020 長崎始末①
長崎奉行との面談を待つ間、時間を無駄にしない主義の颯太によって、二人が今後任されるだろう仕事のあれこれについての説明が行われた。
ふたりの主任務は長崎での対露西亜交渉の窓口役を務めること。および関係者間で交わされる情報の管理と統制を行い、定期的に取りまとめた情報を颯太を介して老中首座阿部伊勢守に上げることなどが伝えられた。
むろん言葉だけで伝わるものではないので、今日一日をかけて関係者の面通しと実地教習する予定である。
「…で、この者たちが、おまえさまの選んだあちら向けの専任常役ですか。こっちはわたしもよく見かける顔ですが…」
公務の開始早々二人を引き連れてきた颯太に、苦笑しつつ面談に応じた川村様に目配せで「こっち」扱いを受けた永持青年が、しばしの硬直のあと「永持亨次郎と申します」と平伏する。永井様の御目付であるのなら、先日の酒宴だけでなくいろいろなところで顔を合わせてはいるのだろう。「こっち」扱いに地味にショックを受けたっぽいが。
「いし、石井修三でございます」
緊張しまくって舌を噛み噛みな石井青年。若干早口で聞き取りにくい。
プログラマとか技術職にこんな感じの人は多いんだけれども、思考が自己完結的で相手に言葉を伝えようという気持ちが希薄であるからなのかもしれない。
まあともかく。こののちの上司となる長崎奉行との面通しと、処遇についての話がひと通り終る。
現状、ふたりの身分は伝習生として留め置かれるものの(長崎奉行所の常役としての雑務よりも、外洋航海術などの習得のほうが優先度が高いとの颯太の判断)、授業の合間を見て10日に1度くらいの頻度で立山役所に出仕して、都度最新の情報を取りまとめる作業を行う決まりとした。
むろんその出仕のたびに、ふたりはルート営業のように露西亜国の窓口と接触してもらうわけだが……そのためにはそちらへの面通しも必要となる。
「唐人屋敷に、そのような者がいると」
「二人が任される任務の内容もそうだけれど、このあたりはみんな『極密』でよろしく。ばらしたら泣かすし」
「泣か……いえ、なんでもありません」
6歳児に泣かすといわれて口ごもるのもどうかとは思うのだけれども、石井青年までも首をすくめているので、感想的にはふたりとも似たようなものなのだろう。颯太は少しだけ鼻を鳴らして、先頭に立って立山役所を出発した。
唐人屋敷は出島のある界隈よりももう少し南にあるため、立山役所から割合に距離がある。まあこの時代の人間の健脚にかかれば、半里程度は20分程度のものである。
「ああすいません。また来ました」
到着するや、もはや勝手知ったる場所とばかりに詰め所の役人に手振りして、ずんずんと唐人屋敷に入っていく颯太。番方のお役人に苦笑で見送られている。
颯太の後ろには後藤さんと庫之丞は隙なくぴたりと追随し、その後ろを戸惑いつつ永持石井の両人が続く。
「ここのなかでは和語はあんまり聞き取られんかも知れんけど、取引については公言しないように。目的の屋敷に入るまでは、口に紐を結んどってね」
実際、このエリアの治安がいかほどのものかは分からない。格好で武士と分かる人間にちょっかいをかけるような手合いはいないと思うのだけれども、今後訪問は彼らだけになるのだから、身の安全を図る上でも黙って足早にというルールは覚えさせたほうがいいだろう。
そうして唐人屋敷の中でも割合奥まったところにある鄭家の門前に立ち、拍子木のようなノッカーを遠慮もなく叩く。
覗き窓から訪問客をうかがい見た家人は、忘れもしない紋付袴の子供役人の姿に真っ青になって、門を開けることもせず奥に走っていってしまった。あからさまな『招かれざる客』扱いに颯太の眉がピクリと動く。
「主人に来客を伝えに行ったのでござろう」
後藤さんが珍しくフォローをしたのは、おのれの護衛対象となる颯太が前回悶着を起こしているのを覚えていたからだろう。散々に論破しこき下ろした相手の邸宅への連日の訪問なのだから、少しでも波風を立てたくないのが常識ある同伴者の心情であっただろう。
しばらくして門が開き、やや慌てたふうの主人……鄭士成が客たちを出迎えた。鄭士成の伏せがちの目が、颯太のそれと空中でぶつかるが……すぐに両者の現時点での力関係が再確認されることとなる。
視線を逸らしつつ、鄭士成が軽く一礼する。
「連日になって申し訳ないんやけど、担当役を決めたんで、挨拶方々連れてまいりました」
「これはわざわざ……お忙しいなかご無理をなさらずとも、申し付けていただければこちらから出向きましたものを」
「出向かせようにも、異国人を街中に呼びつけるわけにはいかんでしょう。事の性質上、いろいろとやり取りするのはどうせこの屋敷の中になるんやろうし……急に来て申し訳ないけど、中に入らせてもらうよ」
「それはもう、どうぞご遠慮なく……だれか、茶を用意しなさい。…皆様、それではこちらへどうぞ」
「ほんと、悪いね」
「………」
厚かましいおっさんよろしく、手振りでごめんちゃする子供役人に、鄭士成のにこやかなビジネススマイルにぴしりと皹が入ったのが目に見えて分かる。
例の叩き合いがあった部屋に通されて、振舞われた茶をひとまず口にする颯太とその一行。
「今日のはなんだか馴染みのある茶やね」
「町で手に入る程度のよいものを御用意いたしましたが、お口に合いませんでしたか」
「昨日のはいい香りの烏龍……あちらの高級そうな茶だったんで……ああ、特に意味はないから変な深読みはしないでね」
「…一等のをお出ししろ」
