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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【誕生編】
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018 いまできること






《敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず…》


有名な孫子の言葉だが、これは現代チート知識引用ではなく、貞正さまによるスパルタ教育の賜物として身についた今世リアル知識である。



***



現在は安政元年。

1850年代の半ばあたりだろう。

明治維新まで、あと十数年。

年を取ると時間などあっという間に過ぎていくものだが、5歳児のそれは苦痛なほど遅々として進まない。その苛立ちは若さを失った大人には贅沢な感覚であっただろうが、こうして2回目の子供時代に突入した彼は、やっぱりはやく大人になりたい病に罹患した。じれったすぎて我慢できないのだ。


(この身体が大人だったら何だってできるのに…!)


悶々と思い悩み、最近寝つきの悪くなった彼は、悪夢にうなされて飛び起きることが多くなった。

大汗をかいて飛び起きる寸前、きまって究極の選択を迫られている。

後ろ暗い噂で引退を余儀なくされた、暴言の多いアゴの長い某有名司会者が、


「さあ、どっちにすんねんッ!」


回答者であるらしい彼は、テレビ的にあまりよろしくない頭の回転の悪さを発揮して、うあああと言葉をひねり出すこともできずにもだえている。


「選択はふたつ! 

A、このまま、おとなしく明治維新を待って動き出す。

B、既得権益魔法で超絶化したボスキャラに立ち向かう。

さあ、はよ答えんかいッ!」

「うああああッ!」


二者択一。

美濃焼が自由化のビックウェーブに乗るのは明治年代初期ごろであろうから、商機となるタイミングの目安は1870年前後ぐらいである。

つまり、その頃には彼は20歳ぐらいになっているわけで。

おとなしくチャンスを待つのなら、だいたい15年ほど雌伏しなくてはならない計算なのだが、そこまで自分が我慢できるのかと自問する。

ムリならば、ここは敢然と立ち向かうのか。


(こっちの初期値が低すぎだよ…)


全国レベルで見れば、東濃一の豪商など、ローカルな有力者のひとりに過ぎないだろう。大名家どころか幕府すら顔色を変えさせる豪商だっていくらもいるのだから。

RPGでいうなら前半のダンジョンにいそうな中ボス程度だろう。

だがしかし。いまの彼はひのきのぼうさえ装備していないレベル1の冒険者程度。いきなり中ボスバトルはムリというものだった。

だけれども、それでも。

この現代知識をもてあましたまま15年を無為に過ごすなど、人生の浪費もはなはだしい。きっとそのうちにストレスのあまり脳が腐って狂人になるかもしれない。

あまりの無力感にのた打ち回ってる自分を、家人がいたそうな眼差しで眺めているのがリアルに想像できる。なんかいい具合に煮立ったニートみたいじゃないか!

いかんいかん。

ルート選択するかどうかはともかくとして、前向きな気持ちをおのれのうちに向けるのは精神衛生上大変よろしくないだろう。

ということで、鉄は熱いうちに打て、だ。

彼は究極の選択をとりあえず脇に置いて、「いまできること」をやることにした。




で、いまは冒頭の辺りに戻る。

情報収集という名の散歩を敢行しているわけなのだが。

草太はいま、その眼を大きく広げて、多治見郷の大きな辻に立っている。


(これは……取引価格のレート表か!)


そこは多治見郷の中ボス、西浦屋敷の門前にほど近いあたり。

千坪単位の広大な敷地を取り囲むように、武家屋敷を思わせる石組みの堅牢な基礎の上に漆喰塗りの塀が延びている。左手には使用人用と思しき勝手口が、右手には寺の山門を思わせる豪華な棟門が見える。

その屋敷に面した道の辻に掲示板のようなものがあり、なにかを書き記した木札が道場の名札よろしく並べて掛けられている。

見れば、一目瞭然。

近い例えで言うなら、ガソリンスタンドの価格看板みたいなものか。


陶器の碗は〇〇文。

陶器の皿は△△文。

陶器の大皿は銀×匁。

磁器の大皿は銀□匁…


それは《美濃焼》の取引価格表だった。

一種異様な光景に軽いめまいを覚えたが、塀の向こうに見える立派な瓦屋根をきっと睨みすえて、足に力を入れた。

それはあからさまな『価格統制』の公示であった。

美濃焼総取締役たる西浦家当主の権限により、一方的に取引価格が定められているのだ。そこには自由取引など気配すらも存在せず、ただただ西浦家の都合だけが並べ立てられていた。

そしてそれは美濃全域の窯元に対しての強制力をも有しているに違いなかった。


(西浦屋、ぱねぇ…)


自分の欲しい価格で、売ることを強要する。

拒否したら、どうぞご勝手に。でもどこにも売らせないよ。お上への年貢以外で、この地から焼物が出て行くルートなんか、うちしか持ってないんだから。

なに、他の店に売る?

