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陶都物語~赤き炎の中に~  作者: まふまふ
【長崎編】
182/288

001 長崎行






日蘭和親条約……史実では安政2年12月23日(1856年1月30日)のこととされている。

むろんそれは条約が発効したその日であり、現在進行形で歴史を刻み続けている当時の人間たちに……幕府関係者やオランダ人らに、その日を『ゴール』にしようなどという意識は働いてはいない。

現状、川路様が口にした「師走半ば」というやんわりした日程はあるのだけれども、これは結局のところ決断する側である幕府側要人であるからこそ口に出来た「予想日」であるのだろう。

むろん生半可知識の颯太が日蘭和親条約のことなど覚えているはずもなく、疑問にも思っていない。

史実通りにその日が締結日となるなら、あまり時間的余裕はないのだけれども、知らぬものの暢気さであろう、厨二病を刺激して止まない爽快な船旅を颯太は満喫していた。


(…大阪まで4日、瀬戸内を進んでこの関門海峡までで8日やから、玄界灘を回って長崎までだとすると……もうあと2、3日で楽勝やわ)


颯太たちは美濃焼の荷降し湊でもある木曽川今渡で川舟に便乗し、桑名沖で大阪戻りの廻船を捕まえて、12月9日には大阪にたどり着いていた。

あまりに計算どおりに行き過ぎて、つい大阪で食道楽を求めるなどの休養までとった颯太であったが、12月13日、西回りの廻船からここまでよと蹴り出された田野浦港(※関門海峡の九州側停泊地)で、ついにさしもの鬼子も泡を食うことになる。

大阪から颯太が便乗していた廻船は実は北前船で、本来この年末あたりはオフシーズン、春先まで瀬戸内のどこかで冬篭りに入っているものなのだが、昨今の天災続きで幕府の要請を受けた問屋連が動いているものらしい。

あくまで波の荒い冬の日本海を避けた瀬戸内とその近隣に限定された便しかなく、颯太の乗っていた船は北前船の定宿ともいえる田野浦港で九州の産品を積んで大阪に戻るのだという。

たくさんの船が行き交っているのでなかには長崎行きのものも多分あるのだろうけれども、田野浦港は持ち込みの諸藩の船と積み出しの大阪行きの船ばかり。探すなら大里に行けと教えられるまま移動した颯太たちであったが…。

長崎街道の入口である大里の港は、街道筋の渡し船ばかりだったというイリュージョン発生。幕府権力チート発動したいんだけど、廻船どこよ!?


「長崎行き? 乗せてくれっ! プリーズ!!」

「あぶなかぞ! そこばどけ!」


沖合いを進む船を捕まえようと小船で接近をはかる颯太に、無情な怒声が叩きつけられる。幕府の役人だぞ止まれ乗せてけとどれだけ騒ごうとも、ただでさえ狭い海峡で操船に忙しい水夫に声など届かない。それに海の上は波や風の音であふれかえっている。


「もうこまめちゃんだっち思いましゅ(もう無理やと思います)」と赤ら鼻をすする船頭。

「…全滅ですな」

「…マジか」


びぇっくしッ!

くしゃみして寒さに身をかがめる颯太。

やばいやばいやばいやばい…。

小船の船頭さんいわく、この冬場に船便自体が少ないのだという。見かける海峡通過の船も田野浦港で見た諸藩の用船のようで、幕府の小役人が頼む筋合いのものではなさそうなのも痛い。


(マジで遅参する…)


結局1日棒に振っても長崎行きという都合のいい船を見つけられず、颯太は冷や汗を流しながら『歩いたほうが建設的』という厳しい現実と向かい合わねばならなかった。

総延長57里(228km)、大里宿から伸びる長崎街道は素敵なほどに長かった。


「…小早を借り受けて長崎まで……ものは相談やけど船頭さ…」

「大里から長崎まで小船で行くなんて聞いたこつもなか」

「そこを曲げて是非…」

「お役人しゃんん頼みばってんそいばっかりは」


びぇっくしッ!

在地譜代藩を頼る伝もなく、小船の船頭を篭絡するほどの余裕もない貧乏人は、歩くのがやはり分相応なのだろう。

余談であるが、この時代長崎に向う旅人もお役人も、ほとんどがこの長崎街道を通ったようである。歴代オランダ商館長さえもこの街道を通って江戸に参府していたというから、まあ歩きになるのは仕方がないことではあった。


かくして安政2年12月25日(2月1日)に至り、颯太はようやくにして明媚なハイカラ街、長崎の町並みを目の前にしていた。

本人の知ることではないのだが、すでにして大遅刻であった…。



***



遅参の予感にびくびくしながら長崎奉行所を訪れたとき、ちょうど奉行は外出中であった。

阿部様から預けられていた書状を渡し、おのれの用向きを告げた颯太に留守居のお役人は不審げな顔をしたものの、同行の後藤さんに睨まれると(颯太が外見で誤解され易いことに苛立っていたらしい)一行を中へと招じ入れ、遣いの者を奉行のもとへと走らせた。

