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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【長崎編】
206/288

025 船中八策?




颯太一行と永井様の江戸行は、安政3年(1856年)の1月上旬の凍てつく冬の海風に耐えながらの厳しいものとなった。

充分に厚着をしてきているつもりの颯太であったが、あまりイメージのない瀬戸内の雪景色を見たときには正直心が折れそうになった。船倉の隙間に全員で丸くなって風をしのいでいるのだけれども、船内にも雪は降り積もるし、溶けた水は容赦なく水溜りになる。この時代の梱包材なのだろう、俵を編むのに使うような筵を船頭から借り、それを身体にぐるりと巻きつけている。

前世の若い頃に、無茶して出た冬のバイクツーリングでも似たようなことをやったな、などと思い出した。上着の下に新聞紙……貧乏くっさくとも、防寒の断熱材として新聞紙は非常に優秀なのであった。


「寒さはなんとか我慢するにしても、滲みてくる水だけはたまらんですな」

「この寒さのなかよくもまああんな薄着で、水夫(かこ)衆も大変でござるな」


庫之丞と後藤さんが膝抱えに縮こまりながら、甲板上の水夫たちを見上げてぼやいている。

雪が降っている上に、やや波高の海上には強い風が吹いているようである。白い息を盛んに吐き出しながら駆け回る水夫さんたちには非常に申し訳ないのだけれども、乗客らは風のない船倉の下で感謝を捧げることしかできない。

風は強くとも西高東低の冬型気圧配置は、江戸向きの船には割合に順風であるらしい。むしろ風が良すぎて帆の張りを調整するのが大変そうだった。

江戸時代の気候は実は小氷期で、後世と比べて1~2度平均気温が低かったようである。


「あの料理番の火鉢、あったかそうですね」

「もうそろそろ、われらもあの水夫たちに混ざって暖を取りに…」

「永井様、あれまで取り上げたら水夫の人たちが凍えて動けなくなるから、役立たずの便乗者はなるべく我慢せんと」


船倉の隅には、角材で固定した火鉢があり、水夫たちが入れ替わり立ち代りかじかんだ手を温めている。その火鉢には当番の水夫が大きな鍋をかけていて、白湯がぐつぐつと煮えている。

狭い木造の船内で火鉢とか危険そうに思うのだけれども、水夫いわく、北前船は普通に火を使った船内食を賄っているところが多いらしい。

難破上等の命を張った航海だけに、食事ぐらいはあったかいうまいものを食いたいということであるようだ。気持ちは分からないではないのだけれども、当たり前のように激しく揺れる上に、可燃物に囲まれているので相当に危険であることに変わりはない。

鍋からあがる白い湯気だけでも、かなり暖かそうだった。


「今日の夕飯は、また味噌鍋にしてくんねえかな」


永井様がぼそりとつぶやいた。

この船にある航海食レシピで、鶏肉と野菜をぶちこんだ味噌鍋がなかなかの美味だった。むろん取って置きのご馳走で、颯太らが乗り込んだ初日に、船頭が奮発して供出してくれたのだ。

以後は、まあ限られた備蓄のこともあり、魚の干物と塩を入れた白湯が定番となっている。




さて、江戸に向うこの船旅で、颯太がなにもせず時間を空費するなどということはなく。

永井様も同行のこの急ぎの船旅で、彼が勝手に地元への寄り道を許されるはずもなく、代わりに何通かの文をしたためることとなった。むろん、それらは《天領窯》宛ての指示書である。


(当分地元には帰れそうもないし、せめて大阪の辺りぐらいで、この文を出させてもらおう)


これからの展開をざっと考えても……ともかく江戸に戻り、幕閣への報告とかいろいろとめんどくさい手続きを踏んだのちに、露西亜近辺の海の状況を見計らいながら『スクーナー商売』に出発ということになるだろう。クソ商人も言ってたけど、ニコラエフスクのあたりは冬場凍結してしまうから、現地着は3月後半以降(新暦で5月初頭)、逆算すればこっちから出発するのは3月の頭ぐらいが妥当。このままの感じだと江戸着が1月半ばぐらいになりそうなので、やりようによってはひと月ぐらいの時間的猶予が作れそうな按配である……苦労に見合った相応の利益(休暇)を、ブラック派閥の領袖相手であってもぶっこ抜かなくては商人として落第であろう。

そうして地元でゆっくりしながら窯の運営を差配して、時期が来たら出来上がった根本新製を抱えて、スクーナーの係留されてる戸田村に向う。


(浅貞屋さんに商品ストックをこの機会に増やしておけば、これから急なことがあってもいろいろと対応をお願いしやすい……手紙で品のやり取りが出来れば、最低限の商売の舵取りはできるようになるし)


生産状況の詳細と牛醐先生の新案を江戸に送って欲しい、現状仕上がっているものがあるのなら、小助どんと牛醐先生の検品の後、浅貞屋に発送して欲しい旨の文を。

普賢下の屋敷には、祖父の健康を気遣っている、家族みなの様子を心配しているという文を。

浅貞屋さん向けには、最終の検品が済んでいない荷が届くこと、近々自身がそちらへ寄るので、そのときの最終チェックまで外には出さないで欲しい旨の文を用意した。矢立(やだて)に用意していた紙が書き損じもありなくなりそうだったので、窯と普賢下宛のは半分にした紙に、字を細かくして書き込まざるを得なかった。次回はもう少し多めに紙を入れておこうと心に決める。




