021 長崎始末②
唐人屋敷を出る傍ら、途中で買った例の揚げパンを一行に配って食べさせる。
脂っこい揚げ物にあまり縁のない彼らに、その揚げパン(甘くはない)は奇妙な食べ物であっただろうが、異文化はそうした実体験から吸収消化していくものなので、その機会を提供するのも颯太の仕事のひとつといえる。
まあ劇的においしいものではないのでコメントはいまひとつであったけれども。食べ歩きの文化がないのでパンを食べきるまで路傍に座り、新地へと行き交う清国人たちを眺めた。
黙々とパンを咀嚼する永持、石井青年の目が、清国人の日常の息遣いに向けられている。口の中の奇妙な味と、身なりの違う清国人の姿が彼らの中で噛み砕かれつつ再構成されていく。
「知る」のと「分かる」のは違う。そのときほんの少しだけ、ふたりは清国人について「分かった」気がしていただろう。朝のコーヒーもそのトリガーとなっていれば幸いである。
「新地に行くよ」
今度の面通し先は新地(清国人用の出島)のお役人たちである。
お役の性質上、迂闊に陸揚げできないような品や、上陸許可のない人とのアクセスがあるかもしれない。顔つなぎをしておく必要があった。
新地の出島の構造は、阿蘭陀商館のそれと似たようなもので、かかる橋のたもとに出入りを監視する番所が設けられている。
荷の積み下ろしはすでに終っているらしく、こちらで勤務中のお役人たちはほとんどこの番所に集まっていた。交易関係の監督は立山役所ではなく伝習所の間借りする西役所であるので、颯太自身にはあまり面識はなかったのだけれども、相手側にはすでに『子供役人』の噂話は強烈に広がっているらしく、必要以上にかしこまられてしまった。
ふたりの紹介を済ませて、ついでなので後学のために現在停泊中の唐船を見せてもらうことをお願いする。
唐船(ジャンク船)は浅瀬でも航行ができる特色を備えているはずなのだけれども、新地出島の周りは相当に浅いのか、西洋帆船と同じく少し離れて投錨している。新地出島の蔵で作業中の清国人たちに声を掛けるも、唐人屋敷からやってきている在住の者たちばかりで船の関係者が見つからない。
案内のお役人は肩をすくめて見せてから、別段困ったふうもなく船に近い岸壁へと歩み寄り、口に手をかざして大声で呼ばわった。
「ウァーチャングァン!」
飛び出したのは得体の知れない中国語だった。
どうやら「臨検だ!」みたいなことを伝えているようだ。
離れているといってもせいぜい50メートルくらいのもので、声に気づいた船上の水夫がまたなにごとか中国語で返してきた。
むろん意味など分かりはしないのだが、慣れたものでお役人は身振り手振りで「迎えの小船を寄越せ」と要求した。相手の清国人はかなりいやそうな顔をしたが、外国で官憲の嫌疑を受ける不利益はこの時代でも同じなようで、すぐにその水夫も当直の管理者に伝えに走っていった。
ややして、あちらの船に横付けされていた小船が水夫に漕がれて近付いてきた。ほとんど無意識であるのだろうけど、お役人が軽く身だしなみを整え始める。
「積み下ろしの当日ならば当番の通詞もいたのですが……ああ、さっきのアレは通詞に教わったやつでして。自分を乗せろ、とか言う意味らしいです」
「公儀の面子もあるし、こういうのは衒いもなく堂々とやるのがきっと正解なんやよ。あちらにもちゃんと意味は伝わってるみたいやし、いいね、こういう異文化交流の現場感は。…『ワーチャンガン』ね、覚えたし」
すでに阿蘭陀商館長との厳しい交渉をまたぎ越えて来ている颯太の感想には妙な重さがある。実際に彼らが迎えの小船に乗り込んだときに、「ワーチャンガン!」と臆することなく口真似してみせた颯太の図太さには、大人たちも苦笑するしかなかった。
そうして汗臭い水夫に続いて舷側の縄梯子を上り、停泊中の唐船の甲板に上がった颯太たち。そこには少し身なりのよい男が立ちはだかるようにして立っていた。
紋付袴の颯太主従とお役人、裃姿の永持・石井の両人をみれば、すわ抜き打ちの臨検かと相手も警戒したのに違いない。おそらくはおのれの唐船での職位と今回の用件を聞いてきたのだろう男の語り言葉は、中国語に堪能でない一行の耳を見事に素通りする。
きょとんとするばかりの来訪者たちに、男はめんどくさい状況なのを察すると、同じくしわい顔をして横にいた水夫に顎で指示を出す。すぐに連れてこられたのは、片言の日本語を解する縮れッ毛の小男だった。
「用、なに、聞いてるアル」
「なんだ、言葉の分かる人がいるし」
言葉の通じない外国ならではのストレス……それを実体験する貴重な機会かと思われたのだが、『信牌』を与えられるほどの交易実績を積む唐船に、通詞が待機していないはずもない。
もっとも、この小男、正式な通詞というより、たまたま日本語を覚えた水夫なのだろう。颯太は小男の身なりの悪さから見当をつける。