なんでも長崎奉行の川村対馬守様(川村修就)は出島のオランダ商館に、条約草案を煮詰めるためにひと月以上ほとんど詰め切りであるという。なんとなく用意された文書に調印するだけのイメージを持っていたおのれをタコ殴りにしたい衝動に駆られながら、出された茶に口をつけるのも忘れて颯太は考えに沈んだ。

無知からくる凡人のうろたえから早々に抜け出した颯太は、7歳児にして完成されつつあるある種のあつかましさで、ここでのおのれの『立ち位置』の明確化と、なさねばならぬ役務をすばやく整理算段する。

現在も後世も、主義主張や価値観をブレさせる人間は、大人社会で信用してもらえない。子供にして40石直参、支配勘定並……今度は外事系の役務を振られたりと阿部様の秘蔵っ子としておかしなことになっている彼であったが、それらおのれを形作る『設定』をわきまえたうえで状況に関わっていくのが肝要であることを彼のなかのおっさんは知っていた。

老中首座阿部伊勢守様の肝いりで会談に同席することになった彼は、むろん阿部様を恥じ入らせるようなことはできないし、同席させられるだけの何かを関係者に認めさせなくてはならない。

何気にハードル設定は高い。


「…その草案というのは、どのくらいまで煮詰まってるんですか」


おっかなびっくりお役人に確認する颯太。繰り返し言うが、颯太は細かな史実まで把握してはいない。

その何気ない問いの答え次第でさしもの小天狗も大爆死しかねない状況であったのだけれども、幸いにしてまだ調印にまで話は進んでいないらしい。まるで颯太の存在を必然とするかのように、歴史がひずみを強くしているようである。が、むろん本人は知らぬこと。


「それがしはそのような枢要な密議に加わるほどの分はございませぬゆえ」


お役人はそつなく責任回避して頭を下げる。

国家を左右するかもしれない大事な条約の草案を煮詰めているのだ。おいそれとその秘密に関わる人数を長崎奉行が増やすはずもない。

茶請けに出された懐紙の上の金平糖を見つめ続けてしばらく、「お奉行様が戻られました」との声を耳にした。

ドスドスと足音が近付いてきて、無遠慮に障子が開け放たれる。


「屏風殿がめずらしく文など寄越しおったものだから、小天狗とはどんな若造かと思っていたが……この『童』で間違いないか」


越後のちりめん問屋を名乗る2代目『ご隠居様』に似た、上品な顔立ちの老人がそこに立っていた。隣のお役人に問い質しつつ、面白そうにこちらを眺めやってくる。


(…屏風殿?)


「陶林草太殿、か…?」

「いかにも。陶林颯太にございます」


座布団から場を改め、平伏する颯太。むろん同行のふたりも部屋の隅で平伏している。田舎では泣く子も黙る支配勘定並も、奉行職……数ある奉行の中でも一段頭抜けた栄誉職である長崎奉行の前では木っ端役人に過ぎない。


「伊勢様より、外事のいろはを見聞きして参れと……いささか以上に若輩の身でまさに身を縮める思いでございますが、会合の場に同席させていただきたく、伏してお願いお申し上げる次第」

「ほら、俺の勝ちだ、川村殿」

「永井殿…」


川村様の後ろからひょこっと顔を出したのは、よく日に焼けたおっさんであった。してやったりとニヤついた顔をして、川村様にしかめっ面をさせている。

永井尚志(ながいなおゆき)……名前とその肩書きを知って、颯太の背筋に電流が走る。

長崎で行われようとしている国家的な条約の場に、幕府の貫目を担うに足る当地の高官が集められるのは当たり前であったのだろう。2000石旗本にして長崎海軍伝習所の総監理(所長)、時代のキーマンがありがたみもなくイベントキャストに名を連ねているらしい。


「屏風殿も言い回しが迂遠すぎなのだ。御城の役方最年少にて驚かれるべからずとか、最低でも『元服』までは勘定するだろうが」

「伊勢様の飼われる小天狗がちんまい小僧だというのは、噂に聞いておられたろう。素直に信じたもの勝ちよ。…約束のほう、くれぐれも忘れるでないぞ?」

「…くうっ」


何か賭けてでもいたようなふうである。

どうやら颯太のことは何らかの書状でこちらに伝えられていたようではあるものの、その差出人らしき『屏風殿』というのが分からない。

川村様たちに分からないように後ろの後藤さんに問うと、


「勘定所の水野様ですよ」


とあっさりした答えが返ってきた。

『屏風水野』とは、勘定奉行兼勝手掛(状態異常)、下勘定所で顔を合わせていた水野忠徳のことであった。重要な席でやんごとない方々がへまをせぬよう、屏風の裏から入れ知恵していたというその様からついたあだ名であるらしい。

阿部一党は切れ者が多すぎてインフレ気味ではなかろうか。それだけ阿部様が人を見る目がある有能な殿様だということなのだろう。

『屏風水野』が本領を発揮して、重要な条約の場に子供を送りつけるという突拍子もない阿部様の思いつきを実現すべく、いろいろと根回ししてくれていたのだろう。目端の利く上司というのは、素敵なものである。


感想の多さにびっくりしてます。

誤字脱字、記載ミスなどは順次対応しています。ありがとうございます。

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