表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【長崎編】
204/288

023 長崎始末③






「あー、なるほど」


ひどく感心したふうな颯太のつぶやき。

彼は騒動の埒外にいてのほほんと見物を決め込んでいるのだが、他の関係者たちは予期せぬ捕り物にてんやわんやになっている。

李火長らがやんわりと検査を拒んだ理由……それは最後尾の船楼下の貯蔵庫で行われていた、後ろ暗いパーティを知っていたからに他ならない。清国人らの制止を振り切って中へと押し込んだお役人が見た景色は…。


「…『臭い』の元はこれか」

「煙はあまり吸わないようお気をつけられよ。後藤殿、ご協力よろしいか」

「そうやって口を濡れ手拭いで巻けばよいのでござるな」

「それがしらも御手伝いいたしましょう」

「永持殿もかたじけない。陶林様、いっとき両人をお借りいたします。林殿、石井殿は陶林様の警護をお頼みいたします」

「心得た」


開け放った扉の中から、うっすらと煙がたなびき上がっている。遠目に中の様子を見ると、しゃがみ込んで短い煙管(キセル)のような物を鼻に当てている男がひとり、それの順番待ちをしているのが幾人か……その他累々とマグロのように横たわっている者たちが見える。

これはもう言わずもがな……トリップパーティだ。


「阿片か…」


清国がイギリスの持ち込んだ阿片(麻薬)でえらいことになっているのは知っていたのだけれども、こうしてリアルに目にしてしまうと、いかに白人が有色人種を人間扱いしていないかが如実に分かる。

産業革命を成し遂げ、繁栄を謳歌しているような印象のこの時代のイギリスの、煉獄に焼かれてもなおとうてい足りないほどの悪逆非道っぷりは……後世の人類の身を正す上で『鬼畜の殿堂』のVIPルームに専用コーナーを用意したいほどのものである。

この当時、腐っても世界最大の王朝であった清国の、技術的な出遅れがあってなお価値を失わなかった絹製品や陶磁器、茶などの輸出品は、王侯の嗜好品であっただけに高値で取引され、イギリスの海外交易を司る東インド会社の首脳の頭を痛めさせていた。

工場でどれだけ製品を生産しても、大量消費生活に馴染みのないこの時代の清国人らはイギリスのいい顧客とはなり得なかった。

イギリス人の抱いただろうジレンマも理解はできるのだけれども、外貨を獲得するためになにをやってもいいとはならない。痺れを切らしたイギリスは、ついにマフィアも真っ青になる悪行……阿片の密売を公然と行うようになった。それが当然のごとく清王朝の怒りを買い、起こったのがアヘン戦争である。

その対立の構図のまごうことなき『犯罪者』側であるイギリスの勝利は、神がけっして正しき者に味方するものでないことの明白な証明であったろう。イギリス人たちはそれ以後はばかることなく清国人を麻薬漬けにして、大金をむしり盗り続けることになる。

長崎出入りの交易商人の拠点は、鄭氏がそうであるように東南アジアとの交易も盛んな南方の港湾都市であることが多い。まさにイギリスの浸透著しい、麻薬汚染がひどい地方なのである。

お役人と後藤さんが李火長ら船員たちをどやしつけながら、トリップ中のマグロを甲板へと運び出させた。身動きしないので縄をかけるまでもないとそちらを放置しつつ、船楼を強制捜査してしっかりと『ブツ』の押収にも成功する。

この船が岸から離れて投錨していたのは、まさにこのパーティのためであったと見て間違いない。颯太らの見学希望がなければおそらく露見しなかったことだろうが……まあ不運と思って諦めてもらうしかない。

後日、この事件によって、長崎では歴史上には残っていない西役所による唐船の摘発が続くことになるのだが……むろんこの時点では、期せずして起こしてしまったこのささやかな江戸版『茶会事件(※横暴なイギリス船の紅茶を住人たちが海に投げ捨てた事件)』……その広げた波紋がやがてバタフライ効果を発揮することとなるなどさすがの颯太も思い及ばない。

帆柱の桁に留まっていた数羽のカモメが、そのとき突然異常な鳴き声を発して一斉に羽ばたいたことにも誰も気付かない。


「イギリス、クソ過ぎやな」


完全に頭のねじが飛んでしまって白目を剥いている水夫らを見て、颯太は吐き捨てるようにつぶやいた。

薬中のリハビリ治療など存在するのかどうかも怪しいこの時代、かれらの健康が取り戻せるとはとても思えない。


(そのド汚いイギリスが、薩摩藩の策動の黒幕とかほんとに有り得んし)