「まあ言葉が通じるんなら楽でいいか。船の中見せてもらえるかな」
異国船の上というかなりアウェー感のある場にまるで臆することもなく、ヘいっちゃらで要求してのける子供役人に、清国人ばかりか同行の者たちもやや気圧され気味である。むろんそのあたりの微妙な空気感を読んでなお、颯太の鍛え抜かれた面の皮はびくともしないのだけれども。
小男が管理者らしき偉そうな男に「フォーチャン」と小声で呼びかけているのを耳に拾って、すぐさま鸚鵡返しに問うてみる。
「フォーチャン?」
じっと相手の顔を見上げたまま、やや疑問形で口にしてみるのがこの際ミソであったろう。
確実に気を遣われる側であるからこそ、そうした疑問にはすぐにフォローが入る。
偉そうな男の名乗りがあって、それを通訳の小男が日本語に開いた。
「李火長、言うアル」
『火長』とは唐船の航海長に該当する職位であるらしい。
船長その他主だった者たちは上陸許可を得て、荷受人である唐人屋敷在住の商人宅に行ってしまっていると言う。貧乏くじの留守番の幹部というところなのだろう。
「それで、火長、用、なに、聞いてるアル」
「…これは失礼いたした。それがしは幕臣にて、陶林颯太と申す者です。出島での荷改めがしかと行われているのかどうかの実見に立ち会にやってまいりました。ひと通り見させていただけばすぐに実見も終りますゆえ、ご協力願えると助かります」
ただの気まぐれ見学なのだが、正直に言ったらサービスが悪くなりそうなのでもっともらしいことを言っておく。むろん目配せで案内のお役人の口はつぐませている。
唐船と和船、その構造は竜骨をもたないという点で共通している。ただ和船と違い、唐船の特徴はその外洋航行能力の高さが挙げられる。
信長の某ゲームで技術名として挙がる『水密隔壁』と呼ばれる構造で、船体を前から後ろへといくつにも隔壁で隔てて、万一の浸水時に浮体としての力を失わないように配慮されている。
外洋での浸水はそのまま沈没、乗員全員の死を意味するだけに優れた技術であるとは思うのだけれども、李火長に案内されて回る船倉……荷積みの空間が、隔壁によってことごとく切り分けられているという意味でもあった。ゆえに積み下ろし時の手間を想像して苦笑してしまうくらい、検査もまたひとつひとつの船倉を梯子で上り下りするというめんどくささを味わう破目となった。
隔壁となる壁は、船体の強度を持たせる肋材に切れ込みを作って嵌め入れている感じである。颯太の目は、隔壁の分だけ余計に入れられている肋材の数の多さとその太さに向けられる。
(肋材が多いうえに隔壁そのものが更なる『補強材』っていうわけか……竜骨もなしに外洋を渡れるのはたぶんこの船体強度のおかげやろうな)
和船にもそうした隔壁があった時代もあるのだが、中小型船ばかりとなった江戸時代にはそうした技術は見当たらなくなってしまった。荷積みスペースに限界があるのに、隔壁で仕切る不効率を嫌ったのかもしれない。
永持と石井は初めて見るジャンク船(唐船)の造りに興味津々の様子できょろきょろしっぱなしである。
船倉に下りるとそれぞれに原色鮮やかな刷り絵が貼ってあり、目立つ場所に墨で文字が大書されている。聞けばそれは船の共同所有者の名や屋号であり、各船倉ごとにそれぞれ所有権が設定されているという。
舳先から艫に向って、同じようなところを検査していくうちに、李火長がまたなにやら言い始める。
「どの船倉ももう荷物、ないネ。見たってどこも同じ。お役人様に、手間取らす、申し訳ないヨ」
たしかに荷降しが済んだばかりで、こちらから清国向けに運ぶ荷も積み込みが始まっていないから、どの船倉もほとんど空である。
まあ十分唐船の見学もできたし、颯太としては船を降りても良かったのだけれども。案内に同行しているお役人がいつのまにか表情を険しくさせていて、颯太の目配せに「否」と言ってきたことから少し雲行きがおかしくなってくる。
失礼、と言って腰をかがめたお役人が、颯太に耳打ちした。
「少しお付き合いいただけますか」
「どうしたの?」
「同僚を呼んで再び参ってもよいのですが、それまでに証拠を隠滅されてしまっては元も子もなくなってしまいますゆえ」
「なに? 抜け荷?」
「最近多いのです。…まあたしかに抜け荷みたいなものと言えるのかもしれませぬな。荒事にはならぬとは思いますが、万一のときは護衛の方たちにご助力を」
「…どこで、なにに気づいたの?」
「独特の『臭い』ですな」
立ち上がったお役人の目が、鋭く艫側のほうへと向けられる。
全員がそちらのほうを見て、自然の流れで李火長と通訳の小男を見返したとき。
そこには顔色の悪くなったふたつの顔が、滝のように脂汗を流していたのだった。