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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
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009 老中会合③






結局、箇条書きするような順を追った説明が必要だと言うことで、颯太は目配せにやる気をみなぎらせている永井様にバトンタッチした。

オランダ商館が絡む長崎での利権や法規制についてはばっちりと知識を持ち合わせているし、なにより船旅の間に颯太の存念を十二分に聞きだしている永井様ならば、説明役に不足はない。なにより噛んで含めるようなお偉方相手のプレゼンに慣れているのも大きい。

永井様が現行の諸規制やオランダ商館側が『和親条約草案』で強く押してきた点などを整理して順々に語りだす。さっきはクレームをつけていたゆっくりとした説明を、今回ばかりは老中全員が真剣な面持ちで聞いている。

基本的にはオランダ側は現在の通商にまつわる規制の緩和と取引規模の拡大、そして活動が活発になるだろう在留オランダ人たちの行動の自由とその人権の保護を重点的に求めてくるとざっくり思っておけばそうはずれることはないだろう。規制緩和といくつかの優遇措置の見返りに、オランダからどのくらいの協力を引き出せるか……次回の交渉ではそのあたりが焦点となるだろう。

オランダ側からの要求予測を最大限にしてお偉方に入力しておくのがこの場合のミソであったろう。最悪の状況を説明しておけば、ある程度の激しいやり取りがあっても老中たちがおたつくこともなくなる。


(永井様の説明上手いな。相手の顔色見ながら理解度を探ってる)


永井様の説明は、老中たちの顔に納得の色が出るまで要点を噛み砕く。時間はかかるけれども確実なやり方だった。オランダを抱き込むことで得られる利点が理解されてくるほどに、場の空気は目に見えて温まっていった。

なるほどオランダとの今回の交渉はわが方有利に運んだのだと、ようやく老中たちにも分かったらしい。


(…それでますます明治維新が遠ざかってる感が否めないのだけど)


現状、すでに抜け出せないほどに『幕臣』としての深みにはまっている颯太にとって、明治維新というのは下手をすると破滅のカタストロフになりかねない危険なものとなりおおせている。

ゆえに、適度に強い幕府が維持されるほうが、将来の陶林商会のためにもよかったりする。悩ましさは依然としてあるものの、もう歴史改変しまくってしまっているのだし、ここは行けるところまで行ってしまおうという吹っ切れた考え方のほうが幸運を呼び込むような気がする。

いまの颯太にとって、正しい歴史……『正史』とでもいうべき本来の歴史を、なにがなんでも墨守するという考えは遠い。時の番人とかでもないのだし、個人の幸福を希求するほうが優先度は断然上である。


(…説明は終った見たいやね)


将軍への上奏というイベントが決まっているので、老中会合は実はそれほど時間にゆとりがあるわけではないらしい。

永井様の説明はかなり分かりやすかったらしく、老中たちは理解した内容をもとに大局的な討論を始めた。そのさまを見て、永井様はほうっと息を吐いて、朱の差した面を畳みに向けた。能吏としての面目を施した安心であるのだろう。

阿部様に促されて、颯太が補足事項として金の流出阻止と武器取引について『これ重要ですから』と強く念押ししたところで、ふたりはお役御免となった。

この後老中会合がどのように転がるのか、見届けてみたい欲求に駆られつつも、永井様に目で促されて立ち上がる。背後の襖の向うで人の気配が慌ただしくなったのは、ふたりの退出に若年寄たちが対応しようとしているのだろう。

最後に御用部屋に常に漂っていた『お香』の正体を目で追って、部屋の隅に置かれた行灯からうっすらと煙が上がっていることに気づく。

なるほど、香りをつけた菜種油でも燃やしているのだろう。

と、そこで気付く。

上奏の段取りについて話し込んでいた阿部様が、こちらの方を見て珍しい表情……ぎょっとした顔をあらわにしていた。その周りにいた老中たちも同じようなもので、こっちを見て顔を強張らせている。会話もぱったりと止まっていた。

こっちを見ているのだけれども、むろん颯太を見てのものではない。

横にいる永井様をチラ見して、そちらも背後を振り返って硬直していることに気付く。一気に嫌な予感が深刻化した。

そっと、そしてゆっくりとおのれが退出すべき後ろの襖のほうを見て、それがいつの間にか全開に開いていることに気付く。そこで目に入った、一言で『狼狽』と言って差し支えないだろう若年寄たちの腰を浮かせた姿が、控えの間の壁際に並んでいた。

そしてようやく、颯太の視界にも波乱の原因が飛び込んできた。

一瞬、竹中直人扮する時代劇の役者が立っていると思った。


「…伊勢殿はこちらとうかがったが、なんぞ取り込み中であったか」


恐るべき目力を発するその双眸が、颯太の頭上を通過して阿部様を射抜いていた。


「…権中納言殿」


官位で呼ばれたその闖入者は、むろん本丸御殿を闊歩して制止されないだけの有力者であることは間違いなかった。


(…権、中納言!?)


