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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
216/288

010 颯太vs烈公①






いやいや、想定外といってもさすがにここまではなかった。

この展開はあってはいけなかった。


「…ほう、こやつが露西亜から大砲を分捕ったというのか」


じろじろとねめ上げるように睨まれ、まさに蛇に睨まれたカエル、その恐るべき絶望感を堪能した颯太であった。

明治期のイケイケドンドンな陶磁器業界をこの時代に再現しようとしている颯太は、まぎれもなく海外通商推進派であり、この時代的に言えばコリッコリの『開国派』であった。

かたや烈公、徳川斉昭は歴史の教科書にも載るような『攘夷派』のカリスマである。黒船が来航してその恐るべき性能を持つ大砲が幕府を震え上がらせたと知るや、水戸藩内の寺社の鐘を鋳つぶして多量の青銅製大砲を寄贈した尋常でない愛国心の持ち主であり、藩政改革を成し遂げた名君として全国雄藩にも多大な影響力を持った人物であった。


(…これはブラックリストに載ってしまったか)


つつつ、とこめかみを汗が伝う。

老中会合に呼ばれるまではまあ成行き的に仕方ないと思っていた。

しかしこれはない。この時代、颯太がもっとも会ってはいけない人物の筆頭ともいえる斉昭公とまさかこんな形であいまみえることになるとは。

むろん、逃げようがない。

阿部様、ごめんちゃで済む話じゃないですよ……って、なんでそそくさと退出しようと準備中なんですか。待たせなさい、カステラバカの将軍なんざ放っておいて構わないです。まずこのいたいけな7歳児を助けなさい。

えっ、無理?

いやいや、そんなことありませんって。ちょ、阿部様!


「水戸殿におかれては先の寄贈品である大砲を、藩内の寺社から鐘を召し上げるなど苦心して鋳造されたことはうかがっておりますが……同じ大砲でも、こやつは最新鋭の『鉄製大砲』を、手持ちの茶器一揃いを対価にあっさりと手に入れて見せ申したぞ。尻の毛まで抜かれて露西亜人たちが半べそで逃げ出したこやつの交渉術は、阿蘭陀商館長、あの曲者で知られるドケンルクルシュウス殿が瞠目するほどのものであるとか」

「…なんと、10門もの貴重な鉄製大砲を、茶器程度で手に入れおったのか」

「水戸殿が懸念される海防においても、問えば思わぬ解決の糸口がこやつの口からこぼれ出すやもしれませぬぞ。…それがしがいまこのように阿蘭陀国との条約交渉の紆余曲折に付き合うておるのも、実はこやつの天狗知恵に触発されるものがあってこそ。この機会に水戸殿も一度下問されてみてはいかがか。ちょうどわれわれが不在の間、この者はこの部屋にて待機させますゆえに」


完全に人身御供にされました。

斉昭公に凝視されて身動きできない颯太にちらちらと目配せしてくる阿部様に、悪意的なものは感じないのだけれども、結果としてちょっとこれはないと思ってしまう。子供相手だから真剣に怒られたりはしないと軽く見ているのなら、後でしっかり苦情を申し立てなくては。

阿部様が老中たちをひきつれて退出し始める。

さすがにその大脱出(エクソダス)には斉昭公も反応して「待たれよ、伊勢殿」と追い縋ろうとしたものの、老齢で足腰があまりよろしくない上に背中を向けていたためにすっかりと出遅れて、阿部様たちの逃走を許すことになってしまった。

足早に廊下を歩いていく阿部様たちを斉昭公は恨めし気に見送った後、不機嫌さをあからさまにしてどっかりと座りなおし、再び眼前の颯太に強い目力を送り始める。


「…そのほうも、溜詰(たまりづめ)どもの唱える浅薄な開国論に同じうするものか」


なんで阿部様たちを追っかけないのだろうと思ったが、よく考えれば将軍の謁見が行われるのは中奥、御殿の『表』ゾーンではないので、よほどでないかぎり勝手に出入りするのはよろしくはないのだろう。