にこやかなままで舌打ちしそうな鄭士成を庫之丞と後藤さんがハラハラして見守る中、颯太のパワハラがじわじわと行われる。
盛大な叩き合いののちに手にした優位を確固たるものとして関係者に植え付け、何も知らぬ後任にその優位な状況を引き渡そうという颯太の駆け引きである。
むろん相手の鄭士成もそのあたりは分かっている。この汚い大人社会の駆け引きは、むしろ彼らの側のほうが熟知している類のものだった。分かってはいても、尻子玉を掴まれてしまっている鄭士成らには現状泣き寝入りしか道はない。
のうのうとそうした駆け引きを当たり前のように駆使する6歳児がそもそも規格外なわけで。
「永持殿、石井殿、…こちらが『窓口』となる鄭大人です。彼の国との荷受引渡しの役務を請け負っていただくことになります」
「それがし、永持亨次郎と申します」
「い、いし、石井修三です」
「鄭士成です。どうか今後ともよしなにお願い申し上げます」
「鄭大人は『南方五龍』の一角を占められる、清国でも指折りの交易商だそうやし、海運の実務については存分に頼ったらええと思う。ものの道理をしっかり弁えたお人やから、多少の無理難題も笑って骨折りしてくれると思うし」
「………」
思わず見開かれた鄭士成の眼差しを、ひそやかな笑みとともに見返した颯太。その両者の間に交わされる無言のやり取りに、永持青年のほうは気付いたようである。
『南方五龍』云々は、新地(清国人出島)出入りの多い奉行所の担当役に聞き込みすれば割合簡単にたどり着ける情報である。
長崎交易における清国の割り当ては、年たったの30艘。
長崎奉行所の発行する許可証である『信牌』によってその30艘は特定される仕組みで、当然ながら相当な実績と信用を積み上げてきた商人でないとその『信牌』は与えられなかったから、唐船の船主はほぼ例外なく有力商人であった。
つまり長崎に入港する唐船は、ほぼ例外なくなにがしかの有力な商家、地域グループに属しているわけで、その有力な集団のひとつが福建の鄭家であり、大陸的な厨二精神の表れとして南部の商港に依拠する者たちが『南方五龍』などと呼ばれるようになったのだろう。
現代人の感覚として颯太がその呼称の『痛さ』を揶揄しているのだけれども、鄭士成のほうは実に分かりやすく誇らしげな様子になった。
「『五龍』のなかでも鄭氏は一の龍、スイビーリの総督閣下のお目に留まったのも、特に手広く商いを行っていたからにほかなりません。大陸の津々浦々、果ては北のニコラエフスクにまで船を回しているのは自賛するようでお恥ずかしい限りですが、わが鄭氏のみでございましょう」
「はぁ、そうですか」
「鄭氏有する百有余艘の唐船、おおせとあらばすぐにでも諸国の貴重な珍品を山と掻き集めて見せましょう。永持様、石井様、五龍が一、廈門鄭氏をどうぞ存分に御用のお役にお立てくださいますよう」
前世でもそうだったのだけれども、中国の人たちは計算高い反面、その場の高ぶりで義兄弟の契りをしまくってしまうくらいに実は開けっぴろげで激情家でもある。誉められれば照れまくるし調子にも乗るし、やたらと『客』や『目下の人間』の世話を焼きたがる。
悪い人間性ではないのだけれども、深く考えての発言ではないので、その場で結んだ約束事はほとんど当てにならないことが多い。そのあたりをわきまえて付き合えば、大火傷はしないで済む……むろん颯太の中のおっさんの前世マメ知識である。
奉行所で拾った小ネタを投げてクソ商人をいい気にさせたのは、彼らのそうした実態を後任者たちに見せておくためであったりする。調子のよいことを吹かせておいて、あとでその空手形ぶりを検証とかする予定だ。
「大人、以後この両人をこちらとの連絡役となる予定です。だいたい10日に一度くらいの感覚で顔を出さすけど、それ以外の日に緊急の知らせが伝わったときとかは、率先して長崎奉行所に遣いをやって連絡つけて欲しい」
「陶林様は…」
「自分はいったん江戸表に戻らなあかんし。あらちに渡す『もの』はもう用意済んどるから、その持ち出しの最終判断を上に仰ごうってとこやね」
「…ッ! もうご準備が済んでいると」
「わが国の技術者(船大工)の腕をみくびっとったらあかんよ。今回のことが上手く運べば、いくらでもすぐに用意するし。むふふ…」
クソ商人向けの新たな手札を一枚切りつつ、颯太は今日の面会を仕舞いとする。チラ見えした餌に相手が食いついているのを見つつ、引き止める暇も与えずにさっと屋敷を後にする。
こういう利に汚そうな手合いは、下手に間を空けると気移りして碌なことがないので、定期的に利をちらつかせておくのが王道である。設計図や製法を委託製造しようと渡しておいたら、半年もしないうちにアリ〇バにそっくりの製品が出品されていたりとかよく聞く話であった。
平成の時代なら、そこまで信頼性がないとはいえあちらにも『律士』という弁護士のような存在があるので、しかるべき『契約書』を用意すればある程度手綱を絞れるものの、この未開な時代にあっては当事者が責任を持って上手く捌くべきものなのだろう。(ちなみにあっちの法律は絶対じゃなく、そのうえに党がいるので、法廷闘争の時も「何もなければいけるから」とか微妙な言われ方をする)
まあどんな手合いであれ、実績を積み重ねていけばある程度気心も知れてくるし、それなりに商売を任せられるようになるとは思うのだけれども。
そうなると楽だしいいなあ。
無理っぽいのは承知だけど。
さあ後は頼んだぞ、永持君、石井君。