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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【露西亜編】
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004 我田に水を引きましょう

展開にびびってギアを落してしまい、そのせいで『らしさ』がなくなるとかまったく本末転倒でした。

なろうらしく、ここはイケイケドンドンで行きましょう。






かくして派閥領袖に対しての報告会は果てたわけであるが……阿部様の体調のこともあるのでそろそろお暇の頃合かなとか算段していた颯太は、横で懐に手を突っ込んでもぞもぞとやり出した永井様にぎくりとする。

その手につかみ出されつつあるのは、あの坂本さんごめんなさい的な『某八策』に違いなかった。

気付いて止めようとしたが、永井様のドヤ顔がぱああっと花開くほうが数瞬早かった。


「…で、この『献策』はその方らがまとめたのだな」

「船旅で費やす時間を惜しんで、戯れに始めた論議でありましたが、振れば振るほど出てくる『天狗知恵』をそのままなくしてしまうのは惜しいと思いまして、拾い集めるうちにこのような形になった次第です」

「こやつがどこからこの見識を得たのかは見当もつかぬが、逆さにして振るうとぽろぽろとこぼしおるでな、惜しゅうなるのもよーく分かるぞ」

「………」


船旅の間にまとめたあの『船中八策もどき』が、阿部様の手の中で広げられている。

颯太は永井様に「時が来るまでとどめ置く」ことを強く勧めていたのだけれども、聞き入れてもらうことは出来なかったらしい。


「…いろいろと大それた部分には適当に目をつぶらねばならんが」


最初は興味本位であったその眼差しが、精読するうちに真剣さを増していく。阿部様の顔色がしだいに興奮に赤くなって、胡座をかいた膝をぺしぺしと叩き始める。


「…面白い。面白いではないか」


そのつぶやきに、颯太がうなだれるのとは対照的に、永井様は得意満面に子供みたいに背筋を伸ばした。おっさんのくせになにかと稚気の多い男であった。


「ひとかどの才能、見識の持ち主を見つけては、海防についてその考えるところをまとめて提出させてきたが、ここまで幕府が取らねばならぬ施策を順を追ってつまびらかにしたものはついぞなかった。でかした」


海外勢力からの圧力が急激に高まるこの難しい時代に、政権運営を任された老中首座阿部伊勢守は、幕閣の知見だけではしのぐことは難しいと悟ると、思考硬直に陥ることなく前代未聞の手段に打って出た。プライドに凝り固まった歴代の老中であれば、考えにも及ばなかったろう行動……幕府のとるべき道を問うて、躊躇なく他に意見を求めたのである。

上は雄藩諸侯、下は無役の御家人、町人にまで天下の安計を求めたというから、阿部伊勢守の脳細胞はかなり現代的に、合理的に出来ていたのだろう。あの勝海舟もまた、そんな異例のアイディア募集に応募して出世の機会を勝ち取ったひとりであったりする。

天下国家を語りたがる人々のそうした『献策』を、数限りなく眺めてきたに違いない阿部様が、感嘆を隠そうともしなかった。


「ほとんどの意見書は目の前の物事に対する、その事案にのみ対応する所見に終始するものばかりであったが……この『献策』は大局的に幕府を取り巻く諸問題に言及しておる。なるほど、海外列強に対抗するには幕府の体制を強化せねばならん。強化するためには通商が必要であり、購う金も必要になる。その『資金』はこのように稼げと、そこまで道筋を示しおるとは」

「…先の『メリケン探題』の件にも繋がる話でありましょう」

「このあたりを踏まえてのものであったのだな、先ほどのこやつの話は」


ちろりと目線を向けられて、観念した颯太はしぶしぶという感じに会話に参加する。


「…海外には、日の本内では想像も出来ないような莫大な富が動いています。ひとはよりよい暮らしを得るために努力する生き物です。その『よりよい暮らし』の大きな部分を支えるのが『金』であり、いま多くの南蛮人がこの国に押し寄せてきているのも、究極的にはわが国に眠る『金』を欲してのことです。この開国騒ぎももとをただせば、南蛮人による富の獲得行動……『経済』活動のほんの一部分の表出に過ぎないと言うことです」

「ケイザイ活動?」

Economy(エコノミー)という、あちらの言葉の訳だそうです。教えてもらいました」

「…ケイザイ、か」

「極論を申しますと、その世界を取り巻く巨大な経済のうねりを支配することが出来たならば、大砲など一門もなくとも、証文ひとつで……たとえば黒船を出航させたメリケンの大統領、それを操っている民間人たちを破産させてやれば、いますぐにでも彼の国を身動きできなくさせることだって可能だということです」

