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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
214/288

008 老中会合②

難産でした。

改稿するかもです。






ここまで言葉を積み重ねてきて、ようやく颯太のなかで何かが収まるべきところに収まったような、ぶれていたカメラのピントが不意に合ったような、そんな不思議な落ち着きが訪れる。

颯太の語りを待っているような雰囲気に、思い切って顔を上げる。相手の顔色も見ずに話を進められるほど、商人としての颯太は怖いもの知らずではなかった。

ゆえに、見る。

誰が誰なのか、顔と名前は阿部様以外一致しないのだけれども、どれほどのお偉方だろうと仮にAさん、Bさん、Cさん、Dさんとしておけばとりあえずは問題ない。


「…それではこたびの『延期』は、こちらの責任で生じた話ではないと申すのだな?」


幕府側の瑕疵について気にし過ぎなAさんは、口もとをなぜか扇で覆いながら、ぼそぼそといった感じに話す人だった。あばた顔だけれども比較的若そうな、阿部様と同じぐらいの年齢に見える。


「あくまで会話の流れからそのような形になっただけでありまして、阿蘭陀国の『利』が那辺(なへん)にありやと議論する流れで、わが国の欲する『利』についても愚見を申し上げることもありましたが、けっしてこちらから積極的に押すようなことは…」

「…うむ、ならばそれについては申すことはない」


組織にはよくこういう『責任』ばかりを気にする人がいる。得てしてそういう人に限って議論には責任回避で参加してこない。横にいるBさんが、「だからそのあたりは伊勢殿が請け負っておったではないですか、大和殿」などとつぶやいた内容から、Aさんが『久世広周(くぜひろちか)』候であることが断定される。

そのBさんに久世様が「備前殿」と返していたので、この場で一番年配であろう半白髪の老人が『牧野忠雅(まきのただまさ)』候であると知れる。それぞれに5万8千石、7万4千石の殿様たちである。

左側のふたりは分かった。そして右側の、残りのふたりがどのような様子であるかと言うと、目を瞑ってじっと腕組みをしている肉付きのいいCさんと、好奇心むき出しに颯太のほうを凝視しているDさんが並んで座っている。肩の薄い小柄なDさんは、颯太を見ながら鼻をもぞもぞとさせた後、視線を阿部様と颯太の間で往復させ、何かを見比べているふうである。もしかして小天狗隠し子説とかいうヨタ話を疑ったいるのだろうか


「…わたしの顔に何か付いておるのか、紀伊殿」

「ああ、いや伊勢殿、茶坊主どもの噂の真偽を……ははは、いや、何でもござらぬ」


紀伊守ということは、Dさんが『内藤信親(ないとうのぶちか)』候であることがこれで判明する。越後村上藩5万石の殿様である。ゴシップ好きの少しいやらしい感じの人であった。

…ということで、腕組みしている肉付きのいいCさんが残りの『備中守』、『堀田正睦(ほったまさよし)』候で確定。下総佐倉藩11万石の殿様である。


「…条約内容を改めようというのが阿蘭陀国からの申し出であると言うのなら、そのように受け取るしかありませんな。例えこの小僧の失言が発端であったとしても、そもこの小僧を長崎にまでやったのは首座である伊勢殿の考えあってのこと。こうしてわれらが合議すべき案件として伊勢殿が正式に持ち込まれた時点で、伊勢殿の意向も条約内容の改めに沿ったものであることは明白なのですから、ここはもうその是非などは問わぬこととし、変更内容についての吟味に費やすべきだと思うですが、いかがか?」


牧野様が阿部様の肩を持つような発言をして、久世様、内藤様が「異論ござらぬ」と首肯する。深い皺を刻んだ牧野様の目が、腕組みしたまま黙っている堀田様へと向けられる。


「備中殿」

「…ああ、これは失礼を。少々物思いに耽っておりました」


声をかけられて瞬きした堀田様は、颯太らにちらりと目をやった後、ため息混じりに言葉を漏らしたのだった。


「…このご時勢、どれほど抗おうとも、いずれじわじわと鎖国の夢は破られ、海の向うの現実がこの国にも避けがたく『開国』がもたらされるのだろうと……そして阿蘭陀国との交渉が互いの『利』をぶつけ合い、合意が延期されるような仕儀となったことそのものが、その『開国』という得体の知れぬものの本質の姿ではないのかと……ふと思ったのです。…らちもない話で面目もござらぬ。それがしのことは気になさらずに、論議を進めてくだされ」


(…堀田備中守様はいろいろとやりそうな人だな)


場は何事でもないように堀田様の慨嘆をスルーして、議論に移ろうとしている。ただひとり颯太のみが、何気ないそのひとり語りに素直に感心していた。

堀田様という人物、中途半端幕末愛好家の颯太は知り得ないのだけれども、史実では阿部伊勢守のあとを継いで、老中首座を張っていた人である。


(開国とは結局、外国人の訪問を受け入れるということであり、人の交流、物の売買などを行うようになれば、必然的にどこかで大なり小なり『利害』が発生するだろうし、結果対立することだって起こりうる。海の向うではいま血なまぐさい帝国主義的な価値観が世界標準としてまかり通っているんだからなおさらだし。他人の持つものを平然と奪いにかかる独善が良しとされる時代なんやから、開国イコール外交交渉の殴り合いと言って過言じゃない)


