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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【誕生編】
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019 西浦円治





人間、慣れないことをするものではない。

多治見郷での西浦家偵察がものの見事に失敗し、あまつさえ顔までも印象的に覚えられてしまうという、いわゆる『自爆』状態でほうほうのていで大原郷まで逃げてきた草太は、ともかく人目につくのを嫌がってまろぶように厠に逃げ込んだ。

林家の厠は陶製の雪隠(いわゆる和式便器)という画期的な設備を誇っていたが、同時にしゃがめば姿が見えなくなる背の低い戸板で半個室をも実現していた。


(オレの馬鹿ッ、オレの馬鹿ッ、オレの馬鹿ッ!)


自己嫌悪のあまり厠に籠もって戸板に頭突きを繰り返していると、小者のゲンに見つかって貞正様にご注進されてしまった。まあ冷静に考えると、ガツンガツンと相当にうるさくしていたに違いない。

で、職員室に呼び出しを喰らった。

いままさに、貞正様の前で正座して小さくなっているところである。


「…さいきん派手に遊び回っていると聞いとったが、多治見郷まで行って窯元に出入りしていたそうだな」


すでにいろいろと貞正様は知っているようで。

他領のこととはいえ横の連絡は結構つながっているらしく、大原郷の林家の名を出して窯元への出入りを認めさせた経緯などは、孫とはいえ当事者能力のない5歳児が勝手にしていいレベルの話ではなかったためこってりと叱られた。

ただ、行き詰った感のある林家の内情を打破するには、この恐ろしくポジティブな孫の行動力に期待しているふうもあり、出歩くことを禁じようという叱り方はしなかった。


「おまえは窯など見物して、なにをしようとしておった? 多治見郷の三窯【※注1】はたしかに歴史も古いが、萩や唐津の物に比べて職人の技術も落ちるし、出来も面白味のないつまらぬものばかりだと思うが」

「…お爺様は、焼物にお詳しいんですか?」


草太は居住まいを正した。

ただ叱られるばかりだと思っていたところに、問う形で『美濃焼』についての意見を求められたのだ。

まっすぐに貞正様の目を見上げると、そこには孫相手に冗談を言ったふうの砕けた様子はなかった。普賢下林家の当主として、今後の家の運営について意見を聴取しようという真摯な光がある。


「それなりにはな。この地で生まれ育てば、自然と焼物についての知恵もついてくる。この中山道からも外れた東濃の僻地に人がこれほど居ついたのは、焼物の土が多く採れ、多くの窯が開かれたからやろう」


たぶん孫が頭で考えていることなどうすうすは察しているのだろう。それなりに有力な庄屋の家に生まれ、さらには当主として家産を増やすべく頭を悩ませたことがあるのならば、同じような考えに思い至ることは想像に易い。きっと貞正さまも、自家で窯の運営することを夢想したに違いない。

草太は唇をかみ締めて祖父を上目遣いしていたが、超能力者ではないので祖父の意図を完全には読みきることなどかなわない。

自然と胸の動悸が早くなったが、ここで林家の絶対君主である祖父を説き伏せることへの可能性を考えると、舞い上がったまま願いを並べ立てるような馬鹿な真似はしたくなかった。

実務人であるこの祖父をその気にさせるためには、実際的なプレゼンテーションが必要だろう。前のめりになりそうなおのれを、強いて落ち着ける。


「なんで我が家は、これまで《窯業》に手を出さなかったのですか?」

「美濃焼に手を出したいのか」

「…土蔵の累代家計簿を読みました。我が家の借金はいまのままでは最早どうしようもないと思いました」


まずは必然性。

新事業に手を出すためには、林家という母体にも大きな負荷をかける覚悟がないとできない。その負荷に直接見舞われるのがこの祖父なのだから。

累代家計簿、という言葉に祖父は目を剥いた。

土蔵の中に仕舞われた、当主の手によって書き綴られた林家の資金繰りについての記録である。120両に及ぶ大借金をたった5歳の童に知られたことへの気恥ずかしさと、その読み物としてはあまりにつまらない書付をこの歳ですでに読んでいたおのれの孫への驚きが、めったに動揺しないこの祖父の眸を揺らした。


