をしゃくってくる。ついてきて当たり前とでも思っている様子である。
「小僧の処遇は藩邸に戻ってから決める。…なにをしておるか、はよう立たぬか」
「…それがしは御宗家の禄をいただく身でありまして」
「応分の禄はわが藩で与えてやる。なんならわしの近習として役料もつけてやろう。200俵ほどでどうだ」
「いやそのような話ではなく…」
「分をわきまえぬ欲深な人間をわしは好まぬが、才能に対して応分の対価を惜しむほどしみったれてもおらん。そなたのことだ、米俵を積み増すよりも焼物がらみの便宜がよいのなら、そうだな、わしの顔で笠間(焼)の見物を自由にさせてやろう」
「…笠間焼をですか」
思わず食いついてしまった。
笠間と言えば、益子と並んで関東近郊の有力産地である。たしか鉄分の多めな赤茶色の土で、甕や擂り鉢なんかを作っていたっけか。けっこう硬質な焼き上がりで、東海地区で言うと常滑みたいな製品傾向の産地である。
後世であれば技術的にもあまり大差はないので、割と簡単にスルーしてしまいそうなところではあるのだけれども、この江戸時代の窯業は技術レベルが職人依存でばらつくために、各地に秘伝のノウハウのようなものが蓄積されていたりする。それらを見て研究できるのであれば、吸収できることはいくらでも見つかるだろう。
食いついたのがバレて斉昭公をニヤニヤさせてしまったのが悔しい。
永井様に目で助けを求めても、なにがツボにはいったのか俯いたまま肩を震わせたままなので、まったく当てにできない。
いよいよどうしようかと進退窮まってしまった颯太であったが…。
そこになんともタイミングのよいことに、将軍様に上奏をしていた阿部様以下老中たちが廊下をドスドスと踏み鳴らして帰ってきた。
政治にあまり関心のなさそうなカステラ将軍を言いくるめることなど造作もないのか、いたって普通な感じに談笑しつつ御用部屋の中に入ってきた阿部様たち。
そしておりしも首根っこを捕まえられて、お持ち帰りになりそうになっていた7歳児が斉昭公の手で空中でぷらぷらと揺れていた。
「…水戸殿?」
「この小僧、気に入った。もらっていくぞ」
「…いやいやこやつはやれませんぞ」
立ちはだかる格好となった阿部様と斉昭公の目線が空中で見えない火花を飛ばす。さすがに水戸のご老公と言えど、幕閣の最高権威に対しては強くは出られないのか、小さく舌打ちが漏れた。
「わしのたっての願いであってもか」
「水戸殿の薬籠の中に入れられてしまうのはいただけませぬ。たったいま阿蘭陀国の一件を公方様に了解いただいたばかり、外事に絡んだ枢要な決定にこやつの意見は非常に重きを成すようになりましょうゆえ……お諦めくだされ」
「こやつをくれたら、わしも『開国』に前向きになるやも知れぬぞ」
「…水戸殿に転向いただくのは非常にありがたいところですが、そのまえにこやつの命が奪われては元も子もなくなりましょうぞ。ご家中のこと、胸に手を当ててよく思い出されよ」
「………」
斉昭公が黙り込んだことで、水戸行きが地獄であることが判明する。
畳に足が付くやじたばたともがいて斉昭公のくびきから逃れた颯太。座布団に後ろ足を取られて尻餅を付きつつも、必死に距離を取った。
その様を眺めていた永井様がひざをつねるようにして笑いをこらえている。くそ、覚えてろ。
斉昭公はそれでもしぶとく阿部様に抗弁したものの、徳川宗家の家臣を引き抜くなど前代未聞だとつけつけ文句を言われて、そこで結局のところ颯太のスカウト話は立ち消えになってくれたのだった。
笠間焼見学案件については少し惜しかったのだけれども、老中の牧野備前守様から「それうちの支藩のなんだが」と突っ込みを入れられてて、斉昭公のフカシであったことが判明。やべ、騙されるところだった。
「おぬしはどうなのだ」
最後にそう聞かれて、「ご期待には添えませぬ」と平伏した颯太。
その後は恐れ多くて顔も上げられないままでいたのだけれども、斉昭公は相当に気落ちした様子で帰られたようである。阿部様いわく、「あの地揺れで『両田』を失ったのがよほどこたえてみえるのだろう」とのことであった。