朝廷からいただく『官位』に詳しくない颯太であっても、『~納言』とかいうそれが、一般の大名に与えられるものでないことぐらいは知っている。たしか御三家がそんな官位をいただいていたような気がする。

そして改めて、颯太は観察する。

やはり竹中直人に似てるなぁ、と思う。


突如として御用部屋に乱入したその人物、名を徳川斉昭(とくがわなりあき)という。

死して『烈公』と(おくりな)される、苛烈の人であった。




結局、若年寄たちが機能不全に陥ったため、脱出するを得なくなった颯太と永井様。むろんそうとなれば、部屋の隅に木石となって耐えるのみである。


「…しからば阿蘭陀との条約を改め、和親ではなく付き合いの長い友邦として、正式な開国いたそうと企んでおったと」

「…企むなどとは」

「メリケンどもとの勝手な『和親』調印も業腹だというに、これを企みと言わずになんと言う。非常にけしからん」

「…権中納言殿。そのお手に持っておられるのは、また新しい提言書でありますかな。でありましたら、お預かりして後ほど検討させていただきますので……拝謁までもう時間がございませぬ。ここは申し上げ難いが…」

「これは渡すだけでは足らん。伊勢殿が療養からようやく登城したと聞いてやってきたのだ、こいつは伊勢殿とじっくり時間をかけてやるゆえ、ええい、その手をどけよ!」


若年寄のひとりが老中たちの危機を救おうと、斉昭公から『提言書』を受け取るべく近寄ったのだが……あっ、その『提言書』で手を叩かれてやんの。

阿部様は動揺している同僚たちに期待するわけにいかぬと思ったのか、ひとり膝を擦るように前に出ると、居住まいを正して「まあともかく座られよ」と、斉昭公に着座を促した。

この辺りはさすが老中首座というか、威厳があった。

口をへの字にしつつも、斉昭公が敷かれた座布団にどかりと腰を下ろした。もう隠居しているとはいえ御三家の前当主相手に、敬語抜きで話しかけられる阿部様はかなりかっこいい。

そうしてさきほど永井様から説明された条約改変の方向性について、かいつまんだ説明を試みられたのだけれども……後世にまで鳴り響く斉昭公の保守っぷりはまさに鉄壁であった。

阿蘭陀との取引拡大による利が、新式大砲の入手につながると言う『国防』要素を阿部様も全力押ししたのだけれども……「小賢しい」のひと言であっさりとはねのけられてしまった。


「…そうしたわずかな緩みが、南蛮の悪魔どもに付け入る隙を与えるのだ。この国を保つには、やつらを打ち払うしか道はないのだ!」


いや、だから阿部様?

こっちになにキラーパス通そうと目配せしてるんですか。いやです。断固拒否します。ほら、永井様も一緒に跳ね返してください。ここで下手に受けたら大炎上しますよ……って、ちょっ、なんで目線そらしてるんですか。

あっ、やばい。


「…我が国の先人たちが積み重ねてきた歴史文化、思想学問の大切さを説く水戸学については、一定以上の同意をいたすこともやぶさかではありませぬが、南蛮列国との武器の差がこれほどまでに隔絶している現況、きゃつらを打ち払うにも同等の威力を備えた大砲をわれらは手に入れる必要があるのです。その入手手段がこの交渉改めで構築できると言うのであれば、首座としてその機会をいたずらに投げ出すことなど到底できかねまする」

「わしが送った大砲だけでは足らぬと申すのか」

「水戸殿の国を思う志、まことに立派なことは紛れもなきこと。海岸防備の大砲はいくらでも入用でありますが、われらがここで入手しようとしているのは、遥か沖合いから一方的にこちらを攻撃できるあの黒船に砲弾を叩き込める鉄製の新式砲ですので。実際に叩き合える長射程の大砲が必要なことは、水戸殿も分かっておいでのはずだが」

「…それならば先日、10門ほど手に入れたと聞いておるが。どのような手管を使ったかは知らぬが、露西亜国から分捕ったそうではないか。わが藩邸でもそのときは騒ぎになったゆえな」

「…その新式砲10門を分捕ったのが、そこの者です。はは、奇遇なことでありますな」

「…なんと」


分かりやすく驚いて、肩越しに振り返った斉昭公が最初に見たのは永井様であった。むろんそれはすぐに否定されて、斉昭公の目が颯太へと流れてくる。

そこで急にそのまなざしが胡乱げになったのは、まあ仕方のないことなのだけれども。


「何でここにこのような童がおるのだ」


腹立たしげに言う斉昭公。

巧みに誘導した阿部様は斉昭公の死角をついて、片手でごめんちゃしてきた。

キラーパスする前にいささかでも会話して、少しでも事前情報を与えてくれようとしたことには感謝するけれど。


烈公と小天狗があいまみえた瞬間であった。


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