「その借金をした相手がどんな人間なのか興味がありました。西浦とは、多治見郷の庄屋で、美濃焼を大きく扱う商家でもあるようでした。…この目で見て、そして聞いて回れば、我が家に1000両も貸し付けることができる道理があると知りました」

「………」

「焼物は儲かると思います。我が家もやるべきです」


端的に。率直に。

多治見郷の西浦家は、この地では同じ《庄屋》だというのに、家産の多寡に天と地ほどの開きが生まれてしまっている。その違いを生み出しているものは何か。それは《美濃焼》の売買であり、ものを右から左する商家としての側面であっただろう。

林家は半農半士で。

西浦家は半工半商で。

同じ庄屋でも、その体質はまったく相容れるものがない。

草太のたぎるような眼差しに、祖父は軽く目もとを伏せるように視線をそらし、


「やろうとして、やれるものならばすでにやっていただろう…」


祖父もまた、成功した西浦家をただ指をくわえて見ていたわけではなかったろう。幕府の大身旗本の縁者として、またこの治の有力な庄屋のひとりとして、そのコネクションを利してやれるだけのことはやったに違いない。

だが、現実として財政を傾けさせた林家だけがそのままにあるだけである。


「自ら窯を持つためには、《窯株》【※注2】を求めねばならん。お上の許しを得るためには、まずその免状が必要なのだが、それを得るためには大枚がいる。《窯株》を傾いた窯元から譲り受けるにしても、その相場は300両ほどもいる」

「300両!」

「そうだ。それが相場であるらしい。もっとも、西浦屋のようにしたたかなやり手ならば、その限りではなかろうがな」


厳しい現実に息をのむ孫に、ため息をついた祖父。

西浦屋の『例外話』が後付けに出てきたのは、孫のやる気を折らないための気遣いだったのか。

草太に目でその先を促されて、祖父は淡々と昔語りのように言葉を継いだ。


「…先代、二代目円治翁は、手練手管で食い詰めた窯元から《窯株》をいくつもはした金で奪い取ったことがある。…30年ほど前になるだろう、恵那五カ村に村単位で許されていた《窯株》に目を付けて、笠松郡代様に取り入って勝手に新窯を各村に増設すると、既存の窯元をあからさまに圧迫しだしたのだ。そして苦情を申し立てた五カ村と争議を起こし、問題を懇意の郡代様の裁きの場に持ち込ませた後に、得意の搦め手で追い詰め《窯株》を吐き出させたらしい。それ以来だそうだ、西浦の家がみるみるうちに家産を増やしたのは」


人間、何か悪いことをしないと金持ちになれないと言う縮図だなー。

先代西浦円治、半端ねえな。

ごり押しにつぐごり押しで、恵那の五カ村から6株も吐き出させて、自前の窯を次々に増設したそうだ。

まさかこの片田舎に、ビッグファイヤー的な腹黒オヤジが現実にいようとは。あくまで貞正様の伝え聞いた話に過ぎないから、真偽のほどは定かではなかったが。

どんな時代でも、結局声の大きいやつが得をする仕組みであるらしい。ごね得、ごり押し得は、謙虚に生きている者から見たら非常に許せんのだが。

で、ごね得したやつは決まって言うんだ。なんでみんなゴネねえのかなあって。

外から見たら嫌なやつに見えるからに決まってるってのに。

…話はそれたが、なるほど西浦家もそれなりに、悪の花咲き誇る鉄火場を潜り抜けてきているらしい。挑みかかるのならば、それなりの覚悟が必要となってくるだろう。


「それでも、窯が欲しいと思うか」


祖父の問いに、草太は力強く首肯した。






【※注1】……三窯(さんよう)。多治見の陶祖、加藤半右衛門景増の子、景姓が《東窯》を、景郷が《西窯》を、その景郷の子茂兵衛が《中窯》を開いた。

【※注2】……窯株(かまかぶ)。江戸時代、焼物の乱造を制限するために幕府が設けた制度。これがないと窯を所有運営することができなかった。


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