017 美濃焼総取締役
(窯が欲しい…)
窯が欲しい、窯が欲しい、窯が欲しい、窯が欲しい…。
うなるように、そう思う。
およそ頭に想い描いた、成功へと至るルート選択も、まず《窯を手に入れる》という大前提より初めてスタートする。前世のチート技術を万全に生かすためには、職業選択は《窯業》一択。
たとえ生半可レベルの代物でも現代人の知識はチートの類だが、彼が飛ばされたのはご都合主義がまかり通る剣と魔法の異世界ではなく、リアル江戸時代である。
彼は三十路にして厨二小説が大好物だったが、同時に逃げも隠れもできない現実社会で呻吟する中小企業経営者であり、世間がそんなに甘くはないことも熟知していた。
(未知の先進技術をひけらかしても、それを即座に商用ベースとして実用化できないと、技術だけ盗まれてアボーンがオチ……特許概念のないこの世界で、自分だけが持つ『現代知識』の価値を守るためには、実現が見込める道筋を確立してから口に出すべきだ)
それが彼の5年間に渡る試行錯誤の答えである。
中世の技術停滞した世界ならともかく、19世紀半ばのこの世界は、海の反対側ではすでに産業革命が起こって久しく、蒸気機関動力が一般化するレベルに達している。機械化による大量生産時代はすでに幕を開けているのであり、情報の漏洩はすぐさま技術の模倣を生むだろう。
浦賀にやってくる黒い船たちのなかにも、たしか蒸気機関を積んだ船が含まれていたはずである。
(知識を現実的に活用するためには、その活用法を熟知している《窯業》選択がベスト。そしてその知識の《実現化》を現実のものとするためには、どうしても窯が要る…)
《西窯》滞在時間はあまり長くないものの、草太はその限りある時間を観察と情報収集に費やした。
現代の窯と構造は異なるものの、土を焼くという機能において変わるところはない。強いて挙げれば、現在よりもより高温での焼成を実現できるかどうかの違いぐらいである。
まず、耐火性のあるレンガを手に入れること。
そして、そのレンガを積み上げるための接着剤、耐火モルタル【※注1】も手に入れる。
大昔は斜面に穴を掘って窯焚きした時代もあったそうだが、それだと温度が上がらないのでどこか塩梅のいい土地を確保して、前記耐火レンガとモルタルを使って単房の大窯を作る。窯をいくつも並べて作る長大な登り窯はさすがに子供の手に余るだろう。一房しかなくても最初はそれで充分である。
草太は《西窯》からちょろまかしてきたレンガの破片をしげしげと眺めた。
(クリームがかった少し茶色い土色だけど……たぶんこのへんの土なんだろうな)
ある程度専門知識があったからとて、この時代の土の産地を当てられるほどのものはない。
前世の時代の粘土とは、工場で大量に作られる均質なものであって、すでに『原料製品』として完成した物だった。まだ手工業が大全盛の江戸時代、土の確保から精製まである程度は窯元が自前でやっているらしく、おそらくまったく同じ品質の土が連続して供給されるなどありえなかったろう。
というわけで、この破片を見ただけで複製が可能かといわれればまず無理である。
(…どっかに耐火レンガでも売ってないかな~。あれば簡単なのに)
実際のところ、すでに『耐火煉瓦』というものは存在しているらしい。
それは幕府が官営事業として《反射炉》建設を始めたとき、招聘した外国人技術者が炉の材料のひとつとして焼かせたレンガらしい。焼物業界人らしく、そうした焼物技術に関わる情報については職人たちがやたらと詳しかった。まあ《反射炉》自体は「?」なかんじでスルーしまくっていたが。
その耐火レンガがいかに硬くて丈夫だったか、弥助が鼻高々に自慢してきたときは少しイラッときたが、サンプルで手に入れたという実物を見せてもらって草太の心は激しく揺さぶられた。
手に取った肌触り。
大きさと重さ。
そしてあのなんともレトロチックな赤い色。
さすがヨーロッパ人が監修したという代物だ。まったく現代のものと変わりがなかった。
「おいおい、感激したのはわかっけど、泣くかな普通さ~」