船は荷の積み下ろしのため大阪に一時寄港したため、それらはすぐさま飛脚問屋から発送された。

《天領窯》には小助どん宛て、牛醐先生宛ての2通、《浅貞》宛ての1通の都合3通。

大阪ではなぜか手紙出しに全員がついてきて、揃って昼にうどんをすすることになった。永井様がいい店を知っているようなことを言っていたのだけれども、船頭がすぐに出発するというので結局諦めるほかなかった。

そこから江戸に着くまでの1週間ほどは、ただひたすら暇を持て余した永井様と問答を繰り返して過ごした。

川村様と同じく、外交勘的なものが備わり出した永井様の質問に颯太が答え、導かれた歴史チートの断片からこの国の取るべき指針……メリケンの黒船艦隊を追い出すと言ってもそのあとのことが見えないと、永井様の至極もっともな意見に颯太が応える形で……国家戦略的なものの討論に明け暮れる。

阿蘭陀との安全保障条約の締結から始まる、正史とはかけ離れ始めた開国の流れと、通商を通しての富国策、そして強兵策。

颯太自身も幕府の一員であるがゆえに、倒幕に絡む幕末の展開予想には絶対に触れられない。かなり『たられば』的な、幕府による平和的国家統制を前提とした討論となり、これはこれでなかなかに白熱したものにはなった。

永井様のまとめたものが、以下である。



一、徳川幕府による、より強力な諸藩統制の枠組み構築と、徳川宗主を棟梁とする国家的武力の統一(まだ天皇を担ぎ出したあの幕末祭りは始まっていないので、永井様には天皇を元首とする立憲君主制などは理解してもらえなかった)

二、阿蘭陀との安全保障条約を皮切りに、外交力を持って国体の安全性を確保する。メリケンを打ち払うことで幕府の威を示し、これまでの条約をすべて改める。

三、開国と通商の自由化。通商の禁を解くことで海外の進んだ文物を安くかつ速やかに吸収する。武装の近代化を進める。

四、大老による幕閣の任命。将軍から任命された大老が、その他老中を譜代外様を問わず政権運営の与力として任意に選任する。幕閣以下の下級職も、因習を排した有能な人材の登用を進める。

五、すでに旧態依然な武家諸法度に代わる、国際情勢に対応可能な新たな国家憲法を制定する。

六、最新の火力を前提にした調練、軍制の改革。

七、金銀の交換レートを確実に幕府統制下に置くこと。海外交易には極力銀取引を推奨すること。

八、国力増進のために自国商人による海外交易をかなう限り保護すること。通商相手国には幕府側も領事を置き、自国商人の後ろ盾となること。…などなど。



よく考えたらこれ船中八策みたいじゃね? とか思った颯太であった。

まあとにもかくにもまずは二度目に来航するアメリカ黒船艦隊を堂々と打ち払うことから始まる『たられば』である。

あの恐るべき黒船艦隊を真正面から堂々撃退することで、幕府は威信を回復して、正史では右往左往であった外交問題をもっとましに捌けるようになるだろう。

イギリスもフランスも、幕府が意外にちょろいと判断したからこそ、あれだけ厚かましく内政干渉してきたのだろうと思う。オランダを上手く抱き込んで、軍制の改革を急ピッチで進めることが大事であり、その改革を進めるためにも幕府には湯水のような出費に耐えられる金銭的な余裕が必要であった。

幕末史で幕府に食い込んだフランスのやり口は、とにかくツケで武器を買わす! とにかくぼったくる! であったと記憶している。幕府は借金漬けになって、貧すれば鈍す、という言葉通りに、末期にはパンチドランカーのボクサーのように自分の行動の制御すら儘ならなくなっていた。

借金で首が回らなくならないよう、国庫を金で満たす。

そのためにやらねばならぬことは……知識チートを駆使すればいろいろとやりようはあるのだけれども、反対勢力、既得権益者がガチガチすぎてなかなかの難題になることは間違いない。

国家憲法の制定と税制の改革……そのあたりで武家による商人への冥加金たかりを排除して、代わりにいままで無税とかおかしな環境にあった商人らに公的課税を行い、国庫に吸い上げるようにするのはどうだろうか。利潤の多い金満の大商人には別途人員と規模をもとに外形課税を考えればよい。

幕府は課税する代わりに、海外へ進出しようという商人には優遇措置を取る。

海外から外貨を獲得してくれる彼らの存在はいずれ宝となるだろう。陶林商会も当然ながらすばやく進出するので、このあたりの制度は特に綿密に検討したいところである。


「…なんでそこで姿勢を正してるんですか、永井様は」

「いや、こうして改めて読み返すと、ずいぶんと大それた考えをいろいろほざいてしまったな、と…」

「………」

「この八策を伊勢様に献上したら、ははっ、あの狸親父、どんな顔をするかな」


まあこの策がそのまま上手くいってしまったら、明治維新はどこよってなってしまうんだけどね。歴史を歪め続ける自分にため息が出てしまう。

徳川幕府がそのまま明治、大正と存続してしまったらこの国はどうなってしまうのだろうか。

そうなった場合、最大の戦犯として歴史書は陶林颯太の名を記すのかもしれなかった。


明日からは1話更新となります。

場合によっては連続が途切れると思いますので、その点ご容赦くださいますよう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 折角の知識チートなのに国内の殖産興業に触れてないのはどうなんだろう? あと、国内の生産力をある程度任意に使えるようにする為にもいきなり金本位制を廃して信用貨幣制にして幕府に通貨発行権を持たす…
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