002 福山藩中屋敷にて②
さて、オランダとの交渉について、一通りの報告が終了すると、今度は唐人屋敷での交渉、対ロシアでの進展について、説明が求められた。
ここからはもう颯太自身が交渉のトップなので、自ら説明するしかない。
「今回接見した露西亜側代理人については、少々人選に難あり、としか申しようがないんですが、あちらがそれでもう動いてしまっている現状、今回に関してはあるがままに受け入れざるを得ないというのが残念でした。一度あちらの総督閣下と直接打ち合わせて、より確かな中間業者を選定する必要があるでしょう」
「…場所が唐人屋敷であったということは、やはり代理人はあちらの国の人間か?」
「露西亜国と直接通商するわけにもいきませんから、そうなってしまうのはやむを得ません。遠く欧州から大陸を東進してきた露西亜人たちは、おそらく生活物資などを手近で手に入れるために清国人の商人と取引を始めているのでしょう。…今回の代理人も、そのつてをたどったものかと。清国からすれば外敵でしかない露西亜国に国内物資を横流しされているわけですから、それらの商人がおよそまともな類の人間でないことは明白ですけど」
「…その代理人はどのような人間であったのだ」
「分もわきまえず、いきなりこちらの懐に手を突っ込んでくるような、少々商売倫理に乏しい手癖の悪そうな人物でした」
「代理人の名と素性は」
「鄭士成といいます。五十路前ぐらいの、目の脂ぎった男です。大陸南方を根城にする交易商人で、『天地会』というどうやらまっとうでない裏社会との付き合いもあるようですね」
「…なんと」
「そのあたりは多少締め上げてやったら、ぺらぺらとよくしゃべってくれました」
「………」
「………」
言葉をなくした阿部様の横で永井様まで同じようにお付き合いしている。
そういえは唐人屋敷の顛末について詳しく話してなかったっけか。しくったかな。
「…あの、どこまで報告すればよいのか加減がよく分からないんですが」
「…その、『締め上げた』というのがどういうことなのか、そのあたりを詳しく申せ」
あれ?
やばい?
「露西亜側代表のスイビーリ総督とこちらが直接接触できないのをいいことに、その者が裏でいろいろと悪だくみをしているのが分かったので、お上を愚弄するのかと……少々かましてしまいましたが。必要に差し迫られて仕方なく行った『かまし』ですが、何か問題でもあったのでしょうか?」
「………」
「………」
「どうやらつながりのある裏組織の勢威を過信しているようでしたので、やれるのならやってみろと、この大事な取引を台無しにするつもりなら腹をくくってかかってこいと……まあ売り言葉に買い言葉でしたが、あちらの商人に一度舐められると取り返しがつきませんので、後悔とかはまったくありません。こちらが手に入れるだろう露西亜の先進兵器を清国に横流しする、代わりに金を持ってくるからそれで納得しろとか、求められる役どころもわきまえず言い出すような手合いです。当然阿部様ならお目こぼししてくださるものと確信しておりましたが……まずかったですか?」
「…決裂とかはしなかったのだな?」
「幸いにして上下関係をきっちり理解させて以降、だいぶ従順になりましたので、今後は不用意に隙さえ見せねば問題なく窓口として使い倒すことができるでしょう」
「………」
「………」
「…ああ、少し誤解されてそうなので補足しときます。特に暴力になど訴えてはいませんので、ご安心を。というか、こんないたいけな子供が、異国人街でそこのボス相手に荒事なんてするはずがないじゃないですか。こっちは案内のひとを合わせて護衛3人ぼっちですよ? 最後は勘違いしたあちらの郎党が武器を持ってなだれ込んできましたけど…」
「武器を持ってなだれ込んできただと!」
「大事になってんじゃねえか!」
「その辺はもう度胸いっぱつ、きっちりと言葉で互いの立場と『力の差』を理解させたら、騒動なんてすぐに収まりましたよ」
「………」
「………」
結局また黙り込んでしまった上司たちを尻目に、淡々と報告事項を並べつづけた颯太。
