011 颯太vs烈公②
何でいちいち睨まないと気が済まないのかなあ。
すぐに命を取られるわけではないと理解した颯太の心が、余裕を覚え始める。
それが良いことなのか悪いことなのか、判断は出来ないのだけれども、『烈公』という人物が少しだけ見えるようになった気がした。
「…例えは面白いが、南蛮列国がそれほどまでに巨大な力を持つ国なのか、わしにはとうてい知りえぬし、おぬしがそれをどのように知ったのかもはなはだ胡乱に感じもする。…しかしいい加減な当て推量のように見えて、おぬしの言った列国の力の程はそれなりに正鵠を射ていると、わしの中でささやくものがある。…徳川のそれは800万石であったとしても、日ノ本のすべてを掻き集めれば、石高は2000万を超える……知っておるか?」
「…それについてはそれがしの勝手な推量ですが、諸藩の表高以外の部分まで含めれば、3000万石ほどはあるのではないかと愚考しております」
「…それならばメリケン国との一対一ならば、我が国のほうが勝っているではないか。ならば相手の力が揃う前にメリケンを先じて叩いてやればよかろう」
「ここで言う『石高』はあくまで金銭に還元されたときの高を指しているだけです。わが国は恐るべき片田舎ですので、お金があっても武器はおいそれと買えません。なので先祖伝来の旧式の火縄銃を掻き集め……そうですね、10000挺ぐらい集められたことにしましょう。後は刀と槍と弓です」
「…火縄銃が10000挺か……なかなかの数ではないか。それならば戦い方次第では」
「旧式なので、射程距離は半町(約50m)です」
「…ううむ。伝来の旧式ならばそんなものだろうが」
「…かたや攻め込んできたメリケン国は、兵士すべてが新型の鉄砲を携えています。元込めの装填作業の短いやつで、速射性は3倍、射程距離は10町あります」
「なんだそれは! ずるいではないか!」
「大砲もあります。国崩しが玩具に見えるような性能のヤツです。1里以上飛びます。城門とかも一撃で粉砕します」
「そんなもの、勝負にもならぬではないか! それならば同じ性能のやつをどこかから買い付ければよかろう。お金は同等にあるのだろう?」
「…で、ここからが肝のお話になります」
急に話を途切れさせた颯太。
じっと斉昭公を見据えてやる。
「賢明にも、この片田舎の『日ノ本』なる国の殿様は、そうした家臣の進言を入れ、同等の武器を手に入れることとします。それらの武器は、メリケン国を含む列強諸国にしかありません。そもそも取引がありませんし、万里の彼方の国々です。持ってくるだけでも大変で、さらには買う側の『日ノ本』国では、先進武器に詳しい人がとんといませんでした。貴重な武器を商う南蛮商人はその足元を見透かして、例えば製造国で5両で買える銃を、100両で売るとか言い出しました」
「けしからん商人だ!」
「いえいえ、武器を手に入れられるのはその南蛮商人を含めわずかしかいません。他の商人も見ていますから、値引きをごり押ししようものなら彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうでしょう。国ではどうしても武器が欲しかったので、多少の高値は我慢して言うなりのお金を支払いました」
「…が、我慢するのか」
「なんとか捻出した10万両で、1000挺の新型と思しき銃を手に入れました。『日ノ本』のお殿様もほっとしたことでしょう」
斉昭公は、すっかり釣り込まれている様子である。
颯太の用意した理不尽な戦場で、勝機を得るべく想像をたくましくしているふうである。
「ここからは分かりやすく互いの武器が等量等質であることとしてお話いたします。…戦いが始まりました。人は撃たれれば死にます。死んだ人間が持っていた銃も一定の割合で失われていきます。やがて双方の銃の損失が1000挺に達しました。両国は武器の補充を急ぎます。『日ノ本』国は家臣の俸禄を遅配してまで捻出した10万両を商人に支払いました。そして800挺の銃を補充できました」
「200少ないではないか!」
「商人の言い値なので値上がりしたんです」
「けしからんッ」
「メリケン国も1000挺補充しました。5000両支払いました」
「……ッッ」
「また撃ち合いが始まりました。『日ノ本』国の800挺がまたたくまに失われました。メリケン国はまだ200挺残っています。ガンガン撃たれて被害が膨らむ一方です。『日ノ本』国は大慌てで国中からすべての銭を掻き集めて10万両を南蛮商人に支払いました。600挺売ってくれました」
「………」
「メリケン国の200挺が失われ、彼の国もまた銃を買い入れました。定価で1000挺5000両です。メリケン国は元値を知っていますし、売り手も多いので格安で武器を手に入れられる仕組みでした」
ようやく斉昭公も、颯太が言わんとしていることについて察しがついたのだろう。腕組みして颯太の語りに耳を傾けている。