うちに喧嘩売る気?

喧嘩ならいつでも買いますよ、負ける要素ないですし。

…とまあこういうことだろう。そういえば、弥助のいる《西窯》の焼物も、『西浦』の木箱に入れられて輸送されてたっけ。

見た瞬間はそれほどのこととは思ってなかったが、こうして現在の状況が明らかになると看過できぬほどの重い傍証であったことが分かる。

草太の頭の中で、西浦家3代目西浦円治の姿が、悪の巨魁的な巨大なシルエットとして浮かび上がっている。手下たちが「ビッグファイヤーのために!」とかいいそうな雰囲気である。

いかんいかん。

恐れの気持ちばかりが先行すると、たいていろくなことにならない。大会社の社長だって、聞いてるだけだとすごい大人物のように感じるものだが、実際会ってみるとよぼよぼのしょぼくれた爺さんとかいうケースだってあったりする。西浦円治御大も実物を見るまでは評価は保留である。

草太はひととおり現在の価格をチェックしたあと、西浦の家に出入りしている人間の観察に入った。

道端に坐って、小石でなにやらひとり遊びしているふうを取り繕う。大人がそれをやってたらあからさまな不審者だが、5歳児がそれをやるぶんには問題がないだろう。

木箱を担いだ人足や荷駄などが入っていっては、順番に空荷になって出てくる。見れば屋敷の敷地には大きな蔵がいくつも並んでいる。在庫をプールして、品がそろい次第運び出しているのであろう。

荷運びの人足とは別に、家人らしき姿も頻繁に出入りしている。周りの人間がへいこらしているので西浦家ゆかりの人物であることが察せられる。

段々と日が落ちていき、薄暗くなっていく中、もうかれこれ二刻ほどもそうして西浦の門前を睨んでいた5歳児が、ふと視線に気付いて顔を向けた。


「あっ、やば」


半顔だけ漆喰塀からのぞかせていたその視線の主は、ぱっと辻の向こうに顔を隠したものの、意外と図太いのかすぐに顔を出してくる。

10歳ぐらいの少女だった。黒髪を肩のあたりできれいに切りそろえて、前髪を額が出るように左右に分けている。

秀でた富士額がまぶしい。デコが光そうな少女だ。


「やっぱ、みつかってるし」


てへへ、と笑いながら出てきたのはどこかのお姫さまだろうか。みやびな色彩に乏しい田舎の村に、京の町にこそふさわしいだろう鮮やかな染付けの着物を着た少女である。


「だから言ったのです。お嬢様はすぐにへんなものに興味を持たれて! さあさあ、絡まれないうちにお屋敷に戻りましょう」

「ちょっとまって……うちの人間を親の仇みたいに睨んでくる童がいるってみんな騒いでるんだもの。なら祥子が正体を暴いてやるんだから!」


目立ってないつもりが、相当に悪目立ちしていたらしい。

様子から、西浦家のご令嬢、というところだろうか。デコ少女は気が強くて好奇心が旺盛というテンプレに当てはまりそうな人物である。

どうしようか?

かかわりを持つか持たないか。

とりあえずすでに注目されているのなら、これから起こることに素早く対処すべく体勢を整えねばなるまい。アレが西浦の大事な令嬢なら、もしかしたら用心棒あたりが彼を排除しに出張ってくるかもしれない。

すくッと立ち上がる。

そしてじっと祥子という名の令嬢を眺め見たのだが…。


「ひうっ!」

「にっ、にらまれましたわ! お嬢様!」


令嬢とおつきの女中がそのままきびすを返して逃げ出した。

あれっ?

きょとんとしたまま、草太は辺りを見回した。

するといままで気付かなかった視線が、磯のフナムシのようにぞわっと物陰に消えた。うわ、いろんな場所からすごい見られてた。

どうやら彼の偵察は、「天下の西浦にガンつけしているおそろしげな子鬼」ふうに見られていたらしい。

大人だったら、喧嘩売ってると取られてもおかしくない状況だな…。

とりあえず偵察は失敗である。こればっかりは5歳児だったことに感謝って感じだな。


「やっちまったな、てへッ☆」


5歳児らしく愛嬌たっぷりに頭を掻いてみたが、周囲の視線は生暖かくなっただけであった。


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