ふう、とため息をつく。

どうやら斉昭公の会話の相手をせねばならないらしいのだけれども、いったい何を話せと? と強く問いただしたい。主に阿部様に。ちょっと無責任にもほどがあるんじゃなかろうか。

だいたい下級役人に過ぎない支配勘定並が、御三家のご隠居様相手に話し相手をするなど、普通あっていいことではないだろう。こういう時はせめて大身の旗本である永井様が空気を読んで流れを引き取ってくれてもいいと思う。

ちらっとそちらを見ると、興味津々な様子でこっちを見ている永井様と目がぶつかった。抗議の意味も込めて目をすがめて睨んでいると、ぺしっ、と頭を叩かれた。

驚いて振り返ると、問いを発したままスルーされた格好の斉昭公が、扇子を手にプルプルと震えていらっしゃいました。


「答えぬか」


あー。もう待ったなしだ。

めまぐるしく保身について検討をしつつ、回答シミュレートを繰り返す。

馬鹿な子供のふりをして相手を呆れさせるというのがいちばん簡単そうなのだけれども、そういうことをすると彼を『有能』だとしてここまで引き上げ、あまつさえ老中の御用部屋などという大それた場所にまで呼びつけている阿部様の面目がかなりひどいことになる。まず却下である。

そしてそれなりに有能であり、かつ役人にありがちな『能力だけのつまらない人間』という方向性も、すぐに除外する。外見が7歳児な時点で、すでにして異常であり、興味などとっくに引いてしまっている。

ならばあとは…。

ずべしっ!


「あいたッ」

「もう二度とは言わんぞ」


また叩かれた。

くそ、仕方ない。

どうせ何かへまをやって地雷を踏んでも、飛ぶのは自分のそっ首ぐらいのことである。もう何度もおのれの命を賭けた鉄火場を踏んでいる颯太は、そうあっさりと覚悟を決めてしまった。

人の命の軽い時代である。死ぬときゃ簡単に死ぬ。

颯太はようやくにして、斉昭公の目をまっすぐに見返した。不敬であるなどという意識は、すでになくなっている。


「……それがし、陶林颯太と申しまする」

「…で、そのほうも『開国』とやらを求めるのか」


斉昭公は、おそらく目が合うと絶対に自分から逸らさないタイプだった。

瞬きさえしていないように、ぎょろりとした目をこっちに向けてくる。


「…その『開国』とは、何を指しておっしゃっておいでなのでしょう」

「問いに問いを返すか」

「この後の問答が噛み合わぬものとならないよう、僭越ながら事前に確認しておきたいと考えました。卑賤の身にて御名を口にするのもはばかられまするが、非礼を承知で今一度お尋ねいたします。ご老公におかれましては、いかように『開国』をご理解あそばされているのでしょう」


まずどのように言い逃れるにしても、斉昭公の思い込んでいる価値観を極力共有しておかなければならない。そもそも時代感覚のかけ離れた者同士が問答するのだ、主に颯太がそちらへ思考を寄せていくにしても、何も知らなければ寄せようもなくなってしまうのだから。


「『鎖国』が破られることよ。海の向こうとの通交などなくとも、我が国は太平楽の世を過ごしてきた。平和に暮らすことに必要でないのなら、あえて危険を冒してまで『開国』などする必要もない。する必要のないことをバカ者どもは血迷いおって……南蛮人の目に余る悪行を知りながら国を開くなどと、やつらは血も涙もない鬼畜ぞ、一匹たりともこの秋津洲(あきつしま)の土を踏ませてはならぬのだ」

「…なるほど、『鎖国』体制が終焉することを『開国』と申されておいでなのですね。了解いたしました」


徳川斉昭というこのひとは、たしか大砲ばかりでなく、海上戦力がないと騒がれれば蒸気船を独自に作って幕府に献上したり、製鉄さえ道筋が立てばと悲嘆にくれるのを見ては率先して反射炉を作ったり、ともかく頼りない幕府を助けようといろいろと動き回っていたような気がする。