「……ッ」


ここはもうアメリカ行きの自分押しのつもりで、補足しておく。


「どんなイノシシ武者でも、こう『心臓』を無造作に握りつぶされたら、いくら腕力があったからって死ぬしかありませんよね?」

「………」

「列強国だって、金がなければ何も出来ません。幕府がかつかつの財政で呻吟しているのと同じです。大砲も蒸気船も、作り手に支払う給金と資材費がなければ作れないのはあちらも同じ、社会の基本的な仕組みはお金の流れによって生み出されているのです。その金の流れはまさに人と国の織り成す生命の息吹のようなもの。血のように全身を駆け巡ってこそ、国は大きな力を振るうことを得ます。…海外列強の間で動いているその『金脈』に手を届かせることが出来たならば、単純に物を買えるというだけでなく、相手の死命を制することだってありえるのだとご理解ください」


颯太が持ち込んだその感覚は、まさに巨大なハゲタカファンドが迂闊な国のはらわたを食いちぎり、むさぼり散らす資本主義爛熟期の人間のそれである。

じっさいにデフォルトに追い込まれて破産した国もあれば、産業に根深く食い込まれて傀儡(くぐつ)となっている国もたくさんある。そうした事例を知っているからこそ、彼の言葉には揺るぎない強さがこもる。

その揺るぎなさが、聞く側……阿部様、永井様にもたしかに伝わるわけで。


「その『八策』の後に続くべき事柄として、幕府は海外へ挑戦する商人に対して、『売れるもの』をしっかりと用意せねばなりません。商人がそのタネを握っているのでしたら、躊躇なくそれに公的扶助を与えて、その準備を助ける必要があります。むろんそれがしが経営する窯の『根本新製』もまたその中のひとつであり、この国の津々浦々で今も作り続けられている『焼物』は、そうした輸出品目の中でもかなり有力なものになるだろうことをお伝えしておきます」


焼物が有力な外貨獲得手段となったことは歴史も証明している。後は製糸業に紡績業、そのあたりが明治期の国を支える基幹産業である。

むろんここでは種は明かさない。焼物が商売になるということだけ伝えておけば充分である。


「もちろん『根本新製』のように、希少価値の高いものを大量に商うことは出来ません。なのであちらで使う『生活雑器』を調査して、最適なものをしっかりと選別して製造せねばなりません。その際には『左右対称(シンメトリ)』というあちらの独特な美的感覚についても充分に理解する必要があります」

「しん…めとり?」

「またどこかで聞いたとかいうのだろう」

「わが国ではロクロでひいた茶器をわざと歪ませて、侘びだの寂だのと重宝しておりますが、ここではっきりとさせておきますが、そんなローカルな価値観は海外ではまったく通用しません。歪さを喜ぶのはこの国だけと極言してもよいです。文化としては大切にしていきたいですが、絶対に商売には寄与しません。…ああ、『シンメトリ』とは物の形が左右に等しいもの、均整が取れた調和に美的価値を見出す考え方です。百個ていかっぷを用意したら、その百個とも寸分違わぬ物でなければなりません」

「…聞き流したな」

「なんでしょうか?」


もうめんどくさいのでスルーです。どうせ言い訳しても『天狗知恵』になるんだったら、その労を惜しんでおきます。


「焼物で商機をつかむのならば、あちらの市場に適した品物を大量に準備できる態勢を取らねばなりません。生活雑器を少々売っても鼻くそです。廉価品は何千、何万、何十万と売ってはじめて大きな力ある金となります。品物を準備して、それをあちらで捌くための店を作り、そこから出荷される品を流すための販路を築く。これらを手際よく準備できて初めて、幕府の府庫に莫大な洋銀が積みあがることになるでしょう。紀ノ国屋も目を剥くほどのとほうもない額になっていくはずです」

「焼物か…」

「いま国内で流通しているそれを売ることはできませんのであしからず。こちらの茶碗や湯飲みは、あちらの食生活に合ってはおりませんので。事情に通じた者が厳しく管理し、製造させねばなりません」

「………」

「………」


それは適任者は自分しかいないと言いたいわけか、ともの問うようなまなざしを向けられても。現時点では否定できませんけど。


「…よかろう、この『献策』についても、会合にかけてみよう」


阿部様のつぶやきに、颯太はまっすぐに眼差しを向けた。

永井様が喜色満面である。


「ちなみに聞くが」


阿部様の問いが、颯太に向けられる。


「通商用の焼物の試作を行うにも、窯が監督者の近くにあったほうが便もよかろう。ひとつ窯を立ち上げるのに、千両ほどもあれば足りるか」


いや、桁がひとつ大きいですけど。

もちろんそんなことはいわない。やりたいことはいろいろとあるのだ。


「『最初の窯』はそれで充分でございます」


颯太は(こうべ)をたれたのだった。


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