「戦いは終りました。30万両を費やして手に入れた2400挺の銃で抗えたのはわずかな期間に過ぎませんでした。かたやメリケン国は1万5千両の出費でこの『日ノ本国戦役』を戦い抜くことが出来ました。戦に勝ったメリケン国は、敗戦した『日ノ本』国に対して、勝者の権利として戦時賠償金を請求しました。南蛮人は容赦がありません。負けた相手は尻の毛まで毟るそうです」
「…なんだその、センジバイショウとは」
「戦いになったのはおまえのせいだからな! その間に死んだこっちの人間への見舞金と迷惑料、戦にかかった費用に商売が滞った損害も全部払え! っていう感じの請求です」
「仕掛けておいて責任もすべてこっちか……渡世人も真っ青な面の皮の厚さだな」
「蛇足ですが、賠償金が発表されました。3億両です」
「………」
ぽろり、と。
斉昭公が握っていた扇子が手から転がり落ちた。
「ちなみに南蛮商人が売りつけていた銃ですが、実際には劣悪な中古品で性能はメリケン国の正式銃の半分ぐらいだったりします。30万両をまんまとせしめた南蛮商人は、国に帰ってからおのれの武勇伝を吹聴しまくったみたいです。『日ノ本』とかいうチョロい国があって大儲けできた、と」
扇子を震える手で拾い上げつつ、斉昭公は背筋を伸ばした。
そしてすっかりと敬語をはしょるようになった7歳児を見据えつつ、手巾で額に浮いた汗を回すように拭った、
「国の力は同じでも、武器を得るのにかかる費用が段違いだということか」
「ご不快なたとえ話をしてしまい恐縮ではあるのですが、だいたいはおっしゃる通りです。『先進の武器』で戦うという条件戦になった時点で、その調達力が彼我の力の差を生み出します。武器を手に入れられないと継戦能力を失いますので、このたとえ話では『日ノ本』と『メリケン』の力の差は1対20以上となります。…ご老公から見れば、『メリケン国』として見えてくるのは数隻の黒船と外交使節団のみでありましょう。しかしその見えない背後には、我が国と大差ない数の領民と国軍が控え、国を挙げての戦となればそれらが『先進武器』を手に雲霞のごとく襲い掛かってくることになるでしよう。ちなみにメリケン国は広大で肥沃な農地と数多くの鉱山を持ち、いま盛んに鉄製品を生み出す工房を増やしている最中だそうです。メリケン国の石高は現時点では2500万石かもしれませんが、年々その国力を拡大中で、そうですね、一年ごとに薩摩藩がひとつずつ追加されていくような感じですね」
いずれアメリカは世界最大の超大国となる。いまはまだ親であるイギリスの後塵を拝しているものの、その潜在的成長力は恐るべきものがある。
「…それがしの考える『開国』とは、いま世界で血みどろの戦いを繰り広げている南蛮列強国のルール……『生き方』を受け入れるという決意表明です。一刻も早く海の向こうの先進技術を手に入れ、内製化を推し進めるのです。それに伴い技術者を養成し、技術の普及だけでなくその改良更新も行えるよう目指さねばなりません。いつか南蛮列強国を蹴倒し、踏み越えていくためには彼らを超えた技術を自らの手で生み出せるようにならねばなりません。さきほどのたとえ話はこのことをお伝えしたいがためのものです。まずは調達コスト……買い付け費用の差を埋めなければ、ご老公のおっしゃられる『攘夷』もままなりません。費用低減をいち早く達成するには、幕府の取引相手を数多く増やすことがもっとも手っ取り早い道です。商路が限定されるほどに、中間商人の特権が強化され、言い値などというものが生まれてくる下地となります。ともかくたくさん集め、これこれこの数だけ買い上げるゆえ、一番安い値段を出した者に交渉権を与える……そのようにそそのかしてやれば、利を求めて商人たちは勝手に値を下げてくるでしょう。その争いをしたたかに煽り、一番懐の痛まない値段で『先進武器』を買い叩くわけです。…その『買い手有利』な状況を作るためにも、幕府は率先して門を開き、あたうかぎり多くの列強国から商人を呼び寄せるべきなのです。商売敵が大勢いれば、低値誘導も容易くなるでしょう。そしてこれもまた当然ではありますが、運び込む船が増えれば、こちらの戦備もより速く整うことになるでしょう」
颯太の長広舌はとどまるところを知らない。
そのすべりの良い舌を斉昭公は見つめたまま、膝の上の拳を握り締めている。
「開国して門戸を開いたことで、怪しげな南蛮人どもがこの国のうち懐に入り込む危険をその方はなんと考える」
「…南蛮人の姿かたちは、我々とは全く異なります。こそこそと隠れて何かをすることなどなかなかに難しいでしょう。そのような人物には、こちらも細作を貼り付かせておけばよろしいのではないでしょうか。軍と呼ぶべき規模の兵士の上陸さえ制御すれば、そこまでの危険はないでしょう。目先に商売が生み出す金子がちらついているのです。まずはそちらの『争い』に血道を開けることになると思われますので、幕府はその流れを規制の手綱を使いうまくさばいていけばよいのだと思います」
「…なるほどのう」
食い入るようにこちらを見つめていた斉昭公の表に、隠しがたいほどの喜色が表れている。その自然と浮かび上がった笑みに、颯太は戸惑いを隠しつつ目を伏せたのだった。