颯太は知らない知識であったのだが、藤田東湖と並んで斉昭公を支えた忠臣に戸田忠太夫という人がいて、同じ『田』が付くことから『両田』と称されていたらしい。この人も安政の江戸地震で亡くなっていたっぽい。
斉昭公は地震で右と左両方の腕を一気に失っていたのだ。颯太を見つめるあの強い眼差しの理由が腑に落ちる。
斉昭公の姿が完全に見えなくなったところでようやく肩を叩かれ、顔を上げることができた。
永井様に促されるまま、腰を落ち着けた老中様方に平伏してから、御用部屋を辞去することとなった。また若年寄の方に先導されつつ、最初に待機していた部屋へと戻った。
そうして引き返していく若年寄の姿が見えなくなったところで、ようやくふたりは放免と相成ったのだった。
***
それからの数日、頻繁に阿部様に召喚されてはマヨネーズのようにお手軽に知恵を搾り出され、オランダ絡みの案件が進捗するほどに阿部派の人々が馬車馬のごとく休む間もなく四方へと飛んでいくさまを見つめることとなった。
川路様、岩瀬様なんかもその過程で再会した。ほとんど挨拶する間もなく慌しく出て行かれたので、ほんとに顔つなぎした程度であった。永井様も阿蘭陀商館の動向を押さえるために長崎へと旅立っていった。
そんな慌しさのなかに、思いもかけない再会もあった。
「小栗又一でございます。ご挨拶方々罷り越しました」
聞き覚えのある声を耳にして、颯太は瞬きする。
対応の小姓にお辞儀しているのは、まさかの人物であった。
一別以来……珍しくちゃんとした格好のサトリ妖怪、『お役人様』がそこにお辞儀をして座っていた。
京都行でのストーカー行為はいろいろな意味でいまも鮮明に覚えている。阿部様の諮問にいつでも答えられるよう部屋の隅が定位置になっている颯太に、あちらのほうも気付いたようだった。
「や、これは一瞥以来ですね」
阿部様との挨拶を済ませた後、さり気に投げられた一言だけであったが、その浮かべたにこやかな笑みに、好意的な印象で覚えられているのだと分かった。
小栗忠順……幕末におおいに活躍することとなるおそるべき能吏である。
父の死没と当主を継いだこと、そのごたごたでお暇していたことを前置きして、阿部様に対する長々とした挨拶が続いた。どうも雰囲気的に、派閥領袖に挨拶に来たようなふうである。ああ、この人も阿部派なんだと不思議と納得してしまった。小栗家2500石を継ぎ、いまは『又一』と名乗っているらしい。
再会はわずかな時間であったのだけれども、彼が辞去した後、お互いに面識があったことを阿部様に指摘されて、京都行きでの顛末をかいつまんで説明すると、
「役目を放り出したあやつは、そんなところに行っておったのか」
などと鼻を鳴らされてしまった。
挨拶に伺うくらいには阿部派閥に属しているらしい小栗様が、いまは浜御殿の警備の任についていること、一時期現場の上役といざこざを起こしてふいっと逐電していたこと、その尻拭いで阿部様がかなり骨を折ったことなどが相次いで判明する。
「俊英がいると推挙を受けて使ってみればその体たらくでな、父親とは知らぬ仲ではなかったゆえ、なんとなく使ってはおるのだが…」
「あの方はぜひ阿部様も本気になって官吏として育成していただきたいものです。無駄に頭のめぐりもよろしい方なので、もっと頭の回転が必要な、判断力を要する難しい職場に入れてこき使うべきです。体を使う役務ではなくて、ここ、頭の中身を回転させる職場がよいでしょう」
おのれの頭を指さしながら、熱弁してしまった颯太であった。誰でもできそうな警備役なんてやらせてるから逃げ出したんですって。やつは周囲がみんな馬鹿に見える重度のインテリ野郎ですので、そのように処置することが本人にも周りにも幸福なのです!
数日後に浜御殿警護の任を突然解かれた小栗忠順は、川路様の下につけられて、いきなり勘定畑の職能を鍛えられ始めることとなる。
水を得た魚とはまさにこのことで、その後めきめきと頭角を現したという。
そろそろロシアに向けて動かないといかんですね(^^;)