後の歴史を知るだけに、イギリスの暗黒面に戦慄を禁じえない。

これから明治維新へと続くだろう(見込み)この時代、イギリスもまた回天する日本史の激動に大きく関わっていくことになる。鎖国で守られ続けてきた純朴なこの国の利権に、有色人種の人権など歯牙にもかけない傲慢なジョン・ブルが、虎視眈々と食指を伸ばすタイミングを計っている。いまはそんな危機的時代なのだ。

幕末に薩摩藩が武器弾薬の輸入に困らなかったのも、イギリスの後ろ盾があればこそ……おそらくはもうこのぐらいの年代には、かなりの度合いで薩摩藩に浸透が図られているに違いない。

想像に、颯太は思わず身震いした。

後世の歴史教育を受けているだけに、多元的に影響し合う世界史のなかの日本史的な、俯瞰的な視野で彼は考えてしまう。

日蘭和親条約を安保条約クラスにまで繰り上げる無茶な『転生者』がいる世界である。もしかしたら正史がすでに破綻していて、『明治維新』など影も形もない世界に変化しているかもしれないのである。

薩摩藩に与力するイギリスが、もしもの話ではあるのだけれど……幕末の武器商売で旨みを見出し得なかった場合だって想定せねばならない。有色人種を踏みにじるのにためらいのない彼らが、『清国での商売モデル』を江戸日本に持ち込まないなどとはとうてい思われない。


(…薩摩藩が武器を欲したからこそ生まれたギブアンドテイク……そうした必要から手を結んだ両者だったのに、それこそIFだけれども万が一日本の歴史が明治維新に向わなかったとしたら……もしもぼくの干渉で明治維新の不発……考えたくもないんだけど歴史の脈絡が狂ってきているのだとしたら……この世界の歴史はまだ『確定していない』んだから、イギリスの関わり方が変わってくる可能性もけっしてゼロじゃない)


思ったように武器が『商売』にならなかった場合、イギリス人たちは何のためらいもなく別の商品を持ち込んで『商売』を仕掛けてくるだろう。

その代替商品が『阿片』である可能性を排除すべきではない。

武器弾薬は本国から運んでこなくてはならないが、阿片ならアジアで現地調達が可能である。しかもかさばらないし、客を中毒化できればこれほど堅い『ビジネス』もないだろう。


(ぼくが干渉して、イギリス排除させといたほうがいいのか…?)


この時代のイギリスと比べれば、善性において米仏露のほうが数段ましである。…とは言っても、思い付きが途方もなさ過ぎて、これにはさすがの颯太も首を竦めるしかない。


(イギリスと薩摩の関係が切れたら、明治維新はそこでアウトやし、さすがにそこまで歴史に干渉するのはダメだろ。もう手遅れかも知れんけど…)

 

この阿片中毒患者たちがどのような仕置きを受けることになるのか、気になった颯太はお役人に尋ねてみたのだが…。


「清国人の罪を裁くのは、われわれではありませんので」


と、まあ予想通りの答えが返ってきた。


「阿蘭陀人のほうもそうみたいやし、やっぱり同じなんか…」

「手足を縛って、次のあちらへの船便で送り返すことになるでしょう……もちろんこの水夫たちを雇い入れていた船主か船長を尋問して、関与が明らかになれば『信牌』の没収は有り得ます」

「入港禁止か……そこまでやれば少しは罰になるんやろうな」


長崎出入りの外国人に対する司法権を、奉行所は持たない。

阿蘭陀とのやり取りでその辺りの治外法権はおおよそ知ってはいたのだけれども、やはりこうしてリアルな反社会的事案を見てしまうと、自分の国なのにともどかしさがこみ上げてくる。

『信牌』だけは、幕府(長崎奉行所)が恣意的に発行しているものなので(公的には公儀発行のものではないとされているらしいけど)、その貴重な入港許可を取り消すというあたりが実際的な『最高刑』となる。ちなみに長崎入港許可証となる『信牌』が幕府(長崎奉行所)発行でないとされているのは、清王朝の面子の問題である。『信牌』はもともと中国の王朝が、目下の属国に渡航許可として与えるものであり、それを清国側の船舶が東夷の小国に『与えられる』のは沽券に関わるのだそうだ。

そういう事大主義なことを言っているからイギリスなんぞに食い物にされているのだ、という典型的な事例だろう。




新地出島の役人たちが応援に駆けつけて騒動がひと段落すると、颯太はお人好しが帰るタイミングを失う陥穽にはまる愚を犯さず、さっさと辞去を申し出た。

帰る道すがら、小天狗はひどく無口だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