いつの間にか泣いてしまっていたようだ。
いきなり前世とつながるものを見てしまって正直郷愁が刺激されたのは間違いなかったが、弥助にニヤニヤ笑われてなんだか負けたような気がして、
「ところでなんだったの、あれ?」と半眼で反撃してみる。
「…また粗悪品?」
「てんめえ、大原の河童小僧の分際でぜってえ言ってはならねえことを」
「だって粗悪品やろ、あれ」
「粗悪品いうな…」
プルプル震え出した弥助が面白い。
その一瞬あとに弥助のこぶしが連撃となって襲いかかってきたが、耐火レンガで情け容赦なくカットする。やっぱ硬いっていいよね。
大声で泣き出した弥助を仲間の職人が「うるせえ」とかいってゲンコツ落としました。弥助踏んだり蹴ったり(笑)
ちなみに弥助が窯から取り出したおのれの実験作は、横の作業台の上に置いてあった。
《窯変志野》って(笑)
志野焼きを目指したらしい白い釉薬が、陶器の肌から剥離してぼろぼろにこぼれている。見た感じ志野釉が溶け切らなかったようだ。
《窯変》【※注2】って、業界でしか通用しなさそうな厨ネーミング、大変笑わせてもらいました。ごちそうさまです。
レンガの破片をもてあそびながら、草太は多治見郷の道を歩いていた。
冬も間近な多治見の空は、すでに光を失い始めている。早く帰らねば大奥様に大目玉を食わされる。気は急くのだが、水温が下がり油断ならないぐらいに冷たくなった土岐川を押し渡らねばならないことを考えると少し足が重くなる。
(転ぶとずぶぬれで寒いからな~)
草太ぐらいのチビすけだと、渡れぬことはなくても2回に1回は足をとられて転ぶことがある。深いところの水底の藻が曲者なのだ。
少し風も出てきているのかもしれない。服の襟を寄せて、そぞろに川に向かう。
多治見郷は、この盆地で一番人口の多い集落かもしれない。粗末ながらも家が多く、たぶん大原郷の2倍くらいの住人がいるだろう。だいたい1000人くらいだろうか。
たぶんそれなりに儲かる窯が有るからそれだけの人間が養えるのだろう。
そして往き帰り、彼の視界に必ず入ってくる広壮な邸宅が多治見郷の印象をより大きくする。
それはもう、邸宅、というより豪邸という言葉のほうが似合うだろう。
西浦邸…。
職人に聞いて初めて知った事実。
美濃焼総取締役…。
そんな地位があったんだ……とか、感心している場合ではない。
当代、3代目西浦円治は、この美濃において焼物の生産、出荷に絶大な影響力を持つその御役を尾張藩【※注3】から貰っているらしい。
支那呉須【※注4】と九州壔灰【※注5】の江戸時代必須の原料販売を占有して製造元を締め付け、販売では尾州藩蔵元の力で販路を寡占……その力は圧倒的なんだそうだ。
そりゃあ、貧乏庄屋に1000両貸せるわな。
もしも明治時代到来を待たずに勝負をかけるなら、避けては通れない巨大な壁であるだろう。銅銭1枚すら持たない5歳児にとって、その壁はムリゲーに近い断崖である。
(これが当面のボスキャラかあ…)
この時代の絵に描いたような特権商人、それが西浦円治であった。
【※注1】……耐火モルタル。耐火煉瓦を積む目地用の材料。
【※注2】……曜変。ここでは曜変天目とよばれる茶碗を指す。信長とともに本能寺で失われた名品や、徳川将軍家に伝わった名品などがある。誰も再現ができない奇跡的な物なので、今どきに言うとユニークアイテム。三菱の創始者弥太郎が、買い取ったものの恐れはばかって一度も使わなかったという逸話もある。
【※注3】……尾張藩。名古屋城を本拠とした徳川御三家のひとつ。美濃焼は販売権をこの藩に握られていたらしい。徳川の身内サプライズのひとつなのでしょう。
【※注4】……支那呉須。中国から伝わった下絵の具。最近の合成呉須と違って天然物高級品アルヨ!
【※注5】……【九州壔灰】(きゅうしゅうとうはい)磁器用の釉薬で必須の灰だったらしいです。おそらく釉薬用の木灰のことだと思いますが、残念ながらよく分かりません。作者の勘では栗皮灰っぽいやつかなと(笑) 栗皮灰は一袋数万するめちゃくちゃ高い材料です。