改革を成し遂げたとはいえカツカツであろう藩財政で、それができてしまう斉昭公は、個人的な欲に乏しい『善意の人』ではあるのだろう。みながさほど贅沢をしなければ、鎖国下の日本はそれなりによく回っていたわけで、変化を望みさえしなければそのままでよいではないか、そう考えているわけだ。

鎖国下であっても、素晴らしい文化は花開き、思想学問も高まりを見せている。藩もつましいながらなんとか回っている。

ならば『鎖国』は『良き体制』であり、清国でアヘンをばらまいている悪逆な南蛮人となど交わらずに過ごすことが望ましいに決まっているじゃないか。

…まあだいたいこんなところなのだろうか。

颯太は考える。

後世の知識というチートを元に、今後怒涛のごとく世界を覆い尽くす産業革命というパラダイムシフトと文明の躍進、先進国とそれ以外に隔絶されていく時代の趨勢を考えに織り込んでいく。

この老人の心に『開国』を響かすためには、どうしたらよいのだろう。

明治期の急ピッチな富国強兵ですら、欧米列強の国力拡大のペースに追い付くのに苦労をする。『開国』はもはや是非に係わらず、近いうちに必ず断行せねばならないことなのだ。


「…それがしが愚考しております『開国』とはやはり違ったようです」

「…ほう、何がどう違うというのだ」

「それがしは『開国』をそのような、戸を開けるか開けないか、ぐらいの分かり易い論議で済むような……そんな単純な話ではないと考えております」

「…言いおったな。この老いぼれの…」

「『開国』とは」


敢えて斉昭公の返しに言葉をかぶせた。

睨まれるけれども、それがこの場の会話の呼吸のように感じたのだ。


「…『開国』とは、合戦の始まりを告げる(とき)の声のようなものではないのかと……海の向こうで繰り広げられていた戦国乱世が、たまたま通りかかった片田舎の近くで『鬨の声』として聞こえてきたものではないのかと、そう思えてなりません」

「…鬨の声?」

「我が国はそうですね、あまりに田舎だったものですから誰も攻めてこなかった、運のいい小大名の領地だとお考えください」

「………」

「近くに戦が始まりそうです。村人が鬨の声を聴いたと城に駆け込んできます」


颯太は斉昭公の強い眼差しを見返した。


「相手は手つかずの土地があると耳にした周辺の強大な大名です。分かり易く数値化しましょう。…大徳川の800万石を基準として……攻め寄せてきている『メリケン国』は2500万石を領するおそるべき大大名、『仏蘭西国』は3000万石、『英吉利国』は……そうですね、一億……はまあ言い過ぎとして、8000万石くらいの超大大名、とでもしておきましょうか。そんな巨大な版図を持つ戦国大名たちが、波風のなかった豊かな土地、この日ノ本近くにやってきたわけです」

「8000万石、だと…!?」

「英吉利は植民地としてたくさんの国を占領支配しているので、そのくらいではないかと。そんな途方もない大大名たちが、斥候を放ってきました。…これがまあ『黒船』なのですが」

「………」

「ご老公様、もしも今が戦国の世で、そのような比較も難しい強勢の大名に攻め立てられようとしている小大名が、国境を通す通さないの議論に終始している姿を見たら、どう思われますか?」


想像のしやすい例えに置き換えてみました。

ぐっと目に力を込めてみると、ようやく斉昭公の目にわずかだが迷いが浮かんだ。本当にそのような戦国時代に、そうした状況におかれたところを想像しているのだろう。

腕組みしてしばらく考え込んでいた斉昭公が、また颯太を見て言葉を発した。


「…相当に滑稽な風景だろうな」


そうしてまた、ぎろりと睨まれました。


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