基本いまの代理人は信用ならないので、こちら側でも鋭意別の代理人候補を探すべきだということ。
スクーナーの移送ルートは国内では公にできないため、九州から北上して、大陸の沿岸伝いに代理人の持ち船が曳航していくということ。
取引の終了後は中間業者が信用できないため、物資を持ち帰るための復路用の和船も引っ張っていかねばならないこと。
こちらの連れて行く水夫は、その和船の航海に長けた者を集めること。
今回代理人とは何があるか分からないので、最悪復路の単独航海の可能性もあること、などなど。
「あと、ニコラエフスクへの海路は、冬季に氷に覆われてしまうので、あちらへの到着を3月下旬(新暦で5月)以降にすべきらしいです。それを踏まえて、こちらの出発は3月の頭頃に…」
「…声が聞こえにくい。もそっと近う寄れ」
こめかみをさすっている阿部様が話半分も聞いていないように見えたので、言われるままに膝をずらして近づくと…。
「ちょっ、痛い痛い痛いィ!」
「少しは自重しろ」
いきなり耳を引っ張られました。
両耳を引っ張られてじたばたともがく7歳児とメタボ老中の構図は、じゃれ合う親子のようにも見えたという。
その様を覗き見た備後福山藩の藩士たちによって、小天狗隠し子説をひそかに流布し始めるのだが、このときはまだ本人たちの与り知るところではなかった。
***
「…話は戻るが、露西亜の側はまあ今の流れですくうなあ取引を模索するとして、やはり喫緊で問題なのはメリケン人たちか……あれしきの船数で動転した我々の側にも非はあるが、それで相手を調子づかせての3度目の不意打ちとなると……阿蘭陀が与力してくれる手筈としても、さすがにこれにも後手を引くようでは、恥さらしもよいところだぞ」
腕組みした格好で背中を柱に預けた阿部様は、ちらりと颯太を見て問いを発した。
「新式大砲をいくらか手に入れたとしても、それで防備できるのは江戸前のわずかな場所でしかない。あの者たちを完全にさえぎるためには、こちらにも同等の船が必要だろう。資金は厳しいがなんとかしてもっとたくさんの蒸気船を手に入れられぬものか? 阿蘭陀相手などとこだわらずともよい、おぬしの天狗知恵でなにか妙案はないのか」
天狗知恵って、なんなんですか。
かなり突っ込みたいんだけれども、そんな場合ではないことは分かっているので、華麗なスルーで言葉を継いだ。
「…なんでもかんでもそれがしに振ればいいなんて思わないでください」
「そうやってもったいをつけるな。まだ余裕ありげなその目は、腹蔵している案があると語っておるぞ」
「………」
「ほれ、とっとと吐くがいい」
「………」
そのまま待ち構える阿部様と永井様に、颯太は渋々というようにため息をつく。
「…まあ1隻に何万両も……それも黒船に比べたらどうってこともない大きさのやつに費やしているいまの幕府のやり方だと、列国に全財産をむしり盗られてもなお届かないだろうとは思います。そして闇雲に船を手に入れても、それを動かす技術者がそもそも足りない。場当たり的に船を求める方針自体、現実的ではないと愚考します」
颯太の遠慮のない考察に、阿部様はまた考え込むように眉間にしわを作った。
平成の世であっても、後進国が同じような軍備増強を望んだとしても、最新兵器を先進国は売らないし、何倍も対価を求められた挙句、二級品を売りつけられるのが関の山である。
この時代でも現実はそんなものである。列強国は、これからカモ葱にしようとしているちょろい幕府に、おのれたちに対抗できるような武器など渡したりはしない。
ならばもう、ここは資本主義のやり方に沿って戦うのがいっそベストであるといえるのではなかろうか。
「…あちらからばかり押しかけられるのも業腹ですから、一度こっちからも使節団をでっち上げて、これ見よがしに向こうに押しかけてみたらどうですか? 知らぬばかりでは何も始まりませんし、虎口に入らずんばではないですけど、もしかしたら何か解決の糸口が見つかるやもしれませんよ」