だからこそ、この国は『(なま)の外国』を知り、付き合い方を覚えねばならないのだ。我が国の『利権』を手放したくないばかりのオランダは、いろいろと目に見える『弱味』を抱えた非常に与し易い相手である。こういうときに、外交童貞な幕府には是非にでも外交経験を積んでほしいものである。


堀田様が討論に向き合うために居住まいを正すのを見て、牧野様が上座の阿部様を見る。

脇息にもたれながらニヤニヤと笑っている阿部様が何とも気持ち悪い。苦笑した牧野様の目が颯太へと向けられた。


「それでは小僧……姓は陶林といったか。阿蘭陀国が改めてくるだろう条約の内容と、それについてのわが方の対応についての所見を述べよ」


牧野様が促してきた。

どうやらこの場を仕切っているあたり、牧野様が阿部様に次ぐ影響力を持っているようである。年齢から見て老中任期が一番長いのかもしれない。

颯太は少しだけ目を閉じたあと、下腹に力をこめて最初の一言を口にした。


「愚考いたしますに…」


長崎でのやり取りを思い返しつつ、それによってオランダが改めて提案してくるだろう条約の内容を類推する。


「現在阿蘭陀国は、長崎での交易に制限が設けられております。定高貿易法にまつわるものですので、お釈迦様に説法をするわけにもいきませぬ、詳細な説明は割愛させていただきます」


定高貿易法とは、オランダ商館に対する貿易総額の制限法のことである。銀にして5~6000貫目が、取引のリミッターとして存在する。むろん幕府が課したものなので、老中が知っていないはずがなかった。


「当然のことながら、まずこの法の撤廃が上げられるでしょう。加えて、他国が『和親条約』で得た権益である開港地についても、同等の要求はしてくるでしょう。取引量が増えて、かつ幕府との商品の引渡しが活発に行われるとしたなら、長崎だけでは不便すぎるからです。下田、函館あたりにはオランダ商館の『支店』の設置も必然的に求められることでしょう」


まずは分かりやすいところから挙げていく。

他国の和親条約ともかぶるところだから、内容的には老中方にも理解しやすいのだろう。特に反応はない。

颯太はぺろりと唇を湿した。


「…取引の活発化にともない、現在長崎で行われている『銀札』の取引も、避けがたく拡大を求められるでしょう。取引の活発化は同時に阿蘭陀商船の乗り入れが多くなることを意味しますし、阿蘭陀側も長崎で実際にやり取りされている『銀札』をほかの土地でも使用したがるでしょう。そうなってくると、その証文の換金性が問題になってくるのは当然で、目ざとい両替商あたりがすぐに対応するようになると推測いたしますが、そうなると分かっているのなら幕府としてもあらかじめそのあたりの法整備は整えておくべきかと愚考いたします。あるいは全国の両替商が証文を行き来させているのと同じ状態にまで取り扱いが広がるものと覚悟したほうがよろしいかもしれません。…それに付随して、現在幕府が禁じている金銀の流出の是非についても、一定の要求があるものと推察いたします。金銀銅の交換基準についても、あらかじめ詰めておくことが必要です。…それがしが愚考いたしますに、この基準については列強国のそれに準じて、『銀』を主要な取引貨幣としておくことが問題を少なくすると思われます。海外貿易用の銀貨幣を洋銀のそれを基準に用意すると、貫目の差異がなくなり取引がスムーズに進むようになるでしょう。仮にそこまで手当てするとなれば銀貨幣の新造、改鋳など大事にも繋がってまいりますので、それなりの御覚悟をもって臨んでいただくことになります。そしてこれは重要なところとなりますが、現状幕府がもっとも入手したい、あちらの先進の機器、蒸気船や大砲等の銃火器などを取引する際、これは当然ながら阿蘭陀国側が価格決定権を持つ状況となりますので、それを掣肘するために、海の向こうで行われている実際の取引実勢価格を、こちらでも常に把握しておく必要があります。並行して他国のそれを調べておくことも必要ですが、我が国と阿蘭陀国との間で、物価などのある程度の情報共有を条約上で義務化するのも手立てのひとつとなるでしょう。それについてはそれがしの腹案として…」

「いや、待て待て」

「もそっと噛み砕いて説明せよ」

「何を言っているのかさっぱりわからん」

「………」


あれ? 分かりにくかったですかね。

途中から興が乗って、とめどなくイメージを吐き出してしまった感は否めないのだけど。


「これが天狗の知恵よ」


ちょっと、そこでドヤ顔になる阿部様が信じられないんですけど。どうだ驚いたかって、どこの子供ですか。

隣では仲間を見つけたみたいな顔してる永井様がにやついているし。

失礼にならない程度にため息を噛み潰しつつ、颯太は再び説明を始